ニキータ/NIKITA

九十年フランス映画/117min



監督・脚本:リュック・ベッソン/制作:ジェローム・シャルー/撮影:ティエリー・アルボガスト/出演:アンヌ・パリロー、ジャン=ユーグ・アングラード、チェッキー・カリョ、ジャンヌ・モロー、ジャン・レノ

 現代フランスのマイ・フェア・レディは、かの物語がまるで数千年も未来のできごとであるかのように思えるほどに惨めな少女で、そのような娘であるという事実は彼女が教育をうけて成長した後も、拭い去ることができません。

 なにしろ彼女は麻薬中毒の殺人者として登場するのであり、足長おじさん役の秘密組織によって拾われて十分な教育を施された後には、組織にしばられた殺し屋として働かなければならないのです。

 せめて、たとえば彼女がナショナリズムを注入されたのであれば、わが祖国フランスのためならば神に背く行いではあるけれども、ライフル銃のスコープの十字に捉えられた見知らぬ人物の頭蓋を打ち抜くのも仕方がないと思い込めるのであり、そのほうがまだ幸せだったことでしょう。

 彼女があたえられた教育は、殺人術と諜報技術でした。それらの技術は身についても彼女の内面は、警察から秘密組織に引き渡された際に、死にたくない、ママを呼んでちょうだい、なぜママは来ないのおと泣き叫んだジャンキー娘のまま、ぜんぜん変ってません。

 二十三歳の誕生日に彼女は、卒業試験として与えられた最初の仕事で見事にターゲットを殺すことに成功しますが、大勢の銃を持った男たちに料理店の厨房のなかに追いつめられて、たった一人で死の恐怖に怯えながら応戦しなければないのです。いま銃口をわたしに向けている男たちは、わたしを殺そうとしており明らかに敵なのだけど、わたしがなぜ彼らと対峙しているのか皆目わからない、ただわかっているのは、殺さないと殺されるという事実だけ。

 幸いなことに彼女は荒んだ生活環境のおかげか倫理的麻痺におちいっているので殺人自体には躊躇はないのですが、細っこい精神の娘にとって、むきだしの死の恐怖に律されて人を殺すというだけの生活が心理的に耐えられないものであろうことは想像に難くありません。運よく10数年を生きのびたとしても、ジャン・レノのあの“掃除人”のように殺人の自動機械になるのです。

 このようなニヒリスティックな状況は現代の秘密エージェントたちに共通する境遇なのでしょうか。ある程度はそうなのかもしれません。しかし、彼女をこの不幸に追い込んだ意志には、現代的な殺し屋を描こうとする以外の企図があったと考えるべきでしょう。ストーリーの破綻さえもおそれず、とにかく彼女をひどい目にあわせたいと考えたものの望みは次のような内容であると推定されます。

 少女が不幸になるのは、うれしいなあ。やせていて鎖骨の美しい少女であればなおさらだ。そこで、ちんぴら娘を街でひろって、白く清潔な監獄に拘禁することにする。死の恐怖をもって命令に従わせしめ、作法と教養を身につけさせる。化粧も着飾ることも教える。そしていずれ微笑みを知ったその少女を、ドブに突き落としたい。幾度もそれを繰り返し、ドレスを泥まみれにして泣く少女を私は、汚れるのもかまわずに抱きしめてあげるんだ。ああ、少女にこのような境遇を与える事ができるものであれば、多少の犠牲ならば、はらってもよいなあ−−−。

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