| 『景気と経済政策』小野善康/岩波新書/評・松原隆一郎 「非効率な銀行や企業は淘汰せよ」というのが経済論壇の合言葉になっている。いま我が国を襲っている空前の不況は、銀行や企業、官僚組織の非効率・非合理によるものだから、淘汰の試練を経て現在の絶好調を取り戻したアメリカに倣え、というわけである。 だがしかしそう唱える人は、昨今のアメリカ経済の「物価安定のもとでの株高・好景気」がバブル期の日本とまったく同じであることをどう理解するのだろうか。当時は日本的な組織もみな不滅であるかに言われていた。 経済論壇は前の橋本政権をこぞって批判したが、淘汰説の一本槍もまた大変な勘違いであろう。そうした中で小野氏は、「好況期には供給側、不況期には需要側」を拡張するというごくシンプルな理論によって、バブルの発生と崩壊、不況への突入、さらには橋本政権の経済政策のどこが誤りだったかについて、驚くほど明確に解説している。昨今の経済論壇では随一の成果、という観がある。 その景気観は明快だ。不況とは市場が資源や労働力を吸収し切れない状態、好況は吸収し切った状態である。したがって政府は不況期には失業者を雇用する公共事業を行い、好況期には淘汰説でスリム化を図らねばならない。常識的な案ではあるが、我々はしばしばこれを正反対に運用してきた。好況時に財政黒字をばらまいてバブルを過熱させ、不況になると不安から緊縮財政を行ったのである。 実はこうした混乱は、「マクロ経済学」で、ケインズその人(の流動性選好説)がいまだにまったく理解されず、不況が定義できないでいることに由来している。学界で流行のニュー・ケインジアンだの内生的経済成長論だのも同様だ。その意味では、ケインズの古典を現代日本に呼び戻したのが本書なのである。公共事業は景気刺激ではなく失業対策を目的とすべきであり、土建事業よりも福祉や環境、新技術開発に情報公開しつつふり向けよというのも正論だ。 (読売新聞) |