「関さんの森」Q&A
(まだ工事中です。できている部分から公開していきます。)
「関さんの森」の場所について
Q1「関さんの森」はどこにあるのですか?
住所は、千葉県松戸市幸谷131で調べてください。今は、ほとんどの地図・カーナビで「関さんの森」と表示されています。
はじめは、埼玉県生態系保護協会に寄付した1.1haの屋敷林部分を指していましたが、その後の活動のひろがりで、今は屋敷林はもちろん、隣接する関家の庭・梅林・広場・農園など2.1haを「関さんの森」と呼び、「関さんの森エコミュージアム」の区域としています。
Q2「関さんの森」へ行くには、どうすればいいのですか?
「関さんの森」へは、JR新松戸駅から徒歩10分で行くことができます。最短経路は複雑ですので、地図(準備中)をご覧になり、おいでください。
なお、自家用車の場合ですが、特別な駐車場はありません。道路問題という微妙な問題をかかえていますので、3・3・7号線の工事区域を含め、路上駐車は絶対にしないでください。
Q3「関さんの森」へは、いつでも入れますか?
1.1haの屋敷林部分は、自由にお入りください。
梅林は、道路わきで垣根もありませんので、自由に入ることができます。
広場(グランド)も自由に入ることができますが、現在は「子どもの広場」として松戸市教育委員会「子ども課」に貸しています。占有して使用される場合は、そちらにお問いあわせください。
関家の庭(熊野権現を含む)は、関家の居住空間ですので、現在は限定公開とさせていただいております。「育む会」等のイベント時においでください。
なお、「関さんの森」の自由公開としている部分(広場を含む)には、トイレがありませんので、ご留意願います。また、ゴミ箱等も設置してありません。ゴミはお持ち帰りください。
「関さんの森」ができた経過などについて
Q1関家は1.1haの森を、なぜ埼玉県生態系保護協会に寄付したのですか?
関家先代の関武夫氏は、周囲から自然が無くなってきたこと、子どもたちが自然の中で遊ぶ場所が無くなってきたことを残念に思い、今から30年くらい前から、関家所有の屋敷林を「こどもの森」として市に貸し、自由に入れるようにしていました。
1994年に武夫氏が亡くなり、市街化区域であるゆえに、膨大な相続税が関家に課せられました。通常は、土地を売って相続税を払う場合が多いのですが、生前、森を大切にしていた武夫氏の遺志に基づき、遺族は屋敷林部分を森のまま永遠に残す方法をさぐります。
地元松戸市、千葉県をはじめ、全国規模で活動している団体の中から、森を森のまま受け受け取り大切にしてくれる寄付先を探すわけですが、そんな中で決めたのが(財)埼玉県生態系保護協会でした。
埼玉県生態系保護協会になった大きな理由は2つあります。ひとつは、関家が考える森の保全に関する方針が、協会の方針とちょうど一致したからです。もうひとつは、協会が「特定公益増進法人」として指定されており、寄付した相続財産分は、課税対象から除外されるからです。
「なぜ埼玉県なの?」とよく質問されますが、千葉県内には適当な特定公益増進法人がありませんでした。また、全国規模で活動している団体にも、森のまま残す条件面で一致する団体がありませんでした。
なお、(財)埼玉県生態系保護協会について、リンク先をご参照ください。
Q2「関さんの森を育む会」は、どのような経過でできたのですか?
1.1haの屋敷林部分「こどもの森」の持ち主は、埼玉県で活動する自然保護団体になりましたが、森そのものは松戸市幸谷にあります。
「森は協会がお預かりしますが、地域の皆さんは、今までどおり森を利用してください。ただ、森は適切に管理しないと荒れていきます。地元で森のお世話をする会を作ってください・・・。」という協会の話をうけて、森を利用していた人や森に関心のある人が集まり相談しました。その結果、1996年4月21日、この森の名前を「関さんの森」とすることを決め、「関さんの森を育む会」ができました。
Q3「関さんの森を育む会」は、どのような活動をしてきたのですか?
育む会の活動は、少しずつ内容や範囲が変わっていきました。4つの時期に分けて説明します。
第1期(1996年〜97年)
屋敷林の維持管理を中心におこなっていた時期です。森は、長年、手入れをされずに開放されていたので、「関さんの森」が誕生したころはかなり荒れていました。このため、ゴミ拾いからはじめ、表土の無くなっていた斜面の復元を目指し、土留め作業、園路の整備などを中心に活動しました。さらに、多様な生物相を呼び戻すために、増えすぎたタケを伐採して草地を作ったり、汚れていた池のそうじなどもしました。
また、森を楽しむための活動(観察会・そうめん流しやタケノコ堀りなどのイベント)や、活動資金を得るための活動(関家所有の梅林を管理しながら梅を販売)などをおこないました。
第2期(1998年〜99年)
森の周囲の開発が進み、フクロウなどが姿を消した時期。屋敷林の管理だけではなく、まわりの自然をも残す活動をはじめた時期です。
たとえば、関家所有の「溜ノ上の森」の整備をはじめました(98年1月より)。森の近くの宅地開発に関係して、開発区域内に作られる公園をビオトーフ公園として整備することを提案しました(98年11月23日開園)。また、松戸市緑の基本計画に意見書を提出するなど、関さんの森から幸谷地域、さらには松戸市へと視野を拡げていった時期です。
第3期(2000年〜02年)
学校関係者の利用が急増した時期です。近隣の幸谷小学校や小金小学校を中心に、小学生だけでも年間2000人(連絡があったもののみ)を越える児童が、自然体験や環境学習をおこないにきました。この場所で利用したい内容は多様で、屋敷林のみならず、梅林や関家の庭までもが利用の対象へと拡がり、これら全体の公共的な価値が高まってきた時期です。このことから、これら地域全体を「エコミュージアム」として整備しようとする構想が芽生えはじめた時期です。
第4期(2003年〜)
この年、屋敷林に隣接する区画整理地域との境界部分「赤道」(あかみち)の開発・樹木伐採をめぐって、市と対立しました。また、かねてから計画・建設が進んでいた都市計画道路3・3・7号線問題が迫ってきました。
道路の公共性もありますが、都市に残された自然にも公共性があります。関さんの森の価値は、一般にはあまり知られていないという反省から、06年からは「関さんの森」への理解を広める活動にも力を入れはじめました。
たとえば、世界的に有名な環境問題の研究者であるレスター・ブラウン氏を森におよびしたり、ちば生物多様性県民会議の「都市緑地と生物多様性」戦略グループ会議を招致したり、「みとりと生きるまちづくりフェスタ」を開催したのも、その一環です。
現在は、第1期からの活動(森の維持管理,森を楽しむ活動,周囲の自然を守る活動,森の利用をお世話する活動等)をおこないつつ、道路問題にも対応しています。
そして、2008年7月には別組織「関さんの森エコミュージアム」が設立されました。今後もエコミュージアムとの連携をとりながら、活動を続けていきます。
![]()