夢枕獏『群狼の旗』幻冬社、解説/松原隆一郎

 現在、格闘技界は空前の活況を示している。信じられないほどだ。一九九〇年の時点で格闘技に関心を持っていた者のうちいったい誰が、トップ・アイドルが「アーツ大好き」なんて言い出すと想像したことだろう。佐竹雅明が正道会館の全日本大会で優勝し、ぎこちなく勝者の弁を語っていたことを、ほんの昨日のように思い出す。その佐竹が、天賦の才とはいえ当たり前のようにゴールデン・タイムのテレビで流暢にギャグを飛ばしているのだ。僕が『格闘技通信』という雑誌があってネ、と人前で言って、「それ、流行通信のパクリ?オタクは凄いねえ」と失笑をかったのはほんの最近のことなのに。
 変化の速度が速すぎる、ということではある。でも、それだけではない。九〇年代に入ってから日本の格闘技界に起きたことは、大袈裟でなく、どの世界でも滅多にないほど革命的なことだったのだ。たとえていえば、パソコンの世界でウィンドウズ95が出て来たほどのことだ。誰もがあと十年は続くと思っていたNECの98の独占状態はあっさり崩れ、マックも将来が危ぶまれるほどになっている、あれほどのことだったのだ。これほどあっという間に、何もかもが変わってしまうことは滅多にない。
 そして、現在。格闘技は、確かにファンをつかんだ。けれども格闘技というジャンルが、ここまで一般の、気が荒いわけでもない、家系が代々の格闘家でもない人々の心をつかむには、それなりの由来がある。いま、最前線のK−1で、ホースト対アンディが戦っている。その試合が実現するまでには、一見関係なさそうな無数の格闘家たちの夢が夢としてかない、また別の無数の人々の夢が無残に散ったという歴史があった。その経過について、格闘家たちがこの先どこにたどりつくのか分からぬ分岐点に立ちながら、どう戦ったのか、何を語ったのかを、彼らの実物大の人格と彼らへの想いを含めてリアルタイムで綴ったのが本書なのである。この九二年から九四年という時期がもっとも大きな分岐点であったことは、僕が獏さんと格闘技談義を始めたのがちょうどこの頃だったから、ありありと思い出すことができる。
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 本書の内容を下手糞に繰り返すようだけれども、ここでもう一度、九〇年前後の日本の格闘技界の情勢について整理しておこう。プロの世界では、前田日明率いる新UWFが活気づいていた。新日本プロレスから絶縁され、TV放送に乗らなくなった苦境を逆手にとって、コンサートの手法で乗り切ったのが驚きだった。今にしてみると、新UWFの成功は意外と重要なポイントだった。
 前田らはその後に分裂を繰り返し、後に前田が単独でリングスを旗揚げすることになる。こうした動きが他の格闘技との関係で重要だったのは、ひとつにはプロレスの枠を壊さないとはいえ、その中でどのようなルールがベストであるのかを初めて言葉にして探ろうとした点だ。「進化するプロレス」というコピーが作られ、興業形態や選手のブッキングについて様々な実験が行われもしたが、ルールの整備という問題がプロレス・ファンの前に差し出されたことの意味は大きかった。
 というのも、プロレスはルールなしに最強を争うかのように言いながら、実は奇妙な暗黙のルールに縛られているからだ。格闘技の違いというのは流派の相違ではなく要するにルールが異なることなのだという、アマチュアの世界ではあまりにも当たり前のことが、ストロング・スタイルとショーマン・スタイルといったよく考えれば何のことか分からない表現の相違でプロレスを区別しようとしていた観客に強引におしつけられたのである。これによって、「誰が一番強いのか」というそれまで漠然と使われてきた格闘技界最大の疑問に、解答の筋道が与えられることになった。つまり、@同じルールの中では誰が一番強いのか、そしてA様々なルールを比較した場合、どれがもっとも「強さ」をうまく表現できるのか、という二つの部分に分けなければならない、ということがはっきりしたのである。
 獏さんがこの本で扱っているのは、ちょうどこの問題が明らかになった時期だったといえる。@については、早くからこの課題に挑んでいたのが極真会館だった。オープン・トーナメントが行われたということだが、けれどもそのルールは顔面攻撃とつかみがなしという、あまりに特殊なものだった。ムエタイの選手に顔面攻撃・ヒジ打ち・組んでの膝蹴りを禁じたのでは、交流とは言いにくいところがある。しかし、極真は格闘技界にあって最大の団体でありその強さは誰もが認めていたから、他流派との交流はなくとも孤高の世界を保つことができていた。
 その極真に対抗するかのように、グローブ着用と顔面攻撃を導入することで、伝統派・フルコンタクト派の空手諸流派や、キック諸団体を交流させようという雰囲気が育っていった。もちろん交流が実現すれば、その場には看板を賭けるようなリスクが伴う。これには各団体とも、大いに揺れた。その過程で行われたのが、87年のルンピニー・スタジアムにおける長田賢一(大道塾)vsラクチャート(ムエタイ)戦、90年の佐竹雅明(正道会館)vsニールセン(キック)戦、西良典(慧舟会)vsロブ・カーマン(オランダ・キック)戦、そして92年から始まったトーナメント戦「トーワ杯」(第一回は佐竹の優勝)であり、その息詰まるような有り様が獏さんの手で本書に再現されている。
ところが、格闘技の交流については、もうひとつの流れが現れた。それを漠さんは「総合格闘技」と呼んでいる。これは日本拳法などの古い流派を除けば、最近では立ち技を主として投げ技と寝技を副次的に導入しようとしていた大道塾と、打・投・極のバランスを取ろうとしていた佐山聡のシューティングとに起源があり、個別に試行錯誤を重ねていた。リングスがルールを明示したせいで、寝技系のルールとしてはシューティングがかなり良い線を行っていたという判断が本書でもなされているが、それはこの時点でリングスやシューティングの試合を見ていた者にとっては、確信に近いものになっていたと思う。リングス・ルールも、後に船木優勝らのパンクラスがプロレスの枠を越えて格闘技との交流を深めていったために、定着していった。
 けれども、顔を掌底で殴るのか(リングス、パンクラス)、それとも拳で殴るのか(大道塾、シューティング)というのは、競技者にとっては結構大きな問題であり、これらの諸団体はそれ以上の交流には踏み込まなかった。ところが、ここに突如「黒船」が現れたのである。それが「何でもあり」ルールのアルティメット大会と、そこで連勝したホイス・グレーシーの属するグレーシー柔術であった。それは、なんとも衝撃的な登場だった。西新宿で獏さんが常宿としている某ホテルの一室に僕も含め格闘マスコミ関係者や格闘家たちがビデオを持ち込み、ブラジルで行われているというバーリ・トゥードの試合を見たときのことを、僕は今もありありと思い出す。
 顔を素手の拳で殴ることの残酷性に眼を奪われたために何が何だか分からなかった面もあるが、とにかく「馬乗り」(マウント)になって殴るシーンが強烈に印象に残った。そして気づいたのである。これはAについて、現状ではもっとも説得力あるルールのひとつなのだ、と。素手で顔を殴るなら、掌底も拳も区別する理由がなくなる。これで、「総合格闘技」とはバーリトゥードないしアルティメット大会に向かう流れなのだということが、はっきりと示されてしまったのだ。そのうえ、ブレイクをなしにすると、打撃のチャンスが一度しかないのに対して、寝技は延々と続くということも確認された。また、それまで日本で行われてきた「極」の技術(いわゆる関節の極めっこ)が、寝技でのパンチを認めることで大半が使えなくなることも予想された。これは大変なことだった。
 なにしろ、リングスやシューティング、大道塾の寝技の体系が根底から覆されることになるのだ。そしてその予感は、デンバーでの第二回アルティメット大会における市原海樹の敗北(ホイスは、後に来日して、市原が寝技ができるのには驚いた、しかしそれはバーリトゥードで使われるものとは異なるのだ、と語っている)や、シューティング選手たちのバーリトゥード・ルールでの連敗として現実のものとなった。
 けれども、これら@・Aだけがこの時期に起きたことではない。思い返せば新UWFは、もうひとつの影響を格闘技界に残した。いわゆるプロレス的(大相撲的といってよいかもしれない)興業形態以外のプロ化が可能だ、ということがそれである。その成果が、グローブ大会を化け物的に成長させたK−1グランプリだった。その猛威は広がる一方で、97年にはついに極真の過去最強外人といわれるフランシスコ・フィリョ、そしてオリンピック競技の可能性すら噂されたテコンドー世界チャンピオンのピア・ゲネットまでが参戦するに至っている。打撃系格闘技のプロ化は、4大ドームを巡るこの年のK−1で、頂点に達したかに見える。また、アルティメットや類似のバーリトゥード系大会には、アマレスの金メダリストまでが出場するようになっている。地味に見えたシューティングも、この方向に軌道修正するという難行を果たしたせいで、着実に発展しつつある。そして大道塾は、あえてアマチュアに止まる姿勢を見せている。
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 駆け足でこの本の背景となる90年代の日本の格闘技界の歩みを記してきた。けれども、こうした流れは、あくまで物事の経過の表面にすぎない。獏さんが本書で描こうとしたのはむしろ、そうした事実の羅列ではない。この作品は、格闘技各団体が存亡を賭ける試合に臨んで、選手個人が何を賭け、何を表現しようとしたのか、それを「文学的」に掬い取ろうとしたのだ、と僕には思える。「濃い時間」、「不思議な量、不思議な美学」、「夢のために滅びる権利」、「禁断の果実」といった名文句は、そこから生み出されたのだ。
 けれども、こうした表現は、誰にとって必要なものだったのだろうか。これは僕の想像なのだが、格闘家たちにはあまりピンとこなかったのではないか。だから、獏さんも何度が書いているように、格闘家の中には、この本のような形で描かれることに拒絶反応を示す者も出てきた。しかし、本書に登場するような格闘家たち、なかでも今後のK−1や日本で行われるバーリ・トゥードの大会には現れないような面々、格闘技界の好況の背後に退いてしまいそのうちにはファンの記憶からも遠のいてしまう者たちの姿、そのなんともいえない佇まいを、文章にとどめておきたいという欲望については、僕はよく分かる気がする。それは獏さんにとっても、ひとつの挑戦だったのだ。 
 今になって理解できることなのだが、本書を書いている時期、獏さんは百何十冊にものぼる著書のうちでも頂点に位置する入魂の傑作『神々の山嶺』(上下、集英社)を書き進めていたのである。本書の読者にはぜひ併読を薦めたい。これはとてつもなくすごい小説だ。究極の登山小説なのだが、そのストーリーを構想し文章技術を磨くのに、獏さんは二十年を要している。エベレストのキャンプので、都合五回も上り、危うく遭難しそうにもなった。そして、本書で開発され駆使された格闘家の心理描写が、そこには応用されているのである。獏さんは獏さんで、格闘技者たちと同様の進化を、この時期に遂げていたのだ。苦難の道を極めようとする点において同じ心境にある者として、獏さんは格闘技を見、この本を書き上げていったのだと思う。
 本書は、格闘家と小説家という個人で戦う男たちの心のバイブレーションを描いた、希有な記録である。