(1月4日)

 このところ消費社会論を書いていて、関連して16世紀イギリスの消費ブームについて調べている。当時イギリスはまだ二流国で、中世以来アジアは先進文明であった。ポルトガルのヴァスコ・ダ・ガマはイタリアの支配する地中海を避け、大西洋を回って喜望峰を越え、香辛料欲しさにカリカットにたどり着く。そこで当時世界一活発だったインド・アラブ(イスラム)・香辛諸島(東南アジア)の三角貿易に出会うのだ。そこでとりあえず香辛料が欲しいのだが、ヨーロッパにある物産でアジアの欲しいものはない。しかたなく銀で支払うことになったという。
 ここで、川勝平太氏の『文明の海洋史観』(中央公論社)によると、銀の流出に耐えられなくなったヨーロッパ、とくにイギリスは自力で綿織物を作ろうとする。それが産業革命の発端だった、という解釈である。逆に鎖国に走ったのが日本だった、という。だが両者は資源浪費型のヨーロッパの産業化に比べ資源節約型の江戸産業戸、対照的だった。そこでいまこそ江戸型の出番だ、というわけである。
 以前から伺ってきた川勝節の名調子に、思わずふむふむ、と感心して読み返した。とりわけ幕末日本は「ガーデン・アイランド(庭園の島)」だった、あの頃へ戻ろう、という主張は小渕政権でも広く支持を集めている。これには私も賛成だ。ところが経済史に戻ると、今回はなんとなくしっくりこない。なぜかと考えて思い出したのが松井透氏の『世界市場の形成』(岩波書店)。こちらを読み返すと、ヨーロッパの貿易に占めるアジアからの輸入は大した額ではなかった、とあるではないか。これでは川勝説は根っこが崩壊してしまう。どうやら佐伯啓思氏もこれに気づいたらしく、『欲望と資本主義』(講談社新書)では、暗に川勝説に当たるもの(名は伏せる)が最近の史学では旗色が悪いことにしてある。さてさて、一体真相はどうなるのだろうか? 

 

(1月17日)

 昨今の消費不況にかんする私の理解は雇用にかんする不安が貯蓄率を高めているというもので、今では皆そう言うが活字でそう書いたのは私が最初ではなかったかと思っている。今から三年以上前のことだ。実務家の実感論はともかく、少なくとも経済理論においては論証が難しい現象だから、そんなことを言う学者はいなかったのだ(私が今書いている消費社会論はこれにかかわっている)。

 ところが先週の『週刊朝日』に「日経新聞は不況の元凶か」という特集を組んでいて興味深かった。それによると、「日経は自由化、規制緩和といった大原則に従って、企業のリストラをあおり、金融再編成を後押しするような論調を強く打ち出してきた。その結果、企業経営者のリストラ志向は高まり、サラリーマンの雇用不安を強め、消費マインドがなかなか上向かないという悪循環につながってきた・・」とのことだ。これは、そのまま私がこの数年間言ってきたことだ。ということは、いまや俺は「定説」となったのだろうか。一体、この間にどうして風向きが変わってしまったのかよくわからないが、風いうのは勝手に吹くものだと感心した。

 

(1月28日)

 あいかわらず消費関係の本に目を通しているのだが、なかなか興味深い記述に出会った。あの校正に厳格な岩波書店のシリーズ本の一巻で、しかも編者による巻頭論文のそのまた劈頭を飾る一文だ。

「ソーンスタイン・ヴェブレンは『恋愛と贅沢と資本主義』のなかで、資本主義の成り立ちが「眩示的(みせびらかし)消費」にある、と説いた。マックス・ウェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』が、いわば「生産者の資本主義」であるとすれば、ヴェブレンの説は「消費者の資本主義」といっていい」

 うーむ。著者は高名な社会学者であり、いいたいことは分かる。資本主義の成立にかんするゾンバルトとウェーバーの論争のことを述べようとしているのだ。それにしても間違いがこれだけ短い文に凝縮され、ほとんど知恵の輪のようにからみあっているのは奇観だ。これが印刷されたのはちょっとした事件ではなかろうか。ほとんどクイズみたいなもんだな。