『東京裁判 日本の弁明』「却下未提出弁護側資料」抜粋 小堀桂一郎編
/評者・松原隆一郎

 我々日本人は、先の戦争にかんしてアジア諸国から繰り返し謝罪を求められ、諾々と応じている。もちろん戦時中、他国の人々を憤激させるそれなりの行為があったのは事実だろう。しかし、日本国内で起きた刑事事件でさえ裁判で有罪判決を下された犯罪者が刑に服し財産を没収されはしても、反省や謝罪が求められることはない。我々は何故いつまでも謝罪し続ける気になるのだろうか。
 もちろん日本に侵略の意図がなかったとは言い難い。しかし、価値観の異なる国と国が互いの行為の正否を公式に問うていくには、共有されるルールすなわち国際法に照らしていくしかない。そして法で裁いた後は、公的にはそれ以上の反省や謝罪を求めても仕方がないはずだ。 それにもかかわらず、公式の謝罪がいまだに求められ日本がそれに応じてもいるのは、戦争と謝罪の関係の理解において、何らかの混乱を起こしているからではないだろうか。その理由のひとつとして、東京裁判があると思われる。なぜなら、それは裁判と明確に謳いながら、戦争当時には存在しなかった法で裁いたり、日本側の弁護人の提出した資料の大半を却下したりした異常な体裁のものだったからだ。これを公平な裁判と受け取ってしまった人には、戦争において何を悪と判断するのかの基準が見えなくなってしまって不思議ではない。
 本書は、その却下された資料を、五十年の後に法務省の地下室から見出して集成した全八巻・五千五百頁の労作「東京裁判却下未提出弁護側資料」の一部を抜粋した、文庫普及版である。巻頭には編者・小堀桂一郎氏の明快な解説が付されている。原著作の出版の経緯は、雑誌『正論』今年四月号の小堀・入江隆則・渡邊明各氏の座談会に詳しい。本書の出現で、かつての判決が勝者による復讐を意味していたことが明らかになるだろう。
 内容の一部はすでに出版されているが、とくに高柳賢三弁護人の冒頭陳述は朗読も認められず今回日の目を見たものである。高柳論文は東京裁判が事後法であってなお有効とみなされるための主要論拠とされた一九二八年のパリ不戦条約を論駁し、さらに国際法にもとづかぬ判決は無法の暴力だと主張していて、鬼気迫るものがある。これが冒頭で読み上げられたら裁判が成立しなかっただろうといわれるのもうなづける。
 その他全十八編では、満州は日本に脅迫されたのでなく自発的に独立を画策していたこと、柳条湖事件や真珠湾攻撃はことの端緒でなくそれ以前の満州の無政府状態や列強の経済封鎖を起因とすること、三国同盟は軍事的には何の現実的効果ももたなかったことなどが、縷々論じられている。
 無論、本書の論述もまた一方の弁明にすぎず、公平な裁判であるための半分の要件しか構成していない。その意味では、本書は国会での謝罪決議に賛成した人々に読んでもらいたいものだ。その上で、再反論が正当な論拠をもってなされるなら、東京裁判は本来ありうべきだった全貌に近づくことになるだろう。大いなる思考実験を強いる書である。
(サンサーラ)