井上章一『夢と魅惑の全体主義』文春文庫

 「全体主義政権下の建築物は醜怪である」、という先入観がある。ヒトラーが建てたニュルンベルグのナチス党大会会場は300メートルの幅とハーケンクロイツを頂く祭壇を有し、スターリンが最終的に建設続行を断念したソビエト・パレス(共産圏の世界機構)は高さ450メートルで、うち80メートルが屋上のレーニン像を計画していた。筆者も、旧満州の首都・新京(現・長春)の関東軍(現・共産党)司令部を見て、ビルに天守閣を乗せた奇妙な形状に驚いた記憶がある。

 建築物には精神を空間化する作用があるから、ファシズムがその醜怪な精神を露出したのだ、と思えて不思議はない。ところが本書は、たんねんに資料に当たりつつ、この先入観を粉砕してみせる。

 そもそもファシズム建築には、魅力的なものが少なくない。著者はイタリア・ファシスト党員であったテラーニの建築の美を称える。逆にビルに屋根瓦を乗せる悪趣味は、満州などに見られるとしても「日本ファシズム」が命じたものではない。外国人へのウケ狙いで1920年代に日本人施主に流行ったもので、中国でも現地様式の屋根をビルに乗せると官僚にウケたのだという。

 なかでも秀逸なのは、「日本ファシズム」が建築によって顕示せんとしたのが、「贅沢は敵だ」という清貧の思想だったという主張である。37年に施行された鉄材使用規制により、丸の内には木造のバラック建築が林立した。建築美・都市美への意欲の低さこそが我がファシズムの特徴だというのだ。

 井上氏は20年も前の処女作でこうした見解を示し、のちに風俗史家に転じた。「ウケ狙いでビルに瓦屋根を乗せた」といった解釈には、建築史の解釈に風俗史家ならではの「邪推」が生かされており、日本ファシズムの単純にはくくれない特質を浮き彫りにしている。

 ただ、筆者なりに井上氏に尋ねてみたいことはある。植民地である長春では、東京で実現しえなかった理想の都市計画が日本人プランナーによって施行され、電線も戦前から地中化されている。なぜ建築に無頓着な日本ファシズムにそれが可能だったのか。奇々怪々ではある。(AERA)