(12月某日)

 過去最長の中断期間となってしまった。11月、12月と連続して出版したからで、一息ついたら何も書きたくなくなってしまったのだ。

 けれども有り難いことに拙文に目を止めてくださる方もおられるもので、友人の会社社長、横山雅子女史が「松原さん、九月から更新してないねえ」と声をかけて下さった。そう言われると俄然再開しようという気が湧いてくる。

 この横山女史、日本のベンチャー界随一のキュートな女性である。ネットを駆使してマーケティングを行うという技法もさることながら、大阪乗りの話術(のくせして関西人ではない)とかつては「ふりむかないでー」とエメロンのコマーシャルにも登場したというルックス。今をときめく小説家の桐野夏生さんの『OUT』の主人公・雅子のモデルでもあり、あの小説を読むと口調が横山女史にそっくりなのに驚く。

 その横山さんの日記が会社のHPに掲載されているので、リンクさせていただこう。過去ログには私も登場するし、横山女史のご尊顔も掲載されている。期待して拝読するように。

 さてこの間のハイライトは、普通ならば北斗旗での藤松初優勝というところだが、まあ順当といえば順当。それより私としては、寺本正之がようやく準決勝まで進んで、藤松と延長まで互角以上に押していたのがうれしかった。こいつ、緑帯時代に私とスパーしたとき、私のマスクがずれたので隅に寄って直していたところ、わざわざ追いかけてきて下からアッパーをかました男である。その一発で上下の歯にはさまっていた下くちびるに下顎の歯が突き刺さり、口内一杯に血が噴き出した。みんなに取り押さえられて外科にかつぎこまれ、5針だか縫うはめになったのである。

 そのとき周囲にいたのは加藤・市原という面々だったが、この人々は一様ににこにこ顔で、当方の悲惨な状態に目を細めて「松原さん、これで僕らの仲間入りですねえ」だと。よく見ると彼らも下くちびるに歯が貫通した跡がある。よくあることらしいのだ。しかしそうは言っても腹が納まらない。外科から帰って道場に乗り込んで寺本ともう一戦やろうとすると、皆に羽交い締めにされ、家まで連れ帰られてしまった。

 だが腹の虫は家に帰ってもやはり納まらない。それどころか翌日のシンポジウムでは司会というのにくちびるから出血、固まって半分しか口が開かなかった。で、翌週。スパーでまたも寺本と当たったのである。当方としてはリベンジなのでパカパカと面を叩いたら、寺本が組み付いてきてもみあいになった。そのまま窓際にいったので力を抜いたら、なんとこいつは私の頭をヘッドロックの体勢で窓ガラスにぶつけようとする。危うく 難をのがれはしたが、一体何をするかわからん奴という印象は残った。

 昨晩全日本キックを見ていたら新田明臣選手が復帰戦を豪快なKOで飾っていたが、彼が大道塾で練習していたのも同じころだったと思う。私は極真ルールでしかスパーしたことがないが、長い足をうまくたたんできついローをけっていた。あのころはもっともスパーに張りがあった時代だ。十年ほども前のことだ。