『反経済学』金子勝/評・松原隆一郎

 

 「反経済学」という書名は、字面だけ見れば奇妙、もしくは気取りと感じるかもしれない。経済学の理論構成を抽象レベルで執拗に検討し、ときに財政構造改革法案への批判といった具体論も辞さない。つまり終始「経済学」であるからだ。

 ところが読み進むと、書名は著者のいらだちの表明なのだと分かってくる。大学やマスコミに定着した現在の「経済学」では、学者はアメリカのレフェリーつき雑誌に何本論文が掲載されたかを競い合い、しかし現在の日本がどのような時代におかれているのかを議論する現実感覚がない。他方マスコミでは、ある時に規制緩和と財政構造改革法に共鳴していた人が、金融不安が進むと一転して改革法の凍結と景気対策を主張したりする。こちらは抽象論のまでさかのぼり議論を一貫させる姿勢を欠いている。そうしたところで組み立てられた「経済」観に、筆誅が次々と加えられてゆく。

 金子氏は、市場の自由化が行き過ぎたせいで、「経済学」の主張に反し世界各地で市場が混乱に陥っているのが現代だという。自由化が「セーフティネット」を解体したのである。労働については基準法や最低賃金制、土地については借地借家権や都市計画、金融については中央銀行の「最後の貸し手」機能などのことである。そのせいで、自己責任をまっとうする行為が逆に市場を不安定にしている。労働者は失業の不安から消費を手控え、銀行は破産しないよう貸し渋りをするからだ。結果はデフレ・スパイラルである。

 労働・土地・資本といった「本源的生産要素」は市場化に限界があるためセーフティ・ネットが不可欠になるという本書の主張は、実は今世紀に我々が体験したことの総括となっている。市場の自由化や自己責任論は、むしろ前世紀への後退なのだ。学問やマスコミがセーフティ・ネットとなりえていない現状を告発し、「市場の限界」から経済学の再構築を促す、警世の書である。 (読売新聞)