『交易する人間』今村仁司著/松原隆一郎・評
「交易する人間(ホモ・コムニカンス)」というのは著者の造語で、「交易」とは人が他の人や自然との間で結ぶ関係や交流の総称をいう。狭義の交易が示唆するような貿易や交換といった経済の次元を遙かに越え、政治・儀式・宗教・労働などにわたる人間の核心の重層性を言い表す言葉である。
著者はモースを始めとする文化人類学の著作の精緻かつ大胆な読解を経て、「交易」は人間の普遍的かつ原初的な本性であり、具体的には「贈与」として現れると言う。そして本来は「譲渡不能なものが一時的に貸し出される」贈与が社会体制から一掃されたのちに資本主義経済が登場したとし、その破壊性を浮き彫りにする。資本主義の危機を「人間とは何か」という根本問題にまで遡り、解明しようとする社会哲学者の野心作である。
近代社会では、自己責任のもと自己決定により売買するのが基本的ルールとなっている。けれども臓器も性交もパンや衣類と同様に当事者の合意で売って良いかといわれると、返答に窮するだろう。その理由として、パンや衣類は自分の意志で作れるが、身体は自分の意志で生み出したのではないことがあると思う。そう考えると、近代以前の社会の大半が神への供犠(純粋な贈与)を行うのは身体を授かった見返りとしてだった、という説明にも納得がいく。商品が当事者の合意により当然のように売買される資本主義経済が、身体を用いた労働サービスも商品化する点で危うくなるという本書の主張にも共感する。贈与品は一時的占有のみ許されいつかは取り返されるのだ、という指摘も、資源をレンタルとみなそうという最近の議論に通じる。
ただし、贈与的世界が崩壊した「後に」資本主義が登場した、というのは本当だろうか。労働の人格性は労働基準法により、土地のかけがえなさは都市計画や景観関連の法により守られるはずであろう。会社主義や景観荒廃の横行する日本に限ればその通りだ、と思うが。資本主義を生きるしかない会社人間に、「交易」の重要性を今一度知らせてくれる貴重な作品である。