『満足の文化』J.K.ガルブレイス/中村達也著/新潮社

 ガルブレイスは1958年に著した『ゆたかな社会』において、現代の消費社会の豊かさの本質は企業が宣伝や販売技術によって消費欲望を操作し演出している無駄遣いであり、資源は政策的に社会資本の充実にふりむけなければならない、と説いた。自由放任された市場のもたらす豊かさは表面上のものにすぎず、徴税によって公共サービスを提供する財政政策が重要だ、とみなしたのである。

 当時のアメリカ経済は絶頂期にあったが、ベトナム戦争にのめりこんだ60年代から不調に陥った。起死回生の復活策として80年代に打ち出されたのは、著者の意に反して市場活力に期待をかける自由放任策だった。ところが規制緩和(金融自由化)と税制改革(減税)は逆に財政および貿易の赤字をもたらし、国内産業を疲弊させてしまった。顕著なのは貧富の差の拡大と、とくに貧困層が必須とする医療・教育など公共サービスの劣化、およびそれがもたらす都市周辺の貧困層住宅地域の荒廃と犯罪の激化である。

 本書は、こうした現状を私利ゆえに良しとし、長期的な改善策の負担を拒絶する「満足の文化」が現在のアメリカを支配していると指摘している。全世界的な懸案である温暖化問題への取り組みに先進国ではひとりアメリカだけが難色を示しているのは象徴的だ。 「満足」しているのは、人口に占める割合として多数になった中流階級である。彼らは税負担の軽減を望み、軍事以外には直接に利益を享受しえない下層階級向けの公共サービスを無用のものとみなし、赤字財政ゆえに政府の資金繰り政策の結果もたらされた高金利を格好のバブルな金儲けの手段として支持した。そうした支持は投票によって表現された。レーガンやブッシュはこうした世論の大勢をすなおに政策に反映させただけであって、大金持ちの一部特権階級に従がったわけではない。つまり不平等と荒廃は民主主義の未熟からもたらされたのではなく、満足した国民大多数の意志が選択したものだったのだ。

 技術不要の肉体労働に従事し、中流を相対的に豊かな階級にするために「機能上不可欠」になっている下層階級は、黒人やヒスパニックなど、移民の少数民族によって構成されている。彼らが貧困にも不満を唱えないのは、あきらめや権利のなさゆえに投票できないでいるからだけでなく、出身地の悲惨さに比べればマシだと納得しているからでもある。だがアメリカ経済全体の成長が止まり、これ以上の地位の向上が望めないとなれば、今後の動向は分からない。不穏な気配も見えている。

 著者は比較を避けているが、日本の場合はどうだろう。アメリカよりは遥かに平等だし、社会資本は不十分だが大企業に属している者には高水準の企業内福祉が与えられる。消費税導入は抵抗を呼んだがなんとか実現された。とすれば残る課題は大企業に属さぬ人々の福利の確保だが、好況時にもさほど賃金が上昇しなかったのは外国人労働者が不法就労したためだ。著者の議論は不況時の所得や福祉を責任をもって保障できないほどの労働移民は認めるべきでないとも読めるが、どうだろうか。