2003年度 経済T質問

◇U君(5/23)

今日の講義のことなのですが、効用云々の話になったあたりからさっぱり分からなくなってしまいました。

特に、なぜf’が出てくるのか(微分が出てくるのか)が全く分かりません。

毎年、この程度の話は皆理解しているものなのですか?・・・・

毎年の生徒の理解度、並びに、もし対処法などあればそれもお教えください。

 

(松原)

質問してくれてありがとう。こういった質問がないと、どれだけ理解してくれたか当方もよく分かりません。

さて効用うんぬんについてですが、あの部分をもう一度説明してみます。

前回述べたように、経済学では人間の行動にかんして観察し、そのうち重要だと思われる部分を抽象化して、仮説としています。

消費者については、いろいろな行動をとるものの、その中でも新古典派経済学では、「人間は、個人として何かの目的を持ち、その目的をもっともよく達成するために手段を選んでいる」「消費者はモノとしての商品を消費することで心理的に満足(効用)を得ている。消費者にとっての目的は満足を少しでも大きくすることであり、そのための手段として消費量を決めている」「効用は個々人が感じることで、他人の消費からは得られない」「ある人にとって商品Xの消費量xと効用Uとは数量的に関係があり、それは関数の形fで表現される」「お金の限界効用は一定で、効用Uはお金の限界効用を用いて金額に換算することができる」「消費者は、もっとも満足を高めるようにXの消費量を決めている」「商品を価格pで購入するとお金を使い、それゆえお金から得られる効用は減ってしまう」といったことが仮説として採用されています。これらは仮説ですから、現実に照らし合わせて間違っているなら修正しなければならないものです。

それらの仮説がかりに正しいとすれば、以上を関連付けることにより、その消費者にとってXをxだけ消費すれば

U(円が単位)=f(x)の効用が得られるが、同時にpxだけお金を支払って効用を失う。消費者はその差額を最大化している、ことになる。つまり、f(x)−pxを数学的に最大化するようなxを選んでいる。以下は教科書を参照して下さい。

さて、「この程度の話を理解しているか」というのは・・・正直言って、よく分かりません。このような質問がでることがあまりありませんから。けれども上のように書き出してみると、意外と多くの仮説がf’以前にあることに気づきます。U君の疑問が上の回答で解けたとしたなら、U君はそうしたいくつかの仮説が暗に前提されていると気づいていたことになります。

たとえば、上の仮説群では、結局のところ「より多く、より安く」消費するのを素晴らしいと考えるような消費者を想定しています。そうした消費者の行動は、数学で表現できるでしょう。けれども「より多く、より安く」を価値観として持っている人は、日本人でも現在では平均的とは言えないのではないでしょうか。安売りは日本では幾度も試みられましたが一過性の現象に終わっています。対照的に、値段はさして安くないのに「品揃え」の良いコンビニエンスストアが定着したりしています。ですから、上のf’うんぬんは、特殊な性格を持つ消費者がかりに体制にもっとも効率的占めているとした場合の分析だと考えておいて下さい。

 

◇F君(5/25)

先週の授業で、「お金は飽きられにくい、限界効用逓減の法則が当てはまりにくいからお金をものさしに効用を計るということを経済学ではします。」

という内容の話があったと思いますが、資産家と貧乏人とでは同じ100円に対しても感じる価値が違うということがあり、限界効用は逓減していることにはならないのでしょうか?

 

(松原)

これも暗に前提されていることを問う質問です。

「お金は飽きられにくい」というのは、私もお話ししたように、ある人Aは特定の商品Xを消費し続けると飽きるが、お金の場合はお金そのものを消費するのでなく別の商品に交換してから消費するため、まずはXの一単位を購入・消費しても、次に同じXの二単位目を消費するのでなく、別の商品Yの一単位目、さらに別の商品Zの一単位目を選ぶために、限界効用逓減が生じずいつまでも飽きない、という仮定を指しています。

そこで「資産家と貧乏人とでは同じ100円に対して感じる価値が違う」という点ですが、まず現在の新古典派経済学では、「感じる満足を他人と比較することはできない」と仮定しています(方法論的個人主義)。したがって、そもそも資産家と貧乏人を比較することはできないことになっています。

そこで次に、同じ人が貧乏人から金持ちになった場合はどうか、が問題になります。

けれどもその場合も、いくら多くのお金を持っていても、買う商品を次々に変えていくなら、やはりお金持ちになってもお金にいつまでも飽きないことになります。ここでは、「最初の一単位を消費する限り、新鮮で満足感を得るような商品がいくらでもある」ことが前提されているのだと思います。新製品に興味津々でいつまでも関心が尽きないといった消費者像ですね。この場合は、「お金に飽きる」ということではなく、「未知の商品を消費すること」にいつまでもワクワクできるような消費者を想定しているわけです。

けれどもこの仮定に関しても、現実には、「欲しい商品がない」と答える人が1980年代のなかば頃から急激に増えています。したがって現実妥当性という点では少々疑問がありますね。

それと効用は個人間で比較できないという仮定ですが、新古典派が成立した初期の19世紀末から20世紀初頭には、比較可能という仮定の方が採られていました。したがってご質問の通り、資産家と貧乏人では100円に対して感じる価値が違う、とみなされていました。そこで資産家の100円を貧乏人に与えれば社会全体での効用は増える、と考えられました。それが所得を税金で金持ちから貧しい家庭に移転する根拠の一つとなっていたのです。