| 『現代日本のイデオロギー』佐伯啓思著/講談社/松原隆一郎・評 最近の論壇でなされている議論には支離滅裂なものがある。たとえば大蔵官僚は、汚職に手を染めたことのみならず、裁量権限を有してきたことまで批判されている。ところが一方では、景気対策という裁量政策を求める声もまた澎湃と湧き起こっているのである。そもそも「お役所的」というのは、融通すなわち裁量がきかないことへの非難語だったはずだろう。一体、どうしろというのか。 著者は同様の議論の混乱が、昨年末来の金融危機に際して「構造改革派」に生じていたと指摘する。改革の遅れが危機を招いたという説は、金融ビッグバンなどの改革もまた危機につながることを看過しているのである。こうした思考の乱れは、アメリカ政府の主張するリベラル・デモクラシーの思想を、我が国なりの事情を踏まえず鵜呑みにしたところで起きている。ではなぜ、現代日本人は、経済のみならず安全保障においても思考をアメリカに委ね、「気分」まかせに生きていて平気なのか。それは戦後思想が国家意識を忌避したせいだ、というのが本書を貫く著者の判断である。 たしかに国家論は、反国家論や民族独立論以外ではタブーとされてきた。それに対して著者は、主にオルテガやシビック・ヒューマニズムの哲学に倣いながら、血や愛を国民の絆としない、つまり家族をモデルとせず多民族の共存を可能にする近代国家論の構築に挑む。タブー破りだけに論述には迫力があり、右にも左にも偏さない結論は極めて説得的だ。 ただし、若干の違和感も残る。国民の絆として「物語」の共有が望ましいとされるのだが、たとえば従軍慰安婦問題で見解の対立する両派がそれぞれに物語を立てており、融和は容易ではない。対立する物語を相互に冷静に語り合う技術や能力が求められるというべきではないか。また加藤典洋氏に激しい批判を向けているが、むしろ主張には重なり合う部分が多いように読める。 (読売新聞) |