(7月某日)
 

 大道塾初の試みとして、ワンマッチ大会が六月三十日三時半より池袋スポーツセンター(旧アイススケート場)柔道場で行われた。行徳に新支部を構える加藤清尚支部長が関東各支部に声をかけたところ、三十名が参加。東塾長の見守る中、新人戦・関東大会出場以前のレベルの選手達の力試しの大会ということで、緊張とともに和気藹々とした雰囲気で試合が進められた。選手たちを指導する各支部長はセコンドとともに審判も兼任。セコンドの技術的な指導の声に励まされ、熱の籠もった試合が繰り広げられた。

試合時間は二分(ビジネスマンクラスは一分半)二ラウンド。判定延長ではなく、二ラウンド固定というのも初の試み。一般5級以下6試合、ビジネスマン1試合、一般4級以上8試合。黒帯はビジネスマンクラスのみで、フレッシュな闘いとなった。

 近年の関東大会や新人戦では、新人でも顔を合わせるのが毎回ベテランの強豪選手になるという傾向があった。これでは、同等の力を持つ相手と経験を積むために試合することがままならない。そのためにこれまでも東関東大会や八王子支部大会などが開かれてきた。今回はそれに加えてサポーター着用が許されるため、一層参加がしやすくなった。今後は、ワンマッチだけなら一般部に挑戦してみたいビジネスマンや女子部も含めて参加者の急増が予想される。次回は九月に開催される予定。
 

 

(7月某日)

 今年初めて試合をした。東京都接骨師会主催の柔道大会である。

 大道塾の大会となると自分にとっては本業であるし、出るならばそれなりの稽古を積みたい。しかしそれには相当の時間が必要で、なかなかそうもいかない。また、トーナメントだと勝っても棄権することになるから迷惑をかける。その点、ワンマッチは良いから次回からは自分も出場を考えたいが、とりあえずは試合勘を維持するためにも柔道の試合には出ることにしている。 こちらは週に二回の稽古をコンスタントに続けてきている。

 それにしても柔道というのは格闘技の中では抜群の層の厚さを誇っているのだということを実感させられた大会だった。たんに「整骨医師の協会の試合」というだけでは、そこらへんの区大会とか紅白試合とどう違うかと思われるだろう。 ところが、これが資金や運営組織をとってみても、他のアマチュア武道からすれば垂涎の的となる大会なのであった。

 そもそも試合会場からして講道館の大会場である。これは全柔道人あこがれの地であろう。小生は一昨年にもこの大会にエントリーしたものの、相手がおらず不戦勝になってしまった。それでも当日は会場をながめて「これが講道館か!」とひどく気後れしたものだ。 試合が行われたら、足がすくんだに違いない。それでも昨年に月並み試合に出場し、さらに形の講習と審査を何回も受講したので、今回は落ち着いていられた。

 柔道接骨師というと、職と柔道とが合体するための制度である。接骨師は保険の対象であるから保険対象外のマッサージとは差別化がなされており、特権を持ち、それだけ志望者が多い。接骨師を職とするためには柔道を学ぶことが必要条件であり、その予備校の対抗団体戦がメインの大会なのである。当然柔道では名だたる選手も将来を見据えて予備校に通っており、そうした選手が団体戦にエントリーしている。

 それにしても驚いたのが、予備校の中には全日本選手権の常連を選手として何人か抱えているチームがあったこと。優勝した両国柔整鍼灸専門学校など、大将が四月に武道館で見た大村昌弘、副将が有川光誠など の強豪揃い。本当に予備校の学生なのかしらん?こんな選手たちに混じって小生も試合するのである。

 プログラムはずいぶんたくさんで、午前中に少年柔道の道場対抗戦、都の中学校対抗戦。最近では東海大など、少年にも触手を伸ばしているようで、「松前塾」の選手たちは小学生というのに左に組んで頭をつけたりしている。試合慣れしているというか。でもこれで本当に将来立ち技の理合いをマスターして強くなるのかというと、疑問ではある。

 で、午後は四会場で別メニューが一斉にスタート。うち一つが柔整予備校の対抗戦で、これには八階に応援団がぎっしりつめかけて大変な応援合戦。これだけ盛り上がる柔道大会 は滅多にないそうだ。その横で女子個人トーナメントと男子個人トーナメント。我々のはワンマッチ戦で、初段から三段まで。その横の会場では四段から六段のワンマッチが開かれた。

 小生の柔道体験というのは、もともとが兵庫県の中学高校であるから、たかが知れている。その二回戦ボーイといったところであった。したがって優勝にからむ育英高校や報徳高校など、まったく雲の上。試合どころか稽古しても立っている暇もなく投げつけられる有様であった。クラブ活動としては熱心であったが、なにしろ素人がただあつまって一からもみあっているだけ。強くなるための手本も技術の伝統も稽古方法も何もなかった。あれで強くなれるはずがない。その雲の上の報徳にしてからが全国高校レベルでは一回戦敗退組。上の方に天理や国士舘、世田谷がいる。それらとなるともう雲どころか天の果ての水準である。想像もつかない。そうした猛者が大学に進み、練習にあけくれて、ほんの一部だけが全日本選手権に出る栄誉を受けるのである。そうしたレベルの選手と私が同じ 試合会場で打ち込みをし、試合をしているのだから、玉石混交とはまさにこれ。隣で打ち込みをしている人をみても、リラックスしながら左右にすいすいと投げ分けたりしている。凄すぎて何の技をかけているのかもよくわからん。

 これだけのレベルの差のある選手たちが、トップクラスは団体対抗戦と個人トーナメント戦に出場。残りが段位別の個人ワンマッチに出場するのである。私が出るのは、初段25試合をしょうかしたあとのさらに22試合目。いったいいつ試合が始まるものやら。何回か打ち込みをしては汗をかき、また試合場にもどって観戦した。

 それにしても今回は、調整がうまくいかなかった。というか、失敗というのではなく、仕事のスケジュールとの関係でどうしようもなかった。普通疲労のピークを試合一週間前にもってきて、マッサージに行く。そうすると具合が悪くなるので、完全に休養。二日ほどやすんでから軽く体を動かして試合に臨むというのが私のペース。ところが前の週に体調が悪くなり柔道の稽古ができなかったので、高木道場の稽古への復帰が火曜日。木曜日に東大で稽古、金曜にマッサージに行ったら、即日酷い状態になった。大学で授業をしている間にも朦朧となり、三時間喋り続けた後、原稿を一本書いてから帰宅したが、電車の中では通路に座り込んでしまった。目の前もぼやけてる。夜十時頃、ちょうど高円寺あたりを通過しているとき、高木道場門人の山口さんから稽古後の宴会にお誘いの電話をもらったが、それが何を意味しているのかすら分からない。「ヤマウチです−、カモンにいます」と留守電にはいっているように聞こえた。何か変な人のようだったのでリダイヤルもせず一目散に帰宅。さっさと寝てしまった。どうやらあれは「山口です、かみや(高円寺の居酒屋)にいます」というメッセージだったらしい。

 で、土曜になるとさらに事態は悪化。朝からだるいので寝ていると息子がプールにつれていけという。しょうがなく同伴。寒いし、ぴりぴりする。夕方からはちょっとした発熱状態に。ユンケルを飲んで、早めに就寝。タオルケットでぐるぐる巻きで寝た。

 朝になると熱は引いた様子。まあ、気合いが入っているせいかもしれん。食事後九時半までソファで横になり、いざ出陣。朝からオーバードライブとクレアチンとユンケルを飲んだら、調子が上がってきた。四割くらいまでは回復したか?それでもワンマッチなので十分だろう。

 プログラムには、詳細に対戦表が出ている。私はなにしろ年齢が年齢なもので、二段でも一番後ろから二番目。ところが私の組の前の組み合わせを見て驚いた。「荒井秀顕(新宿)」とあるではないか。これは、八十年代に大道塾の選手として活躍、タイからパーヤップを北斗旗に招聘し、裸にスーパーセーフという格好で試合させたことで物議をかもした際に相手をして勝ったあの選手である。荒井さんは後にプロボクシングに進出、ミドル級でタイトルマッチまで行った。深夜ではあったがテレビで黒人選手と対戦しているのを偶然見て興奮した記憶がある。

 さらに驚いたことに、荒井さんの対戦相手は乾克彦さん。こちらの方はときどき高木道場にもお見えになる。身長は160そこそこしかないが、私も稽古願って内股や左の背負いで投げられた。館長によれば「四段は十分にあるのに、本人がいらないという謙虚な人なんだ」とのこと。その乾さん、特筆すべきなのが、極真松井派の高段者であることだ。ということは、大道塾対極真が柔道で激突することになる。こんなことで喜んでいるのは、会場で私だけなのだが。

 道場関係では、浦川君が長身の相手に互角で戦ったものの、奥襟をがばっと取られて切らないでいたら大外で裏返しにされてしまった。一本負け。次いで宗君は不戦勝。五段の部で松本先生が押し倒してから余裕で横四方、腕がらみに移行すると相手の足が離れ、袈裟固め。そのまま一本勝ち。井沢先生は不戦勝。

 やっと二時半に自分の試合が始まる。荒井−乾戦は膠着状態で引き分け。面白かった。私の相手は左組み。これだと道場のTさんと同じなので、釣り手をがっちり取り、自分だけ引き手を取ると背負いで投げることができる。その通りの組み方になったので、投げたらごろんと一回転。一本取れたかと思ったが、技あり。勢いがあまりなかったかな。相手はまったく前に出てこないので、その勢いで投げられない。試合再開すると、今度は腕を突っぱって腰を引いてくる。どうしようもなくなってしまった。左の一本背負いにいったが、スッポ抜け。次いで右の背負いで投げたが、場外。有効はあったかな、と思ったのだが。松本先生から「中でやれー」と大声が飛ぶ。なるほど、試合場のことなど考えたことがなかった。それで引き込もうとしたのだが、相手はどんどん場外の方にひっぱっていく。まったく前には出ないつもりらしい。そのまま試合終了。三分間、体調不良でもなんとか凌げたので、満足した。

 その後三段の部では高田先生が場外際、体落としに何回か行くとみせかけ、そのまま小外掛け。どうっとばかりにひっくりかえして、見事一本勝ち。

 暑い暑い一日が、爽快に終わった。

 
(7月某日)

 月刊誌「論座」の巻頭コラムを担当しているが、それに長田賢一支部長復活について感想を書いた。ここに掲載しておきたい。

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 サッカーのワールドカップは事前の予想以上の盛り上がりとなった。世界の一流のゲームを半数であれ眼前で観戦することができたことの効果もあるだろうが、やはり日本チームの快進撃が不況にあえぐ世情に一種のカタルシスを与えたのだろう。外国人監督の下で年功に関係なく人選が行われ、チーム内に熾烈な競争が持ち込まれ、さらに外国リーグでのプレイも奨励されるといった熾烈な教育が、負担に相応する成果を上げたことも爽快だった。

 その日本代表選手の髪の色にかんして自民党の江藤隆美代議士が、「頭の茶色いのが日本人で、トサカをつけているものもいる」と発言したとされている。黒髪が日本人の伝統だから、茶髪や赤髪は見苦しいという趣旨らしい。ただしこれは、保守派の政治家だけが持つ意見ではない。朝日新聞に掲載された女子高校生の投書も、日本代表としてあの髪はやめてほしい旨を訴えている。批判はもっぱら「日本代表なのだから」という点に向けられている。個人として参加しているのではないから、国を象徴する髪型にしてほしいということなのだろう。

 文化が多様性と固有性を有すべきだという江藤代議士の主張は、一般論としては賛成できる。けれども日本が他国とは異なる文化を持つのは明らかとしても、それが一様であるべきかとなると疑問がある。今回のワールトカップ出場に至る日本サッカーの経緯からしても、それまでの学校体育から企業スポーツへという単線的な支持母体を脱したところに焦点があったからだ。

 今回の日本チームの活躍の背景として、Jリーグの発足に始まる長期的な選手育成方針があったとされている。それ以前の日本サッカー・リーグは企業スポーツとして運営されたが、ワールドカップのアジア地区予選を突破しうる実力ある代表チームを持つこともできず人気の点でも行き詰まっていた。そこでJリーグでは、サッカーを「企業主導型」スポーツから「地域密着型」スポーツへ組み替えるという構想が持たれた。

 これは、学校体育や企業スポーツ以外に社会を受け皿とするスポーツがありうるはずだという考え方である。それは、収入面だけの問題ではない。収益にかんしては、プロ野球にせよ大半が赤字経営、それ以外の企業アマチームにしても、ラグビーやアイスホッケーなどで廃部が相次いでおり、他方、サッカーでも人気あるチーム(浦和レッズなど)でも赤字はなお存在している。

 重要なのは、従来の学校体育・企業スポーツという路線では、人々に健康やスポーツ文化を提供するという意味でのスポーツ環境は悪化するばかりになっているという点だ。評論家の二宮清純氏が述べるように、(学校体育は)「全国から有名選手をたくさん集めてきて、レギュラーになれない選手はグラウンドを走らせているだけ」の貧しい代物に成り果てている。対照的にヨーロッパのクラブ制度では、住民が、たとえ下手の横好きであっても趣味として練習するのにプロが指導を与え、万人が試合を楽しめるようにする施設を持つことを特質としている。プロ・チームを支援する会員が、みずからも施設を使いスポーツを楽しんでいるのである。今回活躍した稲本潤一選手にしても、高校の部活には属さずJリーグのユースから育った人材である。

 スポーツの地域密着は、教育の複線化という観点においても注目されるべきだ。これについては興味深いエピソードがある(以下の経緯については日本テレビ系列の「ズームイン・スーパー」で放映された)。長田賢一という空手家がいる。八○年代後半に日本の格闘技(フルコンタクト空手)界では最強と謳われ、強烈無比の右ストレートを武器にKOの山を築いたが、なぜか八九年に二四歳の若さで引退を表明、以後はときにムエタイの強豪とリングで試合することがあっても、本格的には復帰しなかった。試合には関心を失ったとのことだった。その彼が今春、十三年ぶりに突然全日本大会(北斗旗空道選手権、於宮城スホーツセンター)に参戦したのである。

 長田氏はテレビのインタビューに答え、大略、こういったことを述べている。自分にとっての武道はたんなる勝ち負けではなく、試合に向けて努力する中で人生を磨くのが重要である。現在は道場を経営し、少年部百三十人を指導しているが、彼らに「努力せよ」と言う以上は自分ももがき苦しむ背中を彼らに見せなければならない、と。そしてテレビでは、子供達に「学校で苦しいことがあっても先生がついているからな、頑張れよ」、と訓辞する長田氏の姿が映し出されていた。

 このところ、子供の礼儀作法やしつけに手を焼いた親御さんの需要から、空手道場の少年部は活況を呈している。実際、学校教師の権威は下がるばかりなのとは対照的に、学外では空手指導者が尊敬を集めている。学校の一元的な教育からはみ出した子供たちにとって、地域で同じ目線に立ち身体を使って自分を励ましてくれる身近な先生が心の支えとなるだろう。長田氏は仙台でフリースクール運動にもかかわってきたが、その中で武道教育の効果を実感したのだという。自分の試合では優勝してもさほど楽しそうなそぶりも見せなかった彼だが、子供たちの大声援を受け充実した面もちで試合場に登っていた。サッカーにおいても同様の流れがあるのではないか。

 サッカー日本代表の表情を見ていると、皆一癖も二癖もある面構えをしている。こうした若者たちが一元化された進路から一定の確率ではみ出すのは想像に難くない。学校からも企業からもはみでがちなそうした若者たちを社会につなぎ止める役割が地域密着型スポーツには求められている。Jリーグ発足以降、鹿島スタジアム周辺では暴走族が減ったという話もある。学校から企業へというルート以外に社会を受け皿とするというJリーグの方針は、今後のスポーツ界に共有されるべきものであろう。