何もない遊園地(北村正裕作)
プロローグ(何もない遊園地)
「ようこそ、何もない遊園地へ」
声に気付いて、はっ、とした少年が振り返ると、そこには、やや小柄で、おとなしそうな、ひとりの老人が立っていた。そして、少年は、自分が、いつのまにか、どこまでも広がるような広野の中に立っていることに気が付いた。空は、夕焼け色の薄明かりで、小鳥の鳴き声も聞こえないところをみると、どうやら、ちょうど日の沈んだところらしい、と、少年は思った。
「ここは?」
「ようこそ、何もない遊園地へ」
「何もない遊園地だって? それじゃあ、ここが・・・」
一度も聞いた事の無い場所を、ずっと前から知っているように感じるのは、不思議な事だ。しかも、少年には、何だか、自分が、今までずっと、この場所を探していたような気がするのだった。
「そう。ここは、何もない遊園地。誰も知らない遊園地。バスに乗っても、電車に乗っても、決して行けない遊園地。どんな地図にものってない、どこにも無い遊園地」
「それじゃあ、どうして僕は・・・」
老人は、穏やかな表情をしたまま、少年の問いには何も答えず、代わりに、
「今夜は、満月だな」
と、つぶやいた。そして、それから、少年に語りかけた。
「さあ、サフィ君。もうすぐ、天の振り子が揺れて、星のゴンドラが降りて来る。そうして、時の精リーズが現れる」
「え? サフィ? それが、僕の名前?」
そういえば、少年は、自分の名前の記憶さえ持ち合わせてはいないのだった。
「いったい、僕は、ここへ、何をしに来たんだろう? それに、そもそも、いったい、僕は、誰なんだ?」
「そう。その答えを探すために、君は、ここへやって来たんだ」
老人は、静かに答えた。
「その答えを探すため?」
「そう。君が誰で、そして、何のためにここへやって来たのか? その答えを探すために、君は、ここへやって来たんだ。もうすぐ、星のゴンドラが降りて来る。どこにもない木馬が、動き出す。君を乗せて、旅に出る。時の国へ、時を越えて。時の精に導かれて」
「どこにもない木馬だって?」
「そう。さあ、私は、もう、そろそろ失礼しなくてはいけない。それじゃあ、どうぞ、ごゆっくり」
そう言うと、老人は、少年に背を向けて、ゆっくりと、その場を立ち去ろうとした。
「もうすぐ、星のゴンドラが降りて来る・・・」
「あ! 待って下さい。いったい、あなたは・・・?」
誰なんですか、と、言おうとした時には、もう、老人の姿は、そこにはなかった。まるで、影のように、すうっと、夕闇の中に消えてしまったのだ。後に残された少年は、ただ、ぼうぜんと、広野の中に、立ちつくすだけだった。
「でも、あのひとの声・・・」
どこかで聴いたことがある、と、少年は、おもった。だが、それが誰の声だかは、やはり、わからなかった。
と、突然、少年は、夜の迫る空に、不思議な気配を感じた。
「あ!」
空を見上げた少年は、得体の知れない巨大な丸い物体が、ゆっくりと、斜めに降りて来るのを見た。
「ユーフォー? 巨大隕石?」
だが、それは、地平線へ到達することはなく、大きな弧を描いて、再び、地平線から遠ざかり、そして、また、ゆっくりと、下へ降りて来た。
「振り子!?」
確かに、それは、振り子だった。天上からぶら下がった、巨大な振り子。
「天の振り子?」
少年は、さっきの老人が、確か、そんな事を言っていた事を思いだした。だが、この、天の振り子と言うのは、いったい、何物なんだろう?
考えているうちに、しかし、その巨大な、影のような振り子は、すうっと、空の闇の中に、飲み込まれてしまった。いつのまにか、あたりは、すっかり、暗く、もう、夜の世界に変わっていた。空には、無数の星が、輝いていた。そして、まもなく、それらの星たちの中のひとつが、にわかに輝きを増し始め、どんどんと大きくなりながら、ゆっくりと、下の方へ降りて来るのを、少年は見た。
「これが、星のゴンドラ?」
少年が、再び、老人の言葉を思い出している間もなく、その「星のゴンドラ」は、どんどんと、地上に近付き、やがて、それに誰かが乗っているのが、少年の目にもわかるようになり、そして、ゴンドラは、静かに、着陸した。
「誰だろう?」
少年が駆け寄って行くと、ゴンドラから降りて来たのは、美しい女の人のようだった。だが、彼女が人間でないという事は、すぐにわかった。彼女はゴンドラのへりをまたぎもせず、また、扉を開けるでもなく、すうっと、滑るように、ゴンドラから外へ出て来たのだった。そして、彼女が降りると、「星のゴンドラ」は、まぶしいほどだった輝きを鎮め、彼女が短い杖でそっと触れると、それは、小さなボートに、姿を変えた。それから、彼女が、空に向けて杖を振り上げると、不意に、あたりに、薄明かりが射しはじめた。「何の光だろう?」
不思議に思って、少年が空を見上げると、さっきまで出ていなかったはずの月、それも、満月が、夜空に輝いて、その光が、少年たちのいる広野を照らしているのだった。明らかに、彼女は、妖精だった。
「時の精?」
少年は、また、さっきの老人の言葉を思い出しながら、つぶやいた。
「そう。私は、時の精リーズ」
妖精が答えた。時の精リーズは、薄いライラック色の衣装をまとった美しい妖精だった。
「さあ、サフィ。お乗りなさい」
リーズは、広野に置かれた、さっきの小さいボートに、先に乗りこみながら、少年をうながした。
「どこへ行くんですか?」
「森へ行きましょう」
「森へ?」
「そう。木漏れ日のある森へ」
少年サフィは、時の精リーズの澄んだ、美しい声にひかれて、ボートに乗りこんだ。すると、ボートは、広野の上を、滑るように、動き出した。
「僕は、いったい・・・?」
「あなたは、サフィ。あなたが何をしに来たのか・・・、その答えを探すために、あなたは、月夜の国へやって来たのです」
「月夜の国?」
「そう。さあ、ごらんなさい」
リーズは、ボートのまわりを手で示しながら言った。そして、サフィは、月の光が照らすボートのまわり、そして、さらに、もっと遠くに目をやった。すると、どうだろう。夜空はもとより、地面の上にも、空中にも、無数の星たちが輝いているではないか。そればかりか、何と、地中深くにまでも、たくさんの星が輝いていて、それらの光が、地中を通り抜けて、サフィの目に見えるのだった。まるで、サフィたちの乗ったボートが、夜空の中を、飛んでいるかのようだった。おまけに、そのボートまでもが、静かな光を放っていて、それ自身、夜空の中の、ひとつの星のようだった。
「これが、月夜の国?」
「そうです。月夜の国にやって来た人には、太陽の国の住人たちには決して見えない、たくさんの星たちの光が見えるのです。さあ、あれを見てごらんなさい」
リーズは、ボートのはるか前方を手でしめした。サフィがそちらをみると、月夜のもと、広野の向こうに、盛り上がった森のようなものが、見えてきた。森は、黒く盛り上がってはいたが、その中からは、無数の星の光のような、不思議な木漏れ日が飛びかっているのが、はっきり見えた。
「あれが、木漏れ日のある森?」
「そうです。私達は、あそこへ向かっているのです」
リーズがそう答えている間にも、ボートは、無数の星たちの光の間を通り抜けて進んで行った。青い光、白い光、黄色っぽい光・・・。夜空を見上げると、天の川も見えるし、いくつかの流れ星も見えた。そして、ボートは、まもなく、木漏れ日のある森の入口に到着した。
森のまわりには、月見草が咲いていて、それで、少年サフィには、今が、夏の夜だという事がわかった。サフィと時の精リーズが乗ったボートは、森の中にはいって行った。中にはいって行くと、月の光だけではなく、不思議な星の光のような木漏れ日が、まわりのあちこちからこぼれて来るのだった。
「これは、魔法の森だ。ここには、何か、怪しい秘密が隠されているに違いない」
と、サフィは思った。すると、ちょうどその時、ボートが静かに止まった。そして、リーズが例の短い杖を振り上げると、どうだろう。森の中に、海の波打ち際のような風景があらわれたのだ。
「あれは、湖?」
「いいえ、あれは、海辺の少女の幻影です」
リーズが答えた。
「海辺の少女の幻影?」
サフィは、その不思議な風景に目を凝らしてみた。すると、リーズの言う通り、幻の海辺の波打ち際に、月の光に照らされて、少しうつむきかげんに、ひとりの少女が立っていた。
「ああ、あれは、あのこだ」
サフィは、その少女のことを知っているような気がした。でも、少女が誰なのかは、わからなかった。そして、前に、いつ会ったのか、さらに、そもそも、ほんとうに会ったことがあるのかも、まったく、わからなかった。サフィは、すぐに、ボートから降りて、少女が立つ海辺の波打ち際の方へ、駆け出した。だが、サフィが近付くにつれて、少女の姿は、影のように、だんだんと薄くなり、その場にたどりついたと思った時には、もう、どこにも見当たらなかった。サフィは、さらに、あたりを歩きまわって、少女の姿を探し求めたが、少女の姿は、どこにも見つからなかった。そればかりか、いつのまにか、海辺の風景さえ消えてしまい、波の音は、いつしか、森の木の葉のざわめきの音に変わっているのだった。そして、気が付くと、いつのまにか、リーズも、彼女のボートも、どこにも見当たらなくなってしまっていた。しかたなく、サフィは、森の中を、当てもなく、とぼとぼと、歩いて行った。すると、やがて、木漏れ日に照らされて、一軒の、粗末な感じの、古い小屋があるのが、見つかった。サフィは、小屋に近付き、その外壁に手を触れて、そっと、こすってみた。
「お菓子の家ではなさそうだな」
サフィは、グリム童話の、ヘンゼルとグレーテルの話を思い出しながら、そう、つぶやいた。そして、入口の扉を開けて、ゆっくりと、小屋の中へ、はいって行った。