消費三昧日記

 

 

 

 (5月某日)

   年初に見た芝居「最悪だ!」があまりに面白かったので、主演した坂井宏充さんに誘っていただいて、彼がオーディションを経て出演することになった劇団「イキウメ」の全国公演・三限茶屋での『散歩する侵略者』を鑑賞する。

 いや、これほど面白いとは。

 人気の劇団というのも多少は見たが、抽象的だったりどこかちぐはぐだったり、終演後にグッとくるというのは滅多にない。それがこの芝居の終盤、観客席は鼻水をすする音。そう、みなさん泣いているのだ。

 芝居は、宇宙人が侵略してきてある街の住民から「家族」や「神」といった「概念」を奪う、という荒唐無稽なもの。

 ところがそのままだと、物語は宇宙人が帰還したあと、概念を奪われた人々が残る、というだけになる。いったいどうやって話を終わらせるのかと思ったら、ネタばれになるから書かないが、予想通りのオチ。

 あらら、と思っていたら、夫婦役の役者2人がとんでもない演技の力業で抽象的な局面をねじ伏せてしまうのだ。抽象概念で劇場を泣かせるのだから、凄いとしか言いようがない。

 役者は誰も彼も競い合っていて、白熱。いささか狂気の気配もある。

 坂井さんも、狂う友人につきあって「戦争だぜ!!」と喜んでいたが、だんだんおかしいことに気づいていく、という唯一まともな人格の役柄。狂気から白けて正気へ、という難しい役所だ。このまま全国で狂気と感銘を振りまいていただきたい。

 他に美人なのに浮気されてる伊勢佳世、宇宙人中学生・大窪人衛、大友克洋の短編キャラみたいな森下創と、(私は初めて知ったが)芸達者揃い。ギラギラしている。凄し。

http://www.ikiume.jp/index.html

 

 

 

 (4月某日)

  頭が硬直したので、奄美で二泊。リラックスできた。こんなコッテージ(「ゆめくれない」)が、空港から自動車で10分ほどのところにある。

で、ガイドの田町まさよさんに連れられ、私の好きな「鶏飯」。これまで空港も港も、○屋も○くらも試したが、なんか私の妄想の味とは違う。そう言うと、民家へ連れて行ってくれたのである。

これが、うまいのなんの。スープの濃さが、理想通り。やはり、大量に作ると薄まるのか。椎茸も自然なうまさ。三杯いただく。作って下さったのは、この方。夏にはガジュマルの樹の下でお弁当を売っておられるそうな。また、食べに行きた〜い!

 

 

 

 

 (2月某日)

   まあ、忙しいと言っているはずなのに・・・こんなものを始めました。

http://www.eat-main.com/

 

 

(2月某日)

 阿佐谷駅前の焼き肉屋の隣に派手に明るい焼き肉屋「双竜」開店。スターロードが透かし見えてまばゆいロケーション。

 国立のスポーツマッサージみなみ先生に勧められたので、すでにリピーターになっているが、どれもこれもうまい。

 肉もキムチも良いが、レバ刺しは血管を細かく取り除いているらしく、ふわふわしている。上ミノ、ホルモンもうまい。だがなんと言っても●●●●が出色(自分の分がなくなってほしくないので伏せ字。でも分かりますね)。脂分を丁寧に取り除いたスープは滋味そのもの。

 若い主人や二人の従業員さんとはよくお話させていただいているが、店長は毎日、横浜で仕入れた肉をバイクで運んでくるそう。阿佐谷駅前にまた行きべき店ができて、嬉しい。

 

(1月某日)

   私はミステリーというのは余程のことでもないと読まない。読んでがっかりすることが多いからだ。

 しかしウチに転がっていた志水辰夫『行きずりの街』(新潮文庫)に「このミス1991年のNO1」とあり、しかも「最近のこのミスと比べてみよ」みたいな挑発的なことも並べてある。最近の、といっても東野『容疑者xの献身』くらいしか知らず、それも謎解きはともかく心理になじめなかった。だから比較もできない身分ではあるが、ともあれそこまでの推薦作とあらば、と読んでみた。

 だが、読後感は「?」。なんなんだ、これは?

 殺人事件があり、それが警察沙汰にならなかったのは証拠を持つ側が揺すろうとしていたからだということらしい。しかし、そんな立場でもない主人公はなぜ警察に通報しないのか。冒頭で 暴漢に突然木に縛られただけでもかなり不自然である。失踪した少女との間で何かわだかまりあってのことかとも思ったが、どうやら何もないらしい。なんで少女の失踪と自分の過去いた学園がかかわるのか、偶然過ぎる。

 と思ったら、アマゾンで酷評されていた。仕方ないな。

 しかし、反論の余地もないわけではない。解説の北上次郎氏の言うように、「これは夫婦小説なのだ」という逃げ道である。

 だが、私がもっとも分からなかったのは、そこなのだ。主人公はかつての妻であり、学園をめぐる犯罪で引き裂かれた雅子と邂逅する。ところが最初に伏線として、犯罪者である大森が「あの姉ちゃん、人さまのものらしいからな」と言っているではないか。これは後半に向けて何かの伏線を張ったのだろうが、張ったことを作者が失念したまま物語を終わらせたというチョンボではないのか。

 キャラクターがちょっと面白かったのは、雅子の母と、犯罪者一味の中込。それだけの小説だった。素人が言うのもなんですが、「このミス」って、こんなものなのかしら。

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 悪口ばかりでも何なので。

 J.ヒギンスの『鷲は舞い降りた』を、原文で少しずつ読み進めていたのを読了した。ヒムラーから「チャーチルを英国内から誘拐せよ」と命じられたパラシュート部隊長やいかに、という対照的に大きすぎる話ではあるが、最後の2頁には、深い感銘を受けた。衝撃の結末、と言っていい。いや、結末とともに、それについての後書きがさらに驚きなのだ。

 部隊の失敗は、変装しているドイツ兵が水車に巻き込まれた少年を助けたためにばれたことに始まっている。しかしそれも、説得的ではあった。

 『ジャッカルの日』といい、洋物には、歴史的な結論として失敗が確定しているような仮想の話をストーリーで読ませるものがある。和物はなぜ、こんな有様であるのだろうか。

 

(1月某日)

   まあ、当たり外れというのは、あるもので。

 よく名の知られた劇団の芝居を見ても苦痛なだけだったり、まったく知らない人たちの芝居に引き込まれたり。

 一と月ほど前、阿佐谷で若者たちの経営するバーや居酒屋の飲み会があり、なぜか同席することになった。その場でそれぞれの自己紹介があり、実に不思議な踊りを見せてくれた店主がいたので、店を訪ねて行ってみた。北口のなか卯の向かいである。

 そこで同席した若者二人と喋っていたら、芝居をするという。曰く、

「演劇ユニット ハイブリッド 公演『最悪だ、』2011年 1月8日(土)〜10日(月) 新宿ゴールデン街劇場 
CAST 高安智実 竹内勇人 西岡花穂梨(今夜はパーティー) 坂井宏充
 

スタッフ 作、演出  太田誉允 (今夜はパーティー)


     舞台監督 大熊康弘

     宣伝美術 竹内勇人、伊藤了太

演劇ユニット ハイブリッドとは坂井宏充が同じ所属事務所、MMPのメンバー、竹内勇人、高安智実、西岡花穂梨を集め、劇団「今夜はパーティー」の太田誉允に 作、演出を依頼し企画されたユニット」とのことである。

 袖すりあったも、、ということで、チケットを買ってみた。二人すなわち坂井・太熊の両氏からである。

 まあ、酔狂というか、暇を贅沢に使いたくて行ってみたようなものだ、失礼ながら。ところが驚いたことに、これがこの半年で5回は見た芝居の中でもっとも面白かったのだから、不思議なことではある。

 狭い舞台に男女二人ずつがおり、互いに本音を言い合うゲームをしていたところ喧嘩になり、つい二組で不本意にもデキてしまったためにそれを取り消そうとやっきになる・・・といった話。アンジャッシュの勘違いネタを二組で同時進行させるような立体感と、年増が焦って年下男を口説く口調の面白さ。四人が舞台に座ったままでそのうち二人だけが登場人物として動くといった技術、最後のシーンでは口に出したのとは異なるセリフを吹き出しで映写するというアイデア、四人がそれぞれ携帯で喋るという現代性。どれもこれも面白い。

 たった三日の公演で終わらせるのはもったいない。再演したら、宣伝して連れだって見に行きたいものだ。

 下の写真はネットから無断流用したもの。登場人物の写真がなかったもので。もしダメならお知らせ下さい、すみません。

 

 
 

 

(12月某日)

    京都・山崎の「聴竹居」にて。京都の喧噪は遠ざけ、日本の和洋折衷建築の最高の成果に浸る。

 

http://www.chochikukyo.com/

 これが昭和3年の作とは、建築家・藤井厚二の想像力にうならされる。

 聴竹居は、藤井厚二の自宅であり、自説である環境工学の知見を盛り込んだ傑作だ。窓に柱を最小限に使い、大きく外が見晴らせるようになっている。燃えるような紅葉も、借景も、絶景。調理場から小窓を通じて料理が食堂に出されたり、洋椅子の背に大きな穴があってそれが女性の帯の背が入る工夫だったりして、細部にこだわりが盛られている。

 維持には篤志家の好意が欠かせない。ご関心のおありの向きは、ぜひ見学あれ。

こちらは、隣家の紅葉。

 

(11月某日)

   神戸へ小学校の同窓会に。で、翌日は魚崎・酒屋の「浜田屋」にて吉川つーちゃんの魚をお願いして、隣接の宴会場へ。吉川のお姉さんの煮魚と刺身をいただく。

 

「鯛の煮付け」「つばすの煮付け」である。つばすとは、はまちの小さい奴、瀬戸内では最高の魚のひとつだ。とろけるうまさ。鯛も、骨までしゃぶった。大黒正宗も素晴らしい出来。

 東灘区にお住まいで極楽に行きたければ、浜田屋やどうぞ(刺身は吉川君に予約すればやってくれます。詳細は浜田屋さんへ。煮魚は余程でなければやってくれないそうだが。)

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 というわけで、東京へも瀬戸内の最高のワタリガニを送ってもらう。活けだったので、醤油と生姜、焼酎に漬けて「カンジャンケジャン」に。大振りで子持ちだけに、身はねっとりしていた。

 

 

 

(11月某日)

 座・高円寺にて、観劇。

 ひとつめは、宮沢章夫の遊園地再生事業団「ジャパニーズ・スリーピング」。超満員である。

 

 すべてのシーンが、斬新な情景でできている。舞台の両端に10台ずつほどのモニターがあり、抽象画像が模様を流している。

 劇中で登場人物をテレビカメラが撮影、それが背景のスクリーンに映し出されている。俳優は、喋りながら尺取り虫みたいに顔を地面にすりつけたり、片足を水平に上げて平行を保ったりしている。セリフは睡眠をめぐる、ナンセンスなもの。

 すこぶる、退屈。演劇関係者には、情景についての無数のアイデアは参考になるのだろう。専門家のための作品といったところか。

 もうひとつは、柄本明・東京乾電池の「長屋紳士録」。

 こちらも、なんだかなあ。ストーリーは、小津の原作そのまま。子どもの肩ぐりぐりもやる。新しいシーンの挿入や解釈・パロディはなし。

 途中に、小津の別作品が単発の場面が挿入されている。しかしそれも有名なやつばかりなので、すべて何か分かる。「おはよう」の子どものおなら合戦、大泉滉のおかしなカップル。「一人息子」の飯田蝶子が東京でトンカツ屋の笠智衆に会うシーン、故郷で同僚と床掃除しながら東京の印象を喋るシーン。「麦秋」で紀子を杉村春子が口説くシーン。鎌倉駅のホームで紀子と謙吉が距離をおいて雲を眺めるシーン。 「風の中の雌鶏」、旦那待つ細君がカネなく売春してしまい、旦那と葛藤するシーン。

 すべてDVDで見ているので、じゃあそのまま演じられる舞台で何を面白がればよいのかとなると、よく分からない。付加価値があると思えないのだ。

 私は舞台好きとはいえないのだろうな。

 

(9月某日)

   神戸市東灘区魚崎の実家を売却することになった。私は売りたくないのだが、土地を分割できないように家屋が建っていて、他の弟妹が売るという以上、どうしようもない。痛恨。自分の過去が、形としてはついに何もなくなってしまうのだ。

 名残尽きず夏に4回、通った。庭木を移植できないかと思ったが、植木屋によると古木過ぎて無理らしい。仕方なく、挿し木にすべく梅と南天と万年青を切って新幹線で持ち帰った。さるすべりは伐採、背丈ほどもあるオブジェをかついで帰る。

 以前、神戸のホテルに泊まった時、魚崎に行ってもよそよそしく思えてしまった。

 今後も通いつづけることには変わりない。しかし何か町と持続できるようなものが欲しい。

 今回、魚屋の吉川つーちゃんのところに挨拶に行き、世話になった友人に贈り物をしたいからと某大手酒造を訪ねるというと、「やめとき。もっとええ小売り店があるから行って」と浜田屋を紹介された。

 灘はもちろん酒で有名で、多くは魚崎にあるのだが、大手メーカーはかつての作りをしていない。それで「酒は灘」と胸を張れる気がしないのだが、今回、国道脇にひっそりとたたずむ浜田屋に行ってみて、大いに気が変わった。

http://www.jizakeya.co.jp/

 ホームページからも、むせかえるような情熱を感じる。大変な情報発信力だ。店でもらった通信には、店主みずから書いたイラストが満載で、昔の酒蔵の町・魚崎を再現している。この魚崎にも、小さいながら昔ながらの造りをしている蔵が四つもあるというのだ(泉酒造・安福又四郎商店・太田酒造・浜福鶴銘)。当店はそれらを特に扱っているのである。

 ちょうど試飲会をしていたので、「大黒正宗」「仙介」「黒龍」「上喜元」などいただく。どれもすっきりと複雑な味がするが、とくに大黒正宗が気に入った。

 買った酒をさっそくに飲める場所も併設されている。「つまみはどうなっていますか」、と聞くと、「すっごい刺身や焼き魚がありますわ」との返事。なるほど、ここでもつーちゃんが魚を卸しているのである。まあ、このあたりではピカイチの目利きだけある。

 こうして、私なりに新しい魚崎との付き合いを作っていくことになるのだろうな。

 

 

(9月某日)

  自分が運営評価委員会の座長をやっている「座・高円寺」http://za-koenji.jp/で、オリジナルの舞台「旅とあいつとお姫さま」を観劇。

「夢に見たお姫さまを探して旅に出た少年と、どこまでも一緒についてくる不思議なあいつ。やがて少年は立派なお城にたどりつき、夢に見たお姫さまに出会います。ところがなんとそのお姫さまは……。」という話で、イタリアの演出家テレーサ・ルドヴィコの作品。杉並区の小学校四年生は全員がご招待。たった五人で、20ほどの役をこなしている。

http://www.youtube.com/watch?v=uJlKY3Hef_4

 というわけで、あまり期待してはいなかったのだか、これが素晴らしい。震えるほど感動した。

 まず、辻田暁と楠原 竜也という二人のダンサーの動きに、ほれぼれする。私はこの分野はまったく疎いのだが、有名な人たちなのだろうか?辻田が森の精になって出てきたシーンでは、なんとも摩訶不思議な音を口から発するので、子どもたちが騒然とする。楠原が猫になって辻田と上に下にじゃれ回るシーンも、猫以上に猫らしかった。辻田が幾度かジャンプしておぶさるシーンもあるのだが、楠原はそのまま駆けだす。素晴らしい身体技法だと思う。

 舞台装置も縄やテーブル、ランタン等、シンプルにして複雑、美しい。ため息が出た。ストーリーは、子どもに見せていいのかというくらい残酷で、途中、お姫さまのお尻をペンペンするエロチックな仕草もある。子どもがどう感じるのかは分からないが、私はむやみに感銘を受けた。

 さっき見たDVD大林宣彦の『異人たちとの夏』が、つまらない計算ばかりの映画であまりに下らなかったので、ついこの舞台について書き残したくなった次第。 

 

(9月某日)

 日本映画史屈指の名作とされる山中貞雄『人情紙風船』(1937)が、廉価版DVDになっているのを不覚にも知らなかった。やっと見る。

(無断借用)

 といっても同時期(1936)の小津『一人息子』ほど話に起伏があるわけではない。大店の一人娘を拉致する話なのに、なぜか淡々としている。しつこく就職を願って邪険にされる武士(河原崎長十郎)が、雨中で呆然と立ちすくむ表情は鬼気迫る。その妻の無表情も恐ろしい。

 川島雄三の『わが町』、ベンデットのターヤンのような長屋の風情が、リアルに思えるのはなぜだろうか。見たこともないのに。冒頭の、自殺を弔っての宴会で、長屋全員が楽器を鳴らして踊るというシーンは、黒澤の『どん底』にも出てきた。黒澤の方が真似たということか。

 

(8月某日)

 また、京都の話である。

 10年前だったか、仕事で五条の「サンルート」に泊まって、夜中にふらふら外出、夜道のくらがりに学生アパートのような建物を発見。二階に上がると「ピンク・フロイド」なる扉があるので開けたら、ほんとうに「原子心母」がかかっていた。しばらく主人と喋っていると、阿佐谷からやってきて一月前に開店した、とのこと。阿佐谷から京都に来て、阿佐谷の人の店で飲むのもなんだかな〜と思ったが、「阿佐谷ではほぼすべての店の家賃を知っているが、高くて出せなかった」という話が面白くて、いろいろな店の出店事情を聞いたりしたのだった。

 しかしその後、京都の路地裏をいくらうろついても二度とその店にはたどり着けず、代わりになぜか「今夜も朝まで中島みゆき」の張り紙の店に行き着いてしまう。そんなことが6回はあった。あの、学生アパートの風情が、どうも頭に焼き付いて仕方ないものの、見つけられない。

 今回、「三大美女」の残りの店を探そうとふらついていると、ビビヒ〜とくる光景にたどりつく。階段脇の張り紙が、かの「学生アパート」そのものなのだ。二階に上がると、「Coco Bongo」とある。これが三大美女と聞く店なのだった。

 入店して事情を話すと、「そうそう、前はピンク・フロイドだったけど、その知り合いが続けられなくなったから引き継いだの」と飲んでいた女性が言う。そうか、木屋町三大美女の店は、私が探していた学生アパートにあったのか。

 ということは、私はほとんど同じ光景の中だけで動いていることになる。話のつじつまが合っているので、好みは一貫しているのだろう。このCoCoBongoも、美女もいたし、よく知らない音楽もセンスがよく、またしても京都を見直した。店のカウンター内の男性には、東京では阿佐谷「山路」へ行けとだけ言っておく。天国か地獄か、どんな目にあっても、知らないけど。

 

(8月某日)

   糸魚川にテレビの収録に行き、ジオパーク見学。フォッサマグナの線をまたいだら引率者が「いま、左足がユーラシアで右足がアメリカですよ〜」と言うのが面白かった。産業も目立った文化もない地方都市が、地震や地殻変動を生かして町興し、というアイデアが面白い。全国からジオパーク関係者が集まっていた。

 神戸で自宅の売却前に仏壇を東京へ移転させる手続きをする。しかし新潟から神戸へというのは、裏日本を無視するようでもったいない。というわけで、初めて富山で一泊する。

 居酒屋のオススメ本としては、太田和彦氏の『居酒屋百名山』が最高峰ということになるだろう。文豪・川上弘美も絶賛しているし。しかしこの本、文書が素晴らしいのは私も認めるが、オススメ本としては疑問が多いんだよなぁ。

 今回も富山ということで、駅前で太田氏オススメのAに入店。5時半というのに、すでに満員、さらにどんどん客が入ってくる。富山は誰もが魚を褒めるので、刺盛を注文。しかしこれが、かなりひどいのだ。五種はあったかと思うが、身はぱさぱさ、どんな包丁を使っているんだか刺身の端が切れたりしている。カウンターにあったので注文した枝豆は、妙に柔らかい。まさかとは思うが、食感は冷凍だ。

 早々に引き上げる。仕方ないので、東京で富山出身の知人から聞いた「舞子」へ。地図を読み間違ってずいぶんと歩いた。暗い中、車道沿いにぽつねんとある。男女でやっているが、包丁をもっぱら握るのが、なんといっていいか、短髪が女子プロレスラーみたいな感じの方。無愛想というか、あまり喋らない。Tシャツの背中には「舞子」とあるが、自分の名前か?しかし料理は丁寧、きめ細やかだった。煮バイ貝はくるくると尾っぽまでぬけてよく火が通り、絶品。 ずいきの梅漬けも自然なすっぱさ。

 バイ貝を二つに切っているので「何をしているのか」と女性に尋ねると、「これは入荷してから一日経ったので、焼きます」とのこと。正直な商売だ。「きときと」のだけ、刺身にするのだろう。Aとの違いだな、この点が。この女性、恥ずかしがりなのか、話しかけると必要なことにはちゃんと答えてくれる。

 その後行ったバーは、歓楽街(桜木町)で数少ない女性のいない店だが、主人が「舞子」は夜遅くまでやっているので通っているとのこと。「 誠実な仕事です」、とは私と同じ感想。駅前で観光客相手にやっているのようなのはテキトーなのかな?それ以外にも、八尾の「風の盆」は、観光客がいなくなる深夜二時頃からタクシーを飛ばしていくのがツウだとか、面白い主人だ。

 で、太田氏の話に戻るが、京都の神馬とか赤垣屋とか、誰でも挙げる名店はともかく、知らない店は浅草の某店にしても、何故「百名山」なのか、首をかしげてしまう。太田氏は一度お会いしたことがあるが、人柄も素晴らしく文もそれに匹敵するだけに、どうしたことかと思う。付き合いのある店に引きずられて褒めているのだろうか。その点で、私が人格の大嫌いな田中康夫のオススメは、なぜか端倪すべからざるものがある。どれも当たり、しかも誰も推薦する前に褒めるのだ。長野の野草を使った居酒屋や、大井町の懐石料理屋など、氏の褒めた店は、悔しいがどれも素晴らしい。人格に難のある人しか、面をさらしての取材は不可能ということなのだろうか。うーむ。

 

(8月某日)

 京都、前から行きたかった居酒屋の名店と名高い千本仲立の「神馬」へ。

 私はあまりに料理がうまいと絶句してしまうのだが、過去には思わず涙をこぼしたこともある。祇園の『吉膳』でのことだ。

 今回も、目頭がうるんでしまった。なにしろここの鱧はすごい。「しゃぶ」は、細かく包丁が入っているので、くるりと反転して球体になる。それがほこほこで柔らかく、骨がまったく歯に当たらないのだ。匂いもまったくない。「いかってるからな」とおばちゃん。「鱧が生きている」という意味らしい。松茸もほのかな香りを伝える。あとは壬生菜だけと、余計なものが入らず見切りがよろしい。雑炊も、玉子のかき混ぜ方が私にとってのベスト(半熟)。

 つい、「落とし」を2人前追加。これも丸まった鱧が冷たく、噛むと脂が甘く、梅が効いて素晴らしい。ここで落涙してしまったのだ。 私は東京でも落としや鱧シャブは見かけるたびに注文するが、あれはいったい何なのか。まったく異なる料理である。さすが、京都。フレンチとかは大したことないというかインチキ臭い店が褒められているが、和食はレベルがあまりにも違う。

 息子が、ツマのキュウリにちょうちんのように包丁が入っているのに感嘆している。よく見たら、どの皿の野菜にも細かく包丁が入っている。ほとんどロボットの仕業だ。

 家族経営らしいが、淡々と運びながらひと言ずつ残していくお姉さん達にも感心。たたずまいが美しい。京都の凄さを見せつけられた気がした。

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 ぶらぶら散歩。道を曲がり「大市」の方に向かう路地に、「ヘルメス」というスナックを発見。不思議なたたずまいなので気にかかり、入店。クーラーを切ってあるのか生暖かいので、大きな声で「こんにちわ」と呼ぶと、奥から女性が出てきた。痩身で、なんというか、薄幸そうな上品な色気のある人だ。さらに奥から白髪のおばあさんが「いらっしゃーい」。ここも家族経営なのか?西田敏行のサインが張ってあるので、そこそこ有名な店なのかもしれぬ。

 カウンターの下部には、大量のレコードが並ぶ。ここはリクエストをした楽しむ店らしい。では、と「待ち伏せ」を注文。すかさず「三木聖子にしますか、石川ひとみですか。それともユーミン?」との答え。これにはまいった。というわけで、次々に昭和歌謡を注文。5秒以内にはレコードを探し出し、歌詞カードを出してくれる。カラオケでなく、合唱したのは始めて。不思議な一夜であった。

 そのあと一人で木屋町をふらふらしていて入ったバーで、「木屋町三大美女」なるものが存在することを隣り合った人から聞く。「エロ親父の回遊先」なのだそうな。さっそくそのうち二軒を訪ねたことは、いうまでもない。 おかしくて知的なバーと和食屋は、京都に限る(と、この歳にしてやっと悟った)。

 

(8月某日)

 身体を無茶な使い方しているので、マッサージは欠かせない。自分でやるストレッチでは、限界がある。自分へのご褒美となると、最近は欲もなくなり、マッサージが一番である。

 時間さえあれば「みなみ治療院」が最高に良いのだが、なにしろ国立。往復に三時間かかる。それで針がなくてもストレッチをしっかりやってくれればといろいろ探したが、いわゆる温泉のマッサージは全滅。大半が何の役にも立たない。

 それでも執念深く探したら、新潮社の近くで「パンター2」というタイ古式マッサージを発見。ビルの裏の階段を上がって三階という、いたって怪しいつくり。しかしトンちゃんというおばさんにすっかり効かされてしまった。これは凄い。

 しかしさすがに神楽坂から相当あって遠いので、最近、高円寺駅前の雑居ビル七階にタイマッサージ店を見つけた。若い女性たちが何人かいる。何度か行ってみたが、不思議なほどみな上手い。いわゆる日本のマッサージでは、一度も受けたことのない快感。日本の温泉マッサージは、あまりにも人によって力量に差がある。神戸でも、六甲道で高級な店に行ったが、グラマーな女性にきっちり効かされた。

 といってもみなみのスポーツマッサージでやるのと似ている。日本のスポーツマッサージは、元を正せば新宿の「小守」に辿り着くというが、それもさらにタイ古式スポーツマッサージにヒントを得ているということか。

 私はタイではワットポーの正調古式マッサージも受けたことがある。ここは学校でもあるので、やり方に規範があるということなのだろうか。誰もがうまいというのは、驚きだ。最近は主要駅に看板が散見されるが、「クイック」がどうしたとか「手もみ」がどうしたとか「中国」といったマッサージは、タイ古式に撲滅されてしまうのではなかろうか。タイ人女性は、海外雄飛して外貨を稼ぐチャンスを得ているということか。

 

(8月某日)

 家族で実家に草むしりに行く。灼熱と蚊の地獄の中、無事完遂。

 ねぎらいあう。中2のくせに、私の肩を上から抱くのが気に食わん。

 夜半、武庫川のお好み焼き屋、「花の花(かのか)」へ(宣伝しておく。鉄板焼花の花、兵庫県西宮市小松 南町3丁目1-8 TEL 0798-41-6822)。ここは、小学校の同級生の藤本がママをやっている。というわけで、息子も一緒に、第一不動産の水谷、極真武道家の宮崎、妙にかわいい林、ドイツ帰りの仲、店から呼んだらすぐに来てくれたせっちゃんというメンバーで同窓会。息子とは冬に、新世界で串揚げを食べた後に来たことがある。

 不思議なのだが、ここのお好み焼き(豚玉)は妙にふうわりとして、うまいのである。記憶をたどっても、私が食べたお好み焼きの中で最高にうまい。これは同窓だからといって、お世辞ではない。作り方を聞いたのだが、正直、材料はそこらへんにあるものばかり。作り方もテキトー。話しかけるとママの手が止まるので、話しかけは禁止店である。それなのに、なんで我が人生のお好み焼き史でもっともうまいのか。

 家内には息子とともに「ウチのより遥かにうまい」と言って、怒らせた。その家内も、今回実食してみて、「これは美味しい」と唸っている。ふしぎなものである。

 

(7月某日)

 高円寺にラーメン横町というのが出来て、あまり混んでいないので活用している。なかでも『大喜』はお気に入り。

 私は高円寺では「はやしまる」のつけ麺に驚いたクチである。つけ汁が複雑な味なので、「こん香ばしいのは何ですか」と店主に聞いたところ、「エシャレットを焼いたもの」との答え。しかも割りスープが別に出汁を取っている。ここまでラーメンもちゃんとした料理になったかと、びっくりした次第。

 昔のラーメンは、原価が二割を切るというか、クズ野菜で作っていた。それがこれだけの手をかけるとなると原価率は高騰する。「大喜」でも驚いたのが、「とりそば」の鶏味のスープが濃厚なこと。私は自分で鶏一羽でスープを取ったことがあるが、3人前にしかならず、1500円もかかってしまった。これだけ濃厚なスープをどうやって定価に収めるのか、謎である。野菜も繊細に入って、よく考えられている。

 別の回には、「辛味冷やしとりそば」を食べてみた。ガラスの容器。冷やし中華みたいなみんかと思いきや、このスープは「にこごり」なのである。この手があったか!と感嘆。小松菜やキュウリやらいろいろ入って、美しい。

 

 

(6月某日)

 勤務先で同僚の歓迎会と送別会があり、参加した。場所は渋谷の「某八」である。西麻布にある本店に、小泉元首相が在職時にブッシュ大統領(当時)を連れて行ったとかいう店である。

 しかし、驚いた。私はこれほど貧しい飲食をした記憶が、久しくない。食べ物は全品しっかりレトルトの味わい。飲み放題だったが、メニューには「日本酒、焼酎、白ワイン」といった名称しか記載されていない。飲んでみたらどれも工業的な味。飲み放題なのにビールしか喉を通らない。それでいて、サービスは素晴らしい。超満員なのに、呼ぶとすぐに飛んでくる。「やる気茶屋」のような大声で走り回っている。しかし呼んでも頼む品がありはしないのだ。

 廊下には船箪笥のようなものに高価そうな和服がかけてあり、そうしたジャポネスクもどきに客がむらがっているのだろうか。

 小泉構造改革の経済関連の大臣をした大田弘子氏の新著『改革逆走』を読んでいたら、「グローバリズム」の元、非製造業の労働の生産性が低いことがさかんに批判されていた。平仄が合っていることに、この「権某」は「グローバル・ダイニング社」の経営である。このように食べ物・飲み物のコストが安すぎる店こそが、構造改革ご推奨ということになる。労働生産性は高いに違いない。飲み放題なのに飲むものがないのだから。私にはほとんど文化破壊にしかみえないが、ブッシュも当店自慢のレトルトと工業アルコールを堪能したのだろうか。

 私のいきつけの安くて超満員の「埼玉屋」や「青二才」が、いかに誇りうる日本文化であるかをさらに確信させられた一夜だった。

 

 ついでに思い出したので、付記しておく。

 先月名古屋・栄で入った「旨い某屋」も凄まじかった。同席者が頼んだ「葱焼き」が、ほとんどゴムのような味しかしなかったのだ。同席者は「くさっていないか?」と怪訝な顔をしていたが、葱がいったん腐って中身がどろどろになったものをさらに数ヶ月置いておいて固めたような感じである。他のすべての食べ物も同様だった。これを「旨いもん」と呼ぶ神経は大した物だ。

 仕方ないので旧女子大小路で熊本ラーメン屋に入り直す。食えなくもない、といった味だったがその前が凄すぎたのでうまく感じてしまった。恐ろしいものだ。

 

 

 

(6月某日)

 先日、郵便物が届いたので開けてみたら村西とおる監督の『村西とおるの閻魔帳 ―「人生は喜ばせごっこ」でございます。』(コスモの本)が入っていた。裏表紙には、金色のサインペンで私の名前入りのサインがしてある。

 三年前だったか、「学者枠で宮台氏も出るから、センセイもお願いします」と言われ、クレイジー・ケン・バンドをタダで見られるというのにも惹かれて、村西監督がかかわる東洋一の規模という「セクスポ」で講演をした。

 しかし宮台氏はドタキャンで、私だけがなぜか学者で話すはめに。「戦後日本の消費社会と性産業」みたいな話だったと思う。

 そこで監督にお目にかかった。50億円の借金をされた方は、さすがに目の色に重いものがあった。

 そのお返しなのだろう。できれば書評等しようかと思ったのだが、しかし私には裏の取れない話が実名でバリバリに出てくる。これでは「学者」としては、評しようがない。

 というわけで、この欄で触れるに止めさせていただく。監督、申し訳ない。

 しかし裏等気にしなければ、面白い。いや、面白すぎると言って過言ではない。大信田礼子が自宅に帰ったら、夫の都倉俊一が山口百恵に「レッスン」していたとか、噂は本当に面白い。

 借金50億の人にしか書けない、何ものをも恐れぬお話である。まさに 「人生は喜ばせごっこ」なのだった。

 

 

 

(5月某日)

 やきとんの名店、東十条の「埼玉屋」が半年のリニューアル期間を経て再開することとなり、パーティーに呼んで頂いたので行ってきた。

 埼玉屋と出会って、かれこれ十年にもなる。初めて行って、一人カウンターで食べていると、「お客さん、プロだね」、と不思議なことを親父から言われた。「頼む順番が違うから」とのこと。そんな風に調子に乗せる作戦か?と思ったが、なにしろ旨い。大変な手間をかけて下処理している。

http://homepage2.nifty.com/tokyo-delicacy/saitamaya.htm

 しかしその後、私と福田和也・鹿島茂両氏の本をいつもテープ起こししてくれていた佐藤和歌子嬢が「ホルモンヌ」なる自称でマスコミに紹介した頃から、もの凄い行列店に。四時に開店、四時にそれ以上の客は断るという異常事態もあったらしい。

 私はそれまで、ここでゼミの飲み会をやったりしていた。なにしろ毎回行うゼミの飲み会で、学生に店を選ばせることを必修としている。街に出て、自分の足で店を眺め、コストパフォーマンスの良い店を選ぶことは、現実とのつながりを与えてくれるからだ。ネットで「月の某」とかを選んできたら単位はやらない。

 この日、大将は背広でお客に振る舞い酒、息子さんもお孫さんも総出でもてなして下さった。美人の女将さん、義理の娘さんも、いつも通り大忙しである。ホッピーの会長、新社長(漫画『世界の中心でクダを巻く』に登場)、日本酒「仁勇」社長をご紹介いただいた。みなさん、現場が好きな方ばかりだ。

 この店が永遠に続くことを祈る。大資本の系列店などをのさばらせてはならない。

 

 

(4月某日)

 私は自然農法主義者ではない。何故と言って、人と交わろうとするとどうしても農薬を使った弁当などを食べざるを得ない場面に出会うからだ。なるべく自然な食品を食べるようにしてはいるが、当否は味が決めるものかと思う。

 しかし、ナチュラル・ハーモニーの河名さんからいただいた「かぶ」のうまさには驚いた。たんに塩とオリーブオイルをかけただけなのだが、真までこりこりとして野性味がある。大したものだ。今度はトマトを買ってみよう。

 

(4月某日)

 今回の奄美行きではいろいろと衝撃を受ける出会いがあったが。

 ガイドの田町さんが「ここに行って一時間、店主と喋っていなさい」と無理矢理に(?)連れて行かれたのが「あまみ庵」。

 古本屋だが、奄美、沖縄関係の古書が壁の片面を覆うマニアックな書店だ。そのCDのコーナーに、釘付けになった。

 私は、音楽に関しては、結構なすれっからしだと思っている。先日の新宿PIT INNの「D−1選手権」は、音楽会で滅多にないドキドキするライブだった。

 しかし、旅は面白いものではある。「里国隆」というクレジットのあるCDに、目が釘付けになったのだ。その写真は、那覇の路上でカンカラを置いたサングラスのレイ・チャールズが木切れにだきついているような奇妙な写真なのだが。

 

 思わず、二枚買った。聞いてみたら・・・

 これは、路上でのみ歌ってきた、奄美の島唄歌いのCDなのであった。叩き付けるように、唸るように、飲み込むように、黒いとぐろを巻く。キャララ、と琴が鳴るのが不思議。

 黒い・・・いや、黒すぎる。あんた、エルモア・ジェイムスか?

 内容は正調の奄美の島唄らしいが、こんな凄いうなり節が日本にもあったのだ。サニーボーイの路上に寝そべる写真で驚いてはいけない。これは絶句する音楽だ。 

 人間が、生前の利益とは関係なく残した音の恐ろしさを、どうぞ。以下、CDのクレジットより。

1.「あがれゆぬはる加那」オフノート:「すごい唄ですよ。押し出すような、呻きのような唄い方。刃を突きつけられているような。これは、ものすごい絶唱。これぞ『放浪芸の華』だって僕は思いますね。」(小沢昭一)
 

2.「路傍の芸」ジャバラ・レコード:1982年11月17日、沖縄・那覇市の平和通り路上に"聖域"が生まれ、そして消えていった。「路傍ですから、喰うや喰わずですから…」

3.「黒声」オフノート:ヒストリー・オブ里国隆。奄美のアウトサイダー、里国隆の放浪人生生涯、奄美・沖縄の村々を漂白した男のうた。女、金、旅、うた…そのすべてを自らの語りと三絃で綴る

→DVD

 

 

(4月某日)

 奄美大島に景色を見に行ってきた。加計呂麻島は、日本でもっとも天国に近い島ではなかろうか。

 奄美で見つけた美味しいものに、「鶏飯(けいはん)」がある。ご飯に鶏スープをかけ、これに鶏肉・錦糸卵・干し椎茸・ごま等を混ぜる。もともとは薩摩の大名をもてなす高級料理だったそうな。

 しかしこれ、私か好きな中国は成都の名物、「過橋米線」に似ている。科挙の試験を目指して別棟で勉強中の夫に暖かい料理を食べさせようと、橋を越えて運んでも熱々の鶏スープに生肉をしゃぶしゃぶして食す汁ビーフンである。脂がスープに蓋をするので、熱さが逃げないのだ。

 この話をしたところ、有名な「ひさ倉」は脂を取り除いているので、元祖の「みなとや」がいい、と複数の方から薦められた(ただ、ここもときどきスープがさめていることがあるからご注意あれ、とのこと)。しかし行ってみると、五時なのにすでに閉店。

 結局、空港と古仁屋の港の食堂で二度食べた。元祖はもっとうまいのかと、再訪を期す。

 

(4月某日)

 熱帯魚をアクアリウムに飼うのが夢だったので、昨年から飼育している。しかし水が澄まず、なかなか安定しない。

 最近、水温が高いため水面が低くなり、循環が滞っていることにやっと気づく。毛のような藻のついた水草はいったん排除、しかしカージナル・テトラはなぜか流木の陰に隠れたまま。なんとか懐かせようと工夫しているが、点灯するとパニックを起こす毎日である。

 熱帯魚屋の旦那(爬虫類屋を兼ねる。しかし、なぜか巨漢が多い気がするな)と相談。「頭が悪いから、すぐに懐くはずなんだけどなー」という反応が面白い。結局、グッピーを10種入れることに。こいつらは指をつついてくるほど人なつっこいという。大きな紺の尻尾を振る様は美しく可愛い。

 とりあえず、テトラは流木から追い出されて右往左往している。 

 

(4月某日)

 相変わらず、邦画狂い。小津安二郎『長屋紳士録』、最高。

 昭和22年の作。戦後の上野近くの長屋の人情噺。いかにも古いかと思いきや、家族とはぐれた子をもてあました飯田蝶子が「シッ、シッ」と追い払うシーンには息子がもらい泣き。肩をこきこきやる子ども(青木放屁)のしぐさとか、小津は小ネタの仕掛けが実にうまい。飯田蝶子が子どもを好きになったと言って写真を取りに行くシーンとか、最後に子どもと一緒にやる「こきこき」とか、泣ける。

 上映当時は最先端の話題であるはずの黒澤『醜聞 スキャンダル』等はテレビでやってもすり切れたネタに見えるのに、小津がほとんど二人きりの画面で持たせるというのは、古典落語もびっくりの力業。

 対照的というか、続けて見た松田優作の最高傑作とされる『野獣死すべし』にはガッカリ。クラッシックと言い、死への親近感といい、豪邸の一室といい、キューブリック『時計仕掛けのオレンジ』の向こうを張ったのだろうか。しかし、画面に現れた想像力の狂気じみた独創性は、キューブリックに十歩も及ばない。たんに残酷に殺人描写ばかりのスカ映画だった。

 

 

(3月某日)

 父親が残した1000枚以上のCDを整理・売却。一部(といっても500枚はあるか?)を東京に送ったので、整理する。

 名ばかり聞いて実際には知らないCDをちょくちょくターンテーブルに置いてみる。

 とこにスイング・ジャーナルの受賞マークのついている、「官能的で刺激的な女性ピアニストのデビュー作」「ハバナの奇跡」。続けてワタシ的には没である。20秒聴いても刺激的な音が出てこない。「早よ、本論に行ってんか!!」と関西弁で言いたくなる。何かにつけて気が短くなったのか、SJのような商業誌のオススメには消費意欲が突起しない。

 その点、10枚もあるジャンゴ・ラインハルトはやはり大したもの。そそる音を出すなあ、と感心する。

 

(3月某日)

 新宿PITINNにて故・浅川マキの献花の会「こんな風に過ぎていくのなら」に寄る。花が置いてあるので、メッセージとともに正面に置く。

 マキは初期のフォーク調から後のジャズ、フリージャズと伴奏を様々に変えたので、「初期のギター伴奏しか聞きたくない」といったファンもいるようだが、私にとってはむしろ、回りがどんな風に演奏しようと、ときにリズムがずれても、「これはマキ」としか言いようのない歌い方をした人だった。当然だ、フリージャズですら歌うのだから。

 美空ひばりがジャズ風、演歌風、ロック風に歌うと「新たな芸風」といった感じがしたが、それとは違う。伴奏のスタイルががらりと変わっても、「やっぱりマキ」という存在感が一貫していた歌い手だった。一本の木から、木彫の名匠が彫り方を変えても同じ顔の仏像を彫り出すかのように。「アングラの」等と特定の形容がなされるのにはひどく違和感がある。マキ自身が自分を特定しなかったのだから。

 一月来、毎日頭の中で「都会に雨が降る頃」が鳴っている。伴奏は山下洋輔。凄い人だ。私が好きなのはこれと「暗い眼をした女優」。やはり正統派のファンではないのかもしれない。

 いつだったか「ふらて」で偶然同席して、私は一介のファンにすぎなかったのだが、お酌してもらったのをしみじみ思い出す。合掌。

 

(3月某日)

 私は神戸の生まれだが、大学で東京に出たので大阪をあまりよく知らない。それで休暇をとってふらふらしていたら、素敵な景観と出会った。私が「失われた景観」と言うのは、こうした風情を指すのだ。日本には、京都・祇園のようなハイカルチャーと大阪の下町のようなローカルチャーしかないのかもしれぬ、と思う。

 

(3月某日)

 七大戦の錬成大会で関西に来たので、大阪をぶらぶらする。ホルモン発祥の店と聞く桃谷「とさや」に行ってみようと鶴橋から延々とあるいたが、途中で場所を尋ねたところ「ああ、2年前だかに閉店されましたわ。私は米を入れてました」。米屋さんである。ああ、もう少し早く来れば良かった。

 代わりに十三に。「請来軒(ちんらいけん)」。カウンターは庶民的だが清潔。てきぱきしている。「上肉」とあるので何があるのかとたずねたら、ミスジ、三角下、イチボ、サーロイン・・とずらずら並べ立てられる。では、とミスジとイチボを。すぐに出てくる。

 なんと、細密画のごとく見事にサシの入ったピンクの厚くて巨大な肉である。それがアルミ缶のような容器にぞんざいに入ってくる。炭火でもなくガスだが、これほどの美しい肉だと、ガスでも問題ない。少し炙るだけだから。双方とも、衝撃的な味である。口いっぱいに脂が吹き出、それでいて肉の噛みごたえがある。キムチ、ごはん、等で5000円程。値段も驚き。

 私にとっては、東北沢の○一とこの「ちんらいけん」で、東西の横綱である。大将は相撲に相当に肩入れしているらしい。帰り方、大阪場所の醍醐味を楽しく話してくれた。  

 

(3月某日)

 先端研で研究会があり、弁当が出たものの、東北沢駅前を歩いていて「焼き肉○一」の看板を見てつい立ち止まった。

 わざわざ電車で来ることも多いのに、見過ごす手はない。というわけで、一人で夜食。

 肉は「とも三角」のみ。両面を五秒ずつ炙って、赤身を少し残し、レアで脂を楽しむ。雪のように溶けていく。ほんとうにここの肉はうまい。肉自体の味があるのに脂も楽しめるのは、稀少である。

 コムタン、白菜キムチ、チャンジャに生グレープ酎。

 以前、中野のはずれの住宅街にあった頃から行っているが、いつものごとく、ちょっとこの世のものと思えぬひとときを楽しめた。凄し。 

           

(2月某日)

 国立演芸場で落語を聴く。

 一席目が「壺算」、二席目が蕎太郎の「うどんや」、三席目が五街道雲助。

 蕎太郎はいつものごとく面白い。うどんやとヨッパライとの会話で、前の人がやった壺算を引用したり、前半で言い間違ったのに触れて「よくやる噺でも間違えるんだよな」とつぶやい て修正したり、女房が食あたりしない、という話に「雪印でも白い恋人」でも、と言い添えたり。自由に引用するあたり、フリージャズマンがスタンダードを弾いている印象。数分かけてうどんをすする仕草に、後ろのカップルは「うまいわね〜」。正統派のファンにはあざといととられるのかも。

 雲助は真っ正直な顔をして、スタンダードをやっていた。名人会と題されているが、管理者は対比を見せたいのだろうか。面白い。

 

(2月某日)

 「自転車キンクリート」の芝居を、座・高円寺で観る。同じ舞台セット「富士見町アパート」で、四つの別の物語を競演するという出し物で、そのうち二つ、「魔女の夜」と「海へ」。

 「魔女の夜」は、女優だかアイドルだかの役の山口紗弥加がコケティッシュで美しいし、明星真由美も達者。二人の会話から、登場しない三人目のスキャンダル相手の位置づけがどんどんひっくり返るサスペンスは大したもの。しかし芝居というのはどうも見慣れないので、閉じ込められた空間がどうにも辛い。というか、よくで来すぎているので、話に取り込まれて、気持ち悪くなった。山口演じる破滅型のアイドルが不快で仕方ない。席が列中央だったし、椅子も馴染まなかったので腰が痛くなった。

 「海へ」は、四人のよく分からない男たちが、自殺した五人目をめぐって堂々巡りする。これはデリヘル嬢役の遠藤ルカが三人とキスしたり、向こうを向いてるテレビ画面ででポルノを映したり、舞台でこんなことができるんだと驚く。清水宏はいつものオラオラキャラではなかったような、あったような。笑えて、少し気分が戻った。

 

(2月某日)

 国立演芸場で落語を聴く。

 志らくが素晴らしい。演目は「鉄拐 上海パラダイス」。枕で談志が輸血して以来、いたって元気になったが、人が変わって善人になったと言って、いきなり場をつかむ。

 仙人を上海の演芸場に引っ張り出して芸をさせる話。仙人が渋るので「古典のうまい正蔵のまがいものを見せてやる」と口車に乗せて連れ出す。しかしピッコロ大魔王のように別人格を口から生み出す芸が受けなくなったので、鉄拐仙人が別人格に「ひばりの『悲しい酒』のメロディーで『どんぐりころころ』を歌わせる」というのが、場内大爆笑。続けてさだまさしの『防人の歌』で「じゅげむ」をやり、受けたついでか『芝浜』の超短縮版までやってのけた。

 奇想天外、くすぐりが多彩に入って、心地よい。人気があるのもさもありなん。

 席が狭くて疲れたので、中入りで帰る。トリの王楽は、テレビで見た祇園の話が絶句するほどひどかったので、パス。私は、噺そのものよりも、語る口調に心地よさがあるかどうかで判断するみたい。

 

(2月某日)

   天然のとらふぐは本当に美味しい。店で食べるとえらい値段になるので、神戸・魚崎の親友、魚屋の吉川勉君にさばいて送るよう頼んでおいた。

 前回、クエの刺身と鍋を送ってもらったが、九州から魚崎経て東京へ来るからおもしろい。吉川は、小さな商店街が閉鎖しているというのに、住宅街のど真ん中でぽつりと店を開いている。こんなのでやっていけるのかと訝しく思っていたら、どうやら昼間に自転車で走り回って上得意を開拓しているらしい。 お得意の家とかへ、つーちゃんは週に二度とか特上ものの魚を持って見せに行き、夕方にさばいて配達にいくという商売である。住吉の料理屋「興譲庵 器楽 (こうじゅうあん きらく)」はつーちゃんの魚を出している。阪神間では、トップクラスの目利きなのだろう。

 以前にもぶりしゃぶ、ぶり刺身をやってもらった。ピンクの身が美しかった。

 で、今回のとらふぐ。三重のものが大阪にあったのを見つけてきたとのこと。白髪葱や紅葉おろしも付けてもらう。鍋は身がキュッキュいうほど締まっている。食いきれないほど骨付きで食す。皮際はとろとろになって、たまらない。これでは、店で食べる気にはならなくなるな。

 

(2月某日)

   林真理子さんと言えば、80年代には消費のトップランナー。原宿の億ションに住まいを構え、お手伝いさんが掃除にやってくるといううらやましい暮らしぶりを誇っておられた。昭和10年代の消費文化の最先端は、市川崑が撮った『細雪』に活写されている。ウチの実家がある魚崎・住吉川で、四姉妹があでやかな着物を競う映像美にはため息が出るが、それをバブル期に東京に移し替えたのが林さんだったような気がする。

 しかし先頃『週刊文春』の連載には、えらいことを綴っておられる。友人のオクタニ女史が歌舞伎座で1200円の封筒セットを買うのにカードを使ったのを見て、あきれてこう言うのだ。「お店にも迷惑じゃん。・・・・カードは手数料取られるんだよ。銀行行けなかったら、そこらのATMに行けばいいじゃん」。

 以前にも、「最近は蕎麦屋で酒を飲むのが流行っている」という文章を見て、時代が30年はずれているんではないかと目眩がしたが、今回も痺れた。最近ではカード会社はどんな小銭でもカードで支払わせるよう店に指導している。嫌なら店はカードを入れなければよいだけで、メリットがあるからそうしているのだ。それよりなによりポイントが貯まるのが魅力的で、数年前からポイントは消費の台風の目になりつつある。

 バブル時と現在が異なるのは、カードにポイントがつくことと、逆にATMで手数料を取られること。双方ともなければ、林さんにも言い分がないわけではない。バブル時には、なるほど銀行から只で現金をおろして支払うのが普通の神経だった。しかし今そうすれば、1200円を払うのに手数料の105円とポイントを失うではないか。

 かつて私にとって消費界のヒロインに見えた林さんの時間は、30年間止まっているのであろうか。

 

(2月某日)

 名作とされる降旗康男『駅』を見る。高倉健が射撃選手であろうと突き詰めて家族崩壊、いしだあゆみとの電車の別れがCMで有名なあの映画だ。

 狙撃担当で何人も射殺してしまうことに疑問を感じ、ふと故郷で寄った居酒屋「桐子」の倍賞千恵子との出会いのシーンは、映画史に残る名場面というか、「北国の居酒屋にはいい女がいて、出来てしまう」という妄想を日本に定着させた。確かにこのシーンの倍賞の表情は、ひとつひとつが見る者の視線をそらさない。船でしか行けない地方都市があるというのも、この映画が知らしめたのだろう。 メニューとして壁にかかっている「いか刺し、かんかい干物、たらこ、マトン焼き」というのも、うまそう。酒は地元の『国稀』と『白雪』だ。

 しかし、なんだか妙にシーンが挿入されている。それもいくつもなので、シリアスな映画のはずなのに、なんだかな、という印象。

車中で、居眠りした健さんが隣の武田鉄矢と頬を寄せて寝入ってしまう。
・倍賞と健さんが見る映画がなぜか
MrBoo。倍賞は笑い転げて椅子で額を打ってしまう。
・一夜を過ごした倍賞が「私は声が大きいって前の人に言われた」と言うのに対し健さんが、なぜかナレーションで「樺太まで聞こえるかと思ったぜ」と受ける。

 その他、健さんは何故親友の小松が妹の彼氏になろうとするのに激怒したのかも、謎である。結局、「桐子」といしだあゆみとの別れがすべての映画ということか。 

 しかし、いしだは、冒頭以外には出てこない。ストーリーを追うこともなく、あの有名な泣き笑いで敬礼する演技をして見せたのだ。凄い。

 

(2月某日)

 古くからの(30年来の)友達であるフジコが久々に歌うというので、職安通りの「ウルガ」へ。

 フジコと会ったのはペーパームーンが西巣鴨にあった頃で、当時彼女は演歌歌手だった。その頃にやはり会ったのが坂本氏で、二年ほど前にゴールデン街のナマステで再会。店をやってるから来てよ、と言われたのがウルガだった。奇遇ではある。

 そのときにナマステで坂本氏と喋っていた女性がこれまで20年だか前に新小岩のオームで野中悟空や不破大輔を聴きに行ってよく会っていた人なので、もう奇遇の糸がごちゃごちゃになっている。彼女はいまゴールデン街で「フラッパー」を経営している。

 で、フジコだが、なんと林栄一の前座である。マキの曲やジャズ等を歌う。

 驚いたことに、最後の曲で林さんが登場。フジコが「リンゴ追分」を歌い、サックスで歌伴、ソロ。いやあ、やはりフジコは演歌がいい。声が途切れない。彼女に地元津軽の「鰺ヶ沢音頭」を歌ってもらったことがあるが、やはり出色だった。声の伸びが違うんだな。

 それにしても、岡林のカバーといい、ひばりは偉大である。

 

(2月某日)

 昼食で近所のインド料理屋に行ったら、「ダルバート」をやっている。ネパール人の食事といえば、これ。豆カレーかけご飯のことで、それにアチャールとタルカリといった副菜がつく。さっそく注文。

 日本のラーメンや天ぷらには店で食べる味というものがあるが、ネパールで食事は基本が家でするものであり、その意味では貨幣経済が浸透していないので、外食は標準化されていない。うまいダルバートは店でなく、どこかの家庭にあったりする。

 というわけで、残念ながら、亡くなったスルジェ(作家の平尾和雄夫人)が作るものには及ばない。私が食べた中では、やはりスルジェのが一番である。スルジェが元気で練馬に住んでいたときは、一時は毎週食べていたからな。今日のは、ダルスープにコクがないような気がした。それと、無い物ねだりではあるが、大麻の実のアチャール(大根、ターメリックと和えたもの)があればなあ。成田で没収されるので、在日ネパール人も日本では作れないのだが。  

 

(2月某日)

 何気なくNHKをつけっぱなしにしていたら、SONGSで岡林信康を特集していた。

 数年前、西武文理大の小山先生に誘っていただき、池袋でライブを聴きに行った。その時は、90年代から続けている「エンヤトット」をメインに据え、「山谷ブルース」や「チューリップのアップリケ」も歌った。ただ、私には波長が合わなく思えた。

 この番組では、次の展開であろうか、美空ひばりとの交流に焦点を当てていた。昨年発売のCDに合わせたものらしい。

 歌は「悲しき口笛」。ピアノは驚いたことに山下洋輔。岡林が伴奏を頼んだらしい。山下がブルースの歌伴を得意とするのは、ファンならば知るところ。浅川マキのライブ版を全盛期山下トリオでやったのは、絶品である。さすが「ブルーノート研究」で論文をものした山下だ。

 岡林の「悲しき口笛」も、まさに絶品だった。心に沁みること。泣ける。揺れのない高音で演歌を歌うのだが、山下のさらりとしたブルースにぴったりと合う。さっそく、ひばりカパーアルバム『レクイエム』購入。やはりこの曲が素晴らしい。

 浅川マキもなくなり、今度焼香に行く。しかし、このところのマスコミ報道には呆れたな。「アングラの女王」って、マキはまるで60年代で終わりみたいな扱い。朝日の玉木正之氏の追悼文も、駒場寮で最後の歌を聴いた話。岡林で言えば「山谷ブルース」や「チューリップのアップリケ」で終わったような扱いだった。岡林はといえば、そんな扱いが嫌で音楽から一時遠ざかってしまった、と述懐していたが。

 しかしマキが凄いのは、初期のアコースティック好きのファンの抵抗も無視して、フリージャズにすら突入し、しかし一貫して変わらなかったところ。愛聴版『CAT NAP』は、出だしのつのだ☆ひろが格好いいが、やはりマキでしかない。

 先日、森山威男さんと話していたら、「マキがフリーで大丈夫なのを当時知っていたら、そんな風に叩いたのになあ」と仰っていた。それも叶わぬこととになり、悲しんでいたが、岡林に癒された。 繰り返し聴き、泣く。

  

 

(2月某日)

 息子と南阿佐谷の蕎麦屋「道心」へ。ここは、今一番のお気に入り。

 「藪」等老舗が作り上げた二八で美しいまでに挽きつぶした蕎麦の頂点は、「翁」だったんじゃないかと思う。椎名町や店舗なしで打ちに来られたときに何度か食べた。

 しかし、蕎麦粉十割で、かつ実のテクスチャーを挽きつぶさない蕎麦の登場で、私の味覚は一転してしまった。ざらざらしたのどごしがあって、蕎麦の匂いも楽しめ、こっちの方が好きだ。

 道心の「香織そば」は、その点では理想的。主人はこれだけ出したいそうだが経営上、試行錯誤で種物や汁物もやっているが、いまいち。なんといっても田舎と香織がすばらしい。冷たいが、濃いそばつゆにそば湯を入れるとこれも絶品。白濁どころではない、じゃがいものポタージュほど濃く、熱い。身体が芯から温まる。

 そば湯は、蕎麦粉を大量に追加しているようである。最近のうまいつけ麺屋では、付け汁を割る追加の汁として別にスープを取っているが、ちょうどそれに相当する。そばつゆも、蕎麦に必要な量の数倍がデフォルトでついているので、大量にそば湯を楽しめる。大満足。 

 こうしたニューウェーブ店に対し、ビッグコミックの漫画『そばもん』は、老舗のプロパガンダを行っている。手打ちは打ち幅がまちまちで生煮えだから機械でも構わない、そば湯は濃すぎるとのどに引っかかる、等だ。漫画家の山本おさむは尊敬する作家なので、お先棒をかつがされて残念だ。

 考えてみれば、蕎麦のゆで時間は1分ほど。小麦粉は10数分もかかるから、一分でゆであげる二八の「つるつる」って、小麦粉の生煮えなんではないのか?その点、太さにばらつきがあっても、一分くらいなら大した生煮えではありえない。

 

(1月某日)

  息子と駒込の中華蕎麦屋Nへ。ここは「凪」という系列らしい。新宿ゴールデン街で入ったラーメン屋もそうで、煮干しのきつさが昨夏に行った青森ラーメンそのものだった。 駒込のは店名の連想から言えば、青森の「長尾中華蕎麦」のリスペクト店ということか。

 青森のラーメン店は絶海の孤島のような味で、「マルカイ」は屋号も出さない学校の食堂風なのに男ばかりで満席。すっぱいほどに煮干しがきつかった。現地でも評価は分かれるそうだが、若手のラーメン店主 (『田村』等)はそれにとんこつを入れたり工夫しているようだ。ゴールデン街の店は、超太幅五センチほどのイタリアン風の麺を使っていた。 ラーメンとしての完成度は高い。深夜のゼミで、文壇バー「アンダンテ」に学生を連れて行った後に入った。

 私としては、もう少し動物性の出汁を入れてほしいところ。魚介だけが青森風なのかもしれないが、個性は強いものの自分の好みではないと思った。Nにつき息子は「蕎麦みたい」と言っていたが、なかなか鋭い指摘だ。 丁寧な仕事は大したものだが。

 結局自分は、かつて荻窪にあった「めんや」を原点と感じているのだろうな。

 

(1月某日)

 小津安二郎『宗方姉妹』。高峰秀子が大爆発。一人芝居がコケティッシュで可愛く、父親とうぐいすを眺めては「あ、うんこした」。それでいて田中絹代の姉さんに「あなたの言う新しいって、マニキュアを塗るかどうかってことでしょ。わたしの言う新しいって、古くならないことなの」と言われて説得されたりする。素晴らしい。『東京物語』や『晩春』が小津の中心として、中村鴈治郎の『浮草』『小早川家の秋』が異色作に見えてどちらも大好きだが、どちらにも属さぬこの作品も気に入った。

 この作品は高峰の爆発ぶりがマイナスに評価されることがあるらしいが、私にはむしろ名声高い『浮雲』の方が高峰のがらがら声で大した作品とは思えなかった。映画好きの評価というのは、よくわからんものだ。

 

(1月某日)

 立川志の輔「パルコ志の輔らくご」。三席、創作「身代わりポン太」。事業仕分けで巨大な下半身だけ建設したところで凍結になった狸型展望台のゆくえ等、どっかんどっかんと笑いを誘っている。婆さんの造形がうまい。二作目 「踊るファックス 2010」で巨大なファクスが流れ出るのにも驚いた。大道具もずいぶん遊んでいる。そういえば、劇場らしくシンプルな背景、幕間に映し出される文字によるト書きも楽しい。

 しかし人情噺「中村仲蔵」は素晴らしい。歌舞伎について丁寧な解説がなされ、落語にうとい自分にもよく分かった。歌舞伎界にあって血脈もない仲蔵が、忠臣蔵の地味な「五段目斧定九郎」を斬新な人物像として描き出すという話。花道の場面では、客席に 新弟子時代の仲蔵が現れたかのように感じた。視線で空間を自在に扱っている。初めてうかがうが、これは、大変な名人だわ。

 私は一時間半の講義を二つもすれば頭が二つに割れたかのような感じになり、飲まずにはいられなくなるが、三席で声色にも仕草にも間にも気遣って三時間近く。声ががらがらになるほどの熱演だ。終わるまで、一瞬も飽きる時間帯がない。客席は皆、満足仕切っている。

 楽屋に挨拶にうかがうと、鶴瓶さんも来ていた。 「一昨年、談志さんの『鼠穴』を聞いたとき、火事の場面で風がごおーっと吹いてくるように感じました。今日もそんな風に聞こえて感動しました」と礼を申し上げる。興奮であまり眠れない。朝七時に出なければならないので深酒できないのがつらい。

 

(2010年1月某日)

 麻婆豆腐は近年、あちこちで「本場風」を謳ったものを出すようになり、あちこちに行ってみたが、なぜか私が中国で好きな味にはほど遠い。唐辛子・山椒に豆鼓(トーチー)のバランスが悪い気がする。新宿の「川香苑」で、やっと思う味に出会えた。

 麻婆豆腐、煮こごりの美しい豚足、ハチノスの唐辛子炒め、沸騰魚等、北京で流行っている重慶飯店等の四川とそっくりの味だ。本当にうまい。そして食後の杏仁豆腐も、生クリームが絶妙でうまい。吉祥寺のカフェ・フロアーで出会ったのと似た絶品だ。頭が痺れる。