『自画像としての都市』井尻千男/東洋経済

 先般、アメリカのある都市に旅してきた。驚いたのは、中心部にある市庁社や教会が、年代物に見えたこと。地元で聞けば、新しい建物を古く見せるのが流行らしい。インデアンの生活も憧憬の対象であるとのことだ。

 これは、経済の中枢として発展しながら極端な金持ちと貧乏人と独身者しか住めないニューヨークへの反発から出た気運なのだそうだ。ならば、経済の中枢として純粋に展開されてきた東京の都市生活を、われわれ日本人はどう解釈すればよいのか。

 著者は、商行為(ないし消費)本位主義が、東京を市民の人間関係の場でなくしたのだ、という。といっても東京の都市政策のせいだけではない。地方だって、ミニ東京ばかりだ。本来は終の住家であり、人生の舞台であり、住民の記憶の装置であるべき都市が、仮の住家・物流装置・商機の都市でしかなくなった。その原因は、日本人が、都市を支える理念を失ったからである。とくに、経済が公共的行為と見られなくなった。自営業者はかつてから都市のコミュニケーションの中心だったが、コンビニ・スーパーに蹴散らされている、こう著者は嘆く。まったく同感だ。

 だが、駅周辺に住みつく自営業者が、経済だけでなく社会的にも文化的にも競争に鈍感で公共性をもたないことも、日本の都市の歪みだと思うが、どうだろう。(月刊宝石)