「石の町大谷を見学」

ゴールデンウィークは愛・地球博に行きたいなと思っていたのだが、愛知は宇宙と同じくらい遠くて(距離的にも精神的にも)行かなかった。愛知方面に体の向きを向けることくらいはしたかもしれない。そうして結局僕も日本人の半数の人達と同じようにゴールデン"だらだら"ウィークを満喫したのだった。
しかしながら最終日はなぜか宇都宮に行くことにした。コンセプトは「近くもなくてそれほど遠くもない、だから油断していると一生足を運ばずに終ってしまうかもしれない場所に行っておく」だ。

行ってみたら、良かった。合計35個食べた餃子も良かったのだが、もっと良かったのがあまり期待しないで適当に決めた観光地、大谷という場所。採石場として有名(?)な町である。町全体が石に囲まれているのです。
岩の下のジャングルジム 圧倒的な岩々
こんな感じのすごい町。

ここで採れる石はどうやら全国の家の塀などに使われている。うちの祖父の家(愛知県)も塀は奮発して大谷石にしたとのことだ。大谷石は軽い。空気を沢山含んでいる(気泡がある)。白っぽい。これだけの情報で日本人ならば「ああ、塀でよく見るあの石ね」と分かることであろう。そう、それが大谷石だ。

そしてこの大谷石の採石場が見学できる「大谷資料館」なるものがあるそうなのでそこへ行ってみる。これまた全く期待せずに行った。「他に行くとこないから」という消去法で行ったのだった。行く道すがらも全く期待は高まらなかった。
なぜなら、
廃墟 この崩れっぷりは美しいかも
このような、
この家の右隣は普通に人が住んでいた。 これが土間というものか!?
このような、廃墟群があちこちで自己主張しており(しかし廃墟って見れば見るほど見入ってしまうなあ)、なおかつ

このような気持ちの悪い河童の絵があり、ただでさえ曇天なのにますます心を曇らせるような風景であったので、大谷資料館への期待はこれっぽっちも高まらなかったのだ。

お地蔵さん
お地蔵さんとその材料。

そして大谷資料館の入り口についた。看板を見る。えっ?結婚式場と教会もあるの?このときはなぜ廃墟群の先に式場=教会(どうやら式場と教会を区別してないっぽい)があるのか理解できなかった。 大谷石の歴史と坑内見学

大谷資料館内は資料展示場と地下採石場の坑内見学の2つに分かれていて、まずは資料館を見て回る。実はこの時点でまだ、この資料館のすごさが分かっていなかった。我ながらいろいろと鈍い人間である。せいぜい小学校の教室くらいの広さしかない資料展示場で適当に採石に関する資料を見終わり、次に坑内見学だ。

どうやら扉を出て、このあやしい階段を下ってゆくらしい。なんか寒い。だんだん面白くなってきた。そして突然目の前が開けた。
なにこれー!
広ー!

広ー! でかー! 天井高ー!とにかくでかーくてビックリしました。まさかあのちっぽけな(失礼)資料館がこんな隠し部屋を持っていたとは。採石という仕事はすげー、とか思いながら口がアホみたいに開きっぱなしになってたと思う。
ここは戦時中、採石場としてだけではなく飛行機の工場にもなっていたそう。地下でこの広さというのは他に類を見ないのではないか?そりゃ目をつけるよ、政府も。

冷蔵庫としても 非常に厳しいコメント
坑内も展示場の一部なので、当然説明パネルがある。写真左は見ての通り冷蔵庫としても使っていたとの説明書き。そして実際今もビールケースなどが積んであるのが見えた。エトセトラを"etcr"と"r"まで書いているのが珍しい。だから撮った。

そして写真右のパネルがまた興味深い。「左に見える色の変わった部分は機械掘りのあとで、ただ雑然と刃のあとが残り、何んの美しさもありません。
と、やたら機械掘りに対して辛辣なのである。ここだけではなく、いくつか機械掘りに対する辛辣なコメントがあったのを記憶している。それに対して手掘りは美しいと絶賛の嵐だった。
しかしよく分からない。確かに機械掘りの部分にはチェーンソーで切り刻んだ後が見られたが、別に嫌悪感を抱くほど醜いわけでもない。そして同様に手掘りの後がそれほど美しいとも思えなかった。芸術品ではない、石を切り取った後の壁に対しての批評にしてはいやに厳しかった。こういうのタモリとかだったらすぐ分かるんだろうなあ。

記念撮影 それから入り口で見た結婚式場の謎も解けた。式場=教会とはずばり、ここのことなのだ。確かに荘厳で、それらしいライトアップもある。ここで結婚式もアリかもしれない。しかし結婚式場入りする前に否が応でも廃墟を5つほど網膜が感知してしまうだろう。それに加えて寒い。暖房何個あったって足りないぞ。この広さじゃ。こうして僕の結婚式場候補はひとつ増えた直後に、ひとつ消えたのだった。

大谷はかなりエキサイティングな場所であった。期待していなかっただけに興奮もひとしおだ。どこまでこの石が続いているんだか分からないけれど、資料館を離れてもしばらくは岩に囲まれた風景が続く。
これだけあれば、まだまだ塀の供給は大丈夫だろうと確信した。

資料館を出たところに置いてあった、大谷石研究会による「大谷石」という広報誌(フリーペーパー)によると、昭和初期の石工さんはなんと全収入の45%をお酒に使ってしまっていたそうな。
「手掘りの過酷な労働によるストレスから逃げるにはお酒が一番だったのでしょう。・・・中略・・・これだけのお金を今のサラリーマンが飲んでしまったら、奥さんと幸せには暮らせないですよね。」
とその広報誌のコラムは締めくくってあった。そうですよね。
先人の偉大な仕事に乾杯。
(↑資料館を出たところの石で記念撮影)

最後に大谷石の写真、etcr。
坑内 サイズによって名前がある。
坑内を下る階段
神の国は近づいた featuring 岩
平和観音 ヨドバシカメラ宇都宮店
みんみんの餃子 長崎屋の地下。大谷石か?

おわり
(2005/5/15)


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