作文


北北西の風を感じて 42.195km

 2月11日、勝田全国マラソン大会フルマラソンの部に出場した。気温6.9℃、晴れ、北北西の風、スタートラインに立つ。靴紐をキュッと結ぶ瞬間の緊張感が好きだ。折しも開催されているオリンピックと相まって、気分は日本代表選手。号砲と共に約7,100名のランナーが一斉にスタートした。同じゴールを目指す同志がこんなに大勢いる事に心強さを感じる。
 一度でいいからフルマラソンを走ってみたいという一心で、雨の日も、風の日も、暑い日も、寒い日も、台風の日も走った。12月、突然の高熱に見舞われ入院。診療も、ランニングも休む事を余儀なくされた。病院のベッドの上で、寝返りを打つことさえもままならない自分がもどかしい。最後まで出場を迷ったが、「挑戦してみたら?」娘の一言で決心する。
 7km地点、視覚障害者のランナーが走っていた。「頑張って下さい!」「ありがとう。」視界を奪われてさえも走ろうとしているその姿に、言葉では表現できない力強さを感じた。
 30km過ぎ、曇り空に変わり、風の冷たさが身にしみる。途切れない応援の列。おばちゃんが差し出してくれた温かい麦茶。給水所の陸上部高校生の元気な声援。もう感覚のなくなってきた脚を反射的に前に運ぶのが精一杯の私にとって、全てが温かい。なんて前向きな競技なのだろう。たとえどんなにゆっくりでも、前進しなければゴールできない。立ち止まったとしても、再び前進することを求められる。「ガンバ!」ひとりの女性ランナーが追い越して行った。「ハイッ」ありったけの元気を装って返事をすると、振り返って笑顔をくれた。
 3時間34分でゴール。自分ひとりの力では、決して出すことのできない記録。皆に支えられて生きていること、ゆっくりでも目標に向かって進んで行く明確な意志があれば、成し遂げることができることを教えてくれた42.195kmだった。これくらい診療にも熱が入ればと思うのだが、そうもいかないのが人生かな・・・
(2002年4月 茨城県歯科医師会珂北支部広報誌より)

より速く、より美しく 42.195kmへの挑戦

 2001年6月号の茨歯会報「レディースコーナー」に掲載して頂いた頃には、30分走るのがやっとであった。一度でいいからフルマラソンを走ってみたい。そんな夢を追いかけて次第に走力を伸ばし、常陸太田の我が家から水戸往復(40km)ができるようになる。
そして・・・2002年2月11日、第50回勝田全国マラソン大会フルマラソンの部に出場した。
 大会当日の朝、出場予定の友人からメールが入る。「今、会場に着きました。」「私は、今からお化粧です!」と返信。普段走る時はもちろん、診療時にもノーメイクの私が念入りにお化粧をする。やっぱり、女性は美しく走らなければ!20年前、松田千枝という選手が、当時珍しいハイレグのレオタード姿で東京国際女子マラソンを走っていた。その「力強い美しさ」が記憶に蘇ってきた。
 午前11時。7,100名ものゴールを目指す同志と共にスタートを切る。髪型はリディア・シモン。気分は高橋尚子。手の甲には、マジックで5kmごとの目標ラップタイムが書かれている。どうしても完走したい!しかも、1秒でもいいから4時間を切りたい!
 中間地点までは、距離を計測し間違えているか、心拍数計が壊れてしまったのかというほどの絶好調。
 30km地点、「女の人、頑張れ!」という声援。私のこと?慌てて、手を振り声援に応える。私、カッコ良く走れてるかな?何か感じてもらえてるかな?
38km地点、脚はいつの間にか他人の脚で走っているような感覚。帽子を目深にかぶり、視線は10m先の路面に固定されたまま競走馬のように視界が狭い。沿道の声援だけが頭の中で反響する。悲壮な顔をして走っているのだろうか?それさえも、思い描くことができない。ただ、一歩一歩、脚を反射的に前に運ぶだけ。とにかく前に進まなければ!
 最後は何も考えられず、真っ白の頭の中でゴール。3時間34分49秒。夢じゃないよね?オリンピックで金メダルを獲ったように嬉しかった。
マラソンを走って得た物は、目標を持って一歩ずつでも前に進めば必ず成就できるという自信。そこには、自分を支えてくれる多くの人がいるという感謝の気持ち。大会を運営する1,800名ものボランティアの皆さん、励ましのお言葉をかけて下さった支部の先生方、10kmレースに一緒に参加して下さった山口先生、浅香先生、木村先生、有難うございました。
(2002年3月 茨城県歯科医師会報より)
 

徒然なるままに 

薄緑色の木々の若葉が、朝の光を浴びてキラキラと眩しいほどに輝いている。小鳥のさえずりが聞こえてくる。自転車を急がせる学生服の若者たち・・・自宅の近くにある山吹運動公園の朝である。
毎朝、娘たち(小1・小4)の「行って来ます」の声も待ち遠しく、
私は山吹公園へと向かう。そして、時には無心に、時にはあれこれと考えを巡らしながら、1周700mの周回コースをひたすら走る。距離走にしてしまうと、その日の調子によって走るのに要する時間がまちまちになってしまうので、30分間の時間走と決めている。 
一日の中で、どれほど多忙を極めても、30分間の時間を見つけ出すことはさほど難しいことではない。好きな時間に、誰を誘うこともなく、シューズだけ車の中に放り込んでおけば、場所さえも選ばない。まさに時間に追われて生活している多忙な歯科医には、手軽にできる最適のスポーツだと思う。
 走り始めたのは、去年の9月23日。シドニーオリンピックで高橋尚子選手が女子マラソン金メダルを獲得した日である。日本人であること、女性であること、私が走り出す理由にはその二つの共通点だけで十分であった。私にも、できるかもしれない。テレビを見ていたのが午前中、そして午後にはもう走り出していた。
 歳を重ねるたびに、だんだんと考えることの方が先行してしまう。
考えの方が先回りをして、せっかくの前進しようとするエネルギーさえも押さえ込んでしまう。時には、無鉄砲に「行動」から始まるのも良いかもしれない。この話をすると、みんなに笑われるのだが、まさに走り始めたきっかけは、高橋尚子であった。
 走ることが習慣化してくると、ただ走っているだけでは飽き足りなくなる。目標が欲しくなる。「レースに出よう!」またしても考えついた時には、インターネットで勝田全国マラソンのエントリーをしていた。現代の情報化社会においては、躊躇している間を与えず、「参加登録」をクリックした途端に走らざるを得なくなった。
2月11日、女子10km39歳以下の部407人中121位。タイムは54分25秒。速くなりたい。1秒でも速く走りたい。「お母さん、今からかけっこの練習して意味あるの?」と辛辣な娘。
 走っていて、良かったこと・・・40歳を目前にして、重力の言いなりになっていた全身の脂肪が、健気にも重力に抵抗し始めた。走り終わった後の感覚は、「爽快感」という一言で片付けてしまうには惜しいほど充実している。新鮮な酸素が毛細血管の隅々まで行きわったといういう感覚が、恐らく常習性を与えているのであろう。悩み事があると走りたくなる。走っている間に、あれこれと考える。先日、考え事をしながら走っていたら30分では足りずに60分走ってしまった。そして走り終えると自分なりに結論に達しているものである。最近は走ることが、単なる全身運動ではなく、もっと精神的な、哲学的なものにまで昇華してきた気さえする。
 何歳まで走っていられるだろうか?そう考えると、歳を重ねることさえも、記録を更新中であるという満足感に変わる。
 来年の勝田マラソンは、珂北支部の先生方を巻き添えにして参加できればと密かに企んでいる。走ることが好きな方、これから走ってみようと考えている方、是非ご連絡下さい。
(2002年6月 茨城県歯科医師会報より)