(9月某日)

 9月第一週の土曜日は暑かった。今夏第一の暑さだったとかで、稽古した者にはとくに実感したところ。なにしろ本部三階は、前方こそクーラーがきいているが、後方はクーラーがなく(そもそもこの空間は、四十人からがおしかける我がクラスは想定していないのだ)、空気の循環もあまりよくない様子で、かつての本部の四十度に達するかという夏の稽古よりは遙かに改善されたとはいっても、蒸し暑いことには違いない。

 加藤師範代の指導だったので、新趣向をお願いしてみた。以前に懸案だった、ビジネスマン・クラスの実力向上に伴うソフト・クラスは、このところ愛好者が増え、その時間に出てきている黒帯が仕切ることにしていて、好評のようだ。今回は槇山師範代がフォームの確認とノン・コンタクトでの約束組み手をやって下さった様子。それに伴い、ハード・クラスの方でも試合に出る人、審査を受ける人のために調整も含めた特別稽古をやっておきたかったが、加藤師範代の指導で、今回やっと実現した。試合一月前なので、体力増強期である。暑いさなか、体力を振り絞って稽古した。

 まずは移動稽古のおさらい。次いできつめのミット。これは延々続いて、左右ミドル各15本、ジャブーミドル各15本、前蹴り−ミドル20本、1−2−ステップバック−右ストレート20本、1−2−フック−ガードでフック受け−ダック−右ストレート20本、とやったらもうろうとしてきた。汗はかいたなんてもんじゃない。数リットルは出ただろう。

 最後にスパー、サポーターと面をつけると、もう暑いかどうかも分からなくなる。

 それでも稽古後にシャワーが浴びられるのは画期的。以前はこれがなかったから、酒を飲むのも気持ち悪かった。さっぱりして談話室に行くと、大勢揃っていて、なにやらざわめいている。ちょっとした緊張さえ感じる。どうしたのかと覗くと、きっちりとしたスーツ姿の女性が。そういえば白帯の入門者、さっき私も指導した方ではないか。華やかに談笑している。飲み会に参加されるというので皆に緊張が走ったらしい。小生も、あわてて裸の上半身にTシャツを着る。

 それで行くのが「清龍」というのだから芸がないが、彼女、気にもせずついてくる。いい人だ。よく見ると、普通のOLが持ってるようなぺたんこのカバン一つ。道衣はどうしたのかと聞くと、「この中に入ってます」。こんなフツーのOL姿でフルコン空手道場にやってくることができるのか、と感心。

 皆、飲み方にも気合いが入る。調子に乗って、歓迎の自己紹介を全員でやった。

 彼女、「シェイプアップのために入りました」、とか「爪を切るのは髪を切るよりいや」だという。だがこれは、「勘違いしている」とはいうべきではないと思う。こうした方に続けていただけるよう、移動なり型なりでも工夫して、殴り合わないでやっていけるコースを作るのも、ソフト・クラスには必要ではないのか。我々はプロ化路線はとらないのだから、レッスンでの経済的地固めは必要だ。空手界にもメニューに「商品開発」の発想が求められる時代になったと確認した次第。一方はハード、他方はソフトと幅を広げて、彼女にも楽しんでもらえるようなクラスにしていきたいものだ。

 

 

(9月某日)

  今週のビジネスマン・クラスは私の仕切り。加藤さんの週は打撃の最前線理論を教えていただいているので、私は組技を担当する。バーリトゥードの出現以来、空手家の基本的な素養として「タックル切り」が出てきた。タックルを自分から仕掛けないにしても、相手からしかけられたなら切ることだけは必要だ。

 しかし私もタックルとなると要領を得ない。というわけで、寮生の藤松君に来てもらって指導してもらう。藤松は高校でサンボの社会人大会を制し、北斗旗でも活躍している新鋭である。オヤジの特権は、帯下の者に頼んでいろいろ教えてもらうことだ。

 そこで、両足タックルと片足タックルを習う。なるほど、私は中井先生のパレストラで稽古していて両方できはするが、頭をつける位置に注意が必要と分かった。両足タックルで相手の腰の脇に頭をもってくると、ギロチン・チョークにはまってしまうのだ。こないだの修闘の試合では巽選手も宇野選手も、ともにブラジル人にこれをやられた。というわけで、ボディの中心を狙って片足タックル。それからタックル切りに進む。

 いろいろ質問も出た。ラグビーをやってた人は、「持ち上げたらそのまま前方に落とせばいいのでは?」。これは私が答える。裸ならそれで良いが、道着着用の北斗旗ルールでは、帯があるのでタックルを食った方が背中越しに帯を取ってそのまま後ろに倒れ込むと「帯取り返し」になるので、ごろんと回転するとマウントになってしまうのである。したがって、横に倒すのが正解ではないか。

 なかなか好評。藤松君に拍手で指導は終わり。今後、いろんな後輩選手をつかまえて指導してもらうことにしよう。

 稽古後、ちょっと清龍はあきたので、筋向かいの加賀屋へ。清龍の親父が呼び込みをしながら、うらめしそうに見ている。我々はどこに行っても大量に飲み食いするから、すぐ覚えられる。飲み会後、残金が出たので、それでビールを差し入れるために皆で道場に戻った。 

 

(9月某日)

 掲示板開設(リンク参照)。やっと出来た。皆さん利用してくれると良いのだが。

 土曜、家内が旅行に行きたいと言うので都下の温泉へ。でも小生はテレビの柔道の試合に釘付け。

 ところがびっくりしたのはそちらではなく、水泳の田島寧子選手。試合後のインタビューが傑作だったが、彼女のコーチが南光SSの藤森さんだというのに驚いた。私が空手を始めるまでの五年間、西武池袋線・富士見台駅のうちから50mのところにあったここで泳いでいて、彼にはコーチしていただいたことがあるからだ。

 南光というのは畑の中に囲まれた土地に幼稚園を作っている会社で、そこにプールが併設されたのである。私は会館半年で入会し、そこで近所のおじさん・おばさんたちと一日おきに1200mは泳いでいた。そのときのコーチが藤森さんなのであった。

 少年部は当時からかなり盛んで、私たちが泳ぐ七時までラップをはかって遠距離をダッシュさせていた。どうやらその子供の中に田島選手も混じっていたらしい。最近前を通ったら、大きな垂れ幕で「祝・日本記録」となっていた。あれから十年たつが、若社長の喜ぶ顔が目に浮かぶようだ。もっとも私は、空手を始めたので水泳はやめ、ウェイトだけやってはいたものの器具のより充実した練馬体育館に移った(ここでマッスル北村さんのトレーニングを見たことがある)ので、それ以来ご無沙汰となっていた。

 スポーツ新聞によると田島さんのご近所にミスチルの桜井が住んでるとか書かれていたが、確かにさくらい歯科というのがあり、そこの先生と私は同じクラスでいつも競って泳いでいた。どうやら彼はその桜井氏の叔父さんであるらしい。今でも私は治療に行っているのだが。次はマウスピースを作りに行く予定。

P.S.田島選手、表彰台からコケたのが重傷で、足の甲のスジを切ってしまったらしい。で、翌日のもっと期待できたはずの400自は予選落ち。どうやらクール・ダウンのための泳ぎが足りなかったため、疲れが抜けなかったせいらしい。藤森コーチがっくり、という報道。クールダウンはやはり重要だ。

 

(9月某日)プロボクシングのミューズ

 下北で八島有美選手(横浜支部、関東女子チャンプ)の試合。八島さんは関東女子部の礎を築いた方で、現在初段。審査はいつも我々ビジネスマンと一緒に総本部で受けておられた。というか、北斗旗無差別のアナウンスでおなじみというべきか(今出ている格闘技通信にも特集あり)。小生の職場は二駅離れた駒場、ちょうど月例の教授会があり、終わってすっとんで行った。

結果は、快勝。一方的な内容で、八島さんは女子ボクシング界の新たな星となった。

 第一ラウンド。ワセリンをたっぷり塗って、登場。セコンドは女子部・上段初段。ロープをくぐると微笑みも見え、なかなか余裕の表情。ゴングが鳴ると、「ウォーズ」を見ていたときのように、当方が緊張する。

 八島選手、フォームは上体が立ち気味で、昔のボクシングというか、伝統派のような体勢。ステップは軽い。そこからジャブを伸ばす。手が長い分だけ、軽くヒット。ただし深追いはしない。右ストレートも軽くのばすが、肩を入れていないので強くはヒットしない。様子見で終了。

 第二ラウンドになると、八島、猛然と出る。ジャブ(というよりも左ストレートか)が続けざまにヒット。右ストレート、今度は肩が入って強烈にヒット。ワンツーから左のロング・フック、左アッパーが面白いように入る。ここでボディへのアッパーを打つが、上体が立っていた分だけ頭が前に大きく振れた(これでバッティングが一度あった模様)。しかしそれもクリーン・ヒットして、相手選手は鼻血を出したのか、顔面が紅潮。相手選手も健闘するが、なにしろグローブ分ほども手が届かない。圧倒的に制空権を握った。

 第三ラウンド。このままではまずいというので、相手選手は密着を狙ってくる。それを突き放すように八島はジャブ。これがダブルで入れば突き放せただろうが、単発だったので相手はジャブをもらいながら必死に接近。ここにもアッパーがヒット。もう少しでダウンを奪えそうな展開になった。

 最終回。相手の顔は真っ赤(結構かわいい女性だったが表情などもう分からないほどに)。八島も苦しいのだろうが、いつもの飄々とした表情でワンツー、右ストレートが突き刺さる。めった打ちの見せるシーンがあり、ゴング。スマイルで中央に出て、判定を待つ。

 採点:40−37、40−37、40−38。3−0の完勝だ。

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 八島選手は第五試合だった。それまでの試合、ボクシングのテクニックこそ見るべきもののある選手もいたものの、みんな何しろ「男の子」っぽい。その中で八島選手は、一人だけ女性の雰囲気を感じさせ、しかも2分4ラウンドを戦い抜いて快勝。異色の試合ぶりに、マスコミ関係者の期待も大きいようだ。

 試合後の八島選手、顔には擦り傷ひとつなく、いつも通りの見目麗しさ。観客席に出てきたので声をかけて立ち話をしていると、横に二十歳そこそこか、男の子が近寄ってくる。知り合いかと思ったら、格通を差し出し「サインして下さい」。それならばと、私が写真を撮ってあげた。八島選手、右腕を立てる得意のポーズが決まっていました。

 

 

(9月某日)

 柔道、九月に入ってから再開している。七月まで、なまくらというか型なしにやってきた。日本柔道の特徴は、得意技の打ち込みを嫌になるまで反復し、体に染み込ませ、それに関連する逆方向の技も修得してセットで使いこなすというものだ。それからいえば、「これひとつ」という得意技がないということは、進歩していないということでもある。

 それはなかなか中心になる技がみつからなかったからで、大柄な相手には一本背負い−左一本背負い−小内−大内という系列、小柄な相手には内股−大外−支えつり込み足の系列、といった具合に相手によって技の体系を変えていた。しかしそうなるとそれぞれの技のかかりも甘くなる。それは分かっていたのだが、何しろあくまで目標は、格闘空手に生かすこと。頭を下げる姿勢になったり、顔面がらあきで組み手合戦をするなど、柔道内の技術であってパンチや蹴りがあれば無意味だと思っているからだ。

 けれどもさすがにそうとばかり言っていられなくなった。高木道場(現在の道場主は東塾長の亡くなられたご子息の早実柔道部時代の恩師である)にはT先生という、背丈は私より低いが大変なガッツある組み手をする四段の方がおられ、この先生は私と乱取りするたびに左組みで頭をつけ、低い姿勢で揺さぶって、最後にはこちらのスタミナが切れたところを左のしゃがみ込む背負いで頭から「杭」のように垂直に落としにくるのだ。

 先日、あまり調子の良くない日に行ったところいきなりT先生と当たり、こちらは軽く組もうとするところをいきなり滅茶苦茶に道着をもって振り回され、上下に煽られて、息も絶え絶えになってしまった。最初は作戦を用意していて、いきなりこちらも左に組み、左手で肩越しに帯をつかんで小外掛けに行った。これだけは少しぐらつかせることができたが、その後が悲惨。ぐちゃぐちゃにやられ、すっかり息が上がってしまった。一本終わって壁際に立っているだけでも苦しい。目の前がもうろうとして、気持ち悪い。そこに「松原君、次はK君に一本願いなさい」と大先生の声。いつも優勢に相手するこの人にまでコテコテにやられてしまった。

 というわけで、自分の型を決めることにした。内容は・・・ヒミツ。釣り手を、ある変型で取ることにした。それに合わせ、技は両手の背負いに決定。さらにそれとの相性で、崩しや小内との連携も決めた。一人で夜中、仕事後にビールを飲みつつ足捌きを考えた。

 一度やってみたが、出だしは上々。いつも内股で投げられる左組みの学生と初めて互角にやれた。どうやら釣り手の加減らしい。この構えで、当面は行けるところまで行くぞお。

 

 

(9月某日)篠原事件についての感想

 この欄の読者(!)の方から、オリンピック柔道の篠原の判定について感想を書けとのメールをいただいた。で、さっそく書こう。

 この事件、ポイントは二つあると思う。一つは、内股すかしの判定そのもの。二つは、抗議のあり方である。

 日本側は正確な判定なら篠原の勝ちが当然で、あくまで審判のレベルが低いのだと主張している。たしかにこの大会、ひどい審判が多い。私がまず驚いたのは女子・楢崎の決勝の一本負け。背負いに入られたものの逆に逃れ、その勢いで自分で背中から落ちたら一本にされてしまった。この判定から見る限り、今の国際柔道では一本の基準は「畳に背中が着くこと」であるらしい。レスリング出身の審判にはついそう思えるのかもしれない。

 それは酷いと私も思いはするのだが、審判の判定基準を適正化するというのは、審判への技術セミナーや国際審判規定会議の話題である。それにしても、日本側の指導がいつまでも無条件に通るとはいえない。現在、世界には様々な格闘技があり、それぞれが矛盾さえしかねない判定基準をもっている。柔道が国際化すれば別の格闘技から選手が入ってくるわけで、判定にかんする常識も混在する。何が一本の基準になるのかについて講道館が絶対的な権威をもって決めることができるというのは妄想だ。それは判定基準を決める場で議論したり影響力を与えたりして時々に決まることでしかない。今の審判規定は日本側が暗黙に思っている通りのものなのだろうか。そうでないなら日頃、影響力を与えるような外交をちゃんとしているのだろうか。

 それと、個々の試合の現場で判定をどうするのかというのは別問題である。

 楢崎の試合については、私には審判規定そのものが変わったのかな、と思えた。で、篠原については、難しい。内股すかしで一本を取るには、相手は腹這い、自分はうつぶせになる。ところが篠原は自分も横に落ちた。ドイエは完全に裏返ったのだが、篠原も崩れた分だけ割り引かなければいけないのかもしれない。楢崎のときの判定なら、ドイエは背中をついたのだから文句なしに篠原の一本勝ちなのだが。ということは、これを篠原の一本というには、「背中をついた方が負け」という基準を採用したことになってしまうのではないか。審判の見る角度もあるし。

 この辺り、日本柔道の考えている暗黙の常識では測れない事態がいくらでも出ている、ということなのだろう。野村が金をとったにしても、一回戦では完全に裏返った。すくい投げを食ったので、自分から一回転して腹這いになったのだ。当人も言うように、審判によってはあれを一本と判定する人もいるだろう。

 柔道は投げ中心の道を辿ることに決めた時点で、判定でもめるしかなくなったのだと思う。KOルールに慣れている打撃系の人間から見れば、頭から落とした方が威力があるとさえいえる。それだけ曖昧な世界で、しかも思惑の交錯する世界大会で、自分の意思がいつまでも通ると考えるのは甘えではなかろうか。

 となると、判定内容よりも抗議の仕方で決定的なミスがあったと見るしかない。審判規定では、主審がどちらかに勝ちを申告し、副審ともども場外に出たら試合は決着する。それをひっくり返すには、勝ちの申告か、少なくとも場外に出る前に抗議するしかない。篠原にそれを求めるのは酷である。となると、監督かコーチが試合中だろうが血相を変えて抗議するしかない。それをしなかったのはなぜだろうか。試合後でも不満を言えば自分たちの権威が通ると思っていたのではないか。恥ずかしかったかもしれないが、監督は信念をもち、泣き叫んででも抗議すべきだった。

 そもそも監督・コーチは、試合前に、こういうケースにはどう対処するのか、決めていたのだろうか。通訳が必要なら、事前に準備しておかねばならない。抗議じたいが容認されてはいるのだし、審判も人間だからミスジャッジもある。抗議しなかったら負けは負けだ。ちなみに北斗旗では試合後20秒以内にセコンドが抗議すれば審議に入ることになっていて、盛んに抗議がなされている。

 篠原の優勢勝ち、山下監督の一本負け、総合で負け。というのが私の結論だ。

 異質な価値観が混じる世界で自分の意志を通そうとすれば、ルールを活用するしかない。日本柔道はいつまでも本家意識がぬけず、何も言わなくても他人は分かってくれると思いこんでいると思う。監督も闘っているはずなのだ。