ガラスの中のマリー
-HPオリジナルヴァージョン-
灰色のような夕暮れが、心を震わすころ、マリーは、ひとりで、ここの階段を登ってくるのです。
カチッと音がして、そのガラスの扉は開きます。
そして、カチッともう一度。マリーが鍵をかける音。
リリリ、リリリ……
「あれは何の音? 風鈴?」
そうかもしれません。でも、自転車のベルの音かもしれません。
ガラスの部屋の中の町は、どこか古風で、寂しげです。
「セピア色の町だから?」
そうでしょうか?
秋の公園の木々の色、ベンチの色は、たしかに、セピア色に似ています。
「また、来たのね」
いつもの不思議な少女が、後ろから声をかけます。
マリーが、このセピア色の町にやってくるといつも出会う不思議な少女。ときに、笑顔で、そして、ときには悲しそうにマリーを見つめる不思議な少女。そして、この町にやってくる前から、知っていたような気がする不思議な少女。でも、いつでも、いつのまにか消えてしまう少女。
そして、今日も、また。
「マリー!」
「ああ、あの子」
ブランコから飛び降りるように走って来たのは、こちらも、不思議な男の子でした。マリーの名を知っていて、マリーも、どこかで見たことがあるような男の子。でも、どこに住んでいるのかも、何という名前なのかも、マリーは知りません。それに、そもそも、オフィス街のこのあたりに、こんな子どもが住んでいるような家があるのでしょうか?
「マリー、あのビルは、僕が作ったんだよ!」
男の子が、公園の向こうに見える大きなビルを指さして言いました。
「え?」
「あの、上の方の階から、この公園が良く見えたよ。音楽堂もだよ」
「そう?」
マリーには、男の子が言うことがよくわかりません。
「今日は、そこのビルの診療所で診察受けたんだ」
さっきの大きなビルの隣のビルを指さしながら男の子が言うのを聞いて、マリーは男の子に尋ねます。
「診察って、あなたが?」
「うん」
「どこが悪いの?」
と聞こうとして、マリーは、はっと言葉を飲み込みました。
きっと、心の病に違いない、とマリーには思えました。
「でも、あなた、ひとりなの?」
マリーは、また、男の子に尋ねました。
「マリーがいるからだいじょうぶ」
「え?」
思いがけない言葉に、マリーは、ますますわけがわからなくなりました。そして、男の子は、噴水の周りを走りながら、まるで、ビルのガラス窓を通り抜けるように、空の方に、ふっと消えてしまいました。
「心の病なら、それなら、私も似たようなものかもしれない」
と、マリーは、心の中でつぶやきました。
公園の中には夕闇。誰も乗っていないブランコのわきを行くと、レストランの明かりが。そして、その窓の中に、なんと、さっきの男の子の姿が見えるではありませんか?しかも、ひとりでマリーの方を見つめているのです。
「あの子……」
マリーは、レストランにはいって行きました。
「あの子は……」
ウェイターに尋ねても、あの子の席はわかりません。
「男の子、ひとり?」
ウェイターが首をかしげているそのとき、マリーは、窓の外にブランコに乗っている少年を見つけました。
「いつのまに……、あんなところに……」
マリーは、レストランから外に出て、男の子を追いかけました。
男の子は、ブランコから降りて、芝生の上を歩いています。何かを待っているように。
「電車?」
そうです。突然、どこからともなくマリーと男の子の前に現れたのは、公園の中など走っているはずのない路面電車でした。
電車に乗り込む男の子を追って、マリーも、あわてて電車に飛び乗りました。
コインを機械に入れると、もう、男の子は、運転手さんのすぐ後ろの座席に腰掛けて、まるで、マリーを待っていたかのようです。
マリーは、男の子のすぐ後ろの座席に座りました。電車は、ゆっくりと走り始めました。
どこを、どう通ってきたのでしょう?
いつのまにか、電車の窓の外には、夕暮れのひなびた町並み、そして、商店街にやきとりやさん。
「あ!」
と、マリーは叫びそうになりました。
なんと、やきとりやさんの前に、さっきまで電車に乗っていたはずの男の子が立っているではありませんか?
「いつのまに?」
マリーは、やきとりやさんのすぐそばの停留所で電車を降りて、やきとりやさんの方へ向かいました。
「あの子!」
マリーが驚いたのは、男の子と一緒にいた少女の姿でした。
「いつもの……」
そうです。マリーが、このセピア色の町にやってくるといつも出会う不思議な少女。ときに、笑顔で、そして、ときには悲しそうにマリーを見つめる不思議な少女。そして、この町にやってくる前から、知っていたような気がする不思議な少女。そして、今日も、さっきの公園でマリーに声をかけた少女。でも、あの男の子と一緒にいるところを見たのは、これが初めてでした。
「あの子……」
少女と男の子は、やきとりやさんで買ったらしい串焼きのやきとりをほおばりながら、踏切をわたって、けやき並木の中を歩いて行きます。マリーも、ふたりを追いかけました。
「私、なぜ、追いかけてるの?」
それは、マリーにもわかりませんでした。
マリーがふたりに追いついたのは、小さな駄菓子屋さんの前でした。
「ペンダント?」
マリーは、男の子が、少女の首に首飾りのようなものをかけているのを見ました。
「こんなものまで売っているの?」
近づいて見ると、それは、貝殻のペンダントのようでした。
「よく似合うよ」
「え?」
男の子が、思いがけず、マリーに微笑みかけたので、マリーは、あわてて、さっきの少女を捜しました。が、少女は、もう、どこにも見あたりません。
「何を捜してるの?」
「え?……だって……」
「そのペンダントだよ」
男の子がマリーの胸を指さして言うので、マリーは、あわてて、自分の胸を見ました。
「あ!」
そこには、なんと、さっき、男の子が少女の首にかけていた、あの貝殻のペンダントがあったのです。
「ペンダントのチケットをお持ちですね」
劇場の案内係のような女性の声に、マリーが顔を上げると、そこには、見せ物小屋のようなテント小屋がありました。
「これがチケット?」
「入り口はこちらです」
いつのまにか、あの男の子の姿も見えなくなっていました。
「この中?」
「ペンダントのチケットをお持ちの方には、こちらの特別席をご案内させていただきます」
案内係にうながされて、マリーは、テント小屋の中にはいって行きました。
そこは、薄暗い部屋の中でした。
パイプ椅子。マイクスタンド……
部屋の壁も、そう言えば、なんだか、セピア色です。
「そうね。ここは、ガラスの中のセピア色の町ですものね」
マリーは、不思議な光景に自分を納得させようとしていました。
「ここは、楽器屋さんのスタジオだったのよ」
いつのまに来ていたのか、不意に、あの少女がマリーに言いました。
「スタジオ?」
「そう。ここで、あの子は、あなたのことを歌っていたわ」
「私のこと?」
マリーが少女に聞き返します。
「そう。あなたが生まれる前から」
少女の話を、マリーは、不思議な話だと感じました。
「行きましょう」
少女は、マリーをうながすように、部屋の端にある階段を降り始めます。
「ここは……」
セピア色の町は、たしかに、マリーがよく知っている町でした。通りの向こうには、マリーが通っていた学校が見えます。
「昔の話ね」
マリーがつぶやきました。
「今でも、待っているわ」
少女が言いました。
「あの公園で」
「公園?」
「さっきの公園とは別の。わかっているでしょう?」
「でも……」
だれにも会ったことなどない、と言いかけたとき、少女が、また、口を開きます。
「あなたが、鍵をかけたから、今は会えないだけ」
「鍵?」
「そう。あなたがかけたでしょう?」
「……」
「どうして知っているのかしら」
と、マリーが驚いていると、少女は、今、降りてきた階段を指さして言いました。
「この上に入り口があるわ」
「あなた、どうして、なんでも知っているの?」
「だって、私は、あなたですもの」
少女が答えました。
「どういうこと?」
と、言いかけて、マリーは、もう、階段をのぼり始めていました。
セピア色の町のセピア色の楽器屋さんの、セピア色の階段を。
鍵を開けて、外へ出ると、そこは、やはり、セピア色の町の……公園でした。
そして、マリーは、すぐに気がつきました。
このまま振り向けば、そこには、いつもの誰もいないセピア色のベンチが、寂しげにマリーを待っているはずなのだということに。
(08年1月6日掲載)
*本作品の当ページ掲載のHPオリジナルヴァージョンと絵本『ガラスの中のマリー』 の文章・表記にはいくつかの違いがあります。