(9月某日)東大における総合格闘技の認識について

  八月はあまりにも忙しくて、日記の更新もできなかった。稽古すら満足にはできなかったのだから、当然ではある。なぜそんなはめに陥ったかというと、第一が七月に続いて出版する単行本の準備。後半はすでに連載で書いていたが、その前半の80枚を付け加えるというので、コンラン・ショップや堤清二氏に取材させていただいたりしていたら時間の余裕がなくなってしまった。そのうえ月末は半年に一度の家族長期旅行で能登に。ここで原稿が出発に間に合わなかったため、もっていくことになってしまった。だが四日で120枚も書いてしまったのだから何がなにやら分からない。

 さて第二は職場である大学の「寮問題」である。ご存じの向きもあろうが、我が東京大学教養学部には駒場寮というでかい建物が構内にあり、これ以上ないほど雑然としている。それで住む者が90年代から減ったため、学部はこれを廃寮として更地にしようとした。ところが残る寮生たちが頑強に抵抗したため、学部は電気を止め、寮生を相手取って裁判にかけた。その高裁での結審が5月にあり、大学が勝訴したため、裁判所が強制執行で寮生を追い出すことになったのである。

 それが私に何の関係があるかというと、年初あたりから早朝に大挙して寮に入り、滞在者の氏名を確認したりするのに教授会メンバーがかり出されていたのである。私は学生が教官とよっぴいて議論したり酒を飲んだりする空間は学内に必要だと思うし、寮の立派な建物を解体するのには反対である。しかし寮生たちは自分たちが「居住」することが第一に重要だとの姿勢を崩さなかったため、ついに建物まで破壊されることになったのだ。

 それについては8月8日に早朝8時から裁判所が退出の「催促」のために寮内に入り、大学側は寮生の築いた寮周辺のバリケードをぶちこわして(壊したのはトビの方々、見るも鮮やかな壊しぶりであった)巨大なフェンスを張り巡らせたのであった。それをめぐり8日も夕方までただ立ち番をさせられた。そして22日、ついに強制執行当日となったのである。

 この日は前日から巨大台風が上陸。まさか執行はないだろうとメールを心待ちにしていたが、何も来ず。家から駅までも自転車も使えず、ずぶぬれになって7時半に大学集合。大教室には教官以下、300人が集まっていた。ご苦労様である。

 私の役目は学部長室のある101号館の見張り。ということで、あの強烈な雨と風の中、たらいをひっくりかえしたような水を浴びながら傘をさして立っていたのである。足なんか、長ズボンに沿って濡れそぼっている。もう腰あたりまでぐちゃぐちゃ。だが豪雨の中立っているだけで、何もすることがないのである。

 昼頃になると寮を見捨てた学生たち(2/3は他大学と推定される)が「学部長出てこーい」とシュプレヒコールを上げながら移動してきた。私は建物の横門の階段に移動。事務の人、ガードマンとともにスクラムを組んだ。そこに学生が一人やってくる。きょろきょろあたりをうさんくさそうな目で見やったと思うと、頭から我々につっこんできた。「学部長に会わせろよ」と怒鳴るので、「アポ取れよアポ」と言い返すと、「なんやねオッサン」とたてついてくる。この連中はずっとこの口調である。うるさいので無視して腕を伸ばし、つっこんでくる圧力を跳ね返した(ただし、教官は一切学生とぶつかってはいかんと学部長から言い渡されていたのだが、しかし空手家の私としては事務官やガードマンにやらせておくわけにはいかない)。学生は三白眼になりながら何度かつっこんでくるが、そのたびに押し戻すと、横の小屋根に飛び乗った、そこから我々の間に飛び降りる算段である。これも私は腕を絡めて外に押し出してしまった。

 どうやら私の腕が問題だと思ったらしいその学生は、やおら私の腕をつかむ。ただ、力が弱いので私は腕を伸ばしておいた。曲げたりつかんだりするとこいつらはすぐに「暴力だー」と叫び、うしろからカメラマンが出てきて写真を撮り、裁判を起こすのである。そうするとその腕が邪魔だというので、両手を絡めてきた。どうやら腕がらみをやるつもりらしい。「俺は総合格闘技をやっとるんやぞー」と学生。それにしたら下手である。「おいおい、そんなんじゃ決まらんよ」と私がいうと、学生は白目を剥き、「なんやとー、こうしてやるう」と組み付いてきた。どうやら肩固めにしたいらしい。ところが私の腕の横に一辺10センチわどの三角形の空間ができている。これでは息も苦しくない。

 「だからあ、肩固めはそれじゃだめなのよ。教えてやろうか?」と私。「肩がどうした?立ってるから関節が決まらないだけやー」と学生。「ところでお前さん、どこのジム?ちゃんと教わらなきゃいかんよ」「俺がどこだろうと構うなよ。オッサンこそどこでやってる」「俺は大道塾だ」「しらんなあ」などとやりとりする。まあ、おおかた少林寺かなにかのサークルのことを総合とか呼んでいるのであろう。巽宇宙氏などをもって東大生の典型と思い召されるな。大半はこうした連中であるようだ。

 「あんた何キロよ」「俺は74キロかなあ、君は体重がないのかねえ、やけに力が弱いな」「仕方ないだろ、この一週間は強制執行に備えて寝てもいなかったし。ウェイトは15キロも減った。なにもかも学部長の責任だ」などとやりとりしていると次第に学生が落ち着いてきた。結構しんみりしたりしている。そこに横から見ていた年長の支援学生が話に割り込んできたので立ち話していると、小一時間でくだんの総合格闘技寮生はいなくなってしまった。

 しかしもみ合ったので下着は汗まみれである。仕方ないので、着替え。こないだ下北の修闘の大会で買った、パレストラのTシャツに着替える。そうこうすると呼び出しを受け、教授会の学生対策委員長が学部長に代わって学生の前に出るというので、もみくちゃにされるから横についていてくれ、とのこと。テレビカメラも入っているらしい。それではパレストラの宣伝にでもなるかと、そのままの格好で出ていった。もし応対する教官の横にヘンな風情の男が立っているとすると、それは私である。

 夜10時前、ようやく騒動が終わった。大教室に集まったのは我々の班が最後。そこで飯を食っていると、後ろの席におられた体育の先生が、「松原先生は空手なんですね」、と声をかけてきた。なぜわかったのかな、といぶかしく思っていると、「背中に松濤とありますよ。松濤館ですか」と仰る。なるほど。「これは松濤ではなく、SHOOTOです。」東大における総合格闘技の知名度はこの程度なのであった。