菊地成孔・大谷能生『M/D』エスクァイア・マガジン

 ジャズの革命「ビ・バップ」運動にかかわりつつ正反対の「クール」でリーダー・デビュー、モード概念を発案してジャズ史上の最高傑作『カインド・オブ・ブルー』を生みだし、超絶技巧のクインテットを三度にわたり結成、一転してロック・ファンクに接近するとエレクトリック化を果たして大阪万博公演で観客を煙に巻き、引退の六年を経てパンク、ニューウェイブ、ヒップホップにまで手を伸ばす−歴史上起きえたことの大半を65年の生涯でやり遂げた男、マイルス・デイビス。

 本書はそうした通俗的「帝王」イメージに、人気演奏家でありながら冷徹かつ壮大な分析で音楽評論界を震撼させている名コンビが挑んだ新作。叩き台は2005年、東京大学教養学部で行われた全15回の講義録で、楽曲データ、配布資料に大量の関連写真と趣向を凝らしたインタビューを補い、776ページのボリュームに達した大作である。

 この作品を前にすれば、これまでの多くのマイルスを語る文章はファンの感想文か関係者の回想集、せいぜい事実収集の域を出なかったことになるだろう。敢えて言い切れば、従来のジャズ評論は、ライブに行った場数と思い入れの濃さを競うもの、つまり趣味の表明に過ぎなかったのだ。マイルスがスタイルを変えて新作を発表するたびに、別れた恋人を口汚く罵るかのごときレコード評が続出したのはそのせいだろう。

 対照的に本書では、ビ・バップを印象論ではなく音楽構造論として分析、対比から「モーダリティ」の何たるかに迫って、マイルスがスタイルを変えた必然性を探っている。手がかりとしてジョージ・ラッセルの「リディアン・クロマティック・コンセプト」と濱瀬元彦の「ブルース=下方倍音列領域」理論を用い、楽理分析が示される。さらにそこからの類推で、ひとつのジャンルのスポーツでルールを守りながら技術や速度(という価値)を上げる競争をするのがチャーリー・パーカーのビ・バップだったとすれば、価値基準はキープしながらジャンルの「モード」を次々に変更していくのがモード奏法だという仮説を提出するのである。

 この理解だけでも筆者のような素人は驚くが、それだけではない。この仮説を元に、『カインド・オブ・ブルー』はミクソリディアンというモードを旋律の中心に据えたがまだモード変更は単純であり、無調化・電化、さらには音楽の枠から出て服飾や女性の趣味という「モード」もチェンジしていったのがマイルスの生涯だったと見るのだ。確かに付き合った女性は多くがジャケットを飾ったし、服装は初期の背広から後期のストリート・ファッションへと大転換、晩年の好みは佐藤孝信デザインの服だったという。

 こうした観点から行った『オン・ザ・コーナー』の解析と、マイルスの服飾の変遷まで視野に収め録音・編集テクノロジーが発展する80年代社会の変容を読み解く4〜5章が圧巻。 愛聴盤がこれまでの「評論」で貶されてきた「電化期」以降の『ジャック・ジョンソン』『オン・ザ・コーナー』という筆者などは救われる内容だが、さらに後者にオーネット・コールマンのリズム感覚を連想させられる不思議も解き明かされているように感じた。要するに、編集者のテオ・マセロがテープを切ったり貼ったりして異なるリズムを並列させたらしい。編集も一種のモード奏法ということで、合点がいった。

高踏で饒舌な文体も魅力的。ジャズはやっと本格的に批評される時代になったのだと感じる。(AERA)