ナオミ・クライン『ブランドなんかいらない』はまの出版/評者・松原隆一郎

 いま日本では、経済の構造改革をいかに推進するかが注目されている。だが改革論の目指す経済はどのようなものだろうか。

 国際競争力を有するブランドを育てる。商品は低価格でなければならないから、用はリストラして、低賃金の途上国、インドネシアや中国などに生産基地を持ち、本国でも正社員より派遣社員を多用する。政府機関たとえば大学や公立学校は経営的に自立しなければならず、遠からず企業の広告も受け入れねばならないだろう。

 本書を読むとこうした経済像は、グローバライゼーションの中で世界を闊歩するナイキやシェル、スターバックスなどの巨大ブランドのものだと分かる。それらのブランドは、消費者の支持を受けている。だが一方、それらは世界中の憤激を買ってもいるという。不買運動、労働者の人権キャンペーン、ロゴ入りの看板広告を書き換える行動、裁判からネットでの攻撃などである。ビル・ゲイツとともにこうした経済像の旗を振った経済学理論家・ミルトン・フリードマンもパイを顔に投げつけられた。本書は九○年代以降に噴出したこうした反企業運動を、生々しく詳細に報告している。

 著者が巨大ブランドを誇る多国籍企業を糾弾する理由は、主に二つある。一つは、学校や市街などいかなる権力からも自由であるべき公共空間を企業のロゴが進出し、埋め尽くしているから。もう一つは、それらブランドはしばしば市街(ストリート)の自由さを謳うのに、そこの住人たちの雇用を放棄しているから。そうした恥知らずな行為に対して、全十九章にわたる怒りが炸裂する。

 1970年生まれの著者の時にユーモアを込めた憤激は、まっとうなものだ。かつてヘンリー・フォードは賃金を引き上げることで労働者に自社の安いT型フォードを買うことを可能にし、アメリカの中産階級と彼らの消費社会を築いた。多国籍企業を主人公とする現代の資本主義が破壊しつつあるのは、労働者が消費者でもあり、企業とその製品を愛するという、そうした古き良き時代の消費社会であろう。


(読売新聞)