地元横川名「はなまがり」より
(一般にはざんげ岩というらしい)
群馬県碓氷郡松井田町大字横川鉄道宿舎30号−4
(私が18年間お世話になった横川での住所)
昭和63年の取り壊しまで、この鉄道宿舎には旧国鉄職員の家族が、多いときには「約100世帯」が碓氷峠関連の仕事に就くためこの地に暮らし横川はそれは賑やかだったと聞く。
横川では、鉄道宿舎は昔から鉄道官舎と言われていた。
国鉄民営化と共に鉄道関係者の家族達はこの土地を離れ、横川は絵に描いた様な過疎化の一途を辿り現在も歯止めがかからない状態にある。
そんなおり すでにご承知のとおりの横川〜軽井沢間の鉄路の廃止。
1996年〜廃止までの期間、特に1997年のGW以降は鉄路の風景を撮影しようと日本全国から大挙押し掛けた。電車の音も騒音とは思わなかった住民達だが、この光景には戸惑い、一部のマナー無き「よそ者」たちは、線路脇〜畑 とところかまわず踏み込み、中には自分たちの出したゴミを放置していくありさま。
さすがに見るに忍びなく空き缶拾い・空き釜拾いを数週間続けた。かつて横川鉄道官舎で暮らし幼少時代一緒に遊んだ仲間に呼びかけ「横川鉄道感謝の会」が結成した。
以後廃線までゴミ袋片手にゴミ拾いを行い奇麗な線路敷きを機関車達に走ってもらい最後の花道を飾ってもらうはずだったが、さすがに最後の1週間は大挙押し掛けた人にゴミ拾いを続ける状況になく、さて?と考え込んだ・・・
そして廃線・・・私達は機関車達がいなくなった線路敷きのあとかたずけをし、マナー無き鉄道ファンの多さに愕然とした。
同時に故郷横川の歴史の深さと知名度の高さに驚いた。
なぜ、こんな活動を続けるのか?
それは私達に碓氷峠で働いていた鉄道員の血が流れているから?。
それとも碓氷で育った郷土愛?