| 『満足の文化』J.K.ガルブレイス著/中村達也訳/新潮社/評者;松原隆一郎
本書は、84歳になる現在もアメリカン・リベラルの立場から依然として活発に執筆活動を続けているガルブレイスの新著(The Culture of Contentment,1992)の翻訳である。本書でもいつものごとく、過去の膨大な著作群の成果を踏まえて、さらに新たな展開が試みられている。 ガルブレイスは、52年の『アメリカの資本主義』では大企業の独占力による搾取に対抗して労働組合や消費者団体がもつようになった交渉力、すなわち「拮抗力counterveiling power」を擁護し、58年の『豊かな社会』では消費者の合理的な選択能力に疑義を呈する「依存効果Dependence Effect」の概念を提起して企業が宣伝などを通じて消費欲望を作り出し資源を無駄使いさせていることを指摘し、67年の『新しい産業国家』では現代の大企業が所有と経営の分離の現象のもと資本家によってではなく経営者の支配を受け、さらに経営者は個人ではなくマネジメント・弁護士・広報・ロビイストなどの専門家集団(「テクノストラクチャーtechnostructure」)となっていると論じ、さらに 年の『権力の解剖』では国家(政府)は投票確保を交換条件に情報操作によって権力を行使している(「条件づけ権力conditioned power」)、と指摘した。要するに、自由放任された現代の資本主義経済は決して主流派経済学がいうように消費者国民の経済厚生を最大化してはおらず、なんらかの権力によって支配され歪められている、それゆえ資源を社会資本の形成へと適正にふりむけることが必要だ、というのである。 ベトナム戦争の泥沼にはまったアメリカ経済が復活策として80年代に打ち出したのは、著者の意に反して市場活力に期待をかける自由放任策であった。ところが規制緩和(金融自由化)と税制改革(減税)は逆に財政と貿易の赤字をもたらし、国内産業を疲弊させてしまった。顕著なのは貧富の差の拡大と、とくに貧困層が必須とする医療・教育など公共サービスの劣化、およびそれがもたらす都市周辺の貧困層住宅地域の荒廃と犯罪の激化である。 ガルブレイスは、こうした現状を私利ゆえに良しとし、長期的な改善策の負担を拒絶する「満足の文化」が現在のアメリカを支配してしまった、と言う。全世界的な懸案である温暖化問題への取り組みに先進国ではひとりアメリカだけが難色を示しているのは象徴的だ。「満ち足りた人々」は税負担の軽減を望み、下層階級向けの公共サービスを無用のものとみなし、赤字財政ゆえに政府の資金繰り政策の結果もたらされた高金利を格好のバブルな金儲けの手段として支持した。そうした支持は投票によって表現された。レーガンやブッシュはこうした世論の大勢をすなおに政策に反映させただけであって、大金持ちの一部特権階級に従がったわけではない。不平等の拡大と都市の荒廃は民主主義の未熟からもたらされたのではなく、かつて少数であったテクノストラクチュアから上・中層階級へと人数を増やした「満ち足りた人々」の意志が選択したものであった。 技術不要の肉体労働に従事し、「機能上不可欠」となっている都市貧困層(いわゆる3K仕事の従事者)は、黒人やヒスパニックなど、移民の少数民族によって構成されている。彼らが貧困にも不満を唱えないのは、あきらめや権利のなさゆえに投票できないでいるからだけでなく、出身地の悲惨さに比べればマシだと納得しているからでもある。だがアメリカ経済全体の成長が止まり、これ以上の地位の向上が望めないとなれば、今後の動向は分からない。 公的資金の配分をつかさどる立法府議員に再選の禁止を課し、「社会的バランス」の回復を求めて議会にたえず新しい血を送りこもう(『新しい産業国家』)とか、対抗権力の組織化を目指そう(『権力の解剖』)とかいうようなかつてのような希望ある処方箋は、今回は書かれていない。「いつかは何らかの衝撃的事件が起きるであろう」と記す最終章は、「レクイエム(鎮魂曲)」と名づけられている。 評者としては、とくにアメリカを対象としておりカナダ・イギリスにも当てはまるであろうという著者の断りに従う限りで、細かい論点を除けば本書の議論に共感するし、「満ち足りた人々」に増税することで都市貧困層のための公共資本を充実させることにもこれまでの経緯からいって賛成である。ただし、所得は結果的に平等でなければならない、という平等主義ゆえにそう考えるのではない。アメリカのように貧困ライン以下の住民が12.8%に達し、さらに所得格差も拡大したならば、貧困者がリスクを賭けてでも犯罪で金品を奪うのが合理的(犯罪で得られる収入の期待値が十分に大きくなる)になってしまうから、治安維持のためには上・中層階級にとっても所得格差の縮小は必要と思えるからだ。しかも、企業はそうした治安の悪い土地に投資するのには二の足を踏むだろう。 だが、そもそもアメリカがこうした状態に陥った原因は、自由に移民を迎え入れ、国内で人件費を安く上げようとしたことがある。著者はこの点に触れていない。かつての帝国主義論は、国内の労働者階級からの搾取率が低下した先進国は発展途上国を植民地とし、労働者を低賃金で働かせるとしていたが、その連想でいえばアメリカの移民政策は国内にたえず植民地を作り出すものだったともいえるだろう。そして著者のいうように移民の流入を放置したままで都市の不法滞在者をも対象とした公共サービスを充実させるならば、母国の生活環境がもっと劣悪である人々の流入速度がさらに増してしまうかもしれない。それを堰止めるには、ある程度の労働鎖国が必要となろう。新規就労者が不足するならば、労働市場での最低賃金も騰貴し所得格差が縮小する方向に向かうと思われる。 この点からいえば、数年前の好景気の時期に外人労働者の入国を自由化させるべきだとした論者は、日本経済のアメリカ化を目指していたことになるのではないか。 |