(6月5日)

 仕事で所属する東京大学大学院総合文化研究科国際科学専攻という長ったらしい学科の「相関社会科学シンポジウム」にサブ・パネラー(コメンテーター)としてかり出される。毎年6月の第一土曜日にこのシンポジウムは行われているが、かつて当学科から西部邁・村上泰亮・公文俊平各氏が抗議辞職した「中沢新一事件」というのがあり、学科の社会的イメージの回復のために始められたものだが、最近はスタッフもほぼ入れ替わり、起源には関係なく学科の恒例行事となっている。シンポジウムの成果はこれも毎年単行本として公刊されている(新世社)。今年は昨年からの三回シリーズ「20世紀を考える」の第二回、「<身体>は何を語るのか?」で、出演者は評論家の多木浩二氏、オナニーの社会史をやってる社会学者の赤川学氏、本学で医療社会学を講じている市野川容孝氏。私と社会学者の佐藤俊樹氏がコメンテーターであった。

 三氏の講演はダンス・オナニー・脳死にからめて身体を各30分語るというもの。聴衆は400人は集まったか?なにしろ無料だからな。当方もノーギャラだが(本学以外のゲストには支払われた)。なぜ私がコメンテーターに指名されたかというと、きっと講演がクラい内容になるから格闘技の話をしてくれ、ということだった。というわけで、たった10分ながら、各氏の講演へのコメントを絡めて格闘技について喋った。

 私の述べたことは以下の通り。多木氏は、今世紀は身体がカタストロフを経験した世紀だったという。なるほど90年代以降の格闘技は、流派の壁が取り払われ、K−1にせよ総合格闘技にせよその意味では身体の技法にカタストロフが起きたかのように見える。けれども格闘技を日々体験していて思うのは、フルコンタクト格闘技において試合中は相手を壊すことしか考えていない「非日常性」に突入しても、試合後の「礼儀・作法」により握手するなどすれば我に返り、「日常性」を維持できるということだ。近年我々が真のカタストロフを経験しているとすれば、それは「非日常的」な格闘技が広がっていることではない。そうではなくて、礼儀・作法が崩れたために、非日常性を帯びた暴力が日常性の中に侵出しつつあることだ。二度の世界大戦にしても、前世紀までは外交の延長でしかなかったはずが、そうした儀礼・作法は銃後の市民まで巻き込む総力戦となることで解体されて、原爆投下でカタストロフに陥った。問題は礼儀・作法の復興の方法を模索することであろう・・・。このコメント、司会の社会学者・内田隆三氏には大いに受けていたのだが。

 

(6月某日)

 『Tarzan』誌の取材のため、荻窪支部で稽古後、撮影。道場の隅に撮影用の布を敷き、その上でいろいろと構えさせられる。事前の話ではスパーをしているところを撮るということだったので気楽だったのだが、これは一体どんな出来になるのやら。しかも稽古の直後だったので大汗をかいていた。

 撮影は話者の紹介用ということで、取材そのものは格闘技戦でどんなものが好きだったか、少しは心得のある者に尋ねるという企画。感動した試合ねえ・・。やはり市原のものを挙げざるをえない。当人はもう名前を出さないでくれ、というのだろうけれど。でも、ヤン・ロムルダー戦は格闘技史に残る凄い試合だったと思う。なにしろロムルダーは本国のオランダでは軽重量級では40戦とかこなして負けは2試合とかの強豪中の強豪である。それはものすごい攻撃だった。ふだんはスパーで稽古相手を半殺しにしている市原も、そのときばかりは3ラウンド当たりからは防戦一方となった。初めてのダウンも喫した。その彼が、最終ラウンドに突然のバックハンドからのラッシュでノックアウトしたのだ。絶対にあきらめない気持が、必ずなんとかしてくれるという期待感を見事なまでに満たしてくれて、客はエクスタシーとカタルシスの坩堝に放り込まれた。

 実はこの試合、私は市原を先導してリングに向かった(当日はビジネスマン・クラスが会場の下働きをしていて、私は選手係りだった)。ところが当人の希望により音楽もかけず、しかし通路途中で気持ちが高ぶったのだろう、市原は私を押しのけてリングに走っていった。ああいった気持ちの静寂と高揚のコントラストがあったればこそ、格闘技史上に残る衝撃の幕切れを演出できたのだと思う。なにしろ市原はもともとはバンタム級くらいの体格なのだ。それが「強くなりたい」の一心で増量したというのも市原らしい。普通は逆に減量するところだが。それにしても、ロムルダーは次にリングスでおかしげな無気力試合をやらかし、事前にほとんど知識もなく臨んだバーリトゥード戦では川口健次をKOしはしたものの、平には無惨に負けた。日本ではキックの実力が出ないまま終わった名選手ではあった。

 

(6月某日)

 現在、中国には、2008年に北京にオリンピックを誘致しようとする動きがある。その一環として、2008年に競技中国武術を正式種目にしようという試みがある。これは十年前から進められていて、統一ルールは「散打」と呼ばれる。中国内では三百人からのナショナル・チーム所属選手(ステート・アマ)が存在するという。私はすでに九三年にその道場を訪ね、大道塾にもエキジビションで一部の選手を来日させようとしたものの、直前になって高額のギャラを要求されて断念した経験がある。それが今度は中国側から6月26日の8ケ国対抗の国際マッチに選手を派遣してほしいとの要望があり、長谷川朋彦選手のセコンド兼トレーナー兼、大道塾散打班班長(?)として私も招待されることとなった。長谷川選手はこの二月というもの、加藤清尚さんの指導でみっちりと稽古をこなしてきている。今回は私が現地でのトレーナー兼セコンドでもあるので、何をしたら良いのかを加藤さんから伺うべく、日曜日の夜半というのに道場に出向いた。

 それにしてもまあ、詳細なこと。加藤さんの指示は、基本はムエタイのようだが、それを徹底的に絞り込んだもの。ストレッチングから前日の過ごし方、試合直前のアップの仕方まで、ノートして返ってA4で打ち込んだら二枚になった。これを持参して、いざ、中国へと旅立つのである。

 

(6月・中国旅日記1)

 中国へは、学者の私としては、「文化交流論」研究として行ってきた。しかして実態はトレーナー兼セコンドではあったのだが。とはいうもののこれは掛け値なしに、中国で現実に起きているミクロの国際関係を知る格好の旅であった。

 まず、出発前に旅程がまったく送られてこない。団長の木元泰司さんに何度も尋ねたところ、氏のところにもやってこないので私自身でやって欲しいと言われた。それで、北京の社会科学院で現在は日中政治経済関係を論じてはリーダーである金煕徳さんに電話して、現地の協会に尋ねてもらう。金さんは私の指導学生として博士号を取得した方で、今は出世して現実政治にもかかわっているという。留学中は奥さん、子供さんとも親しくしていた。やっと前日になって金さんの奥さんから日本語FAXがやってきたが、それを見ると帰国予定日27日の翌日に「100人大宴会」となっている。どういうことかしらん。それに奥さんによると(彼女は日本向けの旅行代理店に勤めている)、我々の宿泊予定ホテルは最低レベルのものだという。とりあえず空港に出向く人にはそそうのないようにと申しておきました、とのこと。で、北京空港で驚いた。「松原隆一郎先生ご一行様」と書かれたプラカードを女性が掲げていたのだ。我々の団体(夢枕獏さん、福昌堂社長以下一行、など13名)は名目・木元さん、実質が東孝先生の引率のはずなのだが。

 私としては、なにしろ加藤さんから重々言われてきたので、すっかり試合気分である。翌朝、「軽く調整」とのことだったので、ホテルの裏庭でさっそくシャドー、マススパー。長谷川選手、なかなか重いパンチと反応の早さで、好調そのもの。実は一週間前、最悪だったらしいのだが・・・。秘密特訓もやって、午後は「リラックス」。ということで、獏さんたちと精進料理を食べに「功徳林」に。というのも、長谷川選手がベジタリアンだからだ。中国の精進料理は奥が深いもので、魚そっくりなものが骨までが「湯葉」で出来ていたりする。私は満足だったが、長谷川選手は怪訝そう。というのも、彼の場合、肉食でなければいいというのではなく、そんな手間暇を食事にかけること自体が無駄という信念であるらしいからだ。食後、骨董屋街のルリチャンと天壇公園を散歩。園内は何キロもあり、結構疲れた。やはり中国である。その後、先日までヤオハンだったスーパーで果物を購入。長谷川選手はこれで調整するのだという。長谷川選手をホテルに送って、金さんたちと夕食に。今、北京で人気の四川料理店へつれていってもらった。選手と違い、何ともお気楽なことよ。

 

(6月・中国旅日記2)

 今回は中国武術協会の主催する散打の国際試合である。参加は8ケ国、計10試合が組まれている。出発は4時半とのこと、長谷川選手はそれまでをホテルで過ごすというので、私は誘われて、たまたま北京体育大学(といってもオリンピックの現役金メダリストが何人もいるという)アマ散打の全国大会を見学に行ってきた。

 昨日からトーナメントが進んでいたようで、試合は3つしか観戦できなかったが、大体の様子は分かった。ヘッドギア、大きなグローブ着用、裸足でランニングと黒のムエタイパンツという格好である。意外なのは、散打ルールは先入観としては「肘なしキックルール+投げ」だったのだが、むしろ「相撲+蹴り」というべきではないか、と感じたことである。というのも、パンチでダウンさせても1ポイントしか与えられないのに、50センチほどの高さの舞台から押し出すと2ポイント、もつれて上になって倒れただけでも1ポイントが加算されるからだ。相撲の張り手はKOでなければポイントにはならない。また、投げといっても裏返しにしようが手をちょっとついただけだろうがポイントとなる。とにかく相手を地面に触れさせることが重視されるのである。で、打撃はもっぱら低い構えから大きなグローブを振り回すフックが主体。これに対してなぜストレートを合わせないのかと思っていたが、ある選手がその戦法をとったところ、パカパカとパンチが入った。一説ではストレートは腰高ゆえにタックルを合わせられるからだというが、真偽のほどは明らかではない。ちなみに、K−1プロデューサーの石井和義氏が来られたのは前日のこの試合だったようだ。ナショナル・チームの監督と喋っていたところ、K−1用に別枠で数人をピックアップして練習させているという。彼によればK−1はパンチが「下手」(!)だそうだ。この感想が出る理由としては、彼自身がボクシングの全中国チャンピオンだったこともあるらしい。ローは脅威だといっていたので、それなりには分かってはいるようだが。私は一応、簡単にKOされてしまうでしょうと警告を発してはおいたのだが、通じたかどうか。これだけ違うルールでしかもレベルの高い試合に、よく選手を派遣する気になったものだと思う。

 

(6月・中国旅日記3)

 で、いよいよ試合である。長谷川選手は中国の朱忠貨選手、岡部武央選手はやはり中国選手との対戦である。金さんにクーラーボックスに氷を詰めてバケツとともに持ってきてもらった。会場について、長谷川選手はすぐストレッチ。足上げには肩を貸す。気がなかなか乗らないと前日までは言っていたが、さすがに見る見る気合いが立ちこめてくる。まず数試合を見ようと会場の片隅に出向いたが、台湾・対・アモイなど、ただのへたくそなムエタイといった風で、まったく参考にならない。第三試合になってやっと中国対タイだったので注目したが、試合開始と同時に中国選手がパンチを乱打し、10発かそこら殴ったところで突然ストップがかかる。たった一発、タイ人が肘を入れたのでざっくり額が切れたのである。無理に頭にハチマキして試合続行しようとしたが、骨まで見えていたらしく、中国選手はさっさと退場してしまった。今回は国際戦ということで、タイが強く肘有りを要求したので、例外として肘有りルールになったのだそうだ。しかしこれも参考にはならない。

 参考にすべき試合もないまま、長谷川選手はアップに入る。控え室前の廊下で、5分ほど私とマス・スパー。当てないとはいいながらも、パンチも蹴りもかなり重く、カウンターも反応が的確。いい仕上がりだ。次に用具を使った神経トレーニング。汗を拭いて、座らせ掌で全身にタイ・オイルを塗る。私はトレーナー役は初体験だったが、ツンとするオイルの臭いとともに、緊迫感が増してくる。同室のタイ人たちもずっと談笑していたのに、オイルを塗るや険しい表情になった。とくに蹴られると想定される箇所にはワセリンも混ぜて塗る。そのうえで筋肉をゆるめないように気をつけつつ軽くマッサージ。最後にワセリンを顔にも塗る。廊下でグローブをつけると相手もコーチとともに現れた。いよいよ決戦だ。

 試合は2分5ラウンド。相手はサウスポー。最初は見ることにしていたので、正面に立たないよう、ヒザでリズム取るよう、また経過時間を指示した。これらは事前の打ち合わせ通り。互いにカウンター待ちで攻撃しないので、注意を受ける。長谷川選手は何度か「入るぞ」というフェイントをかけたが、まったくひっかからない。相手も反応が良い。蹴りにいったところをパンチを一発軽くもらい会場が湧いたところで1ラウンドが終了。マウスピースをはずして深呼吸させていると、東塾長がやってきて、真剣な表情サイドへのステップ・アウトが浅い、もっと深くしてしてローを入れろ、と指示。長谷川選手も頷く。

 第2ラウンド、相手の前足からの横蹴りが二度決まる。一度はぐらつき、二度目は尻餅をついた。別にフルコン空手ならジャブ程度の小さな評価しか受けない技だが、どうやらそれぞれ1ポイント、2ポイントと取られたらしい。これでダウンと同じ。もちろんダメージはまったくない。バックハンドの指示を出すと、すぐに実行。これは深くは当たらなかったが、かすめた。どうやら間合いがキックより遠くて相手に制空権を握られているようだ。遠くから後ろ足で一二歩ズルズルと地面を蹴りながら横蹴りにくるのだが、こちらの胸にピンポイントで当てる技術は大したものだ。しかし組み合ってはこちらが優位に立った。投げられることはなく、もつれあっても上になった。しかしポイントはもらえなかったようだ。ここで笛が鳴る。

 東塾長は相手の左をさそって何でもいいから右パンチを合わせろと指示。これが当たった。一発はいいストレート。しかし相手の左ももらう。ここで長谷川選手の投げが決まる。ところがなぜかポイントをくれない(2秒以内に投げないと加点されないのだそうだ。道理で投げには大技が使われないはずだ)。右がまた当たる。これを軸にすれば後半戦で挽回できる、と感じたところで笛。ところがここで異変が起きた。レフェリーがポイントの集計を始めたのである。一瞬、何が起きたのか分からなかった。5ラウンドのはずじゃないか、とクレームをつけるとレフェリーはただ首を振る。なんだ、これは。両選手が中央に呼ばれ、中国選手の手が上がる。ポイントも紹介されない。

 変な話である。そもそもこの試合はオリンピックに向けての国際大会ではないか。それなのにラウンド数も適当とは。これなら最初からもっと攻勢に出ておけばよかった。長谷川選手に悪くてしようがない。日本人観客は先に3ラウンドを取られたから勝ちというやり方だろうと言う。しかしその集計方法についても聞いていない。さらに通訳を通して聞くと、どうやらTV用に3ラウンドにした、そのことは何試合目かに場内にはアナウンスした、と主張しているらしい。しかし我々は控え室にいたのだし、そんな中国語が分かるはずもない。何たることか。

 私は岡部のセコンドにもついた。彼とは彼が大道塾に所属したころから知り合いで何度もスパーしたことがある仲だ。1ラウンドは前蹴りの突き放しがよく、どうやらポイントで優勢に立ったらしい。投げにもよく対抗する。しかし第2ラウンド、相手のパンチを喰ってしまった。どうやらパンチがまったく見えていないようだ。そりゃそうだろう、試合前にもまったくスパーはやらず、ずっと座禅を組み、ヨガをやっていた。どうやらそもそも対人するのが何ヶ月かぶりらしい。それ自体が彼の格闘観なのである。しかしパンチはもらってしまう。ダウンしてラウント終了。そして第3ラウンド、ついにパンチ乱打で試合ストップ。KO負けである。第2ラウントには相手の焦りが見えていただけに、惜しい敗戦ではある。

 それにしても、ポイントの取り方はいまいちよく分からないし、なにより3ラウンド制への変更は奇怪ではある。私はこの点にこだわりが抜けない。皆はこの晩、街に繰り出したようだが、私はその気にはなれずすぐにフテ寝してしまった。だが長谷川・岡部両選手は気が合うようで、朝方までスナックのような店で格闘技と人生観について議論したそうだ。北京にはそうした店が沢山あるというのにも驚いたが、両者の純粋さにもまたびっくり。サポートする側としては、それが生きる舞台を用意せねばならないと思った。