「戦争観のゆくえ」松原隆一郎

 日本は今年で戦後五十三回目の夏を迎えている。三年前は戦後半世紀の節目ということで、マスメディアは去る戦争についてさまざまな特集を組み、国会では一部議員が不戦決議を行った。今年のようにとりたてて年度上の節目でもない年の夏、我々はどのようにして戦争を振り返るのだろうか。ひとつ言えることがある。かの戦争は刻々と遠くに過ぎ去ってゆく。年度上の節目がない年にはそんな一見平凡な事実だけが確認されることになる。だがこの事実は、戦争についてリアリティをもって語る人がいなくなるということのみを意味しているのではない。
 人は自分が直接の当事者であった行為にだけ責任がある(「自己責任」)のだとしてみよう。我々は一般にそう考えている。しかしそうだとすれば、戦争の当事者であった人は減ってゆき、生まれてくる子供たちは戦争にかかわっていないのだから、日本人のなかでかの戦争になんらかの責任をもつ人の割合は刻一刻と減っていることになる。そうだとすれば、いつかはすべての日本国民に戦争に対する責任がない日がやってくる。このことが、節目をもたない年の夏には再確認されるのである。だからこそ国会が率先して不戦決議を行なわねばならない、と一部の議員たちは唱えた。けれどもそれは戦争に国民の関心を振り向けることにはつながるとしても、ここでいう責任の理屈には関係がない。
 こうした考え方にはどこかおかしいところがある、と感じる。戦後生まれであっても、日本人は戦争を経て残された経済や文化、政治、社会を戦火による破壊の後に排他的にひきついでいる。経済発展したからといって世界の平均を上回る部分の福利を貧窮する国々にすべて配ったわけではない。例外的なほど続いた平和な国土に、いまなお戦火の下にある難民を受け入れたわけでもない。いわば発展と平和を遺産相続したのであり、人類のすべての人々と等しく財産分与したわけではない。
 遺産を排他的に受け取ってはならないといいたいのではない。それを受け取る権利が戦後の日本人にあるというのならば、遺産を残していった世代と戦争とのかかわりのすべてももまたひき継がねば筋が通らないのである。自分が直接の担い手でなかったものを排他的に相続するというのは、そもそも自己責任の原理に反している。
 しかし、直接の当事者でなければ責任がないのならば、戦後生まれの人は先の戦争が誤りだったと糾弾するにせよ自身には責任がなく、戦争に疚しいところなぞなかったと見る人も当然責任を負わないから、戦後生まれは遺産をひきつぐのみで誰も責任を取らなくてよいことになる。責任は戦争の直接の関係者に押し付けられ、彼らが死亡するにつれてそれも消失してしまうことになるのである。
 どうしてこのようなことになったのだろうか。その理由は明らかだ。侵略戦争が起きたのは日本の国家主義のせいであり、国家への帰属意識は否定されなければならないとしたのが戦後的な言論であり教育だったからである。当事者でない事柄に責任を取り合うのが国家という人間関係なのであり、それが否定されたからだ。
 戦争の遺産は受け取るが当事者としての責任は回避する、こうしたものが我々戦後生まれにとっての「戦争観」となっているのである。それは上の世代との関係においてのみそうであるのではない。戦後の経済成長は、安保条約のおかげで軍事に積極的に関与しなくてよいという有利な条件のもとでもたらされた。世界の秩序とはどのようなものなのか、それを実現するにはどうすればよいのかについて、みずから責任をもって判断せずにすませることができた。戦後において日本で戦争を当事者として引き受けたのは、せいぜい日米の軍事施設に土地を与えた沖縄県民だけであった。
 核についても同様である。平和を維持するには核実験を決行せねばならないという苦汁に満ちた選択をフランスやインド、パキスタンが実行したとき、日本ではそれが非合理であり時代に逆行する決断であるかにいう意見ばかりが見られた。しかし一方で我々は核の傘に守られているのであり、そもそもそんな決断を責任をもって行わずにすませている。核の傘から離れたときどのような軍事体制を取るべきかについて、無抵抗主義をどのような形で実現するのかも含めて、我々は真面目に検討したことがない。とりあえずは戦争の当事者ではないからだ。
 我々のこうした「戦争観」は、「自己責任」という言葉によって支えられている。待ったなしの経済改革や規制緩和は、自己責任を原則として行われるという。だがそれは、責任をめぐる観念であるにもかかわらず、こと戦争観にかんしては結果的に無責任を呼び込んでいる。戦争と国家、自己責任をめぐる再検討が求められているのだろう。