『マネー敗戦』吉川元忠/文春新書/660円+税/206p

「世界最大の債権国が経済危機に陥り、・・世界最大の債務国が、長期にわたる好景気を体験する−これは少なくともこれまでの国際経済の常識を逸脱した現象である」と論じる吉川氏の『マネー敗戦』が注目を浴びている。
 昨年は論壇において反米感情が噴出した一年であった。国弘正雄氏のように、ガイドラインを機に対米不審を募らせる人もいるが、一方、江藤淳氏の「第二の敗戦」論や石原慎太郎氏の『宣戦布告「NO」と言える日本経済』(光文社)は、不況の原因をたどってアメリカとの関係にたどりついている。米国との経済「戦争」の帰結が今日の不況だという趣旨だが、本書は、その石原氏の反米論に理論的な裏づけを与えているのである。
 著者は反米そのものを目指しているわけではなく、日本経済を日米関係から分析しているのだが、結果的に反米感情を煽っている。八〇年代からの日米貿易摩擦にかんしては、アメリカ側の要求は支離滅裂と言うほかないものだったが、では今回の日本側の経済反米論はどうか。
 石原氏らの反米感情が支持されている一因に、貿易摩擦の折りから続くアメリカからの「規制緩和」要求がある。これはすでに日本の論壇や財界にも定着した主張だからアメリカにばかり反発しても仕方はないが、アメリカの意図が色濃く反映されるIMFの施策としては経済危機以降のアジア諸国にも適用され、そこでも反発を招いている。
 規制緩和論によると、我が国の経済は規制のせいで競争力が低く、高コスト体質の分野を多くもつから、規制を撤廃すれば一時的には不況が深刻化することはあれ長期的には脱出の原動力となるのだという。現在好調を維持するアメリカは八〇年代の規制緩和で復活したのだという理解がその背景にはある。
 けれども日本の場合、この説明は説得力があるとはいいがたい。というのも、世界の最高水準と評された我が国の諸銀行がたった数年で不振に喘ぐようになった原因も、(大蔵省主導の)保護的な規制だということになるからだ。「競争力」は、規制という動かない枠によって世界一になったり衰退したりしたのではないのではないか。こう考えると、実物部門の競争力ではなく、好況時のバブルや不況時の不良債権のように、資産が経済を動かしているのではないか、という『マネー敗戦』論の基本的な視点は説得力がある。「実物経済からシンボル経済への転換」である。
 この本には、もうひとつの特徴がある。その資産の動きは市場だけでは決まらず、「政治」が左右してきという見方である。そこで著者は、日米の資産取引にかかわる現象を、国際政治(「マネー戦争」)とのかかわりから歴史を追って分析してゆく。ここまでは大いに共感できる。
 たしかにこの不況には、橋本前政権の緊縮財政を機に悪化したという面がある。けれども公共投資は、九〇年代以降、累計で六十数兆円も投下されたのに景気回復に点火しなかった。吉川氏のいうように、生保を中心として八〇年代から大量に購入してきた米国債が当時に比して格段に円高となったせいで円で評価すれば大幅に目減りしたことや、米国債に魅力を持たせるために大蔵省が協力して実施しているとされる低金利政策が、一方では家計の利子収入を大幅に減じて個人消費の低迷を招いたことが不況を促進したのは事実だろう。
 となると、アメリカの経常収支の赤字により流出した(主に日本からの輸入と引き換えで)ドルをアメリカに還流させる「帝国循環」のカラクリを剥ぐことが我が国の不況を解明する鍵だということになる。円高が実物部門の輸出や米国債の価値に悪影響を与えないように円通貨圏を構築したり、マルクやポンド、金に分散して投資したりせず、従順に「帝国循環」を支え続けたのが「マネー敗戦」の実態だというのも、理解できる。
 とはいえ、やはり対米追随が不況の原因だというのは無理があると感じる。すべて市場が行ったことだというありがちな反論をしたいのではない。低金利政策の主眼はあくまで我が国の銀行に不良債権処理を可能にすることにあったのだし、資産デフレが我が国経済の重荷であるにしても地価や株価の下落がその中心にある。円の使い勝手の悪さを修正するために慣行を見直すべしという吉川氏の案には賛成できるが、それ以上のいきなりのドル離れ策(ユーロとの協調)は危険だろう。友邦としての立場からいっても、アメリカが世界の銀行として基軸通貨であるドルの管理を適切に行うことを要求した後に、漸次ユーロに接近すべきだと思う。ドルが投機への資金需要を満たしていることが世界経済の不安定化を招いているように見えるだけに、アメリカの金融政策からはいまなお目が離せないのだから。