(12月某日)

  大道無門の新しい号が好評だそうで、うれしい限りだ。私は一協力者にすぎず、実質的には本部の伊東さんがやっているのだが、アイデアを出すと修正されて通るのでやりがいがある。これだけ打てば響く人材というのは滅多にいない。
 で、次号ではいままで機関誌ということで触れることがなかった格闘技界全般の状況における大道塾という展望をなんとか対談の形で載せられないか、と提案したところ、私の案は「寮生Aと通い塾生Bの対話」だったのが、伊東案で「格闘技通信編集長vsゴング誌編集長」という画期的な内容に修正されることとなった。これは他誌ではとてもできない企画である。まさに大道無門だ。というか、治外法権というべきか。同時に強い支部の紹介や今も現役の古参の方のインタビューも続行するのでますます編集が楽しみになってきた。
 ところで、その古参の方の第一号として、北海道支部長の村上明先生にインタビューした。39歳にして、ウェイトはベンチ170キロ、スクワット240キロという驚異的な数字を維持しておられ、現役選手がスパーでひいひい言っているらしい。たまらんなあ。
 その村上先生曰く、「仕事で稽古できない分は、チューブ・トレーニングで補っています」。というわけで、さっそく私の一本購入した。カールできかせたり、パンチを打つフォームを作るのになかなかいい。なにより、アップがいらないのが魅力。中国拳法のタントウと合わせて、部屋でてきる運動が充実してきてうれしい。

 

(12月某日)−中国格闘旅日記(1)1990−

  最近は土曜日にゼミが入ったり、日中に家で食事会があったりしてなかなか二部には出ることができないが、土曜・三部に出た後までも二部のビジネスマンクラスの面々がまだ平和台の養老に陣取って飲んでいるので、遅くから合流している。今日は10ラウンドほどもスパーをこなした後駆けつけると十名ほどが居残っている。このサイトはもともと自分の書き物の読者への通信として開いているので自分の著書以外の場ではほとんど何の宣伝もしていないのだが、実は格闘技に感心をお持ちの方が何かの加減でたどり着いておられるらしく、とくにビジネスマンクラスのパソコン利用派の人たちも見てくれているという話を聞かされた。我がクラスにはパソコンのデザインや販売など仕事にしている人も多い。「それにしても先輩、格闘技が好きなんですねー」などとからかいとも感心しているともとれることを言われる。このページはあまり責任感もなく暇にまかせて書いているのだが、ならばもっと「濃い」思い出話なども書きたくなるではないか。
 このところ私が散打の研究部長などしていて、いったいどこからそんな話に接したのかとお思いの方もおられるやもしれぬ。話の発端をどんどんさかのぼると、もとはずいぶんと変なところにたどり着くのだ。
 話はずいぶん飛ぶようだが、日中国交回復後、中国から我が国に学術交流の要請があった。中国側が大学院生を全国から選抜し、計80名ほどを毎年日本に送り、二年で博士号を取らせて帰国させるというのだから、実質的には日本側のODAである。この事業ではまず中国国内で一年間の日本語研修が行われる。日本に来てから日本語を勉強するのでは時間の無駄だという理由からである。その一年の最後に仕上げとして大学教師が専門家として派遣されるのだが、理科系は東京工大の教授陣、そして文科系が東大駒場から二人ということで、私が最初にその赴任先、長春(旧満州の首都、当時は新京で、映画ラストエンペラーの舞台)にやられることになった。90年は6月のことである。
 この時、私は大道塾に入ったばかりでまだ白帯、せっかく覚えたことを忘れるのもしゃくなので、通販で中身なしのサンドバックを買い、北京経由で持っていった。で、授業を終えて学生に中身をどう詰めるか相談したところ、布団と砂をもってきてくれた。向こうでは「砂袋(サータイ)」と言うのだから当然ではある。まずし自転車に布団をのせて運んだ。後で学生が言っていたが、その時中国の大学側では、今度来た日本人の先生は校庭でも寝るという中国人っぽい人だと噂していたという。いや、違うのだ。私はサンドバッグをつるす樹を探していただけなのだ。
 そうこうするうちに世話になっていた東北師範大学(仙台の宮城教育大学の姉妹校)の体育館を見つけ、中を覗いたら、旧式のボイラーに石炭ほくべている人物が出てきた。この人が私とサンドバッグを見て、中でやれ、という。バスケットの先生らしく、学生チームが奥の真っ暗な倉庫のようなところで50キロほどのバーベルをかついてジャンピング・スクワットをしているのに指示している。さらに奥に鉄の扉があり、先生はそれを鍵で開けてくれた。中国ではこの鍵を所有していることが一つの権利であるようだった。こうして私のサンドバッグの落ち着き先が決まった。バスケの台はロングバッグをつるすのに最適な高さだった。
 だが困ったのは布団である。これをつめただけではばさばさで、まったく蹴りを跳ね返す力がないのだ。そこで砂も詰めてみた。これは当初、調子がよかった。パンパンといい音がして、脛にも負荷がかかった。ところがじきに再び困ることになる。きっと経験者はいると思うが、砂というのはどんどん下方に落ちてくるのだが、均等に分布するので下を埋め尽くす形になるので、まるで砂の固まりになってしまう。これすなわち、電柱のようなコンクリ状態ということなのだ。しかも脛が鍛えられるより先にサンドバッグが棒状になってしまったので、痛くてとても蹴れたものではない。体育館の先生に相談したところ、布きれを大量に集めてくれた。これを詰めるとちょうどいい。後になって気づいたが、実際、ほとんどのサンドバックには布が詰まっているのだ。
 こうして、来る日も来る日も湿っぽい体育館でサンドバッグを蹴り、移動稽古をし、ウェイトもここで覚えた。私の中国体験は、この体育館から始まったのだ。
 ところで、この年、長春にはまだほとんど娯楽施設もなかったので、私は自転車に乗って市中のほとんどの路地を巡り、入り口で犬などさばく朝鮮料理屋で食事をし、得体の知れない屋台で孵化寸前の鳥の卵などを肴に一杯やりながらいろいろ観察したのだが、私の結論としてはまあ長春というのは中国でも人工的な都会であって文化など熟していない地域だから、そこに日本がこれだけの都市を造ったというのは大したものだといえるかもしれない。それでも単調な都市計画には二日で飽きたというのが正直なところだった。一月後に大連に旅行したとき、食事のうまさに思わず落涙したほどである。福田和也氏が日本の満州統治にかんして、長春のメインストリートであるスターリン大街が16車線であるから立派なものだったと書いててるのを目にして驚いたことがある。私はあの通りをしばしばチャリで渡ったが、記憶ではせいぜい両側で8車線であった。ホントはどうなのだろう。この点は福田氏の日本史の議論の一本の柱なので、細かいようだが結構問題でもありそうに思うのだが。

 今日は極真協議会派全日本とK−1決勝とがあり、いくらパンチが強くても真正面からローを蹴るとパンチをもらうもんだ(バンナ)とか大道塾の土居さん(祈・復活!)がホーストのセコンドで踊っていたとかいろいろ感想があったが、それにこれ以上触れることもなくこんな自分の話題だけ書いているところが私の格闘観をよく示していると感じるな。

 

(12月某日)

 昨夏、長期にわたる飲酒のせいで胆石になり、しかも胆管に飛び出して詰まったので入院し、40日を過ごした。その時はγ−GTPの数値が1700という異常値に達していた。普通100を越えると医者に注意され、200で異変が起きるとされていて、1700は末期肝硬変の数値だというから尋常ではない。ただしそれは常日頃飲み続けている人が二日連続でドカ酒を飲むと起こすことのある症状というから、もちろん肝硬変ではないのだが。
 さてそのドカ酒は、今年もっとも活躍した女流小説家であられる川上弘美さんと読売読書委員会の後の飲み会で競って飲み、こちらが先に潰れるという失態を演じた際のものである。蛇やトカゲなど奇妙な動物が登場したり、芥川賞をとったら大仏が尋ねてきて「一期一会」と言って去っていったというような不思議な味の文章を書いておられる方(大美人でもある)だが、私にはかつて出会った女性では最強の酒豪という印象が強い。
 さて昨日はその読書委員会の忘年会。私と川上さん、ノンフィクション作家の野村進さん、先日PRIDEにご一緒した建築史家の井上章一さんが今年で任期終了ということで、二次会の後、さらに新宿のカラオケルームに行くことになった。久しぶりのドカ酒である。川上弘美さんの歌う「夜空ノムコウ」やユーミンはファンがうらやましがること請け合いの絶品だったが、面白かったのは野村さん。「たどりついたらいつも雨降り」のモップス・バージョンなどいかにも同年代と言った感じで感慨深かったが、それだけではない。逸話が傑作だったのだ。なんとこの方、ムエタイの王者にして国際式ボクシングでも世界チャンプを張ったセンサク・ムアンスリンの家に同居した時期があり、一時は地方巡業でセンサクとエキジビションのスパーして回った、というのである。70年代のキック、ボクシングのファンに強烈な印象を残したあのセンサク(とくにキックでは、当時の名王者・玉城良光の内蔵を破裂させた試合が著名)とスパーをやったライターなんぞ、そうはいるものではない。
 というわけで盛り上がり、気がついたら朝5時。その後は記憶がない。40分で10種をこなすやり方でウェイトをやってそのまま飲み会に行ったから、さすが回りが早かったな。

 

(12月某日)−中国格闘旅日記(2)1993−

 中国の話の続き。東大の社会科学者はどうも中国には馴染まないようで、93年になると一巡して誰も行きたいという人がいなくなり、再び私に行かないかという打診があった。私としては断る理由もなし、懐かしさもあって二つ返事で行くことにした。場所は長春、東北師範大学の招待所での真夏の二ケ月の生活である。
 ところでこの長春、中心を南北にスターリン大街という幹線道路が走っている。福田和也氏の石原完爾論、ないし日本論では、この道路のように都市計画の傑作とされる実験を行った戦前の日本は優れていて、その実績が戦後日本では逐次失われ、ついに現在では次なる満州事変でも冒さざるをえないほど枯渇するに至ったという。そしてそのすごさの証拠としてスターリン大街は16車線だとされている。しかし私は二度に渡り計5ヶ月は住んだし、最近も同じく長春に行った先生に確認したのだが、この道路、せいぜい8車線がいいところなのではないか。私はチャリで毎日渡っていたのだ。しかしそうなると福田氏の論は根底から崩れてしまうことになりましまいか。一体、どういうことになっちゃうのだろうか。
 閑話休題。さて、そんなこんなで再訪した長春は、三年を経てすっかり様変わり。自由化の波が一気に押し寄せ、一変してレストランなど林立するモダン都市となっていた。食事もかなり改善されて、日本人にとってもかなり住み良い街となっていたのだ。そこで再び張先生と再会し、私の自主トレin中国と相成ったのだ。我がBeginのサンドバッグは、三年間、誰にも使われた形跡もなく、放置してあった。
 それで日々サンドバッグを蹴る生活に戻ったのだが、ある日東北師範大学の隣りの吉林体育大学のキャンパスに迷い込んだ。ここには女子重量挙げの世界チャンピオンがいて、170キロをさすのだという。化け物みたいな人たちが行き交う学校だ。そこでとある木陰で一人シャドーに励む青年を見つけた。タッパは180強、ボクシングである。ところがシャドーが終わると、筋骨隆々たるレスラーにタックルさせ、これを殴る(ふり)の稽古を始めた。レスラーはパンチはまったく打てず、変な光景に見えたので、張先生を呼んでさっそく尋ねてみた。
 その対話の結果、彼は17歳、李君ということが判明。9月の北京での全中国運動大会に出場するための練習に励むものの、スパーリング・パートナーがいないのだという。中国では4年に一度のこの大会に向け、選手を募って強化合宿を張るが、予選に落ちたものは次々クビになるので、この時点では稽古相手がいなくなってしまったのだ。それでレスラー相手に木陰の稽古するしかなくなったというのだが・・・もちろんおっちょこちょいの私としては、スパーの相手を申しでることにした。これが惨劇の始まりとはつゆ知らなんだのであった。 

 李君はコーチと二人だけで練習しているという。しかしそのコーチ、週に二回スパーをすると頭が痛くなるので私にもスパーの相手をするようにという。それで「四分四ラウンド」のうち二ラウンドを週に二回ずつつきあうことにしたのだが・・・。いや、李君の凄いのなんの。手足の長さが違うのはともかく、かなり手加減してもらったにもかかわらず、四分間めった打ち。目から火が出るというのはまさにこれ。頭にきて、毎度いろいろ工夫したのだが。たとえばジャブに対する右クロス。しかしこれは左肩を上げて防御されてしまった。それではと、ジャブをこちらの左ジャブで相打ちにしてインサイドから右ストレート。これはうまくいったかと思ったのだが。その瞬間、彼は素早く察知して右手を左顎まで伸ばして防御したのだ・・・。万事窮す。そんなこんなで毎回やられまくり、10日目だったかにはついに初めてダウンを喫した。肩幅は狭く、サンドバッグにしても、突き破るようなストレートを打つ。こんな人材が早朝にランニングし、朝昼とトレーニングを反復する日々を少年時代から繰り返しているのである。宿舎も大学の中にあり、四人で一室。食事も保証されている。ステート・アマが強いのは当然だ。
 その李君、誘って食事をした折に聞くと、それまではコーチとともにロシア南部のチェルビンスクに半年ボクシング留学していたという。ここはアマチュアのメッカで、世界チャンピオンを輩出している場所だという。彼はそれまで少年だったのでそちらの部で国際大会にも出てきたが、なんと無敗だったという。要するに少年部の世界チャンプだったのだ。道理で歯が立つはずもない。トレーニングのアップにしても、後ろ向きにリングの周囲を走って回ったり、ソフトボールを投げてもらって拳で打ったりと、反射神経を養う様々なトレーニング方法をこなしていて、関心した。そういえば大道塾の長田賢一さんも、ロシアのボクサーのトレーニング法だとかで、ウェイトとしてはさかんにハイクリーンをやっていた時期があるという。アマ・ボクシングでは、こうした周辺トレーニングの開発が進んでいるのだろう。

 けれども私の帰国後行われた北京での全中国大会で、李君は惜しくも準決勝で敗れたと伝え聞いた。優勝すればコーチともども一軒の家が支給され、広島のアジア大会にやってこれるところだったのだが。しかしシニアの部に出たのはそれが初めてであった。今どうしているのかは知らないが、大変な逸材であることだけは確かであった。

 

(12月某日)

 『大道無門』次号の企画で、以前からやりたかった日本拳法特集が実現することになった。とりあえずは今年度北斗旗無差別入賞を果たした岡崎克史選手にインタビューする。私は残念ながら行けなかったが、高松猛・98年軽量級チャンプがインタビュアーになってくれたということで、これはインタビューというより願ってもない対談となった。このあと日本拳法の道場には伊東さんともどもお邪魔しようと思っている。私自身の日本拳法にかんする関心は、とりあえず企画案風に言うと次のようなものになる。とりあえずは出来上がってくる記事が凄く楽しみだ。
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<タイトル>『制空権の武道:日本拳法、その秘密を探る』

創設15年の大道塾そして北斗旗。その歴史はフルコンタクト空手から顔面攻撃へ、投げへ、さらにグローブへの対処を経てグラウンドへと技術を切り開くものであった。そして今、「着衣の打撃系総合格闘技」としてほぼその全容が明らかにしたかに見える。
 ところが大道塾選手がグラウンド技術の修得に励む一方で、気になる現象が現れた。日本拳法勢の快進撃である。93年(3位)、97年(7位)の辻井恭選手を筆頭として例年複数名がトーナメントを勝ち上がり、昨年の無差別大会ではついに参加5人全員が初戦突破という猛威を振るうに至った。しかもその組み手はパンチで打ち勝ち、前蹴りで蹴り倒すという打撃系総合そのものといえる内容で、大道塾勢がバッタバッタとなぎ倒される様は壮観ともいえるものであった。

 日本拳法とは何か?なぜパンチの制空権を圧倒的に握ることができるのか?あの前蹴りは何なのか? 
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<企画要点>

1.日本拳法から見た最近の北斗旗への感想、北斗旗攻略法、大道塾の技術をどう考える。

2.なぜパンチの制空権を圧倒的に握ることができるのか、どういう技術なのか。なぜガードが低いのに相手のパンチを受けないのか。ボクシングとはどう違うのか。

3.日本拳法内部で流派のような違いはあるのか。なぜ一律にパンチと前蹴りが強いのか。

4.回し蹴り、接近戦よりも前蹴り、遠い間合いからのパンチを重視することの根拠は。

5.パンチ力、距離感要請のための稽古法は。どのような基本稽古があるのか。稽古の段 取りは

6.日本拳法の格闘技観とは。現在の格闘技の流れをどう見るか。 

うーむ、これで長田・八巻対談に、北斗旗無差別特集、支部紹介(浦和・予定)、それに日本拳法か。おっと、塾長へのインタビュー「世界大会へのカウントダウン」もあるぞ。えらく濃い内容だなあ。

 

(12月某日)

 ビジネスマンクラスの稽古収め。今年はいろいろあったなーと感慨に耽りながら久しぶりに指導させて頂いた。いつものように、稽古生はあの本部道場に30名近く。ぎゅうぎゅう詰めである。最後なので、幕の内弁当風に多種やることにした。メニューは次のような塩梅。
1.基本
2.シャドー風の移動、タントウ
3.ミット、最後に飯村式息上げコンビネーション
4.投げ・打ち込み、乱取り
5.寝技・技研
6.面をつけ足を止めてのライト・ライトスパー
7.マス・スパー
8.クールダウンとして、シャドー風のマス・スパー
9.ヨガ式ストレッチ

 終了後、塾長に「世界大会へのカウントダウン」と題したインタビュー。その中で、選手強化委員会(仮称)と運営委員会(仮称)の発足が来年二月末になりそうだとのお考えを伺う。とくに後者は運営の実行が本部ビジネスマンになりそうだとのご下命があったので、これからは他流の試合を見るときも試合内容よりも運営の仕方に気をつけねぱならなくなりそうだ。
 養老に合流してつらつら考えるに、どうやら来年に向けての我々にはその他にも課題が山積みになっているようだ。
a.高齢者向けのメニューや型などを今後作っていく。サプリメントなどの知識も普及させる。
b.インターネット上で掲示板を作ること。誰が管理するのか?面倒そうだが、稽古上の情報交換や、aを作る上での意見交換にも、有用だと思う。極真のボード上で「剃髪−k」と名乗っている方、やってくれないかなあ。
c.二部の混雑解消。現在、土曜三部と木曜二部もビジネスマンの時間帯だが、一向に分散しない。どうしたもんだろうか。

 ところで、稽古後にI氏への二段位免状の授与式があり、そこで塾長にご挨拶をお願いしたところ、「23日の昇級審査直後にもかかわらず多数が出席していて驚いた。若い者に見習わせたい」とのお言葉を頂いた。有り難いことだ。
 さて昇段審査で圧勝したそのI氏、飲みながら入門動機を語っていたがこれが秀逸。十年近く前だったかにビートたけしの「ガンバルマン」に大道塾が出たおりのこと、当時茶帯だった横浜支部の女性Tさんがラッシャー板前をハイでKOしたシーンを見て入ったというのである。いくらビジネスマンとはいえこんな理由で入門する奴は珍しい。確かにTさん、組み手もかっこいいしエキゾチックな顔立ちの美人だけどね。 

 

(12月某日)

 ビジネスマンクラスでもインターネットをしょっちゅう見ている人が多いことを最近実感する。本職でパソコンに携わっている方も多いのだから当然ではあるが、大道塾一般となると突然本部道場のHPができてKO集が公開されたかと思うと告知すら一年以上滞っているという具合で、インターネットを重視しているのかいないのかよく分からない。それだけに、いくつかの支部が別途HPを作り始めているのは広報手伝いの小生としても心強く、なかでも倉敷支部の掲示板は順調に議論や伝言をしていて面白い。そこで私もROMするだけでなく本サイトでもリンクを張ることとし、その旨掲示板に書き込みさせていただいたところ、暖かい歓迎を受けた。インターネットは匿名が特徴とはいってもやはりどこかリアルな世界で繋がっていないとまともな対話ができるはずがないというのが持論なので、実証されたようでうれしい。しかもこの掲示板、実際に試合に出たり指導したりしている方が中心なので、見る眼が本物で貴重だ。
 支部のHPの中でも掲示板的に頻繁に更新しているのが浦和支部。ここは正確にはまだ同好会なのだろうか?それにしても、中量級では関東で優勝した飯島選手、本戦の決勝までも行った高田選手、それに無差別で入賞した能登谷選手まで擁しているのだからさぞや会員の層が厚いのかと思いきや、そもそも選手ばかりらしい。これは選手がほとんどいないのに会員が百名を越える支部とともに、不思議な現象だ。ともあれ渡辺慎二師範代の指導が頭抜けて優れていることは明らかである。さきほどHPを覗いたらこのサイトにリンクして下さっている。もちろんこちらからもリンクしておきましょう。
 さてその慎二師範代、実は小生がネット上で出会ったのはずいぶん以前になる。ニフティ・サーブで武道のフォーラムがあり、そこに「張り扇ポリマー」なる大道塾生らしい人がしばしば書き込みをしていた。そのポリマー氏、当時NHKでドラマ化された「ビジネスマン空手道」にご自分が審判役で登場されたと告白されたので、さっそくビデオを見直して慎二さんだと分かったのである。もちろんその旨、早速ご当人にメール差し上げた。驚いておられたが、きっと内心はヒマな奴だと思われたに違いない。
 それにしても、かつて軽量級の名選手として鳴らしながら、今年の体重別では長期のブランクを経て復活されたのは目を見張る思いがした。同じ道場でご自分より上位に入賞する可能性のある選手もいるだけに、なかなかできることではない。道場での指導が選手からよほど信頼されている証拠と見た。ご覧になっておられたら、これからもよろしくお願いいたします。

 というわけで、ネット上の大道塾生でどなたか分からない方に、あと一部で著名な「はみだし唐手」さんとニフティでかつて活躍された「老キック」さんがおられる。一体、誰なんでしょう?前者はひょっとして、倉敷の北窪支部長でしょうか?