『市場と制度の政治経済学』金子勝著/東京大学出版会

 規制改革論議は九〇年代に入ってからこのかた、我が国の経済論壇の焦点であり続けてきた。ここ数年、どの月の経済記事にも、緩和の遅れを嘆くものか反対に改革論の行き過ぎを当てこするものが必ず目についたものだ。けれども理論の次元で何が争点になっていたかというと、判然としてはいないというのが正直なところではないだろうか。そこで、規制緩和派と規制維持派は開国か鎖国かという論点をめぐって対立しているのだと早合点し、進歩派vs保守派という手垢のついた、しかし分かりやすい論壇の図式にまで引き戻すような凡庸な解説者が現れたりする。
 けれども規制改革論には、経済思想において、もっとも基礎的で、したがって本質的な考え方の違いが含まれており、その意味では学会でも学派間のホットな論争の対象となっているのである。たとえばIMFは現在、経済破綻した各国に融資の条件として徹底した経済構造改革を強いているが、その指針の根底には「ビッグバン」がある。「ビッグバン」とは、たんに規制を緩和することを言うのではない。そうではなく、「一気にすべて」改革することにポイントが置かれているのである。ロシアの市場化についてはたった数年のスパンが目標値とされたことがあったが、それも「ビッグバン」の発想によるからなのだ。こうした突飛な議論はどこから出てくるのか。
 その元になるのが、IMFが下敷きにしている経済思想、すなわち現在我が国でも経済学教育の主流となっている新古典派経済学である。それは、二つの基本的な仮定をもつ。ひとつは、人間は極めて合理的な生き物であり、つねに個々人が最適な行き方を選び取っているという仮定。ふたつには、ラーメンであれ芸術作品であれ婚姻であれ、全てのものは市場で交換されうるという仮定である。こう考えるならば、すべての規制は人々の合理的な「自己決定」への障害ということになり、それらを取り払って市場での交換に委ねるのが自由というものだということになる。こうした新古典派の主張に沿って、いまやタイやインドネシアは腐敗体質のみならず、すべての規制が改革を受けているわけである。
 こうした主張に反駁するには、開国に対して鎖国を配するような雑な構図ではなく、抽象的な思考から歴史的な事実にまで及ぶ周到な議論が必要になる。このところ「新制度学派」と呼ばれるようになった一群の経済学者がその準備を行っている。「自由主義と市場経済化がもたらした負債に自己責任をとろうとしない「市場万能主義」者達は、制度設計の基本的視点をもった制度改革ではなく、自己責任を回避するために、ただひたすら一層の自由化による制度やルールの「破壊」だけを自己目的化して邁進する他にない。しかし、「市場的自由」の名の下にセイフティ・ネットが破壊されるが、制度改革に対応した新たなセイフティ・ネットの構築は準備されることはない」と述べる金子氏のこの作品も、そうした思潮に連なるものとみることができよう。 かいつまんでいうと、著者の新古典派批判の論点には二点あると思われる。それは先のふたつの仮定に対するもので、ひとつは合理的な個人による自己決定というのが論理的な難点を含んでおり、ふたつにはとくに労働・土地・資本といった三大生産要素にかんして市場化には無理があるというものである。そして個人がとても自己決定しえないような場面(世間についてほとんど何の情報ももっていない独居老人の虎の子の預金が銀行倒産とともに消失するといった例を想定されたい)にはセイフティ・ネットとなる(預金保護のような)各種「制度」が必要となるとし、その制度は生産要素の市場化の限界において発生(ゲネシス)してくるという理論を展開している。筆者としては、強い共感を覚えるところだ。
 というのも、歴史を振り返っても、自己決定と自己責任がたいした例外も設けずに経済運営のルールとなりえたのは企業の生産規模の小さかった前世紀までであり、現在では個人がリスクを負担しつつ大規模な生産活動を行うことなど不可能になっているからである。また、これは著者とは見方が違うかもしれないが、ケインズの『一般理論』も、たんに不況克服の処方箋を用意したのではなく、資本、なかでも貨幣の市場化の限界を唱えた書だととらえうるからだ。ケインズは、高値で売る相手をなかなか見つけることもできず、売るに売れなくなった資本(市場化に限界のある「不良債権」)を避けて、人々が貨幣を保有しようとする行動をとる(「流動性選好」)ときに、所得のうちに使われない部分が出るから、需要が減退するのだと解釈したのである。
 ただし、巻末で「国民国家の安楽死」という言葉が登場するのには唐突という感じがある。EUのような国家連合を国際経済におけるセイフティ・ネットととらえてその興隆を予測してのことかもしれない。著者の議論の展開からは、目が離せないところだ。 
 
(This is 読売)