技術のベースとして、かつて無名だった特定の人脈が開発した技を使うことが不可欠だからだ。今から百年も前、講道館柔道がブラジルに渡り、木村政彦と対戦経験のあるエリオ・グレーシー家を中心に寝技中心で精緻化を重ねた「グレーシー柔術」である。
ところが最近のこの種の大会に一族最強のヒクソンは登場していない。彼には、格闘技経験の薄いプロレスラーとばかり対戦しているため、実力を疑う声が強い。九三年にアメリカでバーリ・トゥード大会が初めて開催されて以来栄誉を独占してきた一族が、ホイスの対桜庭戦での完敗を経て、いよいよ追いつめられた観がある。
『すべては敬愛するエリオのために−グレイシー一族の真実−』(近藤隆夫著・MYCOM)は、この十年間密着取材した成果から、彼らがなぜ誇り高くも孤立するのかを、人物像に焦点を当て解き明かしている。私はデンバーの大会で友人である選手の入場に同行したため一家で肩に手をやり数珠繋ぎになる「グレイシー・トレイン」を間近で見、異様な家族意識に驚いたが、その背後には、ブラジル柔道界との対抗意識、裸一貫でアメリカに進出した意地、なによりも父・エリオへの敬愛などがあることが分かった。愛息を喪ったヒクソンのたたずまいも、武道家として実に美しく描かれている。
願わくば、ヒクソンの最終戦が対小川になるならば、道着着用にしてほしい。両者とも、道着あってこそ世界一のファイターなのだから。