『犬と鬼』アレックス・カー著/講談社

 現代の日本社会を、滞在歴の長い外国人の目から厳しく批判する書である。「犬」とは身近な現実ゆえに問題解決の困難なもの、「鬼」とは派手な想像物ゆえに描きやすいもののたとえ。古都・京都の街並みは電線で看板で汚され、それらの地中化や撤去は地味な作業ゆえに進まない。一方、環境の文脈をまったく無視した巨大モニュメントは一時の人目を引き、建造され続けている。犬よりも鬼に目を注ぐ現代日本人が、古き良き伝統景観や自然環境をひたすらに破壊し、「世界でもっとも醜いかもしれない国土」にしてしまったというのである。

 江戸中期の茅葺き屋根の民家を購入するほど日本文化を愛する著者は、いったん発進するとブレーキのかからぬ官僚機構と、川という川を見ればダムでせき止めねば気が済まぬ土建経済によって、日本は豊かさの中で立ち腐れてしまったと嘆く。嘆きは時に怒りにもなる。暮らしに息づく文化をみずから破壊することへの怒りは、すでに日本人が忘れてしまったものだ。

 電線地中化は都会で完成しない限り田舎には及ばないと述べるのは厳密には誤認であろうし、規制と天下り大好き官僚悪人説はいささか聞き飽きてもいる。だが、日本人の手になる官僚批判は、景気悪化の犯人としてのみ官僚をとらえ、市場効率にもとづくハイテクビルの建築推進を唱えたりしている。土建産業に寄生する既成勢力も、市場活性化を叫ぶ改革派も、文化破壊においては同じ穴の狢なのだ。「失われた十年」を嘆いても、経済効率の悪化しか見ていない貧困さこそが論難されねばならないのである。

 技術先進国であらばこそ、美しい伝統家屋をリフォームにより再生させ、護岸設備を撤去すべきだという訴えには賛成だ。景気活性化が必要というのなら、公共投資はその方向に向ければよい。こうした批判さえも外国人によってしかなされないという点にこそ、日本文化の危機の深さを思い知らされる。

(共同通信)