『アジア・ジレンマ』青木保(中央公論社)
キルギスでの日本人技師人質事件などに接すると、広いユーラシア大陸にはいまだ我々に縁遠い「アジア」が存在するのだと感じる。印パの核実験から、アジアに底知れぬ亀裂を感じ取った人も多かろう。けれども文化研究者として精力的にアジア諸国を歴訪する著者は、マスコミで政治事件や経済危機を通じて断片的に描かれるアジア像に異を唱える。
なるほどアジアには、冷戦後いち早く「共通の家」が構想されたヨーロッパとは違い、キリスト教やギリシア文明のような共有の伝統がない。近代国家たらんとしても、地域や民族・宗教の差異を抱え、言語の統一すらままならない。外資の力で一足飛びに発展しようとする戦略も、経済危機で頓挫したかに見える。まさしく「アジア・ジレンマ」だ。
けれども著者は、近年の共通性に注意を促す。経済発展の成果として登場した「都市中間層」である。彼らは国籍を越え似通ったライフスタイルをもつ。ダブダブの衣服にカメラを下げ、パック旅行を楽しむ。かつての日本人を見るようだが、しかし我々は、留学生にさえ悪印象を持たして帰すといった具合で、彼らとの文化交流を重視していない。
とはいえ「異文化理解」など、そもそも可能か。著者はここで人類学者としての観察から、我々アジア人はともに「四つの時間」を生きてきたのだと見る。土着の霊的な時間、中国やインドといった大国から流れる共通の時間、歴史的時間と近代化を急ぐ現代の時間の四つである。だが日本は、かつて土着の神道を「国有化」して、神を外に閉じたものとしたという。
経済援助してもアジア諸国から芳しい評価はなかなか得られないが、これは「現代の時間」の交流である。歴史認識問題は「歴史的時間」に属する。著者に従うなら、さらに別の時間軸での交流も図らねばならない。現に水天宮はヒンドゥー由来の神だとのことだから、この文化外交論は傾聴に値する。