知財管理 2002.8月(キャンディ事件)原稿


一、事案の概要

(1)上告人(一審被告)Y1は漫画家であり、訴外講談社発行の月間少女漫画雑誌「なかよし」の昭和50年4月号から同54年3月号まで連載された少女漫画「キャンディ・キャンディ」(以下「本件漫画」という)の漫画を作画し、被上告人(一審原告)Xは、児童文学作家であり、また本件漫画のストーリーとなる原稿を執筆し、同漫画の公表に際して「原作者」と表記されている者である。

(2)一審及び控訴審において裁判所が認定したところによれば本件漫画の製作過程は大略 以下のとおりである。@連載の各回ごとに、まずXが小説形式の原作原稿を作成し、Y1に渡すAY1は上記原稿に基づいて漫画に当たって使用できないと思われる部分を除き紙面コマ割りを行い、絵を簡略化した形で描き吹き出しの台詞などを加えた「ネーム」と呼ばれる漫画の草案を作成し、雑誌の編集担当者と打ち合わせるB「ネーム」作成の段階で原稿が一回の連載に収まり切らない場合には、担当編集者からXにその旨連絡し、了解を得る。その際、新しい終わり方についてXが新しいアイディアを出したり原稿の修正をすることもあるCこれに基づきY1が漫画を作成するDXは当該用のゲラ刷りを見た上で、それに続く次回の連載分の原作・原稿を作成し、当該用の原稿が1回の連載に収まり切らず途中で終わる場合には、その部分から始まる次回用の原作・原稿を新たに作成する。

(3)本件漫画は、好評を博し、その後テレビ漫画にもなったため、本件漫画の主人公「キャンディ」の絵を使用したキャラクターグッズが大量に販売されるまでになった。 

  ところが、その後、Y1はXの許諾を得ることなく本件漫画の一コマに登場した「キャンディ」の絵(以下「コマ絵」という)、本件漫画に連載中に描かれ「なかよし」の表示に掲載されたキャンディの絵(以下「表紙絵」という)及びY1がリトグラフ原画用に作成したキャンディの絵(以下「本件原画」という)の各々を原画とするリトグラフ及び絵はがきの作成等をY2に許諾したことからXがY1、Y2に対して上記「コマ絵」「表紙絵」につき「二次的著作物」に対する原著作物の著作者又は共同著作物の著作者としての権利の確認及びこれにもとづく「本件原画」の複製等の差止を求めて提訴した。

(4)一審の東京地方裁判所は、Xの請求を認容し、以下のように判示した(東京地判平11.2.25判時1673号66頁)。

「本件連載漫画は、連載の各回ごとに原告の創作に係わる小説形式の原作・原稿という言語の著作物・・・(中略)・・・の存在を前提とし、これに依拠として、そこに表現された思想・感情の基本的部分を継続しつつ、表現の形式を言語から漫画に変えることによって、新たな著作物として成立したものといえるのであり、したがって、本件連載漫画は、原告(X)の創作に係わる原作・原稿という著作物を翻案することによって、創作された二次的著作物に当たると認められる。」

  「本件コマ絵が『なかよし』に掲載された本件連載漫画の一コマであることは、当事者に争いがないところ・・・本件連載漫画の一部である本件コマ絵についても二次的著作物として原作者Xの原著作者の権利(著作権法28条)が認められるとし、表紙絵については「本件漫画の連載期間中に被告Y1が作成し『なかよし』の表紙に掲載された絵であって、本件連載漫画の主人公キャンディを描いたものであることは当事者間に争いがない。・・・(中略)・・・そうすると本件表紙絵は、本件連載漫画のどの場面の後に対応するものであるかを特定するまでもなく、本件連載漫画のキャンディの絵の複製に当たるというべきである」として、原作者Xの二次的著作物に関する権利を認め、さらに、本件原画についても「本件原画が、本件連載漫画の主人公キャンディを描いたものであることは当事者間に争いがない。・・・(中略)・・そうすると、本件表紙絵の場合と同様に、本件原画も本件連載漫画のキャンディの絵の複製に当たるというべきである」として原作者Xの二次的著作物に関する権利が本件原画にも及ぶことを認めている。

(5)これに対して、Y1は「@漫画のコマ絵には、漫画のストーリーを表しているコマ絵と、ストーリーを表していないコマ絵とがあり、漫画の物語作者と絵画作者が異なる場合、作者のコマ絵は、物語原稿に依拠しておらず、その翻案とはいえないから物語原稿の二次的著作物には当たらず原著作者の権利は及ばない。A表紙絵及び本件原画は控訴人が物語原稿に依拠することなく独自に創作したキャラクター原画にあたるので、その複製に原著作者の権利は及ばない。B漫画の物語作者と絵画作者が異なる場合キャラクター絵画の利用に関して物語作者に原著作者の権利を認めると、結果として絵画作者が以後物語作者の許諾がない限り、当該キャラクター絵画を一切作成することができなくなるのみならず、類似するキャラクター絵画まで作成できないことになりかねないという不当な結果を招く」と主張して控訴をした。

(6)これにつき控訴審の東京高裁は以下のように判示しY1の控訴を棄却した(東京高判 平12.3.30判時1726号163頁)。

(a)控訴人の上記主張@に対して

「二次的著作物は、その性質上、ある面からみれば、原著作物の創作性に依拠し、それを引き継ぐ要素(部分)と、二次的著作物の著作者の独自の創作性のみが発揮されている要素(部分)との双方を常に有するものであることは、当然のことというべきであるにもかかわらず、著作権法が上記のように上記両要素(部分)を区別することなく規定しているのは、一つには、上記両者を区別することが現実には困難又は不可能なことが多く、この区別を要求することになれば権利関係が著しく不安定にならざるを得ないこと、一つには、二次的著作物である以上、厳格にいえば、それを形成する要素(部分)で原著作物の創作性に依拠しないものはあり得ないとみることも可能であることから、両者を区別しないで、いずれも原著作物の創作性に依拠しているものとみなすことにしたものと考えるのが合理的であるからである。」

(b)控訴人の上記主張Aに対して

「換言すれば、控訴人主張にいきさつが認められ、かつ、本件表紙絵及び本件原画の中に、控訴人主張のラフスケッチあるいは新連載予告用の絵を複製(あるいは翻案)したものとする要素があるとしても、それらは、本件連載漫画の主人公であるキャンディを描いたものである限り、本件連載漫画の複製(あるいは翻案)としての性質を失うことはあり得ないものというべきである。すなわち、仮に、本件表紙絵及び本件原画がキャンディ原画の複製(あるいは翻案)であるということが許されるとしても、そのことは、それらが本件連載漫画の複製(あるいは翻案)であることを排斥し得ないものというべきであり、本件表紙絵及び本件原画が本件連載漫画を複製(あるいは翻案)したものではないというためには、それらが本件連載漫画の主人公であるキャンディを描いたものではないという必要があるというべきである。」

(7)そこで、Y1は「@本件連載漫画はX作成の物語原稿の二次的著作物ではない。A仮に二次的著作物であるとしても原作者Xの二次的著作物に関する著作権が及ぶのは、二次的著作物中、原著作物の創作性が認められる部分(あるいはこれに依頼する部分)に限定されるべきである。」等々の主張をして上告受理申立を行った。


二、判決の要旨

最高裁は、Y1の上告受理申立にもとづき上告を受理したうえで原審認定の事実を前提として、下記のように判示して上告を棄却した。

「この事実関係によれば、本件連載漫画は被上告人作成の原稿を原著作物とする二次的著作物であるということができるから、被上告人は、本件連載漫画について原著作者の権利を有するものというべきである。そして、二次的著作物である本件連載漫画の利用に関し、原著作物の著作者である被上告人は本件連載漫画の著作者である上告人が有するものと同一の種類の権利を専有し、上告人の権利と被上告人の権利とが併存することになるのであるから、上告人の権利は上告人と被上告人の合意によらなければ行使することができないと解される。したがって、被上告人は、上告人が本件連載漫画の主人公キャンディを描いた本件原画を合意によることなく作成し、複製し、又は配布することの差止めを求めることができるというべきである。

以上によれば、被上告人が本件連載漫画の一部である本件コマ絵及び本件連載漫画の主人公キャンディの絵の複製である本件表紙絵につき原著作者の権利を有することの確認と、本件原画を作成し、複製し、又は配布することの差止めを求める被上告人の請求を認容すべきものとして原審の判断は、正当として是認することができる。」


三、解説

1.はじめに(問題の所在)

前記のように、最高裁判決は、上告人の上告を棄却することによって、原審判決の判断を支持しているが、その判旨は極めて簡潔であり、本件の論点の全てについて明確な回答を与えているとは言い難い。

そこで、事実関係の記載と若干重複をするが、第一審及び控訴審における判決の理論構成を再度整理してみたい。

(1)本件連載漫画はXの原作原稿の二次的著作物か否か

@依拠性

  本件連載漫画は、その製作過程から見て言語の著作物であるXの原作原稿の存在を前提とし、これに依拠してそこに表現された思想・感情の基本的部分を維持しつつ、表現の形式を言語から漫画に変更することに   よって新たな著作物として成立したものである。

  よって、本件連載漫画は、Xの原作原稿を翻案することによって創作された二次的著作物である。

A本件漫画の一部において、原作原稿にない場面の省略・付加・順序の入れ替え等が認められるものの、ストーリーの基本的な展開を変更したものとはいえない。本件漫画の人物の容姿・表情・服装・背景について原作原稿中に具体的指示がなく、もっぱらY1がこれらを創作したとしても、このような点は言語の著作物を漫画の形式に翻案するにあたって、本来、漫画家が創作性を発揮すべき作画表現の問題というものであるから、本件漫画が翻案であることを否定する理由とはならない。

(2)本件コマ絵、表紙絵、本件原画に原作原稿の著作者の著作権が及ぶか。

@「コマ絵」が本件漫画の一コマを複製したものであることは争いなく「表紙絵」及び「本件原画」が本件連載漫画の主人公キャンディを描いたものであることは当事者間に争いがない以上、本件連載漫画のどの場面であるかを特定するまでもなく、本件連載漫画のキャンディの絵の複製に当たる(第一審判決)。

A本件連載漫画は、Xの原作原稿をY1が漫画という別の表現形式に翻案することによって成立したものであり、このようにして成立した漫画は絵のみならず、ストーリー展開、人物の台詞や心理描写、コマの構成など諸要素が不可分一体となった一つの著作物というべきなのであるから、本件漫画中の絵という表現の要素のみを取り上げて、Y1の創作によるから、その部分のみY1の著作物ということはできない。本件漫画が原作原稿の二次的著作物と認められる以上、Xは絵という要素を含めた不可分一体の著作物である本件連載漫画に関して著作権法28条の権利を有する(第一審判決)。

B二次的著作物は、その性質から見て、原著作物の創作性に依拠し、それを引き継ぐ要素(部分)と二次的著作物の著作者の独自の創作性のみが発揮されている要素(部分)との双方を常に有することは当然であり、著作権法28条はこの両者を区別していない(控訴審判決)。

(3)上記判決の論理に対する批判

  他方、このような判決の論理及び結論に対しては種々の批判があるが、これをその論理過程にもとづき整理すると大略以下のように分類できる(注1)。

(a)判決の(2)Aのように、本件連載漫画全体を絵とストーリー・台詞等が不可分一体に結びついた著作物であると判断したことに対して、両者を「分離個別利用可能」な「結合著作物的」なものととらえ、原作原稿に対して「二次的著作物」となるのは「漫画から看取されるストーリー部分」に限られ、作画の部分ではないとする見解(注2)。

(b)本件連載漫画がその作成過程から見て、二次的著作物であるとしても著作権法28条にもとづく原著作物の著作者の権利は、連載漫画の表現形式のうち原著作物の創作性が具体的に反映されている場合に限定すべきであるとの解釈に立ち、判決が本件連載漫画の一部である作画部分の利用に、原作原稿の著作者の著作権法28条の権利と認めることに対し疑念を示す見解(注3)。

  もっとも、上記(a)説も著作権法28条の「二次的著作物」の解釈をはなれて、従前、他の判決が「絵画と言語の組み合わせからなる漫画」の不可分一体性を認めてきたこと自体を否定するものではなく、また(b)説も原著作者の創作性が及ばない連載漫画の作画部分の一部を利用(複製・翻案)することが著作権法28条の権利が及ばないと解釈することの前提として、著作物の利用の側面では原作の創作性が及ぶ部分を論理的に分離した取扱が可能であるということを当然の前提としていると考えられるので、両説の相違は相対的であるといえる。

  そうすると、いずれの説も本件各判決が本件漫画の原作原稿に対する依拠性と漫画における言語的要素と絵画的要素の不可分性を論拠として形式論理的に原著作物の著作者の著作権法28条の権利をその絵画的要素の利用(本件コマ絵、表紙絵、本件原画の複製・翻案)にまで及ぼしていることに対し、その問題性を指摘していると解することができる。

 しかし、上記のような各説に対しては、@仮に漫画が作画部分とストーリー台詞部分に分離及び個別利用が可能であるとしても、なにゆえ、原著作者の著作権法28条の権利が及ぶ「二次的著作物」の範囲が「漫画から看取されるストーリー部分」に限定しなければならないのかA原著作物の著作者が著作権法28条による権利を及ぼしうる範囲をその創作性が具体的に反映されている部分に限定する根拠とは何か、また創作性が具体的に反映されているか否かはいかなる基準をもって判定するのかが必ずしも明確ではないとの疑問がある(注4)。

  そこで本稿では、まず二次的著作物をめぐる権利関係の背景にある基本的原理にたちかえり、本件連載漫画と原作者Xとの権利関係を検討してみたい。

2.二次的著作物をめぐる権利関係

 著作物の改変と二次的著作物の利用に関する著作権法上の権利関係は、大略、以下に述べる三つの原則により構成されている。

(1)著作物(原著作物)の著作権はその改変行為(その内面的表現形式を維持しつつ外面的な表現形式を変更し、新たな創作性を付加する行為)に及ぶ(著作権法27条)。

(2)原著作物の著作者の許諾を得て改変された成果物に改変者の新たな創作行為が付加された場合には、その成果物を二次的著作物とし、改変者に二次的著作物の著作者としての権利を付与する(著作権法2条1項11号、同2条1項1号、2号)。

(3)原著作物の著作者は、二次的著作物の利用に関して、Yの著作者と同一の権利を有する(著作権法28条)。

なお、二次的著作物に関する、上記の保護は原著作物の著作権に何らの影響を及ぼさない(著作権法11条)。

このうち(1)の原則は、改変行為自体が原著作物に依拠しその創作性(改変された著作物の外部的表現形式には直接表現されていなくとも「内面的表現形式」として表現された原著作物の創作性)を利用する側面があることから、一般にその合理性が肯定される。

 また、(2)の原則は、逆に、改変された成果物に改変者自身の創作性が付加されたという事実に論拠を見出しうる。

  ただ、二次的著作物の著作者の著作権は付加された創作的部分に限定されることなく、二次的著作物全体に及んでいることには注意を要する。これは二次的著作物にあっては、通常、二次的著作物には原著作物改変の際に改変者(二次的著作物の著作者)が新たに付加した創作的要素と原著作物の創作的要素が不可分一体に結合しており、各々を分割して各創作者の著作権の対象とすることが困難であるという事実によって説明が可能であろう。

  仮に、改変者によって付加された創作と原著作者の創作的部分が分離可能であり、かつ各々の部分が独立した著作物としての要件を具備するとすれば、結合著作物として各々の創作部分に各自独立した著作権を付与されるべきであり、二次的著作物に関する前記規定はこのような分離及び個別利用が不可能な著作物を前提とした規定であると考えられる。

  これに対し、上記(3)の原則の合理性については、その論拠を明確に説明することは困難である。

二次的著作物と関係なく原著作物のみを複製・翻案する場合には、原著作物の著作者にのみ許諾を得ることで足りることは著作権法11条より明らかである。

 これに対して本条は、二次的著作物の利用について原著作物の著作者に二次的著作物の 著作者と同等の権利を有すると規定しているため、例えば小説が漫画として翻案された場合には、原著作物である小説の著作者は漫画の原作の展示に関して許諾権を有し(著作権法22条ノ2)小説を脚色した脚本にもとづき映画を作成した場合には小説家は当該映画の頒布(著作権法26条)についても許諾権を有するというように、原著作物である小説の本来的な利用権に含まれない利用形態についても権利が及ぶことになり(注5)、ひいては著作権法28条による権利の「連鎖関係」を通じて表現形式が原著作物と全く異なる著作物の利用にまで原作者の権利が及ぶという結果になる。

  このことの合理性を根拠づける方法として従来、判例は必ずしも明確な論拠を示しているとは言い難い。

  可能なひとつの説明方法としては、二次的著作物が原著作物の著作者の許諾を得てこれに「依拠」して作成されたという事実を論拠とする考え方である。

  しかし、ここで問題となるのは「依拠」の内容である。そもそも二次的著作物の作成にあたって原著作者の許諾を要する(著作権27条)のは、そのアイデアに「依拠」するのではなく、原著作物に示されたその「創作性」、すなわち「内面的な表現形式」に依拠し、これと別の表現形式に改変したという事実にもとづいている。

  逆説的に言うならば、二次的著作物の利用に関する著作権法28条の前提には、二次的著作物の利用には、通常、原著作物の内面的表現形式が反映された表現部分の利用が包含されているという観念が存在すると解釈するのが同条を説明する方法としてもっとも合理的であると考えられる(注6)。

  そうであれば、二次的著作物を複製し、あるいは翻案する場合にもその複製又は翻案行為自身が原著作物の内面的形式に依拠し、これを再製または改変したと認められない場合、すなわち、二次的著作物の複製または翻案によって作成された創作物(便宜的にこれを「三次的著作物」という)に原著作物の内面的表現形式が何ら反映されていないと認められる場合には、当該二次的著作物の利用(複製・翻案)行為には、原著作物の著作者の著作権法28条にもとづく権利は及ばないものと解せられる。

もちろん、かような考え方は、漫画における作画部分と台詞・ストーリーとを分離して作画部分の二次的利用には、原則として著作権法28条の権利が及ばないというような単純な基準をとるものでも、漫画家が原作にない新たなストーリーや台詞、あるいは場面を付加した場合には、当該部分に著作権法28条の権利が及ばないというような一元的基準をとるものではない。

  通常、本件のような連載漫画にあっては、漫画家は原作のストーリーにもとづき、これを作画と台詞をもっていかに読者に伝達するかを考えて場面設定、コマ割、主人公の姿態・表情・台詞を作成するものであり、そこには外面的な表現形式こそ漫画という漫画家独自の表現方法を用いていても、その表現内容は原作原稿に表現された内面的表現形式と不可分であるからである。

  また、仮に、漫画家が漫画を作成する際に原作にない新たなストーリー部分を考案し、これを漫画の一部として描いた場合にも当該ストーリー部分は原作のストーリーの一部を構成するものとして、その内容をより深化させ、あるいは明確にするとの意図にもとづいて作成されたものであり、やはり原作にあらわれた原作者の内面的表現形式と不可分なものであるといえる。

  なお、同様の行為はシナリオ作家が小説を脚色し、編曲者が編曲を行う際にも、多かれ少なかれ行われているのであって、かような行為によって作成された部分について原作者の著作権法28条にもとづく権利が及ばないとすることは、実際上妥当でないともいえる。

したがって、このような場合に、漫画を構成する絵画的表現も言語的表現も原作の内面的表現形式と不可分一体であるといえよう。  

しかし、仮に漫画の構成要素の一部を利用(複製・翻案)する場合において、当該部分の表現は原作の内面的表現とは無関係な場合があるとすれば、当該部分の利用に関しては著作権法28条にもとづく権利は及ばないと解せられる(具体的内容は4で詳述する)。

  ところで、上記のような考え方に対しては

@内面的表現形式という概念自体が曖昧で多岐的であり、明確な基準となり得ない(単に他説が「原作の創作性」との用語で表現したことを言い換えたにすぎない)。Aおよそ二次的著作物である以上、原作の創作性(「内面的表現形式」)に依拠し、それを引き継ぐ部分と独自の創作性のみが発揮されている部分の双方を有しており、著作権法28条はこの両者を明確に区別していない(前記本件控訴審判決)などの批判が考えられよう。

  確かに、「内面的表現形式」については、かような概念を用いている論者の論稿でも、その定義や判断基準(特に「アイデア」との線引)が明確にされていない場合が多い。

 著作権法は、通常外形にあらわれた「表現」を保護するものであり、「アイデア」を同じくしてもその表現形式を異にすれば、異なる著作物として保護され、相互の著作者の権利に何らの影響を及ぼさないとの「たてまえ」で成立しており、この「たてまえ」に照らせば、著作権法27条、28条の規定は例外に属するものである。

  そこで、両者を整合させる概念として「内面的表現形式」という概念が用いられているといえなくもない。

 しかし、ある思想・感情・アイデアが表現として昇華していく過程においては表現方法の選択・決定(あるアイデアを言語で表現するか、絵画で表現するかという表現手段の選択と、言語で表現する場合にもどのような修辞を用いて表現するかという具体的な表現形式の選択の双方を含む)という過程があり、著作権法27条、28条は外面的な表現形式の相違する著作物の間でもかような部分に共通性(二次的著作物の原著作物の内面的表現形式への依拠性)が存在することを前提として権利関係を規定していると考えられる。したがって、上記のような著作物として具体的に表現された創作物から推断される著作者(本件では原著作者)の内心に形成された特定の表現手段・方法を通じて表現しようとしている思考秩序を「内面的表現形式」と解せざる得ないであろう(注7)。

  また、著作権法28条が、二次的著作物における原作者の創作性を引き継ぐ部分と独自の創作性のみが発揮されている部分を区別していないことは、通常改変者が創作した部分にも原作者の内面的表現形式に依拠した創作性が認められ、観念上、両者を分離することが困難であるとの事実を前提として立法化されたからであり、原著作物の内面的形式への依拠が全く認められないような二次的著作物の利用形態について例外的解釈を認めない趣旨ではないとの反論が可能である。

3.漫画の登場人物の複製

 上記、私見の立場に立って本事件の解決方法について論及する前に、本事件に関する東京地裁判決及び東京高裁判決が、漫画の登場人物の複製をめぐる従前の判例理論に依拠し、これを本事件の解決にも応用していることの当否を検討しなければならない。

 それは、サザエさん事件判決(東京地判昭51.5.26無体集8巻1号219頁)及びポパイ事件に対する一連の判決(東京地裁平2.2.19判時1343号3頁、東京高判平4.5.14判時1431号62頁、最判平9.7.17民集51巻6号2714頁)にあらわれた「著作物の複製とは既存の著作物に依拠しその内容及び形式を覚知させるにたりるものを再製することをいうところ・・・複製というためには、第三者の作品が漫画の特定の画面に描かれた登場人物の絵と細部まで一致することを要するものではなく、その特徴から当該登場人物を描いたものであることを知り得るものであれば足りる」との理論である。上記各判例では、この理論を適用してバスの車体やネクタイ、マフラー等に描かれた登場人物の似顔面や姿態をそれが連載漫画に描かれた登場人物を覚知させるものであることに争いがないことを理由に「複製」であることを認めている。

本件地裁判決でも、本件漫画の一コマの絵であることに争いがないコマ絵を除いて、表紙絵については「本件連載漫画の主人公キャンディを描いたものであることは当事者に争いがない。そうすると、本件表紙絵は本件漫画のどの場面の絵に対応するものであるかを特定するまでもなく、本件漫画のキャンディの絵の複製にあたるというべきである」とし、本件原画についても「本件連載漫画の主人公キャンディを描いたものであることは争いがない。そうすると本件表紙絵の場合と同様に本件原画も本件連載漫画のキャンディーの絵の複製にあたるというべきである。」と判示しており、また高裁判決は地裁判決を前提に、仮に表紙絵、本件原画がキャラクター原画であったとしてもそのことは表紙絵及び本件原画が「本件連載漫画の複製であることを排斥しない」とし「本件表紙絵及び本件原画が本件連載漫画を複製し(あるいは翻案)したものではないというためには、それらが本件連載漫画の主人公であるキャンディを描いたものではないという必要がある」と判示している。

 確かに、多くのキャラクター商品のように連載漫画の登場人物の容貌・姿態のみを複製している場合、それが連載漫画中の特定のコマの登場人物の容貌・姿態を複製(または翻案)したことを特定することは困難であり、侵害訴訟の原告にかような負担を負わせることは妥当でない。

 また、連載漫画に多数登場する主人公について、いたずらにどのコマの容貌・姿態の複製であるかを争わせることは、通常はその必要性がないともいえよう。

 しかし、本件のように二次的著作物である漫画の登場人物の複製または翻案が問題となっている場合についてまで、複製の対象となった登場人物の絵が本件漫画のいかなる部分に、いかなる目的で描かれたかを問題にすることなく、それが「連載漫画の登場人物である『キャンディ』を描いたものであることに争いがない」との理由で、二次的著作物の一部の複製であり、原著作物の著作者の著作権法28条の権利が及ぶと解するのはいかがなものであろうか。

 そう解釈するとすれば、「原作と実態的に不可分一体となって生み出された漫画の絵は、どのような文脈で描かれようと(漫画の連載と無関係に描かれようと)原作の二次的著作物であるのだから、原作者の許諾なしに複製することは原作者の複製権を侵害することになる。これは事実上『キャンディ』というキャラクターに著作物性を認めることにほかならない」(注8)との批判も成り立つであろう。

 少なくとも、連載漫画の一コマに登場したキャンディの容貌・姿態を複製又は翻案したものでないとの疑いのある表紙絵・本件原画については、それが本件連載漫画の登場人物の「キャンディ」を描いたものであることに争いがなくとも、著作権法28条を適用するにあたっては、原作の内面的表現形式が反映された連載漫画(その一部)の複製といえるか否かを個別に検討する必要性がある。

4.本件事件の解決

 以上の前提にもとづき、本件事件における「コマ絵」「表紙絵」「本件原画」と原作者の著作権法28条との関係を検討すると以下のようになる。

 まず第一に、本件連載漫画の一コマに登場した「キャンディ」の容貌・姿態を複製したことが明らかな「コマ絵」に対しては、原著作者の著作権法28条の権利が及んでいると解せられる。

 けだし、コマ絵は、それ自体からはただちに連載漫画のストーリー(物語)等が覚知できるわけではないが、コマ絵に描かれた登場人物の姿態・容貌は連載漫画によって表現された原作の物語の一場面を表現するものとしてふさわしい表情や態度を作画という表現形態で描かれているものであり、その限りで原作の内面的表現形式に依拠していることは明らかである。

 これに対して「表紙絵」や「本件原画」については、上記のような原作の内面的表現形式への依拠は希薄である。

 もっとも、「表紙絵」は本件連載漫画が連載されている期間中に「なかよし」の表紙に掲載されたことには争いがない。そうすると、当該表紙絵は「なかよし」の当該巻号に掲載されている連載漫画「キャンディ・キャンディ」の代表的な場面をさらに複製・翻案するか、仮にそうでないとしも、連載漫画「キャンディ・キャンデイ」のストーリーを反映した作画(例えば「キャンディ」を取り巻く人々が戦争に巻き込まれていくストーリーを暗示的にに表現するためにキャンディの人物像とともに背景に戦争シーンや戦場で傷ついた人々を組合わせるなど)として描かれている場合が多い。

 このような場合には、表紙絵はそれが連載漫画の一コマを構成していなくとも原作のストーリーに依拠し、そこに表れた内面的表現形式を作画で表現していることに変わりはなかろう。そしてこの場合、さらにその表紙絵の一部であるキャンディの容貌や姿態のみを複製又は翻案したとしても、それ自体が原作の内面的表現形式に依拠していると解釈されてもよいのではなかろうか。けだし、表紙絵に描かれたキャンディの表情や姿態は表紙の他の部分(背景部分)と不可分一体に描かれている以上、その表情や姿態にも原作の内面的表現形式が反映されていると考えられるからである(けだし、上記の戦争に巻き込まれるシーンではキャンディの表情や姿態にも悲しみにあふれたものになるに違いない)(注9)。

 これに対して、本件原画は、通常、原作の内面的表現形式に無関係に創作したものと考えられる。

 もちろん、キャンディの基本的な容貌・姿態自身、原作の主人公にふさわしいものとして選択されたことは想像に難くなく、その意味ではキャンディの基本的な容貌・姿態自身も原作の内面的表現形式に依拠して創作されたものと言えなくもない。

 しかし、「物語」である原作の内面的表現形式を漫画という表現形式で表現するためには、単に主人公の容貌・姿態が一定の表現手法で描かれているというだけでは不十分であり、キャンディが原作に依拠した漫画の登場人物として具体的動き(場面にあわせた表情・姿態等)をすることによってはじめて原作の内面的表現形式がキャンディの容貌・姿態を通じて外部に表現されたといえるであろう。

 よって、かような意味からも「本件原画」を原作の二次的著作物とする判例の解釈には賛成し難い。

 なお、上記の論述からも明らかであるように、仮に「表紙絵」や「本件原画」が連載開始前に原作の内面的表現形式と無関係に描かれた「キャラクター原画」の複製・翻案であれば、仮にそれが本件連載漫画の表紙等に描かれたキャンディの具体的容貌・姿態あるいは表情とその「複製」または「翻案」といえるほどに類似していたとしても、Y1はそれがキャラクター原画の複製であることを反論・反証してXの著作権法28条の主張を排斥しうると解せられる。判例の言うように「それが本件連載漫画の主人公であるキャンディを描いたものではない」という事実までを主張・立証する必要はない。

5.異なる法律構成の可能性について

 残された紙幅もわずかとなったが、本事件の解決のための他の法律構成の可能性とその場合の問題点についても若干検討したい。

(1)共同著作物としての法律構成

  原審においてXは、著作権法28条の主張とともに、本件漫画がXとY1との共同著作物であり、その利用(複製・翻案)に関して共同著作者(著作権の共有者)として許諾権を有する旨の主張をしている。

   ただ、上記主張が選択的請求であったため、第一審、控訴審ともに、この主張の当否について判断を下していない。

   そこで、上記Xの主張の当否及び二次的著作物である場合との相違についても若干検討を加えることにする。

一般に、本件のような制作過程をへて作成された漫画がXとY1との共同著作物となるか、あるいはXの原作原稿の二次的著作物になるかは、制作過程における各人の具体的関与等による事実認定の問題であり、Xの主張としては両者が相矛盾するものではない(注10)。

   ただ、共同著作物である場合には、共有者全員の合意がなければ、その著作権を行使できないが(著作権法65条2項)、同時に各共有者は正当な理由がない限り、この合意の成立を妨げることができないとの制約があり(著作権法65条3項)、判例のように二次的著作物に対する原著作物の著作者の権利(著作権法28条)をその利用形態や利用される対象部分を問わずに全面的に認めるとの解釈をとるならば、共同著作物であると認定される方が「正当な理由」の解釈次第では、作画家Y1にとって有利な解決になる可能性がある。

   本件のように原作者と作画家が異なる漫画の場合に、具体的にどのような関与があれば共同著作物と認められるか否かについて「原作・作画という一応の分担はあっても原作者から作画者に対して口頭でアイディアが提供され、あるいは基本的ストーリーのメモ書等が交付された後に両者の間の話合いを通じて具体的なストーリーが決定し、漫画原稿の作成に当たっても原作者がコマ割りや台詞を含めたいわゆる『ネーム』の作成にまで関与するような形態にあっては、漫画は両者の共同著作物というべきであろう。」とする見解が存在する(注11)。

 この見解によっても、「一事実関係」の(2)で掲記したような本件漫画の作成過程のうち、本件ではY1がXの原作原稿を読み漫画に使用できないと判断した部分を除いて、「ネーム」作成したこと、「ネーム」が完成した段階で雑誌の担当編集者に見せ打合せを行い、必要があればY1が手直しをしたこと。「ネーム」作成の段階で原稿が分量的に一回の連載に収まり切らない場合には、担当編集者からXに連絡してXの了解を得ていたこと、Xは当該回の漫画のゲラ刷りを見た上で、それに続く原作原稿を作成していたことなどの事実の評価次第によって、Xの漫画の制作への具体的関与があったと認定することも可能であったといえよう。

   他方では、共同著作物の成立要件たる創作行為の共同関係や各制作関与者の寄与の分離利用の不可能性について、従来の判例に照らして緩やかに解釈すれば、本件漫画をXとY1との共同著作物と認定できる可能性があることを指摘しつつ、本件表紙絵や本件原画にXの共同著作権が及ぶには、登場人物の絵画表現が共同著作物であることを要し、またそれをもって足りるとする見解も存在する(注12)。

   いずれにせよ、第一審及び控訴審が二次的著作物を中心とした法律構成にとらわれ、共同著作物として認定する場合の当否や双方の法律構成の相違について十分意識した判示がなされていない点は、若干不満が残る解決といえよう(注13)。

(2)漫画の登場人物の商品化に対する原作者の寄与とその法的保護方法

   仮に判例とは異なり、表紙絵や本件原画に対してXの著作権が及ばないとすると、表紙絵や本件原画に描かれたキャンディのキャラクターの商品化に対するXの寄与を保護する方法が他にないのかという問題も生じる。

   しかし、XとY1との間でキャラクターの商品化に関する利益分配の合意を定めるとの契約による解決は勿論可能であるし、このようなXとY1間の明示又は黙示の合意にもとづき、両者が共同して商品化事業者の決定や使用許諾を行い、このような過程を通じて、キャンディの図柄がXとY1とを共同ライセンサーとする商品化事業グループの周知商品等表示として機能するようになれば、Xは自己の許諾を得ないで、これを商品等表示として使用するY2等に対して、不正競争防止法2条1項1号又は2号、同3条、同4条等にもとづき、法的措置をとることも可能であろう。

   そうであれば、控訴審判決のように本件表紙絵や本件原画の複製・翻案に対してXの著作権を及ぼしたうえでこれによって生ずる不都合を著作権法65条3項の趣旨を授用したり、あるいはXとY1との間で二次的著作物の利用に関し、各自単独の権利行使を許す旨の合意(この場合Xに対しては法律上は当然に許される著作権法28条の権利行使を制限する合意となる)によりXの28条の権利の及ぶ範囲を制限することを期待するよりも、逆にXの著作権行使の範囲を限定したうえで、上記のような契約や不正競争法理の適用によりXの寄与に応じた保護と利益の還元を図る方が、より合理的な解決ではなかったかと思われる。



(注1)本件、第一審及び控訴審の評釈・評論としては下記(注2)(注3)に引用するもののほか、中島徹「連載漫画の原作者と作画家との権利関係」(判例評論496号23頁(判示1706号)、牛木理一「連載漫画の原作とキャラクターの絵との関係」パテントVol.52aD7・53頁、清水幸雄「二次的著作物に及ぶ原権利者の範囲」コピライト2000年6月号・38頁、堀口亜以子「漫画と原作―キャンディキャンディ事件」ジュリスト別冊著作権判例百選〔第三版〕156頁などがある。

(注2)日向史「漫画の作画部分のみの利用にストーリー原作者の権利が及ぶか」著作権研究26巻335頁

(注3)作花文雄「キャラクター保護と著作権制度」コピライト1999年5月号・69頁、長塚真琴「キャンディ・キャンディ第一事件高裁判決及びフジサンケイアドワーク事件地裁判決」特許研究31号43頁、滝井朋子「長編連載漫画の主人公の絵に物語原作者の二次的著作権が及ぶとされた例」村林隆一弁護士古稀記念論文集=判例著作権法359頁(但し、判決の結論には賛成)。

    なお、本判決の判例評釈ではないが、作花文雄「原作物と二次的著作物の創作性の区分と融合」コピライト2002年1月号16頁においても参考になる考え方が示されている。

(注4)もっとも長塚・前掲(注3)は「田村・前掲106頁と日向前掲論文49頁は原著作物の創作的表現が(直接)再生されているもののみが二次的著作物であるとの考えをとるが(濾過テストの発想)著作権法28条の解釈としては妥当であろう」として一応の判断基準を呈示している。

しかし、本来同じ表現形式の著作物(例えば言語的著作物の間の侵害あるいはプログラムの著作物間の侵害)の侵害(複製・翻案)の有無の判断基準(濾過テスト)を原作と漫画というように異なる表現形式で作成されている原著作物と二次的著作物(改変された著作物)の間に適用して二次的著作物(改変された著作物)から「原著作物の創作的表現が(直接)再生されているもの」を具体的に抽出することが可能という疑問がある。また、ここにいう「創作的表現」や「(直接)再生」の意味も明確ではない。

(注5)加戸守行・著作権法遂条講義(三訂新版)203頁等

(注6)作花文雄・詳解著作権法169頁〜170頁は『翻案』と『依拠』の認定に関して「『翻訳』や『翻案』により新たな創作性が付加されても元の著作物の内面に具体的に存する思想・感情の具現物が利用されている限りは、原著作物の権利者が権利が及ぶことになるのである」と説明している。

 また、田村善之・著作権法概説〔第2版〕112〜113頁は「なお、この点に関連して28条については条文の文言上、原著作物の権利者は二次的著作物に関する28条の権利をも有すると読めることから、原著作物に直接アクセスしていない三次的著作物や四次的著作物に関しても無限連鎖的に原著作物の著作権を主張しうると理解されることがある。もちろん原著作物の創作的な表現が再生されている場合には、その限りにおいて(二次的著作物であろうが三次的著作物であろうが)原著作物の創作的な表現に依拠して類似の著作物が作成されたと評価して著作権の権利範囲を及ぼすべきであるが、この類似の範囲を超える場合にはもはや権利範囲外と解することが創作的な表現を保護する著作権制度の趣旨にかなう」と説明している。

 いずれもその趣旨において私見と同様であると解せられるが、作花説では「元の著作物の内面に存する思想・感情の具現物」がどのようなものであるかかが明確ではなく、田村説では「原著作物の創作的な表現に依拠として類似の著作物が作成されたと評価」する基準や「類似性の範囲を越えた」とは具体的にどのような場合をいうのかが明らかではない。

(注7)例えば、半田正夫・著作権法概説〔第4版〕82頁では、著作物の「形式」には「外面的形式」と「内面的形式」とが含まれるとするコーラー等の説を紹介するとともに「『外面的形式』とは著作者の思想を文字・言語・音等の他人によって知覚されうる媒介物を通じて客観的存在たらしめる外部的構成を意味し、また『内面的形式』とは『外面的形式』に対応して著作者の内心に一定の秩序をもって形成される思想の体系を意味している。そして両者の関係については『外面的形式』がいかに変更されようと『内面的形式』が変更されざるかぎり著作物の同一性は失われないものと解している」と説明されている。また、小畑真一「公正使用(FairUse)パロデイ(Parody)および内面的形式(InnereForm)」著作権研究10号14頁も上記半田・概説に紹介されたフィヒテやコーラーの考え方を引用しながら「現行法における『創作的に表現』とは外面的形式の表現のみならず、内面的形式の表現を含むと解釈すべきものなのであろう」と主張している。

    さらに、著作権侵害の際に用いられる抽象化テストにおいても具体的な表現からこれによって表現された思考秩序のレベルへと順次抽象化を行い、それが当該表現形式と無関係に存在する抽象的な思考秩序に到達したときに、これを「アイデア」として「表現」と「アイデア」の区分を行っている。

    いささか、我田引水的な解釈ではあるが、いずれの考え方も具体的な表現(外面的表現形式)の背後に存在し、かつ著作者が外面的な表現形式によって表現しようとする具体的な思考秩序の存在を是認し、これを著作権の対象となる「表現」の一部として保護しようとする点で共通性があると思われる。

(注8)中島徹・前掲(注1)204頁

(注9)このような解釈に対しては、例えば「キャンディ」やその周辺の人物が戦争に巻きこまれていくということを連想させるシーンは単に原作のプロット(筋書)に依拠しているだけであり、「プロット」はアイデアである以上、私見の立場でも、「内面的表現形式」への依拠にはならないとも考えられる。この点は、私も定見を見るに至っておらず、上記の点については試論であることを御理解いただきたい。


(注10)三村量一「漫画の著作物の複製件・翻案権の侵害」現代裁判法大系(26)417頁以下。

   これに対して、斉藤博・著作権法105頁は共同著作物と二次的著作物の相違に関して「二次的な改作と時間をずらした共同著作との間の線引きは容易ではない。二次的な改作が原著作物の表現形式を変えた派生的な著作物を作成するのに対して、共同著作のほうは、表現形式を維持したまま手を加えているといえよう」と解説し両者が概念的に区分可能であるとの立場をとっている。しかし、仮に上記の解釈が妥当であるとしても、たとえば、原著作物の著作者が派生的著作物の創作的行為に関与していれば、派生的著作物自体が両者の共同著作物にあたると解せられるのであるから、結局、両者の関与形態をどう解釈するかという事実認定の問題に帰着する。

(注11)三村量一・前掲(注10)428頁

(注12)長塚真琴・前掲(注3)51頁

(注13)ただし、判例のように原作者の二次的著作物の利用に対する権利(著作権法28条)が「コマ絵」「表紙絵」「本件原画」の全てに及ぶとする立場に立てば、二次的著作物よりさらに創作に対する原作者の関与の程度が高い共同著作物については、原作者がその利用に対する同意を「拒絶する『正当な理由』がある。」と解さなければ論旨が一貫しないかもしれない。

    そもそも、共同著作物である場合には、創作に具体的に関与した共同著作者に対して『正当な理由』がなければ、その利用につき同意を拒めないとしながら、それより具体的関与が乏しい二次的著作物の利用については原作者に制約のない利用許諾権を与えているのは立法政策上の矛盾といわねばならない。

     このような矛盾を回避するためには、上記私見のように二次的著作物の利用に対する原著作者の権利(著作権法28条)をその利用が原著作者の創作性(内面的表現形式)への依拠が認められる範囲に限定する等、その権利範囲を限定する解釈をするか、あるいは二次的著作物の利用に対する原著作者の許諾に関しても著作権法65条3項を類推適用するとの解釈(斉藤博・著作権法178頁)をとらねばならないだろう。