おとなのための絵のない絵本
最近のおとなは疲れている(ような気がする)。ちょっとした癒しになりそうな物語を集めてみました。

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 「ここならいい。いい風が来るもの。当分うちになんか帰ってやるもんか。ふん、誰が!」
 忘れるためにこの公園に来たはずなのに、嫌でも由紀子の尖った無遠慮な声を思い出してしまう。原因はいわずと知れた嫁姑問題、というか、和美に言わせれば嫁問題である。和美自身は、一人息子の貴一郎が由紀子を結婚相手として家に連れてきて以来できる限りの努力を惜しまなかったのだから。
 今日ここに彼女を連れ出した友人、伊都子は視野を広く持てと繰り返すが、和美としては自分の視野がそんなに狭いとはどうしても思えない。毎朝新聞には必ず目を通すし、テレビのニュース番組だって欠かさず見ている。けれども、幾らテレビタレントの離婚問題に詳しくなっても、それで由紀子が反省して態度を改めるなんてことがあるだろうか?そう言うと、伊都子は当惑したように曖昧な笑顔を浮かべて去っていった。
 もう他人なんか当てにしても無駄だ。私は私でやっていく。そう決心した途端、和美はなんともいえず心細い気分になった。夫の昭雄は、息子夫婦が新婚旅行から帰って敷地内に建てた離れに落ち着いた直後、まるで自分の役目を終えたかのようにあっさりとこの世を去った。とかく細かいことにこだわる傾向があって、大雑把な性格の和美とは衝突することも多かったけれど、こんな時には夫の早世が恨めしい。
 和美の家からほど近い団地内の公園は緑が豊かで遊歩道も備わっているため、ふだんはそれなりに人々の気配が絶えないのだが、こう暑くては外出する気にもならないのだろう、今日は犬を散歩させる人さえ見えない。自分は本当に天涯孤独の一人ぼっちになってしまった。両足を広げてベンチにのけぞり、大あくびをする。若いころの和美には考えられない行儀の悪さだが、かまいはしない。どうせ、気を遣わなければならない相手も気を遣ってくれる相手も、だれもいないのだから。
 見上げた空はよく茂った木々の梢に縁取られて輝いている。あんまり晴れているので、見つめていると青いのか黒いのかわからない空の色だ。目が痛くなってまぶたを閉じると、いつしか自分の腹立ちを忘れてしまいそうで、あわててまた目を見開いた。本当に静かなのは全く人がいないのだから当たり前といえば当たり前と思った時、目の隅を何かがよぎった気がする。木立の中を動いているのは掃除の人だろうか。どういう立場の人なのか、小まめに掃除をしてくれるのでこの公園はいつも清潔で、和美はそこが気に入っていた。あいさつぐらいした方がいいかもしれない。
「お疲れ様。いつもご精が出ますね。」
 木立から出てきたのは和美と同年代の、思ったよりずっと背の高い男性だった。けげんそうな顔をしているところを見ると彼女の勘違いらしい。(ああ、恥ずかしい。全く私ったら…)間の悪い思いを気遣ってくれたのか、気さくに近づいてきた。
「カブトムシなんですよ。孫の宿題でね。確かにお疲れ様には違いない」
 昼間のうちにあらかじめいそうな場所を探しておいて、夜孫を連れてきて祖父の威厳を示す魂胆なのだと半ば苦笑いしながら説明する。
「それで、見つかりました?コガネムシ」
「いや、カブトムシは昼間は動かんのです。いそうな場所の見当をつけるだけで」
「大変ですねえ」
「なに、こんなことでもなけりゃ、連中、私がいることに気がつきさえしない」
(この人も自分の居場所を見つけるのに苦労しているんだ)
「ここはいい風が来るんですの。一息お入れになったら…」
「結構ですなあ。じゃあ、失礼して。よろしいですか?」
「どうぞ、どうぞ」
 風は木の葉の間を吹き抜けてサヤサヤと鳴り、陽は静かに、しかし力強く輝いている。   (終わり)




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