仕事帰りのちょっと寄り道、晩夏の流れに竿を振る。 毛鉤が目視できるのは、あと1時間。
今日も遊んでもらえるだろうか? この時期、魚達は手強い。
日差しの下に身をさらすのが、恥ずかしいというのだろうか・・・。
それとも・・・行き来する釣り人が、煩わしいからか。 もうそろそろ・・・出でおいで。
何時でも出迎えてくれる彼らなら・・・今日も、私にも微笑んでおくれ。 そして、また会おう。
私のテンカラには、源流域(天然魚)の釣りは掲載していない。 天然の尺山女魚に、何時でも会える川も確かにある(地図からも消えた、隠し谷)。 けれども・・あまりにもピュアな彼らは、釣りの対象とは言えない。 悲しい程に容易く・・誰にでも釣られてしまう事だろう。勿論・・・これから先にも、私が訪問することはないだろう。 彼らの姿は、心の川にあるのだから・・・。
漁協が管理する河川をホームとしている私だが、キャッチをするのは最小限だ。
釣りという行為の中に安らぎを求める私には、手軽に通える川であり、遊んでくれる渓魚達との交流の場なのだ。 確かに、稚魚・成魚放流の河川なのだから、数釣りは自由だろう。 けれども・・その川に安らぎを求めるのが、貴方一人ではない事も解るはずだ。 私のホームの河川にあっては・・何時でも誰にでも、渓魚に会える川であってほしい!!
ずらりと並べられた数十匹の釣果。 そこまでやらないと、表現さえも出来ないものだろうか? 環境保護を推奨するサイト等の中にも、このような写真を目にすることがある。 そして、それまでに見た内容が・・途端に薄っぺらになってしまうのだ。 大量の釣果を並べた写真を望むのであれば、管理釣り場へ行けばいいと・・・!!
渓魚達の姿は・・貴方を写す鏡なのかもしれない・・・。 渓心