(12月某日)戦いすんで・・・

  世界大会も終わり、やっと平常の中年空手家生活に戻った。とはいえいまだ打ち上げは続行中。大会一週間後のビジネスマンクラスの終了後、道場にて車座になり、選手諸氏と飲む。その前に一応稽古をした。塾長が、「どこかで運営に当たってくれた方を接待したいんだが、俺は正直道場で飲むのが好きでね」と仰るので、「いや、それが良いでしょう、ただし、塾長の直接稽古などあれば皆喜ぶと思います」と応じたら、「直接指導のスパー」と相成った。皆さん、それぞれ一分間、塾長の感謝をこめた殴る蹴る投げ飛ばすで、すっかり疲労困憊。いや、なかなかナイスな進言だったでしょう?

 それから二次会はカラオケ・パセラで、深夜二時まで汗だくになって絶叫。皆、よくやるよ。

 で、とある日の昼下がり。吉祥寺を歩いていたら、自転車が止まり、「松原さんじゃないですか」と声をかけられた。見れば、某キック団体の花形チャンピオンNさんである。彼、今年はあまり調子が良くないと聞くが、キック界では数少ない客の呼べるスターである。今から10年ほど前、私が黄帯だったかの頃、彼が大道塾に高校生で入門してきて、いきなり交流戦で優勝した。私も同じ総本部だったので、しばしばスパーの相手をした。今でも覚えているのだが、とあるテレビ番組で道場が取材を受け、外で塾長だったがインタビューを受けていたとき、背景として道場が映っており、そこで延々とサンドバックを蹴っていたのがN君であった。

 そんな彼はいつしか流派名非公開で他流派の試合に出、優勝を重ねていた。そしてそのままキックのジムに入り、当方からは離れていった。ただし私は一時期職場近くのキックジムでサンドバックを叩いていた時期があり、そこに出稽古に来ていた彼に声をかけてもらったことがある彼としても道場に挨拶もせず離れていったので、心にひっかかるものがあるとのことだった。けれども大道塾の塾是は「大道無門」。門は大きく開かれているのだから、いつ帰ってきても良いということだと思う。ぜひそのうち塾長に挨拶して下さい。と言っておいた。そうしたら2000年度の北斗旗には会場にやってきてくれた。そこで彼を引き連れて、塾長に挨拶していただいたのだ。それ以来、格闘技雑誌では活躍を良くみかけてはいた。

 「今度、タイトルマッチなのでぜひ来て下さい」とN君。僕も行かなきゃ、とは思いつつもどうも行けないでいた。来週日曜が試合のはずだから、これはなんとか都合をつけて行こう。

 こんな再会があるというのは、良いものだ。

 などと、物思いにふけりつつ、阿佐ヶ谷の西友で買い物をしていた。すると今度は、「松原さんじゃありませんか、僕、Fです」という男が。おお、こりゃ懐かしい。90年代の初頭に軽重量級で優勝したFさんではないか。当時、凶暴なI選手との稽古には度肝を抜かれたものだ。それで茶帯のまま優勝し、十人組み手では最後まで圧勝し続けた。初めてのロシア人、ピロコフの進撃を止めたのも彼である。私は緑帯になってスパーをしたことがあるが、ボディにストレートをもらって仰向きにひっくり返った思い出がある。

 なぜか突然道場をやめ、新空手の試合に出て、優勝したとも聞いた。そのときなぜか一緒に参加していたのはライバルだったO支部長である。

 「故郷に戻って会社に入り、今、転勤で阿佐ヶ谷に来ました。来たばかりなので地理が分かりません。塾長にはよろしくお伝え下さい」と至って真面目なままである。そのうち、拙宅にお越し下さい、と言って別れる。格闘人生は様々である。

 で、私ではあるが。人のことばかり構ってばかりではいられない。というわけで、今週木曜、某所で柔道の試合に出ることにした。その前に、東大の柔道部で稽古することにもした。こないだ授業の終了後、柔道場に出向いて挨拶してきたのである。耳がカリフラワーになっている異様に筋肉質の選手たちが歓迎してくれた。まずは火曜日に力試ししてみよう。どうなることやら。 

 

(12月某日)講道館月次試合に挑戦!!

  前回予告通り、柔道の試合をした。講道館の月次試合、初段の部である。先週、都心に出向くことがあったので、水道橋で降りて講道館に行き、こっそり申し込んでおいたら、当日早速に高木道場の松本先生のもとに経理から電話があったそうな。「高木道場の佐藤さんという方が47歳でお出になるそうですが大丈夫ですか」とのこと。年齢も名前も間違っているがそんなことをしでかすのは僕以外にはいないということで、こないだの稽古の折りに「こっそり出ようとしたでしょう?講道館のことは何でもわかっています」と声をかけられてしまった。月次試合は昇段審査を兼ねている。僕の場合、前回に昇段(初段をもらった)のが15のときだから、なんと30年前。ならば3人抜けば二段がいただけるとのことであった。

 それで、試合である。月次試合なるものはおろか講道館で試合すること、いや稽古することも初めてだ。夕方講道館を目指すと、なにやらいかにも柔道をやっていそうなでかい人たちがずらずらと水道橋から歩いていく。建物に入ると松本先生の巨躯が目に入ったので、挨拶。すると、「今日は松原さんにつきっきりでご指導しますから」と先生。なにしろこの方、120キロの体こそあれ、30歳をすぎてから白帯で入門、日々講道館で稽古を続けて月次試合にも毎回参加、50歳にてつい最近五段に昇段されたという講道館の「名物男」と称される方である。先だっては紅白試合の赤組の大将で勝ち、旗を館長からもらわれた。講道館と高木道場を愛する方であるから、僕が月次試合に出るというのでなんとしても応援しようと思われたようだ。なんとも心強い味方である。

 着替えに行くと、大学生がゴロゴロ。皆、100キロクラスである。空手だととぎすまされた感じなのだが、なんというか、ムッとするような空気。集団ごとに集まってひそひそ話している。僕も高校の頃はこんなだったかなあ。それにしても、兵庫の一弱体高であったから、試合というだけでむやみに興奮して、ちゃんと組みもしないで動き回り、空回りするといった試合ぶりであった。それにしたら歳の甲か、今日は落ち着いている。

 七回の大道場。なんと四面の試合場である。壁に対戦表が張り出されているので見ると、初めての者はこれまでの勝ち抜き得点の少ない者と一緒に最初に名が連ねられている。要はグリーンボーイである。僕の周辺は皆講道館で稽古している方ばかりらしく、「本館」などと所属名があった。

 というわけで、二百人はいただろう参加者が四面に分かれ、初段から四段までの試合開始。勝ち抜き戦である。私は三番目に名前があったから、早速第二試合、一人抜いた方との対戦となった。組んでみると、あまり組み手にうるさくない。また、怪力というわけでもない。それでちょっと様子を見てから、タイミングをはかり背負い。これが決まって、まず一本勝ち。ほとんどスタミナは使わずに終わった。さい先良いスタート。

 次に出てこられた方は、私よりだいぶ背が高く、体重もある。しかももの凄く力んでおられる。鼻息まで荒い。動かせばなんとかなると思ったが、あまりスタミナを使いたくないので、また背負いに行った。けれどもリーチがあるせいか、「有効」止まり。押さえ込もうとしたら、逃げられてしまった。また立って、今度は向こうが技をしかけてきたので絞めに入る。ところがこれが締め切れず、「立て」。ちょっと、やばくなってきた。そこでまた背負い。これが「技あり」。そのまま肩固めで合わせ技、一本。

 さすがに疲れてきた。三人目の方も私よりは大柄か?組んで、様子を見る。あまり見過ぎて両者、注意をもらう。そこで技をかけようとしたら、すべってこけてしまった。万事休す。押さえ込まれてしまった。だが全身の力を込めて、ひっくり返す。そのまま、上四方固め。これですべての力を出し切ろうと、必死で押さえた。ところが下に場外の線が見える。「場外に出るな!」と松本先生の声。やばい、と体をずらしたら、まずい!!固めが解けてしまった。スタミナはすでにゼロ。これでまだ立つのか?と絶望的になったら、試合終了のベル。なんと、押さえ込んだのが一本ぎりぎりの30秒だったらしい。これも一本勝ちだった。

 しかし四人目となるともうどうしようもない。立っているだけ。腕はしびれ、苦しい。そのうえ相手は奥襟を取ってくる。もうどうにでもなれ、と返し技のみを狙う。しかしここにいちばん嫌いな内股が来た。透かそうとしたが腕がきかない。そのままもっていかれてしまった。今度は一本負け。勝っても一本、負けても一本。どうです、講道館柔道らしいでしょ?

 ふらふらになって帰ると、松本先生が大にこにこで出迎えて下さった。三人抜きだったので、これで二段になれるとのことである。

 実はこの大会、東大柔道部の諸君も参加しておられた。前回に勝っているので、私よりずっとあとの出番である。二日前、駒場での練習に参加したときに相手をしてくれた古川選手、宮崎選手がそれぞれ二人抜き。岡本キャプテンは都内の中学生で負けなし、ひとり大学生を抜いた怪物君を手もなく投げて押さえ込み一本。それぞれが二段になった様子。でもまあ、大学の正式の運動部と同じ条件で試合に出る非体育専攻の教官というのは、あまりいないでしょうなあ。

 帰り、高木道場の大先生と若先生とともに松本先生の車で阿佐ヶ谷まで送っていただく。途中、祝勝会として桃太郎寿司で松本先生にご馳走になる。久々の美酒である。他人の試合をもり立てるのも良いが、やはり本体は自分の試合だなあ。そう感慨にふけった一夜であった。よかった、よかった。

(12月某日)

  前々回吉祥寺で会った旨書いた、キック・チャンピオンN君の試合があった。タイトルマッチだった。もちろんこう書いた上でさらに匿名にしても仕方がないので 、彼の名前を明かそう。全日本キックのミドル級および世界チャンピオン、SVG所属、新田明臣選手である。なんだか会った時の様子が思い詰めている様子だったので、いつかは 観戦したいと思っていた試合をいよいよ見に行くことにした。場所は後楽園ホールだ。

 前座から見ていくが、さほど層が厚い印象はない。ほんの数年前まで隆盛を誇ったこの団体は分裂を重ねたせいか、往年ほどの華やかさはないようだ。 とはいえ先日は小林聡選手がタイのライト級現役チャンプをKOするという、驚天動地の大仕事をやってのけた。これは今年のプロ格闘技界最大の話題だろう。なにしろタイの軽いクラスで外人が勝つというのは夢にも見ることのできない難事業だからだ。だが彼以外の試合となると、なかなか力量に差があるようだ。

 ところがタイトルマッチとなると俄然様子が変わった。相手の清水選手の試合はテレビで見たが、プレッシャーをかけながら次々に技を変え、しかも右ストレートが強烈というタイプ。ギンギンに勝利を信じている雰囲気での登場。 これは迫力がある。前回は今年春先に新田選手と対戦して判定負けしたものの、長期欠場に追い込み、しかもその間には何人かのレベルの高い選手を圧倒して勝ち続けている。今もっとも乗っている選手だ。

 花道ではなく、ホールの後ろの階段にいきなりスポットライトが当たり、ラテンのテーマ曲が流れる。これ、かっこ良い曲だ。新田選手のホームページに出てくるので、確認いただきたい。両手を叩きながら 新田選手が出てくると、会場全体が手拍子で包まれる。独特のスター性のあるキャラだ。すらりとした鋼のような肉体。それでいて妙に人なつこい。プロとしてかわいがられる要素をふんだんにもっている。

 君が代が流れ、いよいよゴング。と同時に清水が一気に距離をつめて乱打し始める。新田は構えてもいない間だ。そのままリングをぐるぐる回って追いかけ回す。新田はいやいやをするように背を向けてグローブで顔を隠す。そのままアッパー、フック、ストレートの雨霰。パンチで顔がのけぞっている。いきなりスタンディング・ダウンがコールされた。そのままあわや虫の息。なんとか組み付いて浴びせ倒すがその間にもパンチを顔に浴びる。大ピンチ!!

 なんとか一ラウンド持ちこたえた。あんなにグラグラで大丈夫だろうか。二ラウンドも清水がパンチで行くと、新田は組み付いてなんとか膝で応戦。パンチをもらいながらもサバ折りのようにして浴びせ倒す。なんとかこのラウンドは互角に過ごした。

 第三ラウンド。やっと新田にエンジンがかかってきた。左構えからの左ミドル。また左ミドル。これで清水が前に出られなくなった。止まると組み付き、膝から浴びせ倒し。「オーイ、オーイ」とタイ式のコールが観客から湧き上がる。というか、手を叩きつつそう叫んでいるのは私である。「いけ、膝だー、よっしゃー!!」観客総立ちである。ミドル、膝、倒す。ミドル、膝、倒す。明かに清水のスタミナが切れてきた。第四ラウンドも、この調子、一気に新田がポイントを取り返した。「オーイ!!」

 第五ラウンド。それでも清水は一か八かでパンチのラッシュ。これが顔面をとらえると新田はふらり。それでもふらふらしつつミドルを出すと清水は「く」の字に。ミドル、ミドル、ミドル。まんま、ムエタイ式のラッシュだ。「新田、行け−!!」観客の怒濤の声援である。そのままゴング。

 結局、ドロー。一ラウンドのダウンをミドルと浴びせ倒しで奪い返した形だ。僕は席からリング・サイドまで降りていった。新田選手は勝ち名乗りを受け、マイクを持つ。泣いているようだ。

「ありがとうございました!(涙声になりながら)言わないでおこうと思ったんですけど、今日は僕の妹の四十九日だったんで・・・。妹のためにがんばりました。妹のために戦いました。(妹の写真を持ち、天を仰いで)見ててくれたか?勝ったぞ!!」

 そうだったのか。前の試合で新田選手はきKO負けしているし、今回は勢いある相手。それだ僕も心配していたんだが、その上に妹さんに不幸があったとは・・。どうやら負けたら引退も覚悟していたらしい。それで吉祥寺でも見に来てくれ、と言ったのだろう。でも、来て本当に良かった。これだけの逆転劇、そう見られるものじゃない。会場が一体となって手拍子で後押しするなんて、こないだの北斗旗のようだ。ああ、頭の中を新田選手のテーマがぐるぐる回っている。どんな曲かって?まあ、聞いてみて下さい。

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