『メタフィジカル・パンチ−形而上より愛をこめて−』池田晶子/新潮社/一五〇〇円
「帯に顔を出すなんてねえ」と、ある人が眉をひそめる。著者が美人であることを言っているのだ。しかし、筆一本で生活しておられる様子、使えるものを使って何が悪い。
著者が語るのは、「書く側と読む側に共有され、しかも、共有されているというそのことが自覚されていなければならない当のこと」である常識、さらに「私は今ここに生きている」という直観である。だがそんなもの、言葉にし印刷するやいなや、その言葉の背後に潜んでしまうだろう。言葉から漏れるものを書きとめて売文しようというのだ。世の求めに応じて何が悪いか。
思想家として巷間著名な吉本隆明も、竹田青嗣も、ダメなのだという。常識や直観をそのものにおいて語らず、さまざまな意匠をまとった定義を操作するにすぎないからだという。まるで、道場破りである。「様々なる意匠」を残した小林秀雄に代わって、形而上から一撃(おしおき)よ、ということだ。
とはいえ、著者はこの世の人である。不思議な呼吸をもった文体から、思考の息遣いが生々しく伝わってくるのだから。この文体で、哲学者にとっての他者であるビジネス誌編集者におしおきした文が、味わい深かった。
(月刊宝石) |
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