(7月某日)ミチガミ・ワインの夜

 またまた日記書きが遅滞している。書きたいことは沢山あるのだが。

 昨年、道上伯という柔道家にかんする本を、週刊朝日で連載している書評コラムで紹介した。内容は、以下の通り。 

 

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眞神博『ヘーシンクを育てた男』文芸春秋

 格闘技がブーム、一般にはK−1とPRIDEの二大興業に関心が集まっている。昨今の人気はなんと言ってもボブ・サップ。アメリカで身体能力のもっとも高い人材が集まるNFLには、こういった怪物がゴロゴロいるのだろう。

 日本では、身体能力の高い層は相撲や野球、柔道に集中している。私が昨年もっとも注目したのは、柔道の吉田秀彦の総合格闘技参戦だった。最高の素材が集まり、オリンピックに向けつぶし合いの競争をする中で磨いた技は、寝技のオーソリティーであるホイス・グレイシーに通用するのか。昨夏の国立競技場では、手に汗を握って観戦した。

 結果は吉田の袖車締めによる一本勝ち。だがこの試合にかんして吉田以上に興味深い発言をした人物がいる。古賀稔彦である。試合直前にインタビューを受け、グレイシーの試合をビデオでも見たことがないという古賀は、負けたらどうするんだ、柔道代表なんて言うんじゃない、と吉田を非難する。ところがホイスの二年前の試合ビデオを見せられたとたん、相好が崩してこう言ったのだ。

 「楽勝じゃん。・・吉田が出る必要もないくらいかな、という感じ。ちょっとがっくりだね・・これなの?コレ見て喋るのと、世の評判でしゃべるのとは全然違うよね。」

 吉田の戦いは、格闘技界における柔道の強さを再認識させた。だがそれは、一目で格闘家の力量を見抜く古賀にすら、理解されていないことだったのだ。不思議な気もするが、その背景には講道館に根強い家元意識があり、日本柔道が他の格闘技と交流するのを嫌ってきたことがある。他流試合に限らない。国際柔道界においても同様で、海外勢力の動向には一貫して無頓着、政治的な外交は行わない。それは、日本選手の勝敗にも影響する。国際ルールは政治的に外国有利に作り変えられ、誤審も生じたことは、篠原の一戦が記憶に新しい。

 私はこれを奇妙に感じてきたが、眞神博の手になる感動的な伝記を読み、その謎ははらはらと解けていった。今や本家の日本の二・五倍の柔道人口を誇るフランスで五十年にわたり柔道を教えてきた道上伯なる人物が、すでに半世紀も前から同様の危惧を抱いていたというのだ。そして彼は国内で「国際ルールは本来の柔道ではない」と言い訳するだけでなく、海外に乗り込み直接身をもって「本来の柔道」を教えてきたのである。

 腕一本で名声を得ていく道上の逸話は痛快だ。最初に赴任した高知の高校では、初顔合わせで腕試しを申し出た巨漢を組むなり立ったまま締め落とした。パリでも当時のフランス最強十人衆を、五分半で片づけて見せた。八十歳を越えるまで講習会では技を実演して見せ、少年ファンにサインをねだられるほどの名声を博した。

 我々が通常思いこんでいる講道館柔道が実は巧妙な神話包まれていることが暴かれてゆくくだりは圧巻だ。講道館は創設者の嘉納治五郎が「柔道」の命名者ではあったが、戦前は武道の町道場のひとつにすぎなかった。他の諸流派とともに大日本武徳会に統括され、その教員養成学校である「武専」が強豪柔道家を輩出していた。田端昇太郎など、「空気投げ」を自称した三船久蔵と戦って子供扱いにし、「実力の武専、宣伝の講道館」と呼ばしめた。道上はその武専で学生にして五段を獲得した猛者だったのだ。

 ところが敗戦後、武徳会は占領軍によって解体される。一方、講道館はうまく立ち回って生き残り、なぜか代々、柔道のたしなみのない館長が世襲する。名誉段など段位を乱発し、その結果、国際柔道界で日本は発言力を失ってゆくのである。実力志向から国内に行き場を見失った道上は渡仏、オランダでヘーシンクにはインターバルやウェイトといった合理的トレーニングを世界に先駆けて施し、内向きの伝統芸と化していた日本柔道の黒船に鍛え上げた。

 生涯を賭け武道としての柔道を追求した道上が吉田の他流試合を見たならば、どう評しただろうか。

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 そうしたところ、同僚で心理学者のS教授から、教授会の最中に話しかけられた。「私の知人に道上さんのお嬢さんがおられて、先生とお話したいと言っておられるんだが、いかがですか」。というわけで、埼玉でホテル経営をしておられるそのお嬢さん、都内で輸入業を営んでおられる弟さんと、ホテル・オークラのバーでお会いしたのだった。

 私は遠くないうちに武道の海外進出について文章を書くつもりでいたので、院生の寺川君にテープをとってもらった。というか、寺川が付いてきたいというので、鞄持ちをさせた。さっそく、ホテル内の中華料理店に移動。その途中、通路で弟さんが「おー、元気かねえ」、と宝飾店内にいた人物に声をかけた。その人物はのっそりと上体をかがめるようにして、入り口から我々のいる通路に姿を現した。満面の笑み で何度もお辞儀する。万人の目を引きつける表情というのは、こういうのを言うのだろう。その人物は、背丈1m90cmといったところか。大きな上体に比して細い足。顎のしゃくれた大男だ。何か、弟さんには借りでもあるのだろうか。

 別れて我々は中華店内へ。弟さんは「ムッシュ・ミチガミ・ワイン」をやおら取り出され、ボーイにつぐように指示される。実は私はこのワインを飲んだことがある。場所は某社長宅、ベンチャー企業の交流会の席。K−1の石井館長が、「僕ね、来週 パクられるんですわー」と言いながら、なぜかもっていたミチガミ・ワインを私のグラスに注いでくれたのである。当然、生前の道上氏とは接触があったのであろう。彼の世界戦略の一 環というところか。

 それでご姉弟の話を伺う。これが、濃い、濃い。寺川は目を白黒させている。日本柔道界はまったく無礼で、葬式にほとんど誰も来なかったという話。弔電はジャック・シラクが筆頭だったという話。ヘーシンクも堕落したという話。これが機関銃掃射のように出てくる。

 四時間はうかがったか。用意したテープはすでに尽き、それでも話は続く。三日は話しても足りないそうだ。

 この件、いつか本にしようと思う。乞う、ご期待。

 

(7月某日)完敗記

本当は八月も半ばを過ぎたというのに、七月の日記を書いている。どうにも、時期を誤魔化すことができない内容だからだ。

今年も東京都の接骨医師会の柔道大会が講道館で開催された。私は毎年のように参加している。個人戦、二段の部。おおよそ、年齢の近い方と当ててくれることになっている。

それで、日曜の朝から出かけたのだが、初段のすべての組み合わせが終わってから、しかも一番最後(最高齢だから)まで待たねばならない。そうこうするうちに、三時になってしまった。

その間、団体戦を観戦。これは凄い。了徳寺学園という柔道整復の専門学校は、プロ柔道家と契約しているので斯界では有名だが、団体戦にその柔道家たちが出場している。なにしろ五人のうち、大村・有川など今年の全日本選手権に出ている者が三人いる。それ以外も、A級指定選手たちだ。それが、団体戦というので白帯と当たったりしているのだ。ただ、白帯が怪我しないことを祈るのみではないか。

実際の試合では、白帯氏は、木っ端のように回転して投げられていた。それでも巻き込みだから、見ていてはらはらした。プロの矜持もあることだし、選手としては勝ち方が問われると考えてのことだろう。それにしても、草野球選手が、プロ野球のオールスターと対戦するようなものではないか。デッドボールでもあったらどうなるというのだろうか。

なんて考えてるうちに自分の試合となったが、どうも対戦相手が見当たらない。棄権したみたい。まったく。

と気抜けしていたら、同じく棄権された残りが集められた。背丈順に並べという。それで相手を決めるというのだが、私は細身の人と組になった。にこやかに握手の手を差し出す。この辺りからすでに心理戦が始まっているのではある。

この相手、なんか余裕がある。不気味な感じ。試合を待つ間も、ずっと後ろの団体戦を眺めているのだ。で、呼ばれて試合開始。

組み合うと、凄い力だ。それでも押して、大内刈りから背負い。持ち手で潰される。ここで、中央に戻ると、相手が突然厳しく組み始めた。私の釣り手を絞り、引き下げて、十分にもたせてくれない(あとで寺川に聞いたところだと、こういうときには自分の右足をつかんで切るのだそうな)。組み手争いは、私が柔道を学んでいる趣旨に合わないから関心ないのだが、試合だからそうも言ってられない。だが、まったく動けなくなってしまった。

と、普通とは逆の左足に小内が来た。これでころんでしまう。そこに強い押さえ込み。あ、だめだ。こりゃあ強いわ。そのまま上四方で押さえ込まれて、一本負け。完敗だ。

終了後、相手と立ち話。まだ、二十七歳だという。

この試合あたりでそろそろ組み技にはひとつけじめをつけて、打撃に重点を置こうかと思っていたのだが。どうにも引っ込みがつかなくなってしまった。組み方についても勉強しなければならない。

というわけで、国士舘高校柔道部・岩渕監督のビデオを買った。これは良い。全日本チャンプの鈴木が高校生で出ていて、「いまのはダメな例」とか言われている。とくに背負いの組み方は参考になった。まったく、こういったことを知らずに試合しているのだから、しようがない。組み手争いだけの稽古も、高木道場でやってみよう。乱取りでではなく、道場の隅なら良いのではないかな。