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◇『失われた景観』に寄せられた反響について
これまで何冊かの本を上梓させていただいたが、知人などから感想のメールをいただいたり書評されるのでなく、見知らぬ方から手紙をいただくというのは、初めての体験だ。それだけ日常景観の崩壊に心を痛める方が多いのだと、意をつよくした。
そこで、私信であるので多くの方については氏名は公表できないが、いただいたお手紙や対話の内容の大意を掲載してみたい。
1.セーラ・マリ・カミングスさん
『セーラが町にやってきた』(プレジデント社)に描かれたアメリカ女性で、長野県・小布施市の酒蔵に勤務しておられる。私には直接お電話下さり、面会した。彼女が目下やりたいのは、小布施市のすべての電柱を地中化することで、それも行政や電力会社任せにはできないので民間で知恵を絞りたいとのこと。私も出来る限りの協力をすることを約束した。もし行政でも会社でもないやり方によって地中化が達成できたら、川越などとも異なる新しい方法として画期的だと思う。だがブロンドの「台風娘」と呼ばれる彼女だけに、本当に実現しかねない。注目していきたい。
2.F.Mさん
「川越むかし工房」を主催、川越のミニコミ誌『小江戸ものがたり』を年に二回出版しておられる。かつて面識のあった方で、国際線航空会社に勤務しておられたが、東京の景観があまりにも醜くなっていくのに心を痛め、出産を機にまだ古き良き日本の風景の残る川越に転居、昔ながらの良い部分をみなおすミニコミ誌を出版する運動に携わっておられる。川越にかんしては商店街が率先して電線地中化を行った経緯については私も触れたが、そうした街に移り住んで美点の発掘に当たっておられるのが知人だという奇縁に心打たれた。
3.織田信孝さん
フリーランスのジャーナリストの方。長文のお手紙をいただいた。その中で、景観にかんしては、日本の町に「意志」が感じられない、「だらしない」のだ、というくだりがあり、なるほどその通りだ、と膝を打つ思いがした。まちづくりといくら声高に叫んでも、どこか全体を覆うだらしなさとしか言いようのない雰囲気を何とかしない限りどうしようもない。
ヨーロッパを旅していたとき、卒業前の旅行に来ている日本の大学生と出会い、その一人が「こちらは道に自動販売機一台ないっていうのは不便ですよねー」って不満そうに言
い、中世の面影の残る美しい街並みに看板一つ自動販売機一台ないことを心から楽しんでいた織田さんは、言いようのない違和感を覚えたという。その町でも、5分も歩けば小さな店があり、ミネラルウォーターやソフトドリンクは買える
のだ。戦後日本では、「喉が渇いたから今すぐ何か飲みたい、だから、そこに販売機があるのは善だ」という考え方で便利な経済が構築されてきた。だがそれはコドモの理屈で
はないのか、というのが織田さんの疑問だ。まったく同感である。
4.T.I.さん
三田市の新進建築家の方。「ココ何年か、ホンマに心底気になる問題でした。」と始まる文章からは、現役の建築家の絶望感の深さが伝わってきた。
「設計者自体(仕事)が、忙しくて、まったく余裕もなく、人間らしい生活を送れてないのが、(不況とはいえ)マズ、おかしいのでは?とか「日本の暮らし」について相当考えてます、今。「苦労して取得する日本の建築士の資格なんかも、意味が無いじゃないの?」って思います」。
という感想は、実は建築家には珍しいものではないかと思う。なにしろ建築家は、自作の家にどんなに電線がかぶって写真に写っていても平気な人が多いのだから。建築家は単体としての家にしか関心がなく、景観は都市計画家任せである、平均値では。
「程度の低い建築物建てて、スクラップ&ビルドの繰り返しが、不況の原因ちゃうかなぁ」というのが、ものづくりをする人のまともな感覚だと思う。
「駅前再開発なんか、着々と進んでますが、とても「明るい未来」を想像出来るようなシロモノではないです・・・。・・ツルピカです」という住まい周辺の描写も、共感する人が多いのではなかろうか。
それにしても、日常景観の荒廃を嘆くことは、孤立を余儀なくされるということだ。原発や戦争についての反体制は共鳴者が多いのに、景観については何を言っているのか、という顔をされてしまう。
5.J.Kさん
国会図書館関西館についての感想を記して下さった。ちなみに私は未見である。
「ガラスとコンクリートの恐るべき建物」「周りには一本の木もありません」とのこと。Kさんの推測では「建築物を目立たせるため、建築家が木さえも植えささない」ということだが、確かに建築物にばかり異様に関心があり、周囲の都市景観にはまったく無頓着という建築家は散見される。私の住む阿佐ヶ谷には建築家の設計になる家が増えているが、逆に阿佐ヶ谷らしさがなくなりつつあるようにも思えている。Kさんは「巨大な利権の頂点にたてるから」とまで推論しておられるが、詳細は私には分からない。分かるのは、建築家が景観がどうなろうとかまわないと感じていることだ。
6.H.Hさん
新聞社の論説委員の方。
日常景観について書いた点に関心をもっていただいたのだが、氏の体験が面白かった(悲しかった、か?)。高校の校舎が壊されるので、鬱になられた由。名残を惜しむために帰省したところ、故郷でとある婦人とその話になり、彼女も娘さんたちが同高のご卒業とのことで、改築されることを大変惜しんでいて、意気投合した。ところが話を進めると、どうもおかしい。どうやら彼女は、校舎が壊されることではなく、新しいピカピカの校舎に娘さんたちを通わされなかったことを惜しんでいるらしいのだ!!
いや、情けないがリアルな現実ではある。
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