(4月2日)「試合に挑戦」編(1)

 おととい治療院に行ったので、昨日は朝から疲れがどっと出て、眠い。昼寝を挟みつつ、ずっと原稿書き。

 夜、コップ一杯の日本酒を飲んで、12時前に就寝・・・・ところが、まったく眠れない!どんな組み手をするかつい考えてしまう。といっても、できることには限りがある。いくつもパターンがあるわけではないのに、それでも考えてしまう。どうどうめぐりである。心臓がバクバクいい始めた。こんな経験は、朝の生TVに出ていた頃以来のことだ。あの当時は睡眠薬を飲むことにしたのだが、今回もそうすればよかった・・・と思いつつ、それでもおそらく2時前後には寝入った。

 7時、目が覚める。快調。体重は3キロオーバーまで可、ということなので、おとといすでにリミットを切っていたこともあり、気にせず食事することにした。風呂に入り、準備。

 これだけ身体を絞ることはもうないだろうと、家内を起こして裸で記念撮影。馬鹿ですねえ。でも、本人は真剣な顔だったはず。なにしろ試合前だから。

 嫌な気持ちかと言われれば違うとはいえない。けれども、それよりもただ試合をこなすだけ、という感じに近いか。自分で選んだというよりも、乗り越えねばならない壁、という気がする。誰が相手でも、ただ稽古してきたことを出すだけだ!

 これまでにも書いたが、今回の一般部への参加には、いくつかの目的がある。

1.私がこれまで体験したことのあるのは、ビジネスマンの審査と試合である。サポーターをつけず、若い人と戦うという試合形式そのものを体験してみたい。

2.昇段審査は、3種類に分けて顔面・極真・寝技で試合するので、北斗旗本来の形式ではない。北斗旗ルールを体験してみたかった。

3.また、連続組み手は、実力の七割くらいで相手をさばくことに主眼を置くので、ひとつの試合で全力を出すわけではない。一度、単発の試合で完全燃焼してみたかった。

4.これまでいろんな技を覚えてきたが、そのうち、何が試合で出来て何が出来ないのかをいまいちどおさらいしておきたかった。私の空手の現状報告である。

5.ひとつの試合に向けて、完全に体調の管理をするということをしてみたかった。今回は、一ヶ月半を調整に当てることができた。

6.なにより、試合の論評をしたりして、けっこううしろめたいところがあった。タイトルをとったり北斗旗に出たりするのは所詮無理だが、それでも試合だけは経験しておきたい。以上だ。

 でも、この一週間、精神的には結構動揺していた。伊東さんは、勝ち上がって手記を書け、とか言うし。ビジネスマンの仲間は上野君に続いて優勝だ!なんて言うし。彼は早くからプロ・ボクシングや日拳の試合を経験してから35歳の復帰戦、私は43歳でデビュー戦だっちゅうの!二試合目のことなぞ、考えも及ばない。

 というわけで、8時、チャリに乗っていざ、出陣!9時、台東リバーサイド・スポーツセンター着。すでに荻窪、総本部と皆揃っている。この時間から出てくるのは、初めてだ(ビジネスマンの試合の時は、計量がなかったので)。これが試合なんだな。 

 さっそく着替えて、テーピング。相手をみつけて、太股の内側、股関節、肩、腰のPNF。計量すると、72.8キロだった。

 対戦表を見る。相手は、新宿文化教室の選手。おお、これが選手の気持ちなのかあ。自分も選手の一員となれたのだな、と感慨深い。

 ところが予定の相手が棄権したらしい、と知らされる。で、一回戦は軽重量級にエントリーしていたが身体指数が240で中量級、という横浜の選手。

 入場式。同じ列に対戦相手がいるはずだが・・・・どの人だろう?年齢も体型も、何も分からない。

 第三試合場で、いきなり中量級の試合が始まる。私は第13試合。外に出て、本部の佐藤さんと目慣らしのマス。私の基本的な戦法としては、相手のパンチには前蹴りを合わせ、蹴りを誘ってカウンターのパンチを入れるというもの。自分からパンチを入れる場合も、相手の反撃には前蹴りで・・・と同じパターン。それでつかまえたら右半身になって、ヒジから大外か一本背負いで投げるというものだ。マスも調子良く、まったく息が切れない。

 「最高齢者はずっと自分でしたが今回は松原さんになりましたね」と佐藤さん。彼は現在40歳。私が入門した当時からずっと試合に出続けている先輩である。

 試合が進むのを見ていると、緊張が募ってくる。と、「とうちゃーん」と息子が突然現れた。家内が連れてきたのだ。友人の編集者、穂原さんも来てくれた。あと二試合、あと一試合・・・。スーパーセーフをつける。視界が一気に狭まる。何も聞こえない。

 

(4月2日)「試合に挑戦」編(2)

 呼び出される。試合場に足を踏み入れる。相手の選手は、なるほど中量級としては体格が良い。しかし顔も見えない。まったく顔も分からぬ覆面をかぶったような相手と、これからドツキ合いだ。

 「構えて、始め!」。主審の声に相手を見ると、ありゃサウスポーだ。左構えそのものは、荻窪では矢田君、本部ではビジネスマンの高山さんにいつも稽古相手になってもらっているので、対処法は分かっている。いきなり相手がパンチをついてきたので、左前蹴りで突き放す。これがうまくストッピングになって相手が止まった。普段思っている通りじゃないか。これは試合でもいけるぞ、と思うと急に楽になった。

 「相手の左に足を踏み出して!ポジショニング!」と荻窪で指導いただいている飯村師範の声が耳に飛び込んできた。左に足を踏み込み、右ストレート。これがガツン、と良い手応え。組み合う。投げにいこうかと思ったら、先に相手が投げにきた。どうやら組技は首相撲よりも投げ系の方が得意のようだ。投げ負けないとは思うが、これでは投げにいくとこらえられて消耗するに違いない。ここで投げは使わないことにする。上になったので、「キメ」のポーズ。決まってもいないのにキメをするのはこういうことなんだなと分かった。

 右ローも一度出したが、空転。これは潰すのには使えそうにない。蹴りも前蹴りだけにして、相手のローにパンチを合わせることに切り替える。とすると、後はパンチ勝負だ。「右をジャブのようについて!」飯村さんの声しか聞こえない。これは心強い。自分が相手とどのような位置関係にあるのか、テレビで見ているかのような気がしてきた。セコンドが重要だというのは、このことだったのか。

 右を出すと当たる。相手のパンチは当たらない。距離はこちらのものになった、と思った瞬間、バックハンドを食らった。ちょっと驚いたが、別にきいていない。距離がつかめなくて焦っているのだろう、と自分有利に考えることにした。そのまま押し倒す。

 後は距離を保ち、自分のタイミングで飛び込んで右を当てるだけだ。ここで一発ローをもらう。踏み込みが鋭い。パンチを合わせるつもりだったが、ちょっと無理そう。むしろバックステップして逆襲しよう。と思ったらさっそくきた。がーっと前に出る。抱きつかれて持ち上げられた。しかしなんとか首に腕をまいて、事なきを得る。

 二分経過、の声が聞こえる。さすがに腹のあたりが苦しくなってきた。しかし、ここで行けるだけ行きたい。相手が勝負をかけてパンチに来る。一歩下がって、思い切って右。さらに突っ込んで右。これからはよく覚えていない。どわーっと手を振り回したら、相手が沈み込んでいた。すかさず、キメのポーズ。審判にアピールできたか?

 開始位置に帰ると、小豆袋が飛んできた。「1.2.3.4.、有効!」主審が手を打ちながら私に手を挙げる、そして「試合終了!」。天を仰ぐ。「有効、優勢勝ち」、と私を指してくれる。頭が真っ白になる。

 

(4月2日)「試合に挑戦」編(3)

 入門して十年、関東大会をずっと見てきた。横から見ていると、こいつには勝てるのではないか、俺でも通用するのではないか、といつも思っていた。キックの試合など観戦しても、1ラウンドなら対抗できるのではないか、という疑問が消えなかった。実際、一般部で予選参加選手とスパーをしても、酷い目に遭った覚えはない。色帯相手なら、選手でもそれなりに対応できる。かつて某キック・ジムでプロのランカーとスパーをしたことがあるが、その時も結構パンチは入ったし、倒されなかった。新人なら適当に相手している。ところがそれでも一般部の試合に出ていないという事実は重い。普段はそこそこさばいている相手も、実戦となれば強く打ち込んできて、それはさばけないのではないか。試合中に突然ガス欠になり、やられるのではないか。そんな不安が、主審の「試合終了、有効優勢勝ち!」の声とともに消し飛んだ。「俺がやってきたことで通用するんだ、間違っていなかったんだ」、と頭の中のもやもやが一気に消え去った。

 妻子が飛びつくようにやってきた。思えば家内は私の試合を生で見たことがない。見ているのは長田・加藤・市原といった北斗旗優勝クラスの方々の試合ばかりである。三段昇段審査のビデオを見せたが、「なんか燃えないねー」というのが感想。そりゃそうだ、スタミナをいかに失わないか、計算して七割の力でなんとか勝とうとしているのだから、表面的には必死ではない。その点、石上君の試合などは審査会場でも盛り上がった。彼、最後は全ての力を振り絞って闘志剥きだしで相手に突っかかって行くから。先日、極真の支部長さんをしている友人の宮崎龍さんから昇段十人組み手のビデオをいただいたが、これも技術もさることながら全力を出しきる気迫の組み手で、最後には家内は涙ぐんでいた。その必死さがうちの亭主の試合にはない、というのである。すべてを振り絞る試合を見せたくなるではないか。

 「試合中に「とうちゃーん、とうちゃーん」って入っていくから飯村さんが止めるて下さったのよ」、と家内。「今日は若い人と見分けがつかなかったわよ、最後は良かったし」。どうだ、見たか、亭主の勇姿を、と鼻息を荒げた。編集者の穂原さんの撮ってくれたビデオを早速見る。次の試合は二回戦の相手のはずだが、見逃してしまった。先の試合の感慨で、それどころではない。自分は右ストレートを三回突いて、追いかけて行き、左フックでなぎ倒すようにしてダウンを奪っている。十年の思いを込めたラッシュだったのだなあ。

 相手の選手が支部の知人と一緒にやってきた。「ありがとうございました」と挨拶。こんな親父が相手で驚いたでしょう、というと「いや、三段っていうので驚いて、パンチが強くてまた驚きました」、と答えてくれる。普通、予選に出ている黒帯は、本戦に出るほどの有力選手か、昔から十年も出続けている方に限られる。極真ルールの交流試合から始め、色帯の新人戦を経て、予選に出るのだから、四級でも予選に出る人間は相当の試合経験を積んでいるはずである。初めて予選に出てきた黒帯なんて奴はいないのだ。それにしても、この相手の方のすがすがしさにも心を打たれた。私は日頃活字で論戦するのを仕事としているが、物書きとの論争などというものが相手への敬意を含んでいたことなど、一度も経験したことがない。ちょっとや異論をつきつけられただけで半狂乱になり、自分から仕掛けておいて反論されたらゴシップらしきもので反抗する、アホだ馬鹿だののしる割りには理由を付ける能力もない連中ばかりである。その点、これだけ自制がきくというのは武道家として立派なことだ。有り難う!

 今回の件では、東塾長にもいろいろご心配をいただいた。先般三段の帯をいただいた折にも、すでに予選出場はお願いしてあったので、握手する際にぐっと目を見据え、「頑張って!」と励ましていただいた。この歳にしてこの段位で恥をかくリスクを背負うつもりの私の覚悟が伝わったのか、塾長の顔は少し青ざめてさえ見えた。お心遣い、どうも有り難うございました。それにしても、緑帯としてはトップクラスの選手を当てて下さって、うれしいやらなんだかなあ。また、家内には今年に入って以来、ただでさえ本の執筆で家事を押しつけた上に試合に出るというのでこの一ケ月は毎日夕方に稽古に出かけ、旅行に行くどころか食事もなかなか一緒にはできなかった。感謝している。大会運営各位にも、厚く御礼申し上げます。倉敷掲示板で励まして下さった北窪支部長、浦和支部の皆さん、稽古に参加させていただいている荻窪支部の皆さん、本部ビジネスマンの皆さん、試合中ロボットを操るようにアドバイスして下さった(他の声はまったく聞こえなかった)飯村師範、本当に有り難うございました。(二回戦は辞退しました)

 まったく、貴重な体験ではあった。今日から私は現役選手だ!今から来年の予選に向けて稽古するぞ!

 

(4月某日)

 ところで4月2日の北斗旗体力別関東予選で、試合後、興味深い話を聞いた。

(その1)

私と同じ中量級に東京大学関係者が二人参戦していた。岸純青弐段は十年も前からずっとこの大会に参加している横浜支部の強豪だが、なんと彼は東大出版会の編集者なのだという。私は数年前に同出版会の経済学教科書用の原稿を脱稿しているが、共著者がなかなか原稿を出されないので年初に別の出版社に渡してしまったという経緯がある。出版会とはすれ違いだったわけだ。それでも「知の論理」には原稿を書いたな。編集者と著者の殴り合いというのも珍しいところだったろう。

 もう一人は同じ教養学部の体育学系の大学院生の田中君。彼は新宿支部所属の方で、トレーニング体育館にアッパー練習用のサンドバッグを吊しているから自由にお使い下さい、とうれしい申し出をしてくれた。ところが実は小生、その体育館で稽古するときはいつもそのサンドバッグを無断借用していたのだ。奇縁というべきか。彼、午後はいつも実験室につめているらしいので、これで学内で対人稽古するのに事欠かなくなった。これもうれしい。院生と教師のとっくみあいというのも面白かったかな?

(その2)

 女子部決勝は、いつだったか昇段試験の折りに我がビジネスマン・クラスのS君をボコボコにした早稲田のOさんと、横浜の八島有美さんの対戦であった。ちなみにS君は関東大会優勝の上野君の連続組み手の相手をしてハイで顎にひびをいれたという経験をもつ。それで女性に圧倒されて、強いんだか弱いんだかよくわからない奴だ。

 八島さんについてはいろいろ思い出がある(勝手に書いてゴメン)。彼女、女優さんをしていたかわいい系の美女で、NHKで「ビジネスマン空手道」が放映されたとき、OL役で出演していた。いつもは北斗旗でアナウンスを担当しておられる我が塾の誇る名花である。しかし空手はというと、私の記憶では今から十年近く前、一緒に昇級試験を受けたことがあり、彼女はまだ白帯で、ネコをなでるようなパンチを出していた。お嬢様空手だったのだ。その彼女がOさんと決戦だというので大丈夫かと心配したのだが、蓋を開けてびっくり。リーチの差を利用して、あの強豪O嬢に左右ストレートを雨霰と打ち込んだのだ!

 試合後、立ち話をして驚いた。最近では女子ボクシングの試合にも出ているというのである。インターネットで検索したら、なるほどあった。

3/23、東京・北沢タウンホールで行われた日本女子ボクシング協会第4回興行「LADY GO! 2000」、
Bout 2: <エキシビジョンマッチ> 51.5Kg, 2 min x 3R
桑田美弥子(山木)vs 八島有美(プロフィット馬車道)

なんということだ。不思議な話があったものだ。

 

(4月某日)

 来年の春に向けて(ということにしておく)、投げの強化と筋力アップに励んでいる。というわけで、柔道に熱が入っている今日この頃。高木道場では子供の相手をしたあと打ち込み、大人との乱取りをこなすのだが、柔道でも黒帯を巻くことにしたので、高段者の方々がかなり手荒い組み手をして下さって閉口している。組み手争いがきつく、投げも頭から落とすなど容赦がない。もちろんこちらも生意気に足払いにツバメ返しをしたり内股に裏投げで返そうとしたりしているのだから、先方もイラついておられるのかもしれない。

 乱取りは三・四分を三回もやると異常なほど疲れる。立ちくらみがし、目の前を白い破片のようなものがちらつく。百キロ以上の先輩を相手に全力で道着をつかみ投げに入る(といってもまず技はかけさせてもらえない)だけで、全身の筋肉の一本一本が伸びきり、ぜいぜいと息を上げているようだ。空手の脱力−緊張というリズムとは根本的に異なり、直接に相手を筋力で操作しようとしているせいなのだろう。また、空手では先輩の位置にあるのに、ここでは入門者だから、全力でいかざるをえない緊張感のせいかもしれない。とにかく空手では体験したことのない疲れ方だ。

 技にかんしては、中高のころの水準はすでに越えたように思う。一本背負いをこのところ稽古しているが、以前のように腰をあてがって一呼吸置いてから投げるのではなく、下からしゃくり上げて一気に反転し投げるリズムを覚えた。左の一本背負いは初めてだが、これもリズムが分かった。空手でステップと言う発想を学んだので、それが生きているのかもしれない。次は移動しての左右の一本背負いを自分のものにしたい。

 ところでこないだの稽古中、突然大先生が「松原君は五月十四日は大丈夫かい、試合に出てもらうよ」、と仰る。びっくりして何のことかと伺うと、「中野区大会だよ」、とのこと。二段一人、あと初段四人というチームの対抗戦で、君は道場のAチームと考えている、とのこと。「団体戦のトーナメントの相手としては、高千穂商科大柔道部があってね」、とも仰る。それって、現役の学生柔道部じゃないのか?とはいえ思わず「やります」。ついに、四月、五月と試合をすることになってしまった。

 私は現役の格闘家(の末端の末席ではあるが)なのだ。そう悦に入って緊張している。

(付記)朝日の学芸部から頼まれて、「格闘技ブームについて」を書いた。4月22日土曜日の夕刊に掲載される。

 

(4月某日)

 このところ格闘技についてもマスコミ関係の仕事が多い。我がビジネスマンクラスについては、『格闘技通信』の前回号で紹介があり、主人公は我れらが高山さん。道場の近くのパン屋さん(赤塚商店街、「ムック」)をしておられる方で、しばしば二階をお借りしてビデオ大会などを開かせていただいている。高山さんは私に続く古参で、身長180センチ、体重90キロという巨漢である。でも器用にダッキングもされます。強豪です。

 また五月末発売の『フルコン』では、落語家の桂歌蔵さんが主人公のページで我々を訪ねて下さった。今月号は佐藤塾訪問だった。歌蔵さん、蹴りなどなかなか綺麗で、興味深い飛び入りに、ビジネスマンの面々も緊張気味だった。最後には全員で記念撮影。来月号を飾ることでしょう。

 そして4月22日・朝日夕刊文化面の私の文章。これは次の桜庭−ホイス戦を睨んだものだが、もちろんバンナ−フィリョも考慮して書いた。武道各流派はそれぞれの理念があるというのに、観客の見やすさでグローバル・スタンダードとしてK1や総合格闘技のルールが立てられ、各チャンピオンが個人としてそれに吸引されていくのは如何なものかという内容である。要するに流派の看板が個人の勝負に賭けられているわけだ。少なくとも観客にはそう受け取られるような宣伝がなされている。残年ながら、フィリョについてはまさに心配が的中してしまった。

 サウスポーに対する前足のポジションの重要性、左足でのストッピングの危険性などはキックでは常識に属するだろうから、それが分かっていなかったのは稚拙と言うべきかもしれない。けれども、ヘビー級というのはそうした技術を越える世界でもあるから、技術論にばかり走っても仕方がないだろう。ともあれ、ひとつの流派の看板を他流のルールに一個人が賭けてしまうのは、あまりにも軽率だという気がする。武道はビジネスマンや少年部の日々の稽古にもかかわるものなのに、その価値がチャンピオンの勝敗によって決められるのはおかしい。賭けるなら賭けるで、流派の全面的な支援のもとで万全でやってもらいたいものだ。

 で、次には朝日の運動部から取材を受ける。夕刊で格闘技を特集したところ、大変な反響だった由。私の記事の周辺を聞かれた。グレーシーについては、小が大を制したのは大変な功績なのに、あたかも巨大なレスラーと同列で試合するのが公正であるかのような議論が横行している。彼らは力を制するのに何十年もかけて寝技を開発したというのに、現在ではビデオが発達したため、一試合しただけで技術は丸裸にされる。とすると、結局は体力差だけが物を言うことになってしまうではないか。だが、体力のある者が強いという当たり前の世界が武道の理想なのだろうか?デカイ奴に勝つための工夫をデカイ方が真似るというのは理不尽だ。私は小さなホイスが流派の看板を守るためにゴタゴタ言うのももっともだと思う。そうでもしなければ、勝てるはずがないじゃないか。

 ところで、今月初めの刊行なのでずいぶん報告が遅くなってしまったが、『大道無門』最新号が出た。うーん、自分のレポートが多いから言うわけじゃないが、いや、面白い!浦和同好会のレポートとか北海道の村上師範の記事とか・・(ってやっぱり自分のレポートか?)。支部長会議の折りの審査結果もなかなか興味深い。ぜひ全国の皆さんもお買い求め下さい。お買い求め先は、総本部HP(リンク参照)にて。

 

(4月某日)神戸格闘旅日記(1)

 今日から連休。といっても居職なもので、いつを休みと決めるかは自分次第。今回は、友人を訪ねて妻子を連れ、故郷・神戸へ格闘技の旅である。

 初日は幼稚園からの幼なじみにして現・極真同好会を運営しておられる宮崎龍さんのお誘いで、彼と親しいボクシングの千里馬ジム所属の「ツボイ・マサタカ」選手の応援に。千里馬ジムは最近、有名なライブハウスの「チキン・ジョージ」にてしばしば興業を打っている由。オール・スタンディングである。ツボイ選手は、去年だったかの「ニュース・ステーション」で、神戸の復興にからめて千里馬ジムの選手たちの日常をドキュメンタリーに仕立てた際、新人王戦に挑む一人として報じられた。TKO負けを喫したのだが、突貫精神と試合を止められて悔しがる姿が好感を呼んで、一躍人気が出たという。

 計10試合。メインは秋に日本王座に挑戦する千里馬哲虎選手の直前試合。それ以前にはランカーもいなかったが、いずれもなかなか技術もしっかりした選手ばかりで、地方にもこれだけの人材がいることに驚いた。とくに哲虎選手は、普通の距離よりも近く立って相手にプレッシャーをかけるタイプなので、緊張感が漂う。カクカクと小刻みに上体を振るので、こちらも上体を振るのが感染してしまった。で、決めどころでは一気に詰めてKO勝ち。追い込んで行って決めるとこめで決めるというのは、さすがプロらしいタイトル挑戦者である。

 千里馬ジムは実に八勝一敗。ただ、その一敗がツボちゃんだったので・・・。しかもまたレフェリー・ストップのTKOだった。お疲れさま。

 ところで、メイン前にエキジビションで千里馬会長が登場してやる「千里馬時男」というのは如何なものか?マグナム・トーキョーばりに入場して腰をグラインド、客に札を入れさせるという趣向なのだが・・・。これ、何のパロディーなのか、会場で分かっている人はいない様子であった。それにしても黒木(マグナム)、千里馬会長に真似されるくらいだから出世したものやのー。

 さてその後、観戦に来ていた宮崎道場の方々と、高架下のおばちゃん一人でやってるラーメン屋「天一軒」に移動して、乾杯。しゃべくり代表のOさん、重度の記憶喪失にかかり宮崎さんの指圧治療で快癒して以来道場にも入門したというMさん、幼稚園主で道場に場所を提供しているHさんなど、我がビジネスマン・クラスにも匹敵する面々が背広姿で一夜の宴で盛り上がった。

 ところで、私は宮崎さんにかんしてゴング格闘技に記事を書いたことがある。その原稿はここに掲載したと思っていたのだが・・・。過去版を繰ってもみつからない。というわけで、再録しておきます。

          *                  *

『日常と非日常を往復することの魅力』松原隆一郎

 空手はすでに私の生活の一部として定着している。「ものを考える」という本業においても、それには「武道の作法」のようなものが必要だ、と考えている。現在、『思考の格闘技』というタイトルの自分のホームページに「中年空手家日記」を綴っているくらいなのだ。

 かくなるに至った経緯にはいろいろあったのだが、エピソードをひとつ挙げよう。私の故郷は神戸市で、実家は九五年の震災で被災した。その翌々年だったか、勤め先に突然一通の封書が舞い込んできた。裏を見るとR.Mという姓名が記されている。中には便箋に何枚もの手紙が入っており、さっそく読んでみて驚いた。そこにはおおよそ次のようなことが認められていたのである(原文の通りではない)。

 拝啓。僕を覚えていますか。君と幼稚園・小学校低学年時代に同級だったR.Mです。当時、よく互いの家を行き来しました。被災されたことは聞いています。大変でしたね。

 さて、今回手紙を書いたのは、他でもない。君の文筆家としての活動はマスコミを通して知っていました。しかしそれは神戸に住む私とは別の世界のこと。遠くから見守るだけです。しかし、先日、格闘技雑誌を見て驚いた。君が登場して、現在フルコンタクト・カラテをやっているというではないか。それも大道塾の黒帯だという。これは見逃すわけにはいかん。実は自分は極真の黒帯なのです。ただ現在は、訳あって極真を離れてはいますが。けれどもカラテへの情熱はさめやらず、今もトレーニングを欠かしたことがない。そうした気持ちに火がついて、三十五年ぶりだかに君に手紙を書いている次第なのです・・・・。

ああ、あのRちゃん。同封された写真には、当時の面影がある。幼稚園自分、毎日のように一緒に遊んだ彼だ。ともにカラテに親しむ者と知り、当方も三十五年の疎遠は一気にないかのように懐かしく感じた。そこでさっそく電話してみた。電話口に出てきた声は、まぎれもなくRちゃんだ。さっそく別の用にかこつけて、妻子ともども神戸のお宅を訪ねることにした。もちろん、道着を持参してである。

 神戸のホテルに着くと、彼のマンションに直行した。あいにくの雨降りである。当初は公園ででも稽古しようと思っていたのだが、仕方がない。だが我々はカラテを志す者、もちろん「仕方がない」、というのは稽古をしないなどということではない。場所を少々狭い(失礼!)室内に移すだけのことだ。やあやあ、と三十五年ぶりの出会いの言葉を交わすとそそくさと道着に着替え、黒帯を締める。彼も同じ気持ちなのだろう、部屋の道具はすっかり取り払い、ハチマキをぎゅっ巻いて臨戦態勢。こうして、彼の奥様と私の妻子が見守る中、二人の中年男の時空を越えた合同稽古が始まったのである。

 最初は彼から型を教わる。一人稽古はもっぱら型に励んでいたそうだ(稽古日誌は数十冊に上る)。最後は一分間のスパー!こちらは極真ルールである。マンションの一室で、大の男が拳に思いを込め、互いのボディを叩き、膝蹴りを見舞う。素手が素肌に当たり、汗が吹き出して、飛び散る。幼少時からの記憶が頭を巡る。かくして三十五年振りの再開は、スパーが取り結んでくれたのだった。初めて近場で肉体のぶつかる音を聞いたという夫人と私の一歳児の息子は驚きの眼を見開いていた。(愚妻はいつものこと、と平然としていたが。)

 そうした出会いを経てときどき連絡を取り合っているが、現在、彼は極真会に復帰して、数人のお弟子さんを持つ身となっている。私とのスパーで、型だけではなく、やはり体のぶつかりあう対人稽古も必要だと考え直したらしい。

 しかし、こうした再会はどうして可能だったのだろうか。なによりフルコンタクト・カラテは、顔面なしの極真ルールが基本となっている点が大きいと思う。それは、「前に出つつ、相手の攻撃を体で受けながら威力を殺す」という文化を有している。顔面ありのキック・ルールから始めると、体で攻撃を受けながらポイントをはずすというのは皆ができることではない。ところが顔面なしルールだと、たとえばローをカットせずに蹴らせて、パンチを合わせるといったことが、サポーター類の揃った昨今ではさほど難しくない。しかもそうすると、実際には思っていたほど相手の攻撃は痛くないことに気づく。これは眼からウロコが落ちるような体験だ。そうすると当人の日常の性格を問わず、前に出て「相手を潰してやる」といった気迫が誰にも出てくる。これは自分の地が洗い出されるかに思える経験だ。

 だかこれには重要な注意事項がある。ドツキ合った後、武道らしく礼法にのっとって握手するなど感謝の気持ちを伝え合い、できればともに飲むべきだ、ということだ。そうすれば今度はスパーの剣呑さから頭が冷め、スイッチが切り替わる。日常の生活に戻るのである。

 Rちゃんも私も、武道としてのカラテに特有の、こうした日常/非日常の往復については身に染みついていた。それが時空を越えて交友を一気に復活させた理由なのではないか。私は物書きという稼業についてはいつも思うのだが、批判をし合ったとして、こうした礼法にのっとって互いを高め合うような議論というのは滅多にない。決まって醜い言い争いに終始し、相手を貶めるためには平気でウソをつくといった輩が横行する世界なのだ。もちろんカラテにもそうした局面がないわけではなかろう。しかしともに礼法にのっとって稽古したという体験は、簡単には消えるものではない。

*        *

 さてRちゃんの近況だが、先日こんなファックスが送られてきた。

 拳友、松原隆一郎様

 本日、小生の十人組み手が無事終わりました。一度退会したから、十年振りのことです。これを一生に二度やるとは・・・。東京、神戸と離れてはいるが、同年代の君が頑張っていることが励みとなっています。まずは報告まで。押忍。      R.M

 黒帯復帰の十人組み手を無事完遂したというのである。カラテはいいものだ。