| 黄色い太陽が地上にくまなく愛情を降り注いでいる昼下がり。爽やかな風を受けて緩やかに波打つ背の高い草の中を、一頭の白馬が駆けていた。騎乗しているのはやっと大人の仲間入りを許されたばかりの年頃の青年であった。体つきは逞しく意思の強そうな黒い瞳は大人顔負けではあったが、頬の輪郭などにはまだ子供らしい甘さが僅かに残っている。実用的だがどこかしら品のよい乗馬服に身を包んだ青年は、コーラルの街が目に入ったところで歩みを止めた。
青年は手の甲で無造作に流れ落ちる汗をぬぐった。季節は盛夏に向かってまっしぐらに進んでいた。木々は深い緑の葉を揺らし、地面に濃い影を落とす。立ち上る雲の向こうには、絵に描いたような空色が広がっていた。 楽しさに我を忘れていつのまにか一人で走ってしまった。一緒に早駆けに出ていた親友たちの黒馬が、遥か彼方に見える。青年はぽんぽんと軽く馬の首を撫で、ゆっくりと門の方へ向かった。 そのとき、巨木の根元で無防備にも昼寝をしている人影が目に入った。荷物を投げ出し、幹に持たれかかってすやすやと寝息さえ聞こえてきそうな穏やかさである。青年は形の良い眉を寄せた。ここはデルフィニアの首都コーラルの足元である。田舎とは異なり、人の種類が多いだけに物取りなども横行しており、気が緩められない。しかもよく見ると、その人物は男性のようだがかなり整った容貌をしていた。都会であるだけに美しい容貌も犯罪の原因になりうる。 一言忠告をしておこうと思い近づいて行くと、その人物は不意に瞳を開けた。森の緑よりも深い、吸い込まれるような翡翠の瞳だった。年の頃は変わらないのに、挑戦的な瞳が彼を大人っぽく見せていた。 眩しさに、青年は父親譲りの黒い瞳を細めた。 どこかしら見覚えがあるのだが、思い出せない。一応お忍びである。目立つわけにも騒ぎを起こすわけにもいかないことを思い出し、さりげなく通り過ぎようとした。 しかし、太陽の化身のような青年は、彼と目が合った途端、破顔した。向日葵のような笑顔だった。陽の光を受けて輝く黄金の髪を揺らし、青年はずかずかと彼に近づき、手を取った。相手の顔を無遠慮に覗き込み尋ねる。森の緑を映したような翡翠色の髪飾りがちらりとのぞく。 「なんていうんだ?」 「…」 こんな無遠慮な問いかけには慣れておらず、思わず眉間に皺をよせたまま硬直してしまった青年に、太陽を思わせる青年は快活な口調でなおも畳み掛ける。 「お前、ウォルとポーラの子だろ?」 それは確かに青年の両親の名前だった。しかし、仮にも一国の国王と愛妾である。その名が呼びつけにされることなどいまだかつて耳にしたこともなかった。黒髪の青年はやっとの思いで問い返した。 「…どうしてそれを?」 「そんなの顔を見たら判るよ」 「無礼な!」 「何者だ、おまえ」 後ろから追いついた双子が詰問口調で騒いだ。 向日葵のような青年は、印象的な翡翠色の瞳を細めてにんまりと笑う。 「リィだよ、セーラとユーリ」 名前を呼ばれた途端、大公爵家に生まれたふたりは後ずさり剣を構えた。彼らほどの名門の出となると、名前をそのまま呼ぶのはごく少数の親しい者に限られる。あでやかな黄金の髪の青年には全く心あたりがなかったので、不審極まりなく感じたのは当然であろう。もっともこの国の後継者の名を知らない時点で十分怪しかったが。若い大貴族たちは、目付きだけで人を殺せそうな鋭さで、油断なく風変わりな衣装をまとった青年をねめつけた。しかし、この青年からはいっこうに殺気が感じられない。あろうことか双子を無視して黒髪の青年に向き直った。 「ウォルとポーラは、皆は、元気?」 「はい」 「そう、よかった」 こころからの微笑みを見せて、両の肩を軽く叩く。そして、ふんぎりをつけるように、使い込まれた革のブーツを森の方へ向けた。 「あれ、もういいの?」 少し離れた木陰から様子を見ていた光と陰の対のような青年たちは彼の仲間らしい。長い黒髪のほうが、近付いてくる仲間に気軽な声をかけた。新月のような銀髪の青年も怪訝そうな表情で問い掛ける。 「陛下にはお会いしないのですか?」 取り囲まれる格好になった青年は、苦笑して自分の身体を叩いた。 「だからこのなりでどうしろっての」 「すぐに変えてあげるよ」 「いーんだよ。 天に昇った王妃様が遊びに来たって、そりゃあいつはいいだろうけど、他の人達が腰を抜かすよ」 白馬に乗って戻りかけていた青年は、その台詞に愕然とした。『天に昇った王妃』なんて、アベルドルン大陸広しと言えどもひとりしか聞いたことがない。 「まさか、戦女神さま!?」 思わず叫んでしまい、はっと口をつぐんだ。目の前にいるのは、確かに流れるような黄金の髪に森の緑よりも深い瞳を持つ麗人ではあるが、どう見ても男性である。 金髪の麗人は、愕然とした表情で立ちすくむ少しだけ背の高い青年を、興味深そうに眺めた。その緑の瞳には悪戯な光が宿っている。 「おれは男だよ? ほんとうにそう思う?」 「じゃあその子供か何か? だって、そっくりだ。話に聞いた戦女神様と、あのタペストリーと」身体の内から光を放つような絶対の存在感。『目が眩むほど美しく、強い意志と優しい心を持ち、天の使いのように強い』人。奇跡のような力でデルフィニアを何度も勝利に導いたという。 「何を血迷っているんだ!」 ユーリの怒声の上に、能天気な声が重なった。 「さすがだねえ。本質を見通す瞳を持ってる」 「健康な身体と柔軟な精神。…あのふたりの子だな」 「そうですね!」 「ああ懐かしくなってきちゃった。ねえ、会っていこうよ」 「会わなくても、わかる。幸せに暮らしてる。その確信が持てるから、いいんだ」 太陽の化身のような少年はさらりと身を翻し森の方へ足を向けた。 それを追ったすこし年上の青年たちが、背後からなにやら耳打ちした。コーラルの街のほうを指差して肯き合っている。 「そうだな。街並みも変わったかな」 「ね。街だけでも寄っていこうよ。結局、僕火酒って飲まずじまいだったんだよね?」 占い師のような格好をした人物がからからと笑ったころには、わきあいあいとした風変わりな三人連れの足取りは街へ向かっていた。 「ちょっと…行かせちゃっていいの?」 呆然と見送る青年の肩を、乗馬服の少女が掴んで揺さぶった。 ユーリは、がくがくと身体を揺すぶられても黒い瞳をぼんやりさせたままの幼なじみに顔を顰めた。そして、後を追うために馬に飛び乗ろうとしたが、その腕を捉えて首を振ったのは妹だった。確かに怪しい連中ではあるがたった三人でことを大きくするのは本意ではない。ユーリは癖のある髪を掻き揚げて舌打ちした。 「あんなのかたりに決まってる!」 おっとりした面立ちの彼らの幼なじみは、問題の三人が街に向かうのを呆然と見送っていた。 背中がどんどん小さくなる。振り向きもしない。 とうとう華奢な後ろ姿が門の中に消えたとき、昼下がりの眠たそうな太陽がすこしだけ力を取り戻したような気がした。 「王子ともあろうお方が何を慌てていらっしゃるんです?」
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