人 魚 姫 2
〜天の邪鬼な二人〜


- Satsuki Renjyou -


 海界を統べるドラ王は、深い深いため息を付いた。
「残るはロザモンドだけか」
 海王には三人の娘がいるが、一番嫁ぎ先を心配していたグリンディエタことリィは、掟破りにも十七の成人の儀を迎える前に片づいた。先日末姫のシャーミアンが地上の男と婚姻した。これで現在未婚なのは、長子たるロザモンド・シリル一人であった。
 跡継ぎの息子に恵まれなかった海王は長子たるロザモンドに成人を迎えた折にシリルという男の名を与え後継者として育ててきた。生真面目で勉強熱心なロザモンドは海王や周囲の期待に一心に応え、今では跡継ぎとして十分過ぎる程の辣腕ぶりである。幼い頃から手の掛からないロザモンドだが、唯一海王の頭を悩ませたのが結婚問題だった。十代で婚姻を済ませるのが一般的な海の世界で、二十六を迎える未だ結婚する気配すらない。
 無論、相手がいなかった訳ではない。男勝りで気が強い所はあるが、青みがかった灰色の瞳を持つ凛々しくも麗しい女性であり、候補者もリストアップされていた。これはという男に何度か引き合わせた。だが、適齢期だった十代は海王の後継者としての勉学や執務などに勤しむ余り、夫選びをする余裕がなかった。二十代も後半に突入した今現在、後継者として申し分ない手腕を持つに至ったロザモンドの目には、どの男も頼りなく移るらしく、益々婚姻から遠のく要因ともなっていた。
「どうしたものか」
 万策尽きて、進退窮まった海王が相談を持ちかけたのは、ロザモンドに最も影響力を持つ、二番目の娘リィにであった。
「ロザモンドの頭は仕事の事でいっぱいだからな。執務から引き離さないと忙しいの一言で終わりだと思うけど」
「休暇を与えるにしてもあれが素直に休むとも思えぬが」
 周囲に目を向ける時間を与えるべきだというリィの意見には一理あるが、ロザモンドの真面目さを考えると仕事を放り出すとは考えにくい。仕事などまだ海王が引退していないのだから、支障はない筈である。
「休暇って切り出すより、後継者としての勉強って名目で連れ出してみたらどうかな」
「勉強といっても、今更知って置かねばならんこともないと思うが」
「まぁ、取り敢えずやってみるよ」
 海王の方では既に策は尽きており、リィの腹案に乗ってみることにした。

「機会があれば是非にと思っていた。今なら時間もある」
 リィはロザモンドを仕事から連れ出す口実として、地上の視察に行こうと持ちかけた。地上の夫を持つリィの話を聞いていたロザモンドは以前から地上の政治機構に興味を持っていたのを思い出したのだ。喜んで話に乗ったロザモンドの気が変わらない内にと早々に海のおばばと話を付け、一晩だけのお試しとして無償で尾鰭を足に変えて貰う薬を貰った。二人が潜り込んだのはとある貴族の舞踏会だった。
「意外だな。リィはこういう場所はあまり好きではないと思っていた」
 てっきり自然あふれる山の中にでも連れて来られるのではないかと考えていたロザモンドは来た先が舞踏会だったことに心底驚いていた。昔からリィは式典の類などは大嫌いで年中すっぽかしていたからだ。
「必要とあればね。勿論好きって訳じゃない」
 ドレスはうざったいというリィは貴族の子息が着るような銀の刺繍の入った黒ズボンと白いレースのシャツを着ており、対するロザモンドはリィが用意した海を連想させる蒼いドレスを纏っていた。
周囲の話にさりげなく耳を傾けているリィの様子にロザモンドは首を傾げた。
「ご夫君の姿が見えないと思っていたが、もしかしてここはリィの国ではないのか」
てっきりリィの夫を紹介されると心構えていたロザモンドは周囲の様子を探るようなリィの態度にいぶかし気な視線を向けた。
「うん。ここは隣国のサヴォア公国だよ。こっちの方は今、お家騒動のまっ最中だから、あまり安全とはいえないんだけどね」
自国では、目ざとい人々に取り囲まれる恐れがあるため、偵察の必要があったサヴォア公国にした訳である。
公主たるドゥルーワは、今病の床にあり、余命いくばくもないという。基本的には相続には血統が重んじられるため、順当に行けば、長子たるレオンが後を継ぐ筈であった。しかし、レオンは狩猟や賭博などにうつつを抜かし、政務を真面目にしない。それを代行しているのが、従兄弟たるノラ・バルロだった。年齢はレオンより二つ下の二十五であるが、政治・軍務共に掌握しており、彼を後継者にという声も高い。
「あと一月ほどで後継者が指名されるらしいという話なんだけど、内乱が起こるんじゃないかとウォルが気にしているんだ」
「だからといってリィが細作のマネごとをすることもないのではないかと思うが」
「他人に命令するよりは性にあっているからな」
放っておくとあいつが来かねないとリィは述懐した。
状況を飲み込んで周囲を観察すると、周囲の人々はさりげなく二派に分かれているのが分かる。
「で、あれがレオン公子と騎士バルロだよ」
ロザモンドはリィにさりげなく耳打ちされた視線の先には二人の人物が居た。
公主の血筋の系統なのか、両者共に漆黒の髪と瞳の青年だった。容貌もどことなく似ていなくもない。レオン公子は純白の衣装に豪奢な金の刺繍の派手な出で立ちだった。対してバルロの方は黒衣に銀の刺繍の衣装で公子よりはいくぶん地味目にはしているようだが、他の貴族に比べると豪奢で存在感はずば抜けていた。
 体格は似たようなものなのに身体の鍛え方が随分違う。レオン公子はたしなみ程度の腕はあるだろうが、騎士バルロの方はどう見ても実戦型である。二人の立ち振る舞いで、それを判断したロザモンドは軽くため息をついた。身体を鍛えるなど、本人の努力次第で出来るものである。ロザモンドは身分が上であるほど、責任と義務は増えるものという考え方だったので、やるべき努力を行ってこなかったレオン公子より、バルロの方に好感を持ってしまうのは無理もない。
「部外者の私が見ても騎士バルロに肩入れしたくなるな」
「でも馬鹿公子の方が甘い汁はすすりやすいだろうと思うよ」
リィの言葉にこの国の状況を察したロザモンドだった。そういう二派で分かれているのであれば、隣国の位置にあるウォル王が無関心ではいられないだろう。
「さて、と。せっかく来たんだから、ロザモンドは少し踊ってくるといい」
先程からチラチラとこちらの様子をうかがう貴公子達の様子を察したリィは気を利かせた。第一細作のマネごとをするのに、ロザモンドと一緒では目立ち過ぎる。
「私は別に踊らなくて…」
構わない。といいかけたロザモンドの言葉は聞かず、リィは後程会う場所と時間を決めるとさっさといなくなってしまった。

「完全に迷ってしまったか」
 大人の落ち着きと威厳をたたえる美貌は周囲の男性に興味を抱かせるのには十分だった。リィと分かれてからというもの、ひっきりなくダンスを申し込まれ、ついには根をあげ人気のない場所に逃げ出してきたロザモンドである。
 どこの世界も支配階級の雰囲気は似ているなと思う。一番大切なのは、自分の家の血筋を守ること。恋は一夜のものであり、結婚相手と別に考え、基準は自分と身分の釣り合う者。架空の家柄を名乗るロザモンドは、無論妻の候補とはなり得ない。それを承知で一夜の恋を仕掛ける男性達は、ロザモンドに物珍しさを感じただけなのだろう。
 唐突に地上に行こうというので、てっきり見合いでもさせるのかと身構えていたが、本当に気分転換でリィは連れ出したらしかった。長子の義務としてそろそろ夫を見つけねばならないことは重々承知の上だった。時折、思うままに結婚した妹達がうらやましくなる。家のことを考えずに相手を見つけられればいいのに。婿を取らねばならないロザモンドは自ずと選ぶ相手の家柄は決まってくる。
「ちょっと休むか」
 丁度腰掛けやすい奥庭の噴水の縁に座り込んで、ロザモンドは深いため息を付いた。慣れない靴で足が痛み、体裁は気になったものの、ついに履いていた靴を脱いで放り出した。
「足でも痛めましたかな」
突然、掛けられた声に驚き振り返ると、声の主は先程名前を知ったばかりの青年だった。
「い、いえ、たいしたことはありません」
 パーティの主賓の筈のバルロの出現に、急いで靴を履き直したものの、あまり行儀の良いと言えない所を見られてしまい、気まずい雰囲気となる。
「パーティではあまり見掛けないようだが、どちらの御令嬢かな」
 名を尋ねられ、リィが偽装工作した家柄を名乗ったロザモンドに、バルロは愛想の良い笑みを浮かべた。リィとの約束の時間まであまり間がないこともあり、ロザモンドは待ち合わせの場所の方向を尋ねた。案内するとバルロがロザモンドを促して歩こうとしたときである。周囲を取り囲むような気配を察してロザモンドは眉を潜めた。一方のバルロも既にその気配を察していたのか、独特の余裕たっぷりの笑みを浮かべている。
「どうやら無粋な邪魔者が入ったようですな」
 舞踏会用の衣装であろうと帯剣していたバルロは、愛用の長剣をすらりと抜いた。そしてロザモンドを背後にかばった。
 普段であれば剣技の心得はあるので、おとなしく背後にかばわれているロザモンドではなかったが、ドレスに剣なしではどうしようもない。彼らはどうみてもこの青年に用があるらしく、全面的に任せることにした。
暗殺者は三人、そろって闇に溶け込むような漆黒の衣装の男たちは声も掛けずに襲いかかった。このような襲撃には慣れているらしく、背後にロザモンドをかばうバルロの動きには危なげなところはない。立ち振る舞いから相当な腕だろうと察していたが、想像以上だった。ロザモンドと話していた時には感じなかった戦う時の気迫は背筋が凍るほどにすさまじい。虎を思わせるような眼光に暗殺者たちも気圧される。背にかばわれて奇妙な安堵感があった。
ロザモンドには命を狙われるような心当たりは無論なかったから、暗殺者達の目的は勿論この青年なのだろう。退路を断ち追い詰めていく。暗殺者も相当の手だれだったが、相手が悪かった。一人、また一人と切り伏せていく。
(この襲撃に声も立てんとは、大した度胸だな)
一方、バルロの方も言葉には出さなかったが、日常茶飯事に襲来する暗殺者よりも、背後にかばった女性に気を取られていた。普通の両家の令嬢の反応としては、恐怖で泣き叫ぶか気絶ぐらいはしそうだが、そのどちらでもない。いきなり襲われ、多少の恐れはあるのだろうが理性でそれを押さえ、暗殺者を観察し、バルロの邪魔にならないよう控えている冷静さを持ち合わせている。暗殺をし向けた者より、背後の女性に興味がそそられるのを感じていた。
そうこうしているるうちに警備兵が騒ぎを聞きつけ殺到して来た。このまま事情を聞かれてボロがでてはまずいと思ったロザモンドはそっとその場を離れた。

「何か気になることでもあるのか」
あの舞踏会から既に数日が経過していた。あの後、無事にリィと合流して正体もバレずにことなきを得たロザモンドではあるが、気になるのは夜会で出会った青年のことだった。黙っていなくなってしまったのは礼儀に反するのではなかったか、などと想い巡らせていた。
「サヴォア公領はあれからどうなったんだ」
無論、あの夜にあった暗殺者騒ぎのことはリィに話してある。レオン公子を後継者にと願う一派がバルロの暗殺に動いているらしい。
血筋や慣習でいえばレオン公子が後継者となることは明白だが、王族と違って長子相続と決まっている訳ではないらしい。二人の実力の差ははっきりしており、レオン公子がバルロを臣下として扱いきれるのかという危惧とレオン公子の怠惰な行動が後継者として素直に迎えるのを拒んでいる、という背景がある。まぁそれも一月もすればはっきりするというリィの言葉にロザモンドは自分でも理解できない焦燥に駆られていた。これからずっと狙われ続けて無事でいられるのか。一度会っただけの男が何故こうも気になるのか。
少しの間、地上で過ごしてみたい。そう海王に切り出したのは、あの夜からたっぷり十日も経ってからだった。期間としては漠然とバルロが後継者として指名されるかを見届けたいという気持ちがあったため、一月とした。執務以外のことに目を向けて欲しいと密かに願っていた海王や臣下たちはロザモンドの願いを喜び勇んで了承した。
 問題となったのは、前回は無償で借り受けた人魚にとっての足である。一月ともなると無償とはいかないだろう。早速、海のおばばに相談にいった。
「そうじゃな。代償としてその髪を貰おう」
 腰まであったアッシュ・ブロンドの髪を要求されて、一瞬躊躇した。幼い頃から伸ばしてきたものであるし、この世界でも儀礼祭典はあるので、長い髪は重要である。まして地上では女性は長い髪を結うのが一般的と言われている。だが、迷ったのは一瞬だった。腰から短剣を抜くと、肩ぐらいの所からぶつりと切り落とした。
「これぐらいでいいのか」
 ロザモンドの行動に言い出したおばばの方が驚いた。どの程度地上に行きたいのか様子を見るために言い出したことだが、ここまで潔く切ってしまうとは思っても見なかったのである。
「よかろう。これをもっていくがよい」
 おばばは尾鰭を足に変える薬を手渡した。
 思い切ったロザモンドの行動を訝しむリィには、サヴォア公領のなりゆきに興味があると言い訳して バルロの屋敷で行儀見習いの侍女として赴く手配をして貰った。

「……やはり無理があったか」
ロザモンドは深々とため息をついた。あの男に自然に接触を持とうとするのに、夜会は気がすすまない。やはり屋敷に潜り込むのが一番穏便だろうと侍女になることにしたが、よくよく考えてみると、侍女の最たる仕事というのは家事一般である。海王の後継者として、執務や政治関連の勉強に邁進してきたロザモンドは、裁縫や料理などはやった記憶が殆どない。夜会で会った男にもう一度会いたいなどとは誰にも言えず、ただ地上で暮らしてみたいので、侍女見習をしてみたいと相談した時、リィには絶対無理だと散々反対された。しかし、他に良案もなかったロザモンドは、無理矢理決行した。
 いざ屋敷に入ってからは戸惑うことの連続だった。野菜の皮むきで指先を傷だらけにしてしまい、裁縫では縫い目が不格好で着られる衣服が出来上がらない。仕事を差別する訳ではないが、自分には不向きであることを数日で納得した。それでも周囲の女性達は怒りもせず、丁寧に仕事を教えてくれた。というのも、ロザモンドの普段の立ち振る舞いからどこかの令嬢であることははっきりしており、高貴な令嬢が、ハク付けの為に屋敷に見習いにくることはよくあったし、ロザモンドは高貴な令嬢にありがちな高飛車なところはなく何事にも真面目で、何より短い髪を束ね背の高いりりしい姿に好感をもたれていたのである。実はロザモンドにあてがわれていたのはかなり簡単な仕事だった。
屋敷の中は思っていた以上に広く、ロザモンドが当初意図した通りに事は運ばず、この家の主人である筈のバルロとは、容易に会うことは出来なかった。ロザモンドがバルロと再び接触したのは、五日も経ってからで、しかもかなり不本意な形であった。
 夜会があるため、服を届けるという使いの役を申し付けられ、バルロが所属する騎士団の執務室に向かう途中、庭の木陰で見覚えのある姿の男が女性を口説いていたのである。
「服を届けにあがりました」
仕事中ではないのかと内心思いつつ、冷静に対処できたのは、予備知識としてバルロが女性関係だけはレオン以上に派手であることを聞いていたからだった。
噂話は流言卑語もよく流れるため話半分で聞いていたが、どうやら誇張なしの事実らしい。侍女という立場は噂話の宝庫で人間関係を把握するには最適な場所だった。噂によるとバルロは、女性関係も派手ではあるが焦げつかせた事はなく、遊び上手との評だった。
「わざわざ悪いな」
見られても悪びれもせず、バルロは服を受け取った。既に相手の女性は恥ずかしがったのか逃げ出している。
「お邪魔をしたようで申し訳ありません」
今は自身の進退が決まろうという大事な時期の筈である。そんな事をしている場合ではないだろうという完全な皮肉を込めたロザモンドに、バルロは意外そうな表情を浮かべた。
「邪魔の相手が野郎ならともかく、貴女のような美しい女性であれば大歓迎だが」
余裕たっぷりの独特の笑みでそういいつつ、軽口で口説くバルロにロザモンドは深く嘆息した。何故この男にああまで会いたいと思ったのか自分のことながら分からなくなる。
「残念だが、私にも選ぶ権利がある。仕事が残っているので、帰らせていただく」
 侍女としての敬語をすっとばしているのだが、本人は気付かないほど怒りが込みあげていた。
 今更あの夜のことを蒸し返すのはこの男を増長させるだけだろうと思い、そのことは持ち出すことなくロザモンドはきびすを返そうとした。そんなロザモンドを引きとめ、よくよく顔を見直したバルロは思い出したように告げた。
「どこかで見たような気がしていたが、あの舞踏会で会いましたな」
「…ええ、あの時は助かりました。礼も言わずに帰ってしまい申し訳ないことはした」
 道を教えてくれた礼といきなり消えてしまったことに対して礼儀を尽くしたロザモンドである。
「突然居なくなってしまわれたので、どうなったか気になっていたのですが、無事で何よりです」
 あんな短い出会いのことを、よく覚えているものだった。しかもロザモンドは初めて会った時とは随分格好が違う。髪の長さも短くしており、外見の印象はまったく違っている筈だった。髪には直に気付いたらしく、理由を問われたがまさかこの男に会うためとも言えない。 「貴公には関係ないことだ」
 ピシャリとはねつけ、今度こそきびすを返してロザモンドは屋敷に戻った。

その翌日から、ロザモンドは侍女ではなく騎士団長を務めるバルロの傍で業務の補佐をするよう命じられた。男ばかりの執務室で侍女の服は目立つので、ロザモンドは男装に装いを変えた。この格好ででロザモンドと名乗るのはおかしいと思い、もう一つの名であるシリルと名乗っている。侍女達はあまりの凛々しさにシリル様と呼び、色めきだった。唯一、バルロだけはロザモンドと呼び名を変えることは無かった。
「別に男の格好をしていようと、女性であることは変わらんだろう」
 そう主張し、バルロは男装していようといつも通りのフェミニストぶりを発揮していた。
現在の仕事内容は、公主代行の執務の補佐で、執務経験の長いロザモンドには馴染みの深いものだった。侍女よりはよほど性にあっている。
バルロとは私生活での見解の相違ははなはだしかったが、仕事面では妙に波長があった。執務に対するバルロの考え方はロザモンドが自分だったらこうするだろうという思惑と一致しており、時折は自分よりもしたたかで有能な部分も見え隠れする。施政者としては申し分ない能力を持っているだろう。常に浮かべているふてぶてしい笑みは時折、殴ってやりたい衝動に駆られるが、側にいると初めて出会った時にかばわれたあの奇妙な感覚が生じる。例の再会からあの男と会話をするとついつい皮肉な言葉が出てしまう。だが、バルロは怒る事はなく寧ろ楽しんでいる節がある。

「そんなに仕事ばかり詰め込まないで休んだらどうだ」
 暫くロザモンドの仕事ぶりを眺めていたバルロは呆れ混じりに呟いた。
「自分のペースでやっています。特に詰め込んではいませんが」
 ロザモンドとしては、侍女の仕事と違い馴染み深い仕事なので、特に今のペースでも無理をしているつもりはない。だが、バルロの意見は違っていた。
「朝からろくろく休憩も入れていないではないか。それでは却って効率が落ちることになりかねん」
 その一言でバルロの部下たちがホッと一息つくのがロザモンドにもわかった。自分では気づかぬうちにロザモンドの生真面目さが周囲に圧迫を与えていたらしい。素直に反省して、頭を下げた。
「わかりました。お茶を入れて参ります」
 新参者らしくお茶を入れるため、ロザモンドは席を立った。数日でも侍女奉公が多少は利いており、お茶ぐらいはなんとか入れられるようになっていた。
 お茶を持ってきたロザモンドにバルロは目の前の席に座るよう促した。
「貴女が来てからというもの、仕事の効率が良くなって大変助かっている。何か報奨を贈りたいのだが、欲しいものはあるか」
 侍従の仕事についてから、三日ほどですっかりと仕事に馴染んだロザモンドに、バルロは苦笑混じりに尋ねた。
「仕事として当たり前のことをやっているだけで、報奨を貰うほどのことはしておりません」
 ロザモンドの返答はそっけない。
「そう言うな。どんなものが好きなんだ」
 更に聞かれても、特にロザモンドが欲しいものなど無かった。幼い頃から海王の娘として不自由なく育ってきたため、物欲には乏しい。それになんとなく他の女性にも同じことをしている姿が浮かびなんだか面白くない。そして、ふと思いついたことを口にした。
「では暇な時に手合わせ願いたい」
 初めて会った時は背後にからの観察だったが、是非真正面からこの男の手並みを見てみたかった。
「一応尋ねるが、手合わせとは剣の手合わせか」
「他に何かあるのか」
 バルロとしてはもっと色めいたことを連想して欲しかったが、この生真面目な女性には通じないらしい。不思議そうに尋ねるロザモンドはバルロの意図が本当にわかっていないらしい。
「女性に剣を向けるのは主義に反するが、いたし方あるまい」
 バルロは苦笑混じりに了承した。

「お前が噂の男装の侍従か」
バルロに書類を届けるため王宮に赴いたロザモンドは、そこでもう一人の後継者たるレオン公子と遭遇した。最近、王宮ではこの美貌の侍従のことが、女性達の噂に昇っている。同性に熱い視線を向けられようと、ロザモンドは特に気にしなかったが、バルロの配下ということもあり、レオンが面白く思って居るはずがない。
「はい、そうですが」
 男装して目立つことは自覚しており、そう呼ばれているのは知っていた。一応、認めたものの、レオンの雰囲気に嫌なものを感じて眉を潜めた。名を聞かれ、シリルと名乗ると即座に手が伸びて来たことに驚いた。
「何をなさいますか」
女と認めたというのに、確かめるように胸元に手が伸びて来たので、反射的に叩き落とす。
「噂が本当か確認せねばならんからな」
 高飛車に理由を言われても、それが女性に触ってよいことにはならないことは明らかである。この男は世間一般の常識の持ち合わせがないらしい。さて、どう逃げるかと思案する。
「しかし無残なまでに短い髪だな」
 こりもせずに今度は髪に手を伸ばそうとするレオンを避けるように身を引いた。
「この髪はとある願のために切ったものです。主に書類を届けねばならないので、失礼致します」
 侍従の身分でしかないロザモンドは無論帯剣していない。だが、レオン公子は抵抗されるとは思ってもいないのであろう、隙だらけである。いざとなればレオン公子の剣を奪ってしまおうと決意を固めた時、第三者が割って入った。
「その格好は俺が命じたものなので、文句ならば俺に言っていただきましょう」
 バルロの出現に自分でも思っても見ないほど安堵したロザモンドである。
「公子殿下には申し訳ないが、彼女は俺が口説いている最中なので遠慮していただきたい」
いつ口説いたと突っ込みをいれたいのは山々だが、せっかくの助け船である。素直に応じることにした。
「申し訳ありません。公子殿下」
バルロの背後に庇って貰い、ロザモンドはほっと一息ついた。バルロは苦手なのか、バルロがくると途端に逃げ腰でレオンは立ち去った。
「危ないところだったな」
「一応礼は言っておく。だが、貴公がこなくても切り抜けられた」
 どうもこの男が相手だと、素直になれないロザモンドは反射的に言い返した。
「腰の剣を奪って、だろう。そうなれば反逆罪だぞ。今の情勢でそんなことが起こったら唯では済まん」
ロザモンドの視線で思惑は既に察していたらしい。バルロの立場まで頭になかったので素直に謝罪する。
「そうだった。すまない」
「間に合ったからそれはかまわん」
「しかし、聞きしに優る馬鹿公子だな」
 あの隙だらけの様子ではあちら側に暗殺者を放てば簡単に済むだろう。女と侮り、ロザモンドの力量も見極められなく、簡単に懐に入らせる公子の油断には呆れるものがある。それにもましてあの行動は普通の男性としてみても許せる範囲を越えている。
 こういう時の皮肉な口調はバルロとよく似ており、思わずバルロの口がほころぶ。
「そう思うか」
「ああ、貴公の口癖の阿呆という批評には私も賛成だ」
 あんな男がこの公領を施政するのでは、臣下達が気の毒である。流石に王宮内ではそのような話題は禁句である。バルロは苦笑に留めて、話を変えた。
「ところで、その髪に願が掛かっていたのは初耳だな」
 耳ざとい男である。興味深々で尋ねてくる男に己が理由とは間違っても言いたくない。
「わざわざ口に出すことでもない」
「その願とやらは叶ったのか」
「…ああ、そうだな」
 ロザモンドは複雑な表情で答えた。

「これが俺の悪友でラモナ騎士団長を務めるナシアスだ」
バルロの執務室に訪れた来客のため、お茶を入れたロザモンドは来客者をバルロから紹介された。
 来客者は優しい柔和な面差しと、すらりとした痩身で、見かけは騎士というより詩人か学士といった風情の男だった。
「ロザモンド・シリルと申します」
 挨拶を交わすと、バルロは暫く二人で話があるので、席を外しているようロザモンドに言った。
「彼女が…」
ロザモンドが退出したあと、ナシアスが尋ねた。
「ああ、どう思う?」
 時期が時期だからこそ、バルロも周囲の環境に無関心ではない。鷹揚に構えつつも油断していない。ロザモンドと出会ったのは舞踏会の席だった。女性としてはかなり背の高い部類に入るが、優美でりりしい印象を持つ女性で、不可思議な雰囲気に魅かれ声を掛けた。暗殺者騒ぎで何時の間にか姿を消してしまい、再び出会ったのは侍女としてであった。髪を切っているだけでも不自然だというのに、侍女としてもまったく素人で経験がないことも耳に入っている。
「確かにあの立ち振る舞いは剣技の心得があるね」
 ナシアスの判断をバルロは実際に手合わせして確認していた。暗殺者と対した時も感じたが、機敏な動きは只の貴族令嬢ではない。しかも腕前は、嗜みどころではなかった。女性が仕官するのはめったになく、剣を使える女性の身元は自ずと決まってくる。
「剣を人並み以上に使えることを隠していない所をみると俺を暗殺しに来たとも思えん」
 バルロに誘いを掛けるでもなく、誰かと密かに連絡を取るでもなく、剣の構えも正統派ともいうべききちんとした流儀であることが伺える。
一応、側で監視することを目的として侍従としたのだが、今まで使った侍従などとは比較にならないほどロザモンドは優秀だった。侍従ではなく、間違いなく施政をした経験があると思える。刺客であれば、こういう知識があるのはかえっておかしすぎる。更に付け加えれば、こういった仕事は普通女性の領域ではないのに、あまりに有能過ぎるのだ。それほどまでに不信な身元だというのに側において危機感を感じない。
「酔狂も程々にした方がいい」
 正体不明の女性を側に置いているとの話を聞き、心配になって様子を見に来たナシアスである。実際に会ってそれは杞憂だと親友と同じ判断をしたナシアスだった。素性の不可解さは確かだが、人格的に信頼が置けそうな女性であることは分かる。
「育ちがいいのは間違いないだろう。卑屈な態度になることはまずないし、後ろ暗い部分はみられんからな」
 頭の回転はいいのだが、自分が疑われているなどとは微塵も想像もしていないだろう。そういう無邪気な部分は可愛気がある。身元は調べさせているが、どうもはっきりしない。無意識に敬語をすっとばしている所を見ると敬語をあまり使わない程の身分を持っているのは間違いない。だが、幾ら調べても該当する身元がない。
「国内の貴族ではないのだろう」
「となると、デルフィニアか、パラストか」
 隣国の大国が脳裏に浮かぶ。素性がはっきりしていなくても、対等に話すロザモンドとの皮肉な会話を殊のほか気に入っているので、遠ざけることは考えていない。
「屋敷の中は凄いことになっているぞ。侍女奉公の時も密かに人気はあったのだが、あの男装になってから侍女達の人気は俺を凌ぐものになっている」
バルロの臣下達にも侍従になってからバルロの仕事の効率も上がり、真面目な態度のロザモンドは好意的に迎えられているが、侍女達にはシリル様と密かに呼ばれ絶大な支持が集まっている。
「それはたいしたものだな」
ナシアスは素直に関心してみせた。バルロの女性へのマメさは侍女にも向けられており、ちょっとした誉め言葉には余念がない。そんなバルロと人気を二分するとはたいしたものである。
「で、このところの状況はどうなんだ」
「あの阿呆が何度か刺客を放ってきているが、まぁあと少しの辛抱だろう」
阿呆とは無論レオン公子の事である。親しい間柄であるナシアスにはこれで誰を指すのか十分通じる。本来なら不敬罪にも取られかねないが、レオン公子にはナシアスも思うところがあるので、止めはしていない。
好戦的なバルロが今、守勢にまわっているのは、叔父たるドゥルーワ公に対して一応の義理があるからである。病に倒れている叔父に余計な心労は掛けたくないし、どうせあと少しすれば自分が後継者として指名されるのだから、それまでのイヤガラセぐらいは甘んじて受けようというのである。一応情勢は互角ということになっているが、正直な見解としてナシアスも血統以外は相手にならないと思っている。
 後継者の指名を戦々恐々と見守っているのだが、当の本人は名君と名高いドゥルーワ王が国を分裂させる愚は犯さないだろうという予測だった。
「後継者に指名されたと仮定して、だ。相手はもう決まったのか」
 無論、レオンが指名された場合の善後策も検討しているが、後継者として指名された場合、婚姻をする必要がある。現在のバルロの最優先検討事項は、妻となる女性の選別だった。
「今考え中だ」
ニヤリといつもの如くバルロは笑みを返した。

日々が流れるのは早く、明日はいよいよ後継者指名の日となった。その式を見届けてから、自分の居るべき場所に戻る。そう決めているのに、帰りたくないと思う気持ちがあった。
 剣の手合わせばかりでは味気ないとなにげなくバルロにどんなものが好きかと聞かれて一番自分に馴染み深い「海」というとバルロは海が見渡せる小高い丘に連れて来てくれた。その風景が気に入ったロザモンドは時間が空けばここに来ている。焦燥の正体はもうロザモンドにも分かっている。だが、それを認めたくなくて随分頭の中で否定したものだった。
「ここにいたのか」
 背後に気配がして、その人物の事を考えていたロザモンドはとっさに返答に躊躇する。
「大事な話があるんだが」
常にない真面目な口調で言われたため、ロザモンドは何事かとバルロに向き直った。
「お前の身元を調べさせてもらった。ベルミンスターという家に該当する娘はいなかった」
 リィが細心の注意を払って用意した身元であるが、流石に本腰を入れられ調べられてはごまかしきれなかったらしい。それよりもバルロに疑われていたことに思わぬショックを感じる。それを表情で察したのかバルロは慌てて否定する。
「別にお前が俺に何かをしようとして潜り込んだのでないことは分かっている。それより本当の身元を教えて欲しい」
 バルロの思惑が分からず、ロザモンドは首を傾げる。身分詐称以外の罪がないと分かっているなら追い出せば済む事である。
「どういう意味だ」
 不思議そうに問われ、バルロはようやく決断した。
「俺の妻になって貰いたいので、御父上の承諾が欲しい」
 バルロが密かに調べさせたのも、結婚であれば父親に申し込むのが一般的な手順であったからだった。だが、この時期になってもロザモンドの身元は一切判明しなかった。プロポーズの前に両親の内諾が欲しいと思っていたが、このままでは間に合わないため、やむなく本人に直接申し入れた。
一方のロザモンドは、珍しいことに呆然としていた。こういった結果は想像していなかった。漠然とバルロに思いを寄せていたが、夫とすることは考えていなかった。長子であるロザモンドは当然入り婿を取るため、サヴォア公領を継ぐかもしれないバルロは最初から対象外の相手と思っていた。
「それは、無理だ」
「何故だ?」
 あっさり断じたロザモンドに、バルロは意外そうな視線を向けた。
「俺もお前がこの屋敷に潜り込んだ理由を色々考えてみたのだがな。俺に一目ボレしたというのが一番確率的に高いのではないかと思っていたぞ」
恋愛に関しては百戦練磨の男で、皮肉を言いつつも、嘘が付けないロザモンドの視線の意味には気付いていた。
「うぬぼれるな」
わざわざ口に出して指摘するかと、目の前の男を殴りたい衝動に駆られた。とっさに怒鳴ったものの、真っ赤な顔がその言葉を裏切っている。つくづく嫌な男だ、と思う。
「大体、妻の候補の選別をしていただろう。何人か居た筈だ。それなのに、何故私なんだ」
 侍従という立場で、バルロの仕事の補佐をしていたので、これは確かな事実だった。こういった上流貴族の婚姻というのは、家同士の繋がりが密接に絡む。ロザモンドのような家柄不明の女などではなく、この男と釣り合った上流貴族の令嬢が妻の候補として何人も居た筈だ。ロザモンドがバルロを夫候補の対象外と思っているのと同様、この男の方もそう考えていると思っていた。
「簡単な理由だ。愛した女は大勢いるが、今まで俺が妻にしたいと思ったのは貴女一人だからだ」
 会話を交わしていて、ここまで価値観が合い、将来を共にしたいという女はいなかった。常に無いほど真剣に告白されて、ロザモンドは顔が赤くなった。応えようとして、すっと頭の中がクリアになった。何を言うつもりだったのか。自分は家を捨てることは出来ない。バルロはこれからサヴォア公国を継ぐ身である。どうあっても応えられない。絶望的な気分でバルロを見つめると否定の言葉を紡いだ。
「すまない。貴公の妻にはなれない」
 震える声で断ると、ロザモンドは駆けだしていた。もうこの男の側に居ることは出来なかった。駆け出した先に広がるのは自らの場所たる海原だった。何も考えることは出来ず飛び込んでいた。

「晴れて公主となったというのにその顔はどうしたというんだ」
 本人と周囲の人々の予測通りドゥルーワ公が公主として指名したのはバルロだった。レオン派だった貴族をうまく押さえ込み、穏便に公主として即位しためでたい日だというのに、バルロの機嫌は最悪だった。
 祝いの挨拶に来たナシアスは仏頂面の表情を浮かべたままのバルロに尋ねずにはいられない。他の者であれば如才なく返すところだが、気心の知れた親友に憮然として返した。
「この顔は生まれつきだ」
 苦々しい表情に察することもある。あの女性が姿を消したことはナシアスに耳にも入っていた。
「まだ見つからないのか」
 順当に公主を継承したバルロだが、唯一妻のお披露目のみがまだ行われていない。肝心の相手が消息不明で、予定の目処も立たないというのであれば、この苛立ちも致し方ないといえる。
 ロザモンドが消えて数日が経過していた。
 あの一瞬、バルロが呆然としていた隙にロザモンドは消えてしまった。我に返りすぐに後を追ったが、手がかり一つ残さずにいなくなった。その後、部下を総動員し、捜索したにも関わらず痕跡一つない。女一人が姿を消すのは、準備万端であろうと困難な筈が、ロザモンドは明らかに着の身着のままの筈である。明らかに異常な状況で、バルロは珍しくも苛立ちを隠すことができなかった。 自分の妻となって欲しいのは彼女しかいないと思った。このまま諦めるつもりは毛頭なかったが、手がかりが少なすぎた。今のところ重要と思えるものは二つ。一つはあの初めて出会った舞踏会で彼女と一緒だったという少年である。目立つ容貌だったため、バルロの記憶にも少年の容姿は残っている。あらゆる伝手を使い、ロザモンド共々探させている。舞踏会で姿を見せたのはあの夜が最初で最後らしく、消息がつかめない。少年のあの夜の行動を詳しく調べさせるとバルロやレオンの周辺を探っており、細作と思われた。もう一つの手がかりとしては、侍女として奉公する際に、身元を保証したベルミンスター家との繋がりである。調べてその血筋でないことは確認した。だが、身内でないにも関わらず身内と偽って保証するほど密接な繋がりがあるとも取れる。ベルミンスターはデルフィニアに深い関わりがある貴族であり、全くの無関係とは思えない。腕利きの細作に探らせているところであった。

 親友とばかり話していることも出来ず、面会の人々と次々に対面を済ませていた。
「バルロ様。デルフィニアからは王妃様が直々に祝賀の挨拶にいらっしゃったそうですが」
 ロザモンドの事に思いを馳せていたが、傍仕えのアスティンに耳打ちされて我に返った。デルフィニアといえば隣国の大国である。現在、国王として即位しているのはウォル・グリーク。実はバルロとは浅からぬ縁がある人物だった。数年前、一騎士団長として国境を警備している対岸で、ウォルもまた貴族の領主の後継ぎとして接したことがあるのだ。知りうる限り最優秀の戦士であり、自信家のバルロが珍しくもその実力を認め敬意をもって接する人物でもあった。
「通してくれ」
 気分を改めて、その女性を迎えることにしたバルロだった。ウォル王が戦女神と呼ばれる女性を妻に迎えたことは聞き及んでいる。あの王と肩を並べる程の剣の腕とは眉唾もよい噂ではあったが、隣国では奇跡の象徴としてたたえられているという。一度会いたいと思っていた人物だった。
 入ってきた女性を見た瞬間、顔色を変え思わず立ち上がりかけたのを自制した。黄金の髪を結い上げた翡翠の瞳を持つ王妃は凛々しい男装の姿で優雅に頭を下げる。
「この度は、ご即位おめでとうございます。わが夫より慶賀の言葉を預かってきました」
「わざわざのお越し痛み入ります」
 舞踏会でロザモンドと一緒にいたという少年だった。あの夜は少年と思っていたが、改めて直接対面し、言葉を交わすと声の高さや体格から男装した少女とわかる。締め上げたいのを自制して辛うじて挨拶を交わす。そして儀礼的な会話をニ三言交わしてから徐に切り出した。
「御夫君に伝言していただきたいことがあるのだが」
そういってちらりと王妃の脇に控える傍仕えの者に視線を向ける。内密に話したいという合図を王妃は正しく了解し、下がらせる。バルロの方も傍仕えも全て下がらせた。本来は高貴なる女性と二人きりで密室に居るなど風聞はよくないのだが、非常事態である。
「ロザモンドは何処にいる」
「何処って家にいるに決まっている」
 夫のことで話があるのではないかとは聞き返さず、少女はあっさりと答えた。口調も先ほどとは打って変わってざっくばらんである。
「その家というのは何処にある」
 更に詰問したバルロの性急さに少女はちょっと笑った。
「その前に何でロザモンドに会いたいのかを聞きたいんだけど」
 バルロは冷静に目の前の少女を観察した。少女でありながら、目を覗き込むと臆すること無い強い瞳とぶつかる。年齢はロザモンドより下の筈なのに密室に屈強な男と二人きりで居ても怯えることのない豪胆な気性、立ち振る舞いからロザモンド以上の剣の腕であることが伺える。人を見る目は確かなバルロは、この少女は敵に回すべきではないと判断し、詳しい事情を順序立てて語ると、少女は納得したように頷いた。
「急に侍女として社会勉強がしたいというからどうしたのかと思った」
どうやらお膳立てをしたのは、目の前の少女らしい。
「俺としては是非ロザモンドを妻として迎えたい。彼女のご両親と引き合わせていただく訳にはいかないだろうか」
 まず外堀を固めようとそう聞いたところ、少女は首を竦めた。
「ロザモンドと結婚したいなら、親の承諾よりまず本人を説得しないと無理だよ。心配しなくても今でも早く結婚させたくてヤキモキしてるから、ロザモンドさえ了承すれば、反対はされないと思う」
 明らかにロザモンドの家の事情がわかっている口調に確かな手ごたえを感じて更にバルロは詰め寄った。
「その本人は今何処にいるんだ」
 本人を見る限り、全く脈がないことはないと思う。後はどう説得するかと思われたが、少女は表情を改め、バルロに向き直った。
「会わせるのはいいけど、その前に一つだけ確認したい。もう薄々は察してると思うけどロザモンドは長子で後継ぎなんだ。本当なら婿を取らないといけない立場にある。もし結婚するとしても公主の妻として仕事を手伝うことも、家を切り盛りすることも出来ないと思うけど、それでもロザモンドを奥さんにしたいと思えるか」
バルロも逃げられてしまってから、色々と理由を考えてみた。彼女が自分に好意を持っているのは今でも自信があったので、後は家の事情だろうとは察していた。価値観が同じというだけあり、バルロはロザモンドが自分の立場を重要視する気持ちはよく分かった。私情ではどう思っていようと公務をあくまで優先せざるを得ないのだろう。だが、バルロは既に決意を固めていた。
「今更、他の女性を妻とするつもりはない」
 少女は納得し、頷いた。

「ウォルが是非ロザモンドにも一度会ってみたいっていうんだけど、招待に応じる気はないかな」
 ロザモンドが戻って一ヶ月が経ったある日のこと、リィは遠慮がちに一通の招待状を持ってきた。ウォル王の生誕祭ということで、妹姫のシャーミアンもウォル王の親友の妻として招待されているという。今まで会う機会がなかったロザモンドにも是非会いたいというのだ。 地上から帰ってきたロザモンドに、リィも海王も特に問いただすことは無かった。ロザモンドも何も言わず、戻ってからは今まで通り仕事に打ち込む日々に戻った。
 バルロからのプロポーズを思い出すと今も胸が痛む。しかし、逃げ出してしまったことに後悔はなかった。もう一度あの場面に戻ったとしても、ロザモンドが選ぶのはあの男ではなく、海王の後継者の立場であることは断言出来る。だが、切り捨ててしまうには傍に居すぎてしまった。あの男と出会ってしまった事自体を後悔していた。切ってしまった短い髪を撫で付ける度、鏡で見る度思い出さずにはいられない。
 地上のことは思い出したくは無かったが、逃げてばかりもいられない。ロザモンドは少し迷ったものの結局了承して再び地上に上がることとなった。

 再び舞踏会の夜、ロザモンドは妹達の夫たちと顔合わせを終えると、そっと庭に出てきていた。
 既に一月を地上で過ごし、足にもすっかり慣れて痛むということもない。だが、ふとあの男と出会った時の事を思い出して靴を脱いでみた。すると、示し合わせたように後ろから声が掛かった。
「足でも痛めましたかな」
 ぎくりとして振り向くと、あの夜と同じ青年が立っていた。掛ける言葉が見つからず、俯き無言のロザモンドに構わずバルロは告げた。
「お前の妹から事情は聞いた」
 ぱっと顔を上げたロザモンドにバルロは不敵な笑みを浮かべた。
「それを踏まえた上でもう一度言う。妻になって欲しい」
 率直な申し込みに、ロザモンドは視線を彷徨わせた。躊躇いがちに切り出した。
「私には公主の妻としてお前の傍にいることは出来ない」
「分かっている」
「今までみたいに仕事の補佐もできない」
「わかってる。お前にもなすべきことがあり、妻として家の中を切り回すことはおろか別居となることも承知している。それでもお前に妻となって欲しい」
率直な求愛だった。ロザモンドが心を痛めていたことを全て分かっていてそれでもいいという。
「姉孝行な妹が多少は肩代わりしてくれるそうだ。大きな行事だけ顔を出してくれるとありがたい」
ロザモンドはギクシャクしながらも首を縦に振り、男の胸に飛び込んだ。


-おまけ-

「これで、うまくいくかなぁ」
 密かに舞踏会を抜け出したロザモンドとその後を追ったバルロを横目に留め、リィは腕を組んだ。
「百戦錬磨の公主殿だ。姉君を見事射落とすのではないかな」
 だしとして使われたウォルが相槌を打つ。
「父上も大喜びなさいますわ」
 シャーミアンも嬉しそうに頷いた。
 長いこと結婚を拒んできた姉姫の一大事である。本当ならデバガメしたいところだが、バルロにやんわりと釘をさされているのでそれは出来ない。結果待ちといった風情である。
「しっかし、これで猪公主とも義理の兄弟になっちまうのか」
 イヴンはわざとらしいため息をついた。
 海賊たるイヴンと公主であるバルロは普通に考えても友好な関係が築ける筈も無い。互いに風聞で見知っていたらしいが実際に顔を合わせ、性格的にも反りが合わないと互いに感じたらしい。顔を合わせた途端に舌戦が始まり、ウォルが慌てて仲裁に入る始末である。
 国王であるウォルも本来はバルロと同じ立場なのだが、幼馴染であり親友であるイヴンとは互いの領域は手出ししないという暗黙の了解もあり、現在も関係は良好だった。
「ところで産まれた子供はどちらを継ぐことになるのだ」
 バルロもロザモンドも上に立つ者として後継者を必要としている。ウォルの問いかけも無理なかったが、リィは首を竦めた。
「こっちは男の子じゃないと継げないみたいだからね。男の子が先に産まれたら公主の後継ぎとすればいいんじゃないかなぁ」
 海王が一番心配しているのは、ロザモンドの結婚であって後継者がいないことではない。バルロは既に公主だが、ロザモンドの方は代替わりも済んでいないのだから、まだ先の話である。一応後継者は必要ではあるが、地上と違い女王であろうとこちらは構わないのだから二人生めば何とかなるのではないかと楽観的である。
「しっかし不公平だよなぁ。俺がシャーミアンとの結婚を認めてもらうのに随分雷を貰ったってのにあっちは大歓迎かよ」
 とある行き違いでシャーミアンを泣かせてしまい、イヴンが海王に結婚の承諾を貰うのにはえらく苦労した覚えがある。その道を同じ姉妹を娶る立場のバルロが味合わないのは不公平ではないだろうか。
「多分挨拶に行ったら万歳三唱しそうだな」
 現在海王の心境としては、ロザモンドが夫を迎える気にさえなって貰えればという気持ちでいっぱいなので、地上の男だろうが文句は出ないだろう。
「新婚早々地上と海上の別居とは何とも気の毒だが、うまくまとまって欲しいものだ」
 ウォルの言葉にリィは頷きを返した。

 翌年、ロザモンドは男女の双子を出産し、後継者の取り合いに発展しそうだった公主バルロと海王ドラは胸をなでおろすという顛末はまた別の話である。

  ー おしまい ー


(c) 連城颯姫, 2002 禁転載
  Last Updated: July 17, 2002

原作:茅田砂胡『デルフィニア戦記』(中央公論新社/C★ノベルズ ファンタジア)
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