| 『そして、風が走りぬけて行った』植田紗加栄著/講談社 「孤高の天才」と呼ばれる人がいる。関係者の間ではその名が鳴り響いておりながら、世間にはついぞ知られないような人。守安祥太郎がそうだった。ジャズは一九四〇年代半ばにニューヨークで一大改革期を迎えビバップが成立したが、その楽理上の秘密を日本にいながら、しかもレコードを聞いただけで解明していたピアニストである。 ジャズといえば当時の日本ではビッグ・フォーが大人気だったが、それは物真似でしかなかった。対照的に守安のプレイは、先進的すぎて理解されない。遅れて本場から類似のレコードが新着して、やっと認められるという有り様だったらしい。その守安が志しあるミュージシャンとともに行ったクラブ「モカンボ」でのセッションでは、彼だけが凄まじい印象を残した。昭和二十九年のことだ。その音源がレコード化されたのは昭和五十年。日本人が独自にジャズを展開することが求められ始めた頃である。発売後まもなく私も購入して、すでに二十年前、誰のコピーでもないプレイが存在したことに驚かされたものだ。 彼がプロとして過ごしたのは七年間にすぎない。昭和三十年、突然自殺してしまったからだ。かすれた音でしか知りえなかったこの不幸なピアニストについて、生前の彼を知る人々の無数の証言をちりばめて、その知られざる人となりを、激しく鋭いプレイまでが聞こえるかのように再現したのが本書である。 裕福な家庭に育ち、幼稚舎からの慶応ボーイ。普通科ですでにリストを弾きこなし、経済学者を志していたという。その守安が、レコードだけからでもビッグバンドのすべての楽器の音を採譜できるという異常な聴力を武器に、空手家のごとく指立て伏せのトレーニングまでしながら本物のジャズを追求していく。そして、何かが弾けたかのように、彼は奇喬な行動に走り始める・・。 日本ジャズ史の空白を埋めるだけでなく、真に創造的な人間の精神に迫った労作である。 (読売新聞) |