後日談その3 太陽の少年         連城 颯姫 
ACT.1 太陽の帰還

 その少女は、ちょっとした窮地に陥っていた。四方を兵士に囲まれ、逃げ出す隙はない。今まで走っていたためか僅かに息は乱れていたが、一瞬の隙も兵士達に与えず黒曜石の瞳で威圧した。 
「邪魔立てするなら容赦はしないけど」 
 長い黒髪を後ろで一つに束ね、格好だけを見れば旅装の男と見紛うが、声の高さや胸のまろみから容易に女性であることの判別はつく。
 パキラの森沿いの小道での出来事だった。日はまだ中天にあったが、周囲は閑散としており、彼ら以外人の気配はない。兵士達の脇にはこれまで騎乗していたであろう、十数頭の馬もあった。 
 この様子を他の者が見たとしたら、首を傾げたであろう。兵士らの服装はデルフィニアの近衛兵団のものだからだ。名誉ある近衛兵が十数人で少女を囲んでいる姿はあまり褒められたものではない。だが、囲まれた筈の少女に怯えた様子はなく、ため息をつくと剣を抜いた。兵士達は無言で視線を交わし、少女に飛びかかった。 
 十数人の男たちと一人の少女である。本来ならあっさり決着のつく所であった。だが、少女の有利な点を挙げれば、兵士達が無傷で捕らえようとしている事だろう。一応、少女の抜刀に合わせて剣を抜いたものの、殺気がまるでない。だが、少女の方も兵士達を殺す気はもとよりないので剣の裏で当て身を入れ、次々と気絶させていく。少女は優れた剣士だったが、体力の差は大きい。次第に少女の呼吸が荒くなり、勝負の決着が兵士達に傾き出した頃、頭上より少年の声が掛かった。 
「事情は知らないけど、女の子一人を相手に……しち、はち……十人。近衛兵の質はそんなに落ちてるのか」 
 声の主は、背丈の倍以上はある高い木の枝から彼らを見下ろしていた。 
 不意の声にぎょっとした兵士に構わず、少年は身軽に木の枝から飛び降りてくると、彼らの中に割って入り少女の盾となった。 
「手伝うよ」 
「えっでも…」 
 少年の気軽な申し出に少女が戸惑っている間にあっさり兵士一人に当て身を入れている。無駄のない動作に少年の実力をかいま見た少女は言葉に甘えることに決めた。 
「申し訳ありませんが、お手柔らかにお願い致します」 
 少年は少女の注文に応じて脇に挟んだ剣を抜くことすらなく、次々と兵士達に当て身を入れていく。横目で見ていた少女は感嘆のため息を漏らした。数多くの手練れを見知っているが、少年はどうみても少女と同年代。二十は越えてないように見える。これほどの若さで身に付く技量ではないはずなのだ。数分でカタがついたが、少年は側の馬の手綱を少女に渡した。 
「もう次のが来ている。早くこの場所から離れた方がいい」 
 少女には追っ手の気配は感じられなかったが、状況的に少年の主張は正しいと判断し、渡された馬に乗った。少年も側の馬に飛び乗り少女を先導する。数分後、一個小隊が駆けつけた時、見つけたのは気絶した兵士達と馬のみだった。 
 

 少年は、パキラの森を迷いなく進み、泉のほとりが見えた所で馬を止めた。飛び降りて、馬に水を飲ませるのを少女も真似た。改めて少年の方に向きなおると、頭を下げた。 
「遅くなりましたが、危うい所を助けて頂きありがとうございます」 
 律儀にお礼を言われた少年は苦笑を浮かべた。 
「危ない所ってわけでもなさそうだったけど。向こうには君を傷つけるつもりがなかったみたいだし」 
「ですが、あのままだと私が捕まっていたか、あの兵士達が怪我をしてたかのどちらかになってましたから」 
「単刀直入に聞くけど、どうして逃げているわけ」     
 正体不明で初対面の人間に話す事情ではない。どう誤魔化そうかと躊躇しかけた時、まっすぐに見た少年の瞳に硬直した。己がかなりの度胸の持ち主であることを自覚しているが、それでも逆らえないものを感じるのは初めての経験だった。翡翠の様な緑の瞳を見ると嘘などつけないと思い直したのである。
「……家出の真っ最中なんです」 
 目を丸くしている少年に構わず、少女は言い訳した。 
「騙し討ちでお見合いさせられそうなので、ちょっと姿を隠そうかと」 
「その割に随分大げさな追跡隊だな」 
「相手が大物なので仕方ないんです。見合いを仕組んだ時点で私の行動パターンを読んで見張ってたのは気づいてたのですが、まくのに失敗してしまって…」 
 少女の唐突なぐらいの事情説明だが、少年は意味ありげに尋ねた。 
「……君のお父さんがそんなことをしたの」 
「いえっ、父上は私の意志を尊重してくださいます。家出の許可もちゃんといただきましたから」 
 父親の許可を貰った家出というのも奇妙な話の筈だが、少年はそれで納得したらしい。 
「君と父親の意見が一致してるのに、どうして逃げ出す羽目になるんだ」 
 少年の質問は尤もである。少女は、遠回しに理由を話した。 
「見合い相手が家柄も地位も立派な文句のつけようの無い方で、周囲の方々が妙に盛り上がってしまったんです。見合いだけなら父上の体裁上お受けしたんですが、放っておくとそのまま婚約まで突入しそうなので」 
「断る口実になってくれそうな恋人はいないの」 
「茶番に乗ってくれそうな幼なじみは二人ほど。でも二人とも冗談で済む家柄ではないですし、片方に頼むと片方が拗ねるので」 
「ふうん、大変なんだな。で、取り敢えずはどうするつもりなんだ」 
 少年の質問に少女は困り果てた様なため息をついた。 
「それが問題なんですよね。国内だとすぐ手が回ってしまいます。見合いは五日後なので、それまで捕まらなければいいのですが」 
 追っ手の近衛兵団には顔を知られており、女一人での旅など目立つことこの上ない。実行した本人ですら無謀かと思っていると、少年はあっさり答えた。 
「それなら楽勝だ。おれで良ければ手を貸すけど」 
 申し出た少年の顔をまじまじと見つめた。頭を覆った白い布からこぼれ見える髪は黄金、翡翠の瞳に卑屈な光はなく邪悪な感じは全くない。男性だというのに恐ろしく整った顔立ちで、女性のような柔らかさはなく厳しさを備えた表情だが、笑うとほっとするような安堵感のある不思議な少年。 
 少女も様々な戦士と知り合いだが、この少年程の剣の使い手には滅多にお目に掛かったことはない。多少の追っ手なら彼の手を借りればなんとかなりそうである。 
「私としてはとても助かります。ですが、返す物が私にはありません」 
 言動だけを見れば、少女を利用しようと企んでいるととれなくもないが、直に少年と話していれば判る。この少年に下心はない。ただ、どうしてこのような申し出をしてくれるのか純粋な疑問は残る。 
「久しぶりの友達に会うために来たんだけど、別に急ぐ訳じゃない。君といると退屈しなさそうだし、別に構わない」 
 少年の簡潔な言葉に少女の意志は決まった。 
「では、お願い致します」 
「なら、最初はその格好を何とかしないとな」 
「格好!?」 
「男装にしても、服が上等過ぎて目立つからね。旅の途中で絡まれても文句が言えないよ」 
 一応、目立たない服装を選んだつもりだったのだが、まだ足りないらしい。少女の追っ手の目を眩ます為、念には念を入れねばならない。 
「判りました。あの、申し遅れましたが、私はエディス・レーヤと申します」 
 少年の名をまだ聞いてもいないことに思い至りまずは名乗った。恩人に偽名を使うのも些か失礼に感じ、半ば試すつもりで本名を言うと、少年は顔色を変えもせず同じく名乗った。 
「おれはリィ」 
 簡潔に名乗った名前にエディスはハッとなる。幼い頃、父より聞かされた女性の名と同じ。エディスが父親と同じくらい最も尊敬と憧れを持つ戦女神。よく見ればこの少年の容貌も黄金の髪と翡翠の瞳である。慌てて尋ねようとした瞬間、首を振って馬鹿な想像を打ち消した。目の前の人物は歳も若く、なにより男性である。只でさえ一目を惹く容貌で、女性と間違われたこともあるだろうなと予想をつけるとあり得ない事を聞くのも憚られた。 
「じゃあ何処に行こうか」 
 屈託無く聞く少年にエディスは答えた。 
「タウ山脈を目指しましょう。あそこなら多少の融通を利かせて貰えます」 
 頭に浮かんだあり得ない想像がよもや現実であることにも気づかず、少女はこれからの家出計画に頭を巡らせた。 

ACT.2  傍迷惑な追跡者

 その後、エディスは近くの民家で適当に服を見繕い、着替えを済ませた。 
「…ってわけだから、ちょっと寄り道してくるよ」 
 少女を待っていた間、奇妙な少年ことリィは何やら空に話しかけていたようだった。立ち聞きする趣味のない少女は、深く追及せずに出発を促した。 
 早速出発しようとした二人だが、ここで旅の手段を検討せねばならなかった。目的地としたタウは遠い。馬ならば、さして時間は掛からないが、一応は追われる身である。目立たないよう行くとなれば徒歩の方が良いように思われた。だがもし捕まった場合、連れ戻される場所は出来るだけコーラルより遠い方が有利に思える。だが、ふとリィは会話を中断すると右の人差し指を口に当てた。そのまま、近くの茂みを指さし身を隠すように促した。 
「また別の新手らしい」 
 少年の簡潔な言葉に、少女は慌てて耳を澄ませるが、それらしい気配はない。懐疑的に見つめたが、程なくして少年の言葉は証明された。複数の騎馬の音が少女にも聞こえたからだ。 
「貴方の耳の造りは一体どうなってるの」  
 呆れて問いかける少女に少年は首を竦めた。  
「おれのことよりあの新手だ。あれは…ティレドン騎士団の連中じゃないのか」  
 具足に身を固めた騎士達の鎧には揃って翼を広げた大鷲の紋章が見える。マレバはパキラ山脈とコーラルを挟んだ反対側の位置にあり、演習とも思えない。第一、十数人の集団は周囲をキョロキョロと見回して、明らかに人を捜している様子だ。少女はその中に見知った顔を見つけて唇を咬んだ。  
「何とかやり過ごせないかしら」
 いきなり消極的になった少女を振り返ったリィはあっさり否定した。
「この距離じゃ、無理だね。二人で掛かればあれぐらいの人数片づけられると思うけど」
 少女は首を横に振って、一団の中心にいる黒髪に青みがかった灰色の瞳の青年を指さした。
「彼…ユーリーは若年だけど、国でも有数の剣士なの。恩人の貴方に怪我をさせる訳にはいかないわ」
 己も普通の兵士よりは強いと自負する少女だが、勝てない相手は確実に存在する。彼もその中の一人だった。この少年には先程見事な体術を見せてもらったが、剣の腕前はどうか。本気で怪我の心配をする少女にリィは笑い出した。
「大丈夫。おれは彼のお父さんに勝ったこともある。ユーリーはバルロより弱いんだろう」
 少女はまじまじと少年を見つめた。自然にバルロと呼び捨てた事にまず驚いた。少年の歳でサヴォア公爵に勝てる程の技量を身につけているとは通常考えられない。何より国内でサヴォア公爵ノラ・バルロに勝てる相手など、エディスは父以外知らない。だが、不思議と大言壮語と思わせないだけの説得力を少年は持っていた。
「さ、行こうか」
 気軽にいうと、さっさと茂みから出て彼らの方へ歩き出す。少女は躊躇いつつも、少年の言葉を信じることに決め、後に続いた。

「なんだ、そのかかしのような恰好は」
 少女の姿をいち早く見つけた青年は、馬より飛び降り駆け寄った。皮肉な口調ではあるが、侮蔑というよりはあきれ果てた様子である。
「わざわざここに来てるってことは、事情は分かっているんでしょう」
 エディスの口調もくだけたもので、つき合いの長さを伺わせる。
「由々しき噂を聞いたな。何でも国王の娘が重大な式典をすっぽかして家出したというものだが」
「父上にはちゃんと許可は頂いたわ」
 少女はキッパリ断言したが、ユーリーは呆れ混じりに告げた。
「陛下だけに、だろう。お前一人のために、王宮中が大騒ぎだ」
「騙し討ちのように、見合いなんか仕組む方が悪いのよ」
 ユーリーと話す時の少女は、年相応のあどけなさだった。一方のユーリーは断固とした態度を崩さない。 
「相手が嫌ならば断れば済むことだ。五日後の生誕の儀は陛下の主催されるものだ。娘のお前が欠席できると思うのか」 
「別に私が主役でもないから構わないと思うけど」
「お前には王家の姫たる自覚はないのか」 
 ユーリーが怒鳴るタイミングを見計らっていたエディスは耳を塞いでいる。つき合いが長い分、行動パターンが読めるのだ。 
「私は庶子で、姫君なんて身分ではない筈だけれど」
 平然と言い返す少女に、ユーリーの口調は苦い。
「そう考えているのは、当人達を除けば陛下と芙蓉の方ぐらいだ」 
 たかが、庶子の娘に各国の王太子達が求婚する筈はないのだ。デルフィニア国王唯一の愛妾であるポーラの子供達は国内でも国外でも嫡子並に扱われている。それは、無論この大陸の英雄たるウォル・グリークの血を引く者だからだ。国王も少女自身もそれを察してない筈はないのだが、故意に無視しているようである。
「他の方がそう考えるのは勝手だけど、それに私が合わせる必要性はないと思うけど」 
 少女の言葉は揺るぎなかった。まっすぐに黒髪の青年を見据える。 
「だいたい、ティレドン騎士団の兵士を私用で使っていいのかしら」 
 団長はあくまでも、彼の父たるバルロである。息子だからといって部下を自由に動かせる筈もない。 
「とっくに父上から許可は貰っている。さあ、帰るんだ」 
 言葉による説得は諦めたのか、実力行使で少女の腕を掴もうとしたが、側にいた少年に遮られた。見覚えのない少年に眉をひそめた。 
「何だ、貴様は。邪魔をするなら容赦せんぞ」 
 普通の少年なら、腰が引けてしまうようなユーリーの恫喝だったが、少年は平然としていた。 
「容赦しないのはこっちの方だ。女の子一人を連れ戻すのに、こんなに兵士を引き連れるのがそもそも感心しない」 
 言いながらも、ゆっくり間合いを取り、戦闘態勢に入る。 
「ふん、やる気か」 
 少年の気配の変化を敏感に察して、ユーリーも戦闘態勢を整えた。 
「あなた達、ユーリーの名誉を守りたいなら、余計な動きはやめなさい」 
 リィの動きに反応を見せたティレドン騎士団の団員達を少女が一喝した。ユーリー自身も身振りで手を出さないよう指示を与える。 
 二人が抜刀してから、決着は数分も掛からなかった。何度か剣をかち合わせた二人だが、ユーリーはリィの右肩に突きを入れた。だが、それを察したリィは剣を縦にして受け止め、剣を跳ね上げた。剣を失ったユーリーの喉元にピタリと剣を当てると兵士達も流石に動揺した。 
「凄いわ。リィ」 
 少女は、感嘆の声を上げ、逆にユーリーは舌打ちした。 
「おれのことはかまわんからエディスを捕まえろ」 
 刃を当てられても恐れる様子もなく怒鳴り返したユーリーだが、流石に団員達は動けない。 
「往生際が悪いな。卑しくも騎士たるものは捕らえられても見苦しく足掻いたりしないものの筈だが」
 リィの言葉に、負けた事は事実なので、グッと黙ってしまったユーリーである。更にリィは団員達にも投降を呼びかけた。 
「別に殺す気はないけどね。周りに気を取られて手元が狂うこともある。大人しくしてくれるとありがたいんだけど」 
 側にいたエディスもぼーっとしていたわけではない。即座に団員から武器を取り上げ、さっさと縛り上げる。リィにも縄を手渡すと、剣の裏でユーリーを気絶させ、手慣れた様子で縛り上げた。
「こんな場所に彼らを転がせて置いたら流石に目立つわね」
 ぱんぱんと手を払うと、エディスは呑気に論評した。
 民家にほど近い街道沿いに十数人の騎士が縛り上げられていては目立つに決まっている。追われる身としては出来るだけ彼らの発見は遅い方が良いに決まっている。
「うーん、それに道に置いといたら邪魔だね」
 リィも頷いて、キョロキョロと辺りを見回すと丁度良い物を見つけたようだ。
「これに入れといたらどうかな」
 流石に一瞬、絶句した少女だったがとうとう淑女としてはあるまじきことながら、お腹を抱えて笑い出した。 
「貴方にとっては痛くも痒くもないと思うけど、ユーリーに恨まれるわよ」 
 そう忠告しつつも、全然止めようとすらしないのは、ユーリーの石頭を怒っているのだろう。こうして、哀れにもティレドン騎士団の面々は荷造りされることとなる。

ACT.3 王家の事情

 久しぶりにコーラルを訪れた独立騎兵隊長は、早速幼なじみの国王に会おうと執務室に足を向けた。だが、部屋に近づくにつれ、近衛兵や伝令の出入りの激しさに首を傾げた。
「最近、大きな問題はなかった筈なんだがな」
 ここ数年は大きな戦もなく、この騒ぎに思い当たるフシもない。取り敢えず執務室に入ろうとすると、部屋から飛び出して来た少年とぶつかった。
「申し訳ありません」
 律儀に謝ったのは幼なじみによく似た容貌を持つ彼の息子である。十七を迎える少年は顔立ちはまだ幼いが、父譲りの長身で成長期の今現在イヴンとさほど変わらない。
「よお、どうした」
 当然、幼い頃からのつき合いである。気軽に尋ねると、少年は掴みかかるように尋ねた。 
「父上を見かけませんでしたか」 
 年齢の割には物静かな少年の常にない慌てぶりに目を丸くしつつ、即座に否定した。 
「いや、俺もここにいると思って会いに来たんだが」 
 コーラルに到着して、己の屋敷にも寄らずに直行したのだ。イヴンが国王の居場所を知るはずもなかった。
「この非常時に何処へ行ってしまったんだ」
 舌打ちした少年に、イヴンは問いかけた。
「一体何の騒ぎだ」
 兵士達がひっきりなしに出入りしている大騒ぎの中、国王が不在と聞かされては無理もない。事情を問われた少年は、多少躊躇しつつ廊下では話せないと、出てきた執務室にきびすを返しイヴンを促した。

 五日後に行われる国王生誕の儀に、タンガとサンセベリアの王太子が名代としてやってくる事を知ると臣下達は色めきたった。以前から内々に両王太子から国王の庶子たるエディス・レーヤとの婚姻の打診があったのである。既に適齢期を迎えたというのに、その結婚相手を定めるべき国王も、結婚の当事者たる娘も至って気楽に構えており、かえって周囲の方が焦りを感じていた時期だった。彼らとの見合い計画に、俄然乗り気となったのは少女の弟たる少年及び宰相ブルクスと女官長カリンだった。その他の求婚者も生誕の儀に集め、せめて婚約相手だけでも決めてしまおうと策謀を巡らせたのだ。王宮での影響力が極めて強いこの三人に包囲された少女は流石に反抗の気力も失せたのか、家出という最終手段に踏み切ったのだ。
「で、エディスに逃げられたという訳か」
 エディスを見張っていた一団が先程戻って来たのだが、途中で返り討ちにあったらしい。報告を聞いて飛び出そうとした少年にイヴンはぶつかったというわけだ。執務室に残っていた宰相のブルクスも交え、少女の家出騒ぎの顛末を聞かされてイヴンはクックッと笑いを堪えた。憮然とした表情の少年は、独騎長に言い募った。
「笑い事ではないです。一刻も早く連れ戻さなければなりません」
「その通りです。王太子方がわざわざいらっしゃるなど滅多にない機会なのです。是非直接お引きあわせせねば」
 ブルクスは力強く主張し、少年に賛同した。
「そんな目くじらたてて、焦る歳でもないと思うがなぁ」
 イヴンの呟きは、そのままこの場には居ない国王の心情でもあった。娘の結婚話に肝心の国王は乗り気ではない。
『当人が嫌だと言っているのを無理矢理押しつけるのは感心せんな』
 そう言って形勢不利な娘の味方に回ったのだ。
「焦る歳になってからでは遅いんです。今は両手にぶら下がる程の求婚者が居ますが、姉上が結婚をしようかと気持ちを変える頃には皆いなくなってます」
 悲観的に断言した少年にイヴンは思わず吹き出していた。
「行き遅れてもちゃんと最後まで候補者は残ってるだろう」
 イヴンが示唆したのは、自分の息子と猪公爵の息子の双璧である。
 グラスメア卿ユーリー・ウルディスとドラ伯爵家エミールは父親同士の影響か犬猿の仲とされている。だが、本当の所はエディスを巡った恋の鞘当てが激化した為で間に挟まれた鈍感な少女のみが気づいてない有様なのだ。幼なじみを目一杯強調されて、適齢期のエディスを口説けない二人を思い返し、少年は渋い表情だった。
「行き遅れを前提にしないで下さい。今なら、女盛りで買い手はたくさんいるのです。とっとと嫁に出すのが親心だと思います」
 不甲斐ない二人の幼なじみをあてにせず、現実的に主張した。年齢はエディスよりも下だというのに、苦労性の少年である。
「今回の大本命であるタンガとサンセベリアの王太子殿下は両者共に評判は上々です。政略を別にしても損はないと思われますが」
 国王の娘とはいえ、庶子は庶子である。折角高く買ってくれる相手を放っておくことはないのだ。エディスに好意的な臣下達は結婚によって安定した地位を得て欲しいという心境なのだ。  
「相手が良くたって周囲の環境が問題ってこともあるだろう。ウォルがお前達に関してはあくまでも庶子であることに拘り、王子・姫として扱わないのもそのせいだ」
 臣下達からも二人を国王の後継者として正式に、王子・姫とすることを薦められていた。だが、国王は王妃の子でないことを理由に断固、庶子として押し通した。王子・姫としてしまえば、何事にも政略が絡んでしまう。子供を王家の役割で縛りたくない。だからこその処置だった。
「国外が駄目ならば国内でもいいのです。だいたい娘の結婚を考えるのは父親の役目だというのに、父上は全く気になさらない始末」
 そうこう論議している合間に、風の様に飛び込んできたのは、栗色の髪と碧の瞳を持つ少年だった。
「親父、ここにいたのか」
「何だ、そんなに慌てて」
 噂をすれば影との言葉通り、姿を現したのはイヴンとシャーミアンの息子・エミールだった。父に同行してコーラルに来た少年は、先に屋敷へと向かった筈である。訝しげに尋ねた父にエミールは説明した。
「先程、タウのマイキーがとんでもない話を仕入れて来たんけど」 
 珍しくも興奮して、頬を赤く染めているエミールは今年十八歳になる。 
「ユーリーが、エディスを捕まえにいって返り討ちにあったらしいんだ」 
「返り討ちって、エディスがユーリーに敵う筈ないだろう」 
 少年は即座に言い返した。エミールとは、つき合いが長い分会話も気安い。彼ら二人とユーリー、セーラーの双子とエディスは幼い頃からの幼なじみである。セーラーはともかく、他の四人は父に倣い剣の腕を着実に上げていった。だが、大人になるにつれ、ほぼ平行線だった彼らの剣の腕は段々開いて来た。腕力の差が出てきてしまったのは男女間では仕方の無いことだ。エディスは足りない分をスピードと身軽さで補ってはいたが、流石に国でも有数の剣士となった彼ら三人と父親達には敵わない。だからこそ、近衛の他に念を入れてユーリーに確保を頼んだのである。 
「いや、やられたのはエディスじゃなく、同行の奴らしい」 
 ここで情報交換され、ユーリーを倒した少年が近衛兵とも衝突したのを確認した。 
「…まぐれで、ユーリーは倒せないな」
 よく腕前を知るだけに、気になるのはその正体不明の男の事である。 
「ユーリーもだけど、その話を聞いたサヴォア公爵がティレドン騎士団に号令を掛けて追撃してるらしい」
 らしくなく、頭に血が上っていやがるとイヴンが皮肉ると、エミールは言い添えた。 
「その相手っていうのがふざけた奴で、縛った団員達を袋詰めにしておいたらしい」 
 エミールはこの件こそ報告したかったのだろう。顰めっ面で報告しつつも、声が笑いで震えている。
「…ユーリーも気の毒にな」
 男としては、面子が丸潰れである。だが、エミールの情報にイヴンは唖然としたようである。 
「ちょっと待て。そのエディスに同行してる奴の容貌は分かっているのか」 
 表情を変えて詰め寄った父に、エミールは聞いた通りの情報を伝える。翡翠の瞳と頭に白い布を巻いていたが、こぼれ落ちた髪の色は黄金。十数人の近衛兵を剣すら抜かずに倒す体術とユーリーを軽く捻る剣の冴え。 
「ちっくしょうめ」 
 舌打ちして、イヴンは息子を怒鳴りつける。
「エミール、タウの宿舎に行って野郎どもをかき集めてこい。俺達もあいつらを追っかけるぞ」 
 呆然としている少年二人を放っておいて、イヴンは執務室を飛び出した。 

ACT.4 追跡者達の災厄

 ここ数日、デルフィニアは日頃の長閑さをかなぐり捨てたような混乱のさ中にあった。デルフィニアの各地域では、非常線が張られ、バルロもまたナシアスと共にブラシア周辺を配備していた。 
 エディスの家出騒動より三日が経過している。生誕の儀は明後日で大公爵たるバルロが欠席するのは許されない。だが、バルロはコーラルに戻る気は無かった。ここまでくると後には引けない。 
「ちょっと大げさ過ぎるんじゃないのか」 
 窘めるように、ナシアスは言った。偶然、マレバを訪ねていたナシアスはバルロに付き合ってブラシアまで来ていた。流石に、一人野放しにしておくことに危険を感じたのだ。 
「どこが大げさなのだ。現にこれだけの人数を動員してもまだ捕まえてないのだぞ」 
 ティレドン騎士団、近衛兵団、そしてタウの自由民までもが捜索していることが耳に入っている。 
「確かに。並の人には出来ない事だ。しかし、本当に妃殿下なのだろうか」 
 ナシアスが首を捻るのも無理はない。実際に見たものの話を聞くと容貌や能力自体はいちいち王妃に当てはまるものの、女性ではないという話だ。捜索している兵士達も司令官が捜しているのが、よもやデルフィニアの勝利の女神と称えられる王妃であることに気づいていない。バルロ達にも確信があるわけではないのだ。 
「ふん、俺の息子を麻袋に詰めるなんて離れ業をやってのける人間が他にいると思うのか」 
 聞いた瞬間、アスティンに留守番を押しつけ、マレバを飛び出してきたバルロだった。 
「王妃ではないにしても、関係者の可能性は高いだろう」 
 そう慎重に言いつつも、王妃であることを半ば確信しているバルロである。 
「確かに。普通の人には出来ないことだろうが…」 
 ナシアス自身も期待していない訳がないのだ。 
「騙し討ちの様に帰ってしまったあの時の分も含めてたっぷり文句を言ってやる」 
 憤然とするバルロに対し、クスクスとナシアスが笑った。 
「戻ってそうそうこの騒ぎとは、あの方の周りは騒動が絶えないらしい」 
 王妃を知る全員が思った率直な感想である。 

 一方のリィとエディスである。バルロ達の張った非常線を巧妙に避け、あれからもなんとか家出を続行中の二人だった。昼間に睡眠をとり、もっぱら夜に移動していた。 
「…全然兵士の数が減りませんね」 
「もう時間切れなのにな」 
 少女の言葉にリィは頷いた。 
 現在、ギルツィ山脈に差し掛かっていた。これならコーラルまではどう足掻いても間に合わない。エディスとしてもホッと一息入れたい所なのだが、気になるのは追跡者の数である。本当ならば、パキラ山脈からそのままロアに抜けてタウに行く予定だったのだが、パキラ山脈から先は平原ばかりで身を隠す場所がほとんどない。異常なまでに増殖した兵士達の目を避けるために、ビルグナ方面に進路変更した二人だった。馬はとっくに乗り捨て徒歩である。 
 二人の会話は専らここ最近の近隣国の情勢につきた。リィがお礼代わりに教えて欲しいというので、エディスも出来るだけ詳しく話していた。少女も明晰な頭脳を持っている。会話をしているうちに、リィの持っている情報がかなり古いことに気づいていた。ここ最近この辺りに居なかったことは明白で首を傾げずにはいられない。リィの年齢を考えると更に疑問は山積みとなるのだが、敢えて問いつめるような真似はしていない。名前を聞いた時に浮かんだ想像が再び浮かび上がることもあったが、少年が話さないことを根ほり葉ほり聞くことは気が進まなかったのだ。 
 一応、男女の逃避行なのではあるが、不思議なほど警戒心が起きない事にエディスは首を傾げていた。妙齢の娘としての意識は一応あるが、リィと一緒でも奇妙な安心感があるのだ。あれこれ理由を考えてみると雰囲気が父に似ていることに思い当たる。 
「二人を捕まえるにしては、大げさ過ぎるよな。一体何考えてるんだか」 
「でも捕まらないんだから、大したものよね」 
 これは、全面的にリィの手柄である。ここ数日で耳の良さの他に夜目の確かさや食事の調達など、エディスは世話になることこの上ない。 
「…あの、リィ。こうなってしまっては、多分リィの事も噂の種になってしまっていると思うけど良かったの?」 
 追っ手を気にして街道を避けている二人だが、幾度か追跡の兵士達と遭遇しており、リィの事も噂に昇ってない筈はなかった。 
「そうだな。一番有力なのは国王の娘、正体不明の男と愛の逃避行ってやつかな」 
 別段気にする様子もなく、リィはそう茶化した。 
「私はとても助かる噂だけど、リィには何の得もないのに」 
「久々の暇つぶしとしては結構有意義だと思ってるよ。随分盛大な鬼ごっこだけどね」 
「でも、どうしてここまで大げさになったのかしら。冗談ではなく、近衛兵団、ティレドン騎士団、近隣の貴族の私兵を総動員しているようだわ」 
 国王の娘とはいえ、少女一人の捜索にしては大がかり過ぎる。会話の途中でリィがふと立ち止まった。 
「動かないで」 
 ここ数日行動を共にして、全面的にリィを信用している少女である。素直に立ち止まりリィの言葉を待った。 
「…なんかこの辺り一帯に罠が仕掛けられているな」 
「罠って動物用の?」 
 慎重に辺りの罠を数を調べてリィは否定した。
「いや、数が多すぎる。明らかに狙いは人だ」 
 少女は首を傾げた。最近は大きな諍いもなく、これほど大がかりな山狩りをするという話も聞いていない。 
「もしかして、私達に対するものかしら」 
 王の娘を捕まえるにしては随分乱暴な手段だが、一応可能性はある。だが、確認しようにも辺りに人の気配はない。恐らく数時間毎に見回りに来るのだろう。 
「そうかもな。で、どうする。迂回するのは簡単だけど、折角の趣向を放っぽっとくのも勿体ないと思うけど」 
 少年の茶目っ気に、少女もウインクを返した。 
「勿論、受けてたちましょう」 

「きゃっ」 
 罠の具合を見に来た彼らは、偶然少女の小さな叫びを聞きつけた。一団を率いる少年にはその声に聞き覚えがあった。 
「どうやらかかったようだな」 
 周りの男達を促して、用心深く罠の中に踏み込んだものの、次々と連れの男達の声が響き渡る。 
「うわっ」 
「なんだこりゃ」 
 彼らが仕掛けた筈の罠は微妙に位置を変えられていたのだ。少年自身も左足を引っかけ、逆さ吊りになってしまった。 
「エミール、貴方達なの」 
 叫び声を発していた筈の少女が呆れた様に下から見上げていた。側には、噂に聞いた少年もいる。 
「まさかタウの奴らまで出張とは驚いた」 
 権勢から最も遠い位置にあり、国王以外の命令を受け付けないタウの自由民が少女の捜索をしているとはよもやリィもエディスも予想外だった。だが、荒っぽい罠の歓迎は頷くものがある。 
「お前か。エディスを唆して家出に協力してるのは」
 エミールの言葉に二人は顔を見合わせた。 
「唆してって、おれがエディスに会ったのは家出の後だぞ」 
「リィは私を助けてくれただけで無関係よ」 
 二人の息の合った主張にエミールは舌打ちした。 
「三日も逃げるのを手伝い、噂を大きくしといて、無関係なんて言い訳が通るかよ」 
 ここ数日でエディスに関して立った噂は多種多様でエミールとしては、余計な手助けをした少年には含む所が多すぎた。 
「無関係とまで言うつもりはないけど。それじゃあおれが責任を取ってエディスを嫁に貰えば満足するのか」 
「満足するわけないだろ!!」 
 即座に怒鳴った少年の反応を面白がって、リィは更に煽り立てる。 
「エディスは可愛いからな。別にどんな噂が立っても大丈夫だと思うけど」 
 普段から突拍子もない行動を取り、自分とユーリーをハラハラさせる程の強者を可愛いと言った少年に目を剥いた。 
「あら、リィはそう思ってくれるの」 
 側にいたエディスは嬉しそうに合いの手を入れた。 
「うん。可愛いし、面白い。全く、結婚なんて当人かせいぜいその両親が考えればいいことだ。他の人間が口を出すこともないのに、かえって当事者より大げさに考えちゃうからな」 
「あら、随分実感が籠もっているのね」 
「そりゃあね。おれの場合も似たような理由で結婚したからな」 
「なーんだ、結婚してたのか。残念、既婚者を口説けないなぁ。リィならいいなって思ってたのに」
 その瞬間だった。二人の会話を聞き流していたエミールは背に仕込んでいた短剣を右手に握ると腹筋で上半身を上に起こした。短剣で左足の拘束を断ち切り、身軽に下に降り立った。だが、そんなエミールの行動をリィは腕を組んで見物しており、慌てる様子すらないのが腹立たしい。 
「貴様、ふざけるのもいい加減にしやがれ」 
 同じ年頃の少年にここまでこけにされた事はない。腰に吊していた長剣を抜くと、少年に斬りかかった。
「へぇ、さすがイヴンの息子だ。ちゃんと仕込んでいるみたいだな」 
 リィも剣を抜くと、エミールの剣戟をガッチリと受け止めた。そして、斬り合いに突入しようとした瞬間、第四の声が掛かった。
「二人ともその辺にしておくのだな」
 三人共その声にはいやに聞き覚えがあった。果たして、草陰から現れたのは、ずば抜けた長身、暖かな黒い瞳、そして黒い髪。お忍びで城内から出てきたらしく、粗末な革の衣服と外套を纏い自由戦士という恰好の男だ。デルフィニア国王、ウォル・グリーク・ロウ・デルフィンその人だった。
 

ACT.5  再会

「へ、陛下。何故このような場所に…」
 剣をおろし、呆然と尋ねたエミールである。父の親友とはいえ、既に騎士として叙任したエミールはウォル・グリークの臣下である。有り余っていた戦闘意欲も萎み、膝を折った。口調も自然と改まる。
「俺の同盟者が戻って来ているという話を聞いて会いに来た」
 簡潔な説明ではあったが、エディスには閃くものがあった。父がそう呼ぶ人物は一人しかいない。
 同行していた少年に恨みがましげな視線を向ける。
「リィ、貴方が会いに来た友達ってもしかしなくても、父上の事よね」
 ゆっくり確認するように訊くエディスは静かな怒りの中にある。 
「酷いわ。何できちんと名前を名乗ってくれなかったの」 
 敢えて聞かなかった自分にも腹は立つが、名乗ってくれないのは酷いと思う。切実に訴える少女にリィは苦笑した。 
「だってエディスもちゃんと名乗らなかったじゃないか」 
 リィの主張はもっともだと頷いた少女は、ほぼ確信している名を訊くため、改めて名乗った。 
「私はエディス・レーヤ・ロウ・デルフィン。貴方の名前をお伺いしたいわ」 
「グリンディエタ・ラーデン。一応、こいつが俺の夫ってことになってる」 
 思わずため息の出てしまったエディスである。 
「その白い布、取って貰っても構わないかしら」 
 少女の要請にリィは頭に巻いていた白い布を外した。黄金に波打つ髪の上には、幼い頃より聞かされた翡翠の宝石のついた銀冠がのっていた。性別を別にすれば、聞いた通りの姿だった。 
「もっと早く言ってくれれば家出を中止してでも、貴方を王宮に引きずっていったのに」 
 心底悔しそうにエディスは言った。年齢と男性だということで躊躇していた自分が馬鹿馬鹿しい。性格や言動などは父に聞いていた通りだというのに。馬鹿げていると思った想像は現実だったのだ。即座に納得している少女だが、普通疑問に思わない方がおかしい。 
「あの…陛下。その方が妃殿下なのですか。俺の目には男にしか見えないのですが」
 恐る恐るエミールが尋ねたのも無理はなかった。 
「そういえばそうね。父上に男性の妻を迎える甲斐性があるとは思わなかったわ」
 実の娘とはいえ、酷い言われようである。ウォルは笑って説明した。 
「別れる直前まで、見かけだけは女性の姿だったのだ。リィの男の姿を知っているのは、俺とイヴンぐらいのものだな」
 ウォルはエミールとエディスに簡単に説明して、今度はリィに向きなおったので、エディスはコホンと咳払いをすると、まだ唖然としているエミールの腕を掴み、引っ張っていく。
「私達は他の人たちの罠を外してきます」
 そうしてウォルとリィの二人がその場に残された。
「よお」
 時間を超越したような軽い挨拶だった。ウォルの方は無言でまじまじと少年を見つめる。頭に巻いていた白い布は取ったままの昔通り変わらない少年を正面から見た。額の銀冠、剣も前と変わらず腰に吊している。何より光の様な黄金の髪と翡翠の瞳。最後の別れの時に見た本当の姿。
「久しぶりだな」
 情けないほど声は震えていた。目が潤み掛けて困った。ああと頷いた少年を思わず抱きしめた。最後の別れの時の様に。 
「随分歳を食ったな」 
 少年の薄情なコメントに憮然としつつ、ウォルは尋ねた。 
「仕方なかろう。こちらは既に二十年が経過している。そちらの方はどうなのだ。見ればあまり変わってないように見えるが」 
 ウォルが最後に見た十九歳の姿と同じに見えた。リィは苦笑して首を振った。 
「こっちでも六年経ってる。十三歳からやりなおしたからな。向こうで日蝕が起こって偶然道が繋がったから、ルーファは行って来いって送り出してくれたけど、正直何年経っているかと思った」 
 この男が死んでいる世界に降り立っても意味がない。あの少女を見るまで確認するのが不安だった。一目見てこの男とポーラの娘であると看破し、この男が変わらずこの世界にいることがどれほど嬉しかったか。
「うむ。十日と六年に比べれば差は少ないな。だが、ラヴィー殿やシェラは一緒ではないのか」 
 ウォルの問いにリィはかつてのいたずらっぽい笑顔を浮かべた。 
「三人一緒だと凄く目立つから、まずいだろうとあいつが言うんだ。男の王妃が戻って来たってそりゃあお前は良いだろうが他の奴は気が狂うぞ」 
「そうだな、まずは他の者達にどう説明するかが問題だが…」 
 考え込むウォルにリィは気になっていたことを尋ねた。 
「そういえば、明後日いやもう明日か。生誕の儀とやらがあるんじゃないのか」 
 言い直したのは闇の中にあった森に光が差し始め、いつの間に朝になっていたからだ。 
「お前がそれをいうか。そんなものはすっぽかしたに決まっている」 
 リィの問いにウォルはむしろ呆れ顔だった。威張って断言し、更に言葉を続けた。 
「イヴンや従弟殿すら欠席覚悟でお前を追い回しているのだぞ。俺も負けてはいられないからな。少々反則ではあるが魔法街のおばばに頭を下げて居場所を占って貰ったのだ」 
 道理でこの辺鄙な場所に現れた筈である。そして恨みがましげにリィを見つめる。 
「お前こそ随分薄情ではないか。真っ先に俺を訪ねてくれればいいのに、どんどんコーラルから離れていくのだからな」
「エディスを放っておけなかったんだ」
 肩を竦めてリィは言った。国王と良く似た気性だが、一応妙齢の女性である。このまま放っておくと何やら危なかしい。 
「本人は父親の七光りで求婚されているから嫌みたいだったけど、そんな奴ばかりじゃないんだろう」 
 相変わらず勘のよいことである。国王は苦笑して答えた。 
「俺に似て随分不器用に出来ているらしい」 
 求婚者達にも多少の打算はあるだろうが、父親に似て妙に人を惹きつける少女を好いている者も多い。だが、どうも恋愛には疎いらしく、その辺りに気づいていないようなのだ。 
「この数日で、お前とエディスの噂が広まって、大騒ぎだぞ。貴族達はお前に出し抜かれて悔しがってるし、庶民はお前達が身分違いの駆け落ちをしたと思い込んで盛大に応援しているのだからな」 
 あちゃーと頭を押さえたリィにウォルは、ひとごとの様に澄ましている。 
「お前な、娘を傷物にされて、ちょっとは怒れよ」 
「いっそのこと、エディスと結婚してみるのも面白いのではないかな。王宮にもエディスの花婿候補という触れ込みで来てみてはどうだ。昔、俺も似たような過でお前と結婚したからな。案外それで臣下達も納得するやもしれん」 
 この思いつきが気に入ったようで、うんうんと頷いている国王をリィはどついた。 
「エディスは見合いが嫌で家出したんだろう。そんなの聞いたら帰ってこなくなるぞ」 
「そうとは限らなん。お前はエディスにとって、幼い頃からの憧れの主だからな。案外本人も乗り気になるのではないかな」
「本当になぐるぞ」
 といいつつも既に殴っている。二人のじゃれあいを見計らったかのように少女が戻ってきた。 
「リィ、独騎長もこの辺りにいるそうよ」
 エミール達から情報を仕入れたのか、張り切って合流を提案した娘にウォルは冗談混じりにリィとの結婚話を提案した。
「父上、まだ神殿にお二人の結婚の誓約書は残っていらっしゃるのでしょう。重婚は拙いと思います」
「あんな紙切れ、まだ残ってたのか」
 本人にとっては紙切れだろうと、離婚が成立していないのだからおいそれと捨てる筈がない。 
「しかし、イヴンや従弟殿は悔しがるだろうな。結局三人共、子供達に先を越されてしまったのだからな」 
「うーん、ぎゅうぎゅうに絞られそうだ」
 三人は顔を見合わせると笑い出した。

 主役の居ない生誕の儀は結局、三日後に延期された。エディスの見合い計画は、この数日で立った噂によって砂塵と期した。その原因となったのがデルフィニアの勝利の女神である事実を知る者は数少ない。

〜おしまい〜
後日談その4
(c) 連城颯姫, 1999-2000 禁転載 初出:「陽の名残り」(March, 1999) Updated: March, 2000
原作:茅田砂胡『デルフィニア戦記』(中央公論新社/Cノベルズ★ファンタジア) 
運営:デルフィニア戦記を語ろう
BGM:1700.mid/ Nerve(雑音空間)

RT企画工房へもどる トップページへもどる