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小さい頃から、なぜかクイズ番組は惹かれるものがありました。
小さい頃に見た番組で特に印象に残っているのは、
「アップダウンクイズ」「クイズ・グランプリ」「クイズタイムショック」「スーパーダイスQ」あたりでしょうか。
もちろん、他にも魅力的なクイズ番組はたくさんありました。

完全に下手の横好きでやっている状態ながら、
幸運なことに、松やんは2度もテレビのクイズ番組に出場することが出来ました。
このページでは、2度の出場にまつわる裏話や、それ以外の番組の予選に挑戦した思い出などを綴ろうと思います。


プロジェクトQ
(朝日放送)
1.プロジェクトQとは?
new2.出会いは偶然から始まった?


そして簡単ながら予選に挑戦したテレビ番組を時系列で一覧表にしてみました。
ピンク色の表示部分が、松やんのテレビ出場回に相当するものです。
松やんの挑戦の歴史をお楽しみ下さい。

番組名放送局結果
1986年
全国高等学校クイズ選手権(第6回)
NTV
「YES-NOクイズ」1問目で撃沈。松やん主張の答えがチーム内で通らず、渋々逆の答えに行って失格・・・と散々な目に逢う
1987年
全国高等学校クイズ選手権(第7回)
NTV
「YES-NOクイズ」2問目で失格、なんとか前年よりは成長(?)
1988年
全国高等学校クイズ選手権(第8回)
NTV
「YES-NOクイズ」4問目で誤答。この年はチーム編成を変えて参加した。結果的にこのときが一番成績が良かった。
1990年
アメリカ横断ウルトラクイズ(第14回)
NTV
○×1問目で死亡、さらに敗者復活のジャンケンも1発で負け
FNS1億2000万人のクイズ王決定戦!(第1回)
フジ
クイズの勉強をロクにしてなかったのに、なぜか受けていたFNS。当然のごとく予選落ち。ちなみに関西は台風の影響で案内が予選当日までに届かず、翌週あたりに救済措置の再予選が行われた。松やんが受けたのも後者のほう。
1991年
アメリカ横断ウルトラクイズ(第15回)
NTV
○×1問目悲願の正解。そして留さんの引退を現場で見届けた。マジで泣きそうだった。その後2問目でスタンドに残って誤答し、結局グラウンドに降りられず・・・
1992年
アメリカ横断ウルトラクイズ(第16回)
NTV
またしても○×1問目で失格。結局、福沢アナ出題分には正答出せずという結果に・・・
1993年
FNS1億2000万人のクイズ王決定戦!(第6回)
フジ
しばらく受けなかったFNSですが、気が変わって久々に受けました。結果はダメ。そりゃ勉強してないもん。
FNS1億2500万人のクイズ王決定戦!(第7回)
フジ
性懲りもなく、また受けたFNS。ウルトラクイズがなくなってしまい、とにかく何か受けてみようかみたいな感じで受けた覚えが・・・ 結果は当然ながらダメでした。結果論ですが、偶然にもFNSは最初と最後だけはちゃんと予選に挑戦してるんですね。
1993年〜
1994年
アタック25
ABC
この頃、アタック25に初挑戦。通算3回予選を受けたが、筆記すら通れず。自分の基礎力の無さを痛感する。
1998年
アメリカ横断ウルトラクイズ(今世紀最後)
NTV
6年ぶりのウルトラ(留さんのウルトラなら実質8年ぶり)に意気込んだものの、○×1問目で敗退。ていうか、オレ○×弱過ぎ!
2000年
クイズ$ミリオネア
フジ
放送開始直後ということもあって、結構受けた人数も多かった。全員が筆記と面接を受ける。やっぱり面接でのアピールが必要ですね、この番組は。というわけで、筆記はそこそこだったと思うんだけど、お呼びはかからず。
2001年
クイズ$ミリオネア
フジ
毎日しつこく電話でエントリーして、なんとか予選参加権をゲット。実際の予選形式も前年と同様。しかし今回も本選出場へは結びつかず。
アタック25
ABC
最初のアタック25挑戦から苦節8年、ついに初の筆記試験合格! そして面接も合格! しかし1年間の“待ちぼうけ”に終わる
2002年
プロジェクトQ
ABC
アタック25と同様の予選形式。これも見事面接まで合格し、とうとう初のテレビ出演を果たす。
(関連コラム公開中です!)
タイムショック21
テレ朝
4月、個人戦移行後に行われた関西地区予選を受ける。その際、MDでのタイムショックで正解たった5問という成績にもかかわらず、5月5日収録の東京での予選に呼ばれる。しかし仕事の新規立ち上げ絡みの用事で行けず・・・だったのだが、当日仕事側のほうでブッチを喰らい、完全に「正直者が馬鹿を見る」という仕打ちに逢った。こんなことなら記念受験(松やんの実力では、まさか上位には入れなかっただろうから)だけでもしとくんやった・・・
ウィーケスト・リンク〜一人勝ちの法則
フジ
実は、タイムショック関西地区予選翌日にこの予選があった。全員筆記試験と面接を受けた。筆記50問中47問正解でも収録にお呼びはかからず。どっちかというと面接重視だったのかもしれないし、関西ではこの番組の放送がなかったのも少なからず影響したのかもしれない。
プロジェクトQ(特番)
ABC
特番ということで多くの猛者が大阪に集った予選。ボーダーラインの上昇とも相まって、松やんはあっさり筆記試験落ち。
2003年
アタック25
ABC
前回の“待ちぼうけ”を過ぎてから再挑戦。筆記は通ったものの、面接でアウトになってしまう。
アタック25
ABC
で、次のチャンスでまたしても挑戦。今度は面接も通過し、ついに念願のスタジオ収録に呼ばれました!(詳細は後日アップ予定)
2004年
アタック25(30周年記念スペシャル版)
ABC
各地区の放送局から1名ずつ代表者を選ぶ予選。通常版と比べて、時間そのまま・問題数1.5倍という筆記試験のみの一発勝負でした。当然ながら、松やんの実力ではあっさりダメでした。ABCエリアでは関西2府4県(+四国の一部?)からたった1名なので、まあ予想通り(?)


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