『オウムと全共闘』小浜逸郎/草思社

 オウム真理教事件を、アメリカにあまたある手合いのカルトが一万人だかの信者を集めて数十人を殺した事件にすぎないと括りたい人は多いことだろう。しかしそれならば、何ゆえに阪神大震災や愛犬家殺人事件、祈祷師による信徒六人の殺人事件が視野に残らぬほど人々の目はオウムに注がれるのだろうか。それは戦後日本の総括を迫ってはいないか。

 小浜氏は、現在の日本の消費社会を終戦後の瓦礫の山から築き上げた成果ととらえ、同時にそれが抱え込んだ「闇」の部分にも目を向ける。かつてこの闇を切開してみせようとしたのは、全共闘運動であった。しかしその思想は、消費社会の達成した豊かさによって軽々と乗り越えられてしまった。オウム事件もまた、この闇から出て消費社会を撃とうとする衝動によって引き起こされている。

 問題は、この「闇」を拠点として日常的な市民社会を転覆しようとするラディカルな革命思想がことごとく失敗に終わったことだ。そこで精神世界だのエコロジーだのまじないだのといった、飼い馴らされた現世否定だけがはびこることになる。

 小浜氏は本書で、日常に拠点を置き直し日常そのものを改革する方向を模索している。それは旧態依然たるラディカリズムからの転向であり、党派性を引きずるかつての同志たちからの論難を浴びた。しかし、ここで闘うことこそ格好つけだけでないラディカリズムなのだと決心したのだろう。良質の全共闘気質はここに息づいていると見るべきだ。
 

(月刊宝石)