ゴジラ息子の生のあかし(1998年7月11日読売新聞)
両親が遺作絵画展 18歳で不慮の死(折しも「米国版」封切り)
あこがれたゴジラの絵を書き続け、将来は画家や特撮映画の監督になることを志した少年が18歳で亡くなった。不慮の事故で断ち切られた息子の夢を、せめて遺作展でかなえてやりたい、と両親が一周忌にあたるこの24日から二日間、大阪府豊中市東豊中町四のギャラリー「ライフステーションエイブル」で開く。折しも11日から米国版ゴジラが封切られたばかり。
「これも何かの縁。息子の強い遺志を感じる。」と両親は話している。
開くのは兵庫県川西市東畦野山手一の会社員中田豊さん(49)と富美子さん(46)夫妻。昨年7月24日、専門学校研究性だった一人息子の昌宏さんに、先立たれた。昌宏さんは幼いころから絵が大好きで、小学校二年で近所の絵画スクールに通い数々のポスターコンクールで入賞。絵で身を立てたいと、大阪のデザィナー学院に入学。卒業後もさらに別の専門学校への進学を目指していた。 ゴジラとの出会いは小学校に入った頃ころに初めて見た映画(復活版ゴジラ)。大怪獣の力強さと迫力に取り付かれ、それまでの15作をすべてビデオで見た。絵のテーマに好んで取り入れ、専門学校入学後も、アクリル画や水彩画に写し取り、18歳までの作品約二百点のうち半数がゴジラ。出品されるのは放射能を吐くゴジラやゴジラと戦ったキングキドラ、モスラなどの怪獣を色彩豊かでリアルに描いた39点。広島に落とされた原爆「リトルボーイ」を背負った怪獣が地球を抱く姿を描いた「核獣」と題した作品もある。ゴジラは水爆実験でよみがえった魔物だったとの設定を基に、反核の思いを込めて描いた独創的な作品だ。
突然襲った息子の死を中田夫妻はどうしても信じられなかった。が、部屋に残された遺作の生き生きとした筆致に触れ、中田夫妻は生きて行く勇気を少しずつ与えられたという。豊さんは「展示の準備に追われたこの一年、不思議と悲しみが紛れた。初めての個展がこんな形になるとは夢にも思わなかったが、昌宏の生きた跡形を多くの方々に知っていただければ」と語る。24日は午後10時から午後7時、25日は午後5時まで。無料。(「絵を頑張る」。昌宏さんの決意の言葉も書かれたゴジラの絵を前に語る中田さん夫妻)