オーストラリア七転八倒
これは壮大なる(???)失敗の記録です。1991年9月から1997年1月までオーストラリアに留学しましたが、その経験をまとめてみました。

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 第1章 シドニーブルー

1. イノセント・アブロード
(3) ロックデール

1991年9月14日
 学校のあるロックデールは西部劇にでも出てきそうな鄙びた町だった。空港から近い分シドニーからは遠い。「大草原の小さな家」というドラマをご存知だろうか。NHKで今でもやっているようだけれども、あれに出てくる町の四つ角を思い出させる町並みの一角にアルファベータ学院はあった。
 ブライアンがもったいぶって校長とインタビュー、インタビューと繰り返していた割りには、儀式好きで知られる日本人の端くれとして拍子抜けどころか、だまされているのじゃないかと心配になるくらい簡単な入学手続きの後、銀行で口座を開くことにする。一応は東京で中央官庁や大学、研究機関、小さいとは決して言えない出版社、新聞社をクライアントにして自分の速記事務所を運営していた身としては、その場ですぐ使える現金が全くないというのはどうにも心細い。トラベラーズ・チェックを作ったのはシティバンクだったからこちらでもそこにしたかったのに、学校長もブライアンもコモンウエルスがいいと言う。それも道理、こんなに小さい町にシティバンクは支店を置かないのである。アメリカのテレビ映画に出てきそうな険のある美人の校長と、その夫だというあんまりぱっとしない副校長とは、それ以後卒業まで二度と会わなかった。いつも生徒集めで世界中を飛び回っているのだそうだ。
 なぜか渋るブライアンをせきたてて銀行に急ぐ。なるほど、四つ角に支店を並べる銀行の中では一番大きい。5000ドルは私にとって大金である。できるだけしっかりした銀行に預けたい。(後になって、オーストラリア人にとっては大金どころかひと財産なのだと知った)
 薄暗い店の中で、木製のカウンター越しに女性銀行員と顔を合わせる。カウンターが高いのでチビの私は思い切り背伸びをしながら、うれしくて思わずにこにこしてしまう。まるで西部劇映画に出演しているみたいだ。カウンターの上に頑丈そうな格子があるところまで西部劇そっくり。映画ではアメリカの銀行にはしょっちゅう強盗が来るらしいけれど、オーストラリアでも銀行強盗はそんなに多いんだろうか。
 女性銀行員は、けれども、ちっともうれしくなんかなかったらしい。不機嫌な顔で私の小切手を受け取ると席を立って事務所の奥に座っているだれかにそれを渡し、引き換えに受け取った書類をカウンターに置いた。明らかに口座開設のための契約書だ。へえ、手続きは日本と同じなんだ。まあ、オーストラリアだって資本主義国だし、先進国だし、銀行システムが同じだって不思議はないか。ひと安心。でも、すごいショックはその後に起こった。
 彼女はブライアンに向かって、
 「あなた、この書類にサインしてちょうだい。」
 (えっ、私の契約書じゃないの?)
のぞくと、付属の書類に5000ドルとある。やっぱり私の契約書だ。もっと驚いたことに、ブライアンはサインするつもりらしくいそいそとボールペンを手に取る。
「ちょっと待ってよ、これって私の口座を作る契約書でしょ?どうして彼がサインするんですか?」
わかりきったことを聞くなと言わんばかりに彼女が答える。
「だって、どうせあなたにはわからないでしょう。この国ではね、契約書がないと銀行に口座を開くことはできないの。仕方がないから便宜的方法として、だれかオーストラリア人が代わりにサインすることで口座を開けるようにしているのよ。」
「でも、あれは私のお金で彼のじゃないわ。」
情け深そうに微笑んで、
「もちろん、法律的に言えば5000ドルは彼の預金ということになります。でも、大丈夫、オーストラリア人は良心的だから勝手に使ってしまうようなことはしないし、現実問題としてあなたにはカードをあげますから、あなたはそれを使っていつでも好きな時に預金を使えるのよ。だから、同じことなの。カードってわかるかしら?」
ブライアンが口を挟んだ。
「後でよく教えておきます。」
「あのねえ…。いいわ、とにかくぅ、サインは自分でしますから、その契約書をこっちにちょうだい!」
ブライアンの手から書類をひったくった。冗談じゃない。

 銀行が口座開設で使う書類って本当にどこの国でも同じだ。小さな字でむずかしい言葉を細々と連ねて何ページも続く。こうなったら意地でも読んでやる。目を皿のようにして必死で読み進んだ。ところどころ意味のわからない英単語が出てくるが、日本の銀行の約款を思い出しながら読めば大体見当はつく。それでもさすがに4ページ目であきらめた。それまでのところ日本のものと大して違わないのだから、まあ大丈夫だろう。幾らなんでもこのスピードで全部読んでいたら日が暮れてしまう。ああ、本当に早く英語がうまくなりたい。

「日本の銀行と同じね」
悔しいから一応言っておく。サイン欄に自分の名前を書き込んで目を上げると、窓口にもうあの女性はいなかった。代わりに席にいたのは男性で、うってかわって愛想よく当座用として幾ら用意すればいいか尋ねる。日本にいた時は非常時用ということでお財布に必ず1万円札を10枚入れておいたけれど、それは仕事上必要だったからだ。ここでは私は単なる英語学校の生徒なのだから、そんな見栄を張る必要はない(はずだ)。当時の為替レートは1オーストラリアドル100円だった。
「100ドルお願いします。」
二人(ブライアンと銀行員)ともあきれたような顔をする。幾らなんでも少なすぎたかな。
 ブライアンが冷やかすように聞いた。
「そんな大金(big money)持って、一体何を買うつもりなんだい?」
 1万円がbig money! 東京で半日歩き回れば、交通費と電話代、軽い食事とお茶代だけで1万円などすぐ消えてしまう。でも、ま、郷に入れば郷に従え、だ。私は二人の顔を見比べながら言ってみた。
 「50ドル?30ドル?20ドル?…」
 結局20ドルを受け取って銀行を出た。


 NOTE 1

日本とオーストラリア:
本文や更新前のNOTE1で書いたように、向こうに渡った当初は日本とオーストラリアの違いばかりに目がいって、何か違いを見つけるたびに大騒ぎしては満足していました。(そう、モロおのぼりさん(-_-;))ところが、日本に帰ってから落ち着いてよく考えると、二つの国の違いよりはむしろ似ているところの方が目につくのです。地理的には北半球と南半球、歴史的には植民地と独立国。正反対といっていいくらい異なるのにどうしてこんなに似ているのか、最初は戸惑うばかりでした。けれども、速いもので帰国からもう7年半がたって少しずつ何かが見えてきた気がするのです。この後私の書くオーストラリアの物語を理解していただくためにも、日本と比較しながらオーストラリアの実情についてごく簡単にまとめてみます。

歴史
オーストラリア:後にアボリジニと呼ばれるようになる人々の祖先が島伝いにオーストラリアに移り住むようになったのは、今から数万年前のことです。イギリスがオーストラリアを植民地にしたのは今から約200年前、オーストラリアが独立したのは約100年前です。アメリカとは違って、独立戦争どころか、オーストラリアは独立したがらなかったのに、イギリスが植民地維持の負担に耐え切れずほとんど強制的に独立させたという話があります。また、イギリスがオーストラリアを植民地にした目的についてもいろいろおもしろい話があるのですが、長くなりますので、ANU(豪州国立大学=普通名詞みたいですが、固有名詞です。当時オーストラリアの大学のほとんど全部が州立で、国立大学はここだけだったのです)に入学後まで待ってください。一生懸命急ぎますので。
日本:原日本人が日本に定着し始めたのは3-4万年前だそうですから、この点は似ています。初の統一政権を大和とすると、その成立は4-7世紀と見られ、一応の近代国家、明治政府が樹立されたのは1867年。今から大体150年前のことです。こちらは、徳川政府との本格的な戦争はありませんでしたが、成立後西南戦争やら何やら内部抗争が激しかったようです。第二次大戦後の現代日本については皆さんよくご存知…と言いたいところですが、本当はなんにも知らないと言うより知らされていないんですよね。(学校で幾ら年代を丸暗記しても「歴史」を知ったことにはならないと思います。私の場合オーストラリアでそのことに気づかされて、帰国以来できるだけ情報を集めて勉強しています。オーストラリア留学目的の日豪関係を勉強するためにはオーストラリアを知らなければならないということで、植民地問題を議論する17世紀のイギリス国会議事録まで読まされたのに、考えてみたら日本国憲法だってろくに読んでいなかったのです。いやはや)この点、日本史もオーストラリア史と比較すると本当におもしろいので、適当なところで触れてみたいと思います。


 NOTE2

地理
オーストラリア:言うまでもなく南半球南端にあって南隣はもう南極です。大陸としては最小かもしれませんが、大陸は大陸ですから、縦は熱帯から寒帯まで、横はメラネシアとインド洋の間を占めています。国土が大きいということはオーストラリア人自身も大いにこだわる特徴ですが、実はオーストラリア国土のもっと大きな特徴は地形の平坦さと気候の乾燥性(中央部の広大な砂漠も含めて)にあるのです。シドニーにいた当時、あの街は坂が多いですし、海岸沿いにあるので、この二つの特徴はあまり実感できませんが、後にキャンベラに移ってからはほとほと思い知らされました。何せ、キャンベラにいた3年間傘を使った覚えがありませんし、生乾きのTシャツ(それも厚手の)を引き出しに放り込んでおくと翌朝着る時にはパリパリに乾いているのですから。
日本:国土の大きさというか、小ささというか、オーストラリアと比べるとこれはもう笑うしかありません。けれども、亜寒帯から亜熱帯まで細長く延び、富士山や日本アルプスから日本海溝まで、これだけ変化に富んだ国土も珍しいと今では思うようになりました。湿度については言うまでもありませんよね。ただ、オーストラリア生活を経験してからは、この湿度が日本の環境全体をなんとも言えず優しくしている気がして、以前ほど嫌いではなくなりました。

社会
オーストラリアの社会制度で日本と一番違うのは連邦制度だと思います。私自身日本の制度に慣れすぎていたこともあるのでしょうが、日常生活の中でとても政治意識が高いとは思えない普通のオーストラリア人のちょっとした会話で、びっくりさせられることがよくありました。つまり、オーストラリア人にとって連邦政府が州政府に「命令」するなんて嘆かわしいことで、州政府の「要請」を受けて動けばそれでよいのです。また、社会階層間の格差の大きさ、相互のよく言えば無関心、悪く言えば隠された敵意にも驚かされました。もっとも、最近は日本もそうなりつつあるようですが。

一方、閉鎖性や無原則(本音と建前の使い分け)、権威主義という点ではものすごくよく似ている気がします。オーストラリア社会が閉鎖的というのは、日本人の中には反対される方がいるかもしれません。私も最初は驚きましたが、あの国土の広さと人口密度、そして彼らの人種意識(ここではあえて人種差別あるいは白豪主義とは言いません)を考えればむしろ当然かもしれません。おもしろいのはその権威主義で、大きな組織や力のあるもの(者、物)に従うところは日豪同じですが、商品については逆です。日本では国産品の権威がある程度確立していますが、オーストラリアでは外国品(ヨーロッパ製、アメリカ製、日本製、時には中国製、韓国製、マレーシア製、シンガポール製も)の権威は絶対的です。本人たちは認めたがりませんが。



 

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 ブログ オーストラリア七転八倒
前回までのお話はここでご覧ください


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